自由と平等
同じようなテーマが前にもあったような。
アメリカの政治状況が怪しくなっている。基本アメリカ国民は他所のことには手を出すなと思っている。が、政権の中枢及び上部を構成するメンバーはそうは考えていない。資本は世界をめぐり、だからこそ資本主義の総本山であるアメリカは大戦以降世界戦略に主導者として関わってきた。しかし、中間選挙の結果次第ではその世界のリーダー役から少し身を引いた状態になるかもしれない。考えたくはないがウクライナから彼の国が手を引いたらどうなるのであろう。NATOという合議体が脆弱になるのは間違いない。相対的にロシアの戦争遂行能力が上がれば、この悲惨な状況は更に続いていくということになろう。これから訪れる冬の寒さは銃弾に怯えるウクライナ民衆の気持ちを萎えさせロシア及び世界への怨嗟と変容するだろう。かたや資源供給の停滞は物価高を加速させ、世界全体は他者の不幸を思いやる心が萎んでいくことだろう。人というものは、とりあえず自分は(自分の家族は、自分の国は)安全で快適な毎日を手放したくはない、というのが正直なところであろう。だが、身内を守ることはそれ以外が被る不利益とのある意味等価である。そしてそれは反作用として自国への不利益となって跳ね返ってくる。自由の行使と言うのは凡そそういった関係性の中にある。放っておいたら因果応報、弱肉強食、カオスの招来である。
だが、人類が集団社会を形成して数万年、なんとか絶滅せず今日に至るまで存続しているという事実もある。だからといって今の世界的な危機が今度も乗り越えられるとは安易に思えないが、しかしそれほど愚かではないだろうという愚かな希望は捨てたくはない。
自由の主張は子供でもやることだが、平等は加減、塩梅を必要とするので全てに納得してもらうのは困難な作業となる。平等と自由はすべての人に振り分けられているが、もっとも困難なのは平等の提示である。
本当に悩ましい。
令和4年11月3日