眠り姫
眠り姫
2007年11月18日 渋谷 ユーロスペースにて
(2007年:日本:80分:監督 七里圭)
この映画は猫の目から見た風景の映画だと思います。
わたしは、社会人になってから、どうしても「眠り下手」なのです。
睡眠障害・・・という病気ほどではないけれど、眠りが浅く、ぐっすりと寝た、とか、枕に頭をつけた瞬間に熟睡してしまった・・・なんて話を聞くと内心、羨ましく思います。
精神的にくよくよ・・やイライラ・・・といった事が、なかなか頭から離れず、眠り・・・という休息を上手くとれない気性なのでしょう。
いつまでもいつまでも浅い眠りの中で、なんとなく浅い夢をみて、目覚めてみればなんとなくぼやけた頭に目に映る風景・・・に朝、いつも悩むというより戸惑っています。
しかし、家の猫を見ていると、猫だから実によく寝るのですが、どうもその眠りは浅いらしい。
浅い眠りを長い時間をかけてむさぼっているような眠り方で、何か音がするとすぐ反応するし、我を忘れて眠りに没頭しているとは思えません。・・・は・・・と開けた時の目は半目で、なんだか焦点があっていない。
そして、猫というのは犬のように人間の顔色など伺わず、自分の見たい者だけ、見ているようにも思います。
お腹がすいたら、「誰かご飯をくれそうな人のところに行こう」・・・空腹でないときは、まるで人などいないかのように無視をして、猫の目には人間の姿など映っていないのではないか・・・そんなことを思うことがあります。
この映画に人間はほとんど映りません。女性の後ろ姿か、指先くらいで全く人というものを映さない。
音楽と風景とそして、会話だけで成り立っている映画です。
原作は山本直樹ですが、そのもとは、内田百聞の短編『山高帽子』だそうです。
青地の同僚の野口のモデルとなったのは芥川龍之介です。
この映画では青地(つぐみ)は、学校の教師をしているけれど、眠っても眠っても寝たりない・・・・といったモノローグから始まります。
朝起きて、トイレに入る。
「今、入ったトイレに、誰かがいるような気がしてならない」
ここで、鋭いな、と思ったのは青地は、目覚めるとまず煙草を吸うのです。
わたしも実は、浅い眠りをさますのに一番なのは煙草で、朝一番にすることは煙草を吸うこと。
その様子がまるで自分の姿を見ているような気がしました。
長いつきあいの恋人(山本浩司)とは、もう、なれ合いの仲で新鮮さなどない。ただ、約束のようにセックスをするだけで、でも恋人に結婚しようと一応言われても、青地は、いまひとつ・・・・乗り気ではない。
学校の同僚教師、野口(西島秀俊)は、自分の顔が長いことを棚にあげて、青地さんの顔はどんどん膨らんでいきますね・・・などという。
喫茶店での会話があっても、映るのはテーブルと椅子だけ。
そして、猫の目に映るような切れ切れの風景。
人を映して、青地と恋人、青地と野口の映画にして顔の演技をさせればどんなに楽か、ということをあえて避けて、音と風景から物語を立ち上げています。
声優というより、声の演技だけ、のつぐみ、西島秀俊、山本浩司・・・の声の演技も自然で、そして雰囲気をよく出していました。
それが実験的、ひとりよがりではなく、きちんとした「物語」が立ち上がっているところが上手いと思いますし、映像もクリアというより少しぼけたような映像もあって、まさに眠り足りない眠り姫の目に映る風景です。あくまでも現実にあるものを現実感を出さずに撮る。
わたしが、この映画に惹かれた一番はチラシでした。
冬の木らしい葉のない木が影絵のようになっていて、朝焼けの赤から、青へのグラデーションの背景になっている写真です。
この映画のファーストシーンはまさに、木が映って、夜が明け、朝焼けになり、青空が出始めるのをじっくり撮るところなのです。
この映画と同じ手法では『雲 息子への手紙』というのがあり、どんどん成長していく息子への母の手紙を読むだけで、後は雲の風景がずっと続くだけ、というものがありましたが、わたしはこの映画もとても好きなのです。
見たい人間ばかりでなく、見たい人だけ見ていられたら・・・または、人ばかり見ていて、気がつかなかった、ふとした風景に気がつく繊細さ・・・そんなものが、全編を通しています。
話が面白いとか、面白くない・・・の次元を越えた瞳の快楽映画はとても好きです。
眠り姫・・・というのは、ずっと眠ったままの姫ではなく、眠くて眠くて・・・それでも眠れない、「眠りたい」姫のことなのです。