【長崎巡礼:感想文紹介①】Kさん
こんにちは!
2022年夏に長崎で行われた、『SYM夏の巡礼in長崎』。
参加したくださった皆様が感想文を書いてくださったので、このHPにてお一人ずつご紹介いたします。
この文章を読む皆様の心に、神様の豊かな香りが届きますように!
神奈川県のサレジオ学院出⾝のRです。
2022年度SYM夏合宿である⻑崎巡礼に参加させて頂いたのでその感想を書いていきたいと思います。
私は今回の巡礼に参加することで、⽇常から離れて神様に祈りを捧げることへの喜び、この企画に参加した私を⽀えてくださったすべての⼈への感謝、そして⻑崎のクリスチャンの⽅々の神様への、教会への強い想いを感じました。
そもそも洗礼を受けていない私がこの巡礼に参加しようと考えたきっかけは、中⾼の六年
間を通して触れたキリスト教の教えや考え⽅から、⼤学⽣になってことで簡単に離れていってしまって良いのだろうかという疑問からでした。
そんなことを薄っすらと考えていた私は⾼校卒業後にSYMの活動について知る機会があり、数⽇の間神様に⼼を向ける巡礼にはなにか得られるものがあるのではないかと思い参加しました。
巡礼に参加して歩き、そして各所でロザリオの祈りを⼀節ずつ唱える。
そうして今までの⼈⽣で⼀番神様に⼼を向ける時間となり、それをきっかけとして中⾼でずっとテーマとなっていた召命のことを思い出すとともに、改めて今回の巡礼に参加できた⾃分は恵まれていることに気づきました。
巡礼のための泊まる場所や差し⼊れ、祈る場所を提供してくださった⽅々、⼼⾝ともに⽀えてくださった⽅々に感謝が尽きないです。
巡礼に来た私たちを迎え⼊れてくれる⽅々の⼼の温かさを感じることができ、深い充⾜感を持ち帰ることができたと思います。
最後に、私が実際に歩いているときに感じたことは、歩いていて会ったり、お話をした⽅々の信⼼深さです。
まず、僕が⽣活をしていている場所や普段関わりのある⼈と話していても、そもそも「巡礼」という⾔葉がちゃんと伝わりません。
それが歩いているときに声をかけられて「これから〜へ⾏く」と⾔ったときに、洗礼者なのか尋ねられることがあることが今考えてみると衝撃でした。
そして教会や礼拝堂に着いて思うのは、⼈々の教会への思い⼊れです。
私はもともとそれぞれ少しずつ違いのある教会の装飾を⾒るのが好きで、教会でキョロキョロすることが多いのですが、どこの教会、礼拝堂でも建てた⼈や今も保ち続けている⼈たちの教会への思いの⼀端を感じることができました。
特に⼩さな礼拝堂まで地域の⼈が綺麗に保ち、⼤切にしているということに私では⾔葉にできない良さを感じました。以上が私がSYM夏合宿⻑崎巡礼で思ったことです。
この巡礼で得られたものを⾃分⾃⾝の将来にどう活かすことができるかはまだわかりませんが、とても⼤切な⼼の糧にできたと思います。
改めて未熟な⾃分を⽀えてくださったたくさんの⼈に感謝したいです。
ありがとうございました。