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これ面白い記事ですね

2018.03.14 22:25


私が普段から考えていることをそのまま書いてくれている人がいますね。

えら~い先生が書くと素晴らしいって思えます。

私が書いてもそうは思われない。(笑)


知識が役に立つのは30代までって、この方は言ってますが年齢はどうかとは思うけど、知識ってあればあるほど逆に考えなくなるんですよね。 

これは年齢に関係なく確かです。

忘れる力って言ってますが、私は完全にアホになる能力だと思ってます。 

年齢に関係なく、なんでもやってみてどうかという癖をつける必要があると思うんですよね。 

これって思っているより体得するのが難しい。 


身体で感じて行動するということなんです。 

メモをとるなって書いてますが、以前ブログにも書きましたが必要なものってメモとらなくても覚えるし、忘れたくても忘れない。 

ご飯食べるのはなかなか忘れられないですからね。 

これを忘れるぐらい楽しいことがあったら、良い時間を過ごせたと思えばいい。 

生きていく上で必要なことってそんなに多いことじゃないはず。 

まずこれに気づいてない人って結構多いです。


忘れてしまうことって必要なことじゃないから覚えなくても良いこと。 

年齢と共に忘れやすくなるのは必要なことと不必要なことがわかってきているからです。

神様に近づいたのだと思います。

学ぶというのは、人真似をすることじゃない。 

でも日本の学校で成績が良いというのは、その知識の真似をすることであって、生かすことではない。

だから私は成績が悪かった。(笑)

 

そういう教育が染みついていると、それから抜け出すのはホントに苦労します。 

知識をつけすぎると知識に振り回されすぎて考えなくなるんです。

でも自分は考えていると錯覚してしまうところが恐ろしい。

その人の持っている基礎概念でしか物事を考えなくなる。

基礎概念が間違っていたら全て間違っていることになるということに気づかない訳です。

この症状は若い時より年とってからの方が酷くなる。


だからその知識の範囲でしか物事を考えなくなる。 

これってホントに怖いことなんですよね。 

若い時に出会って衝撃を受けた人の教えって、その人の基盤になったりしますよね。 

でも基盤になりすぎると、その人を乗り越えられない。 

何かしようと思うと必ずその人の教えが頭の中を右往左往して自分の感じ方を妨げてしまうんですよね。

ホントに注意してないとそうなります。

それは本で読んだ知識も同じです。


その人が言ったとおりの行動しかしない自分がいるんですよ。

それはその人を超えてないからです。

つまり守っている。

若い時は必要なこともあるかもわかりません。

年をとったら全く必要でなくなります。

それが習慣になっているから不幸になる訳です。


これに気づくのはホントに難しい。  

守破離(スパイラル)が基本です。

破って離れる能力がないとね。

新陳代謝がないものは、どんな人が言ったことでも腐るんです。

だからブッダは弟子に旅先(修行中ということでしょう)で私に出会ったら私を殺しなさい。

と言ったといいます。

言葉の表現が違うだけでアホになりなさいと言っている訳です。

究極の教えです。

これ以上の教えはありません。

でも若い時からそれに気づいてやってないとそう簡単にはできない。

だから若い時から訓練してないと年とってからはホントに難しい。

 

破らないと離れられない。

離れないと上には昇れません。 

でもそれをわかっている人ってホントに少ない。 


それができる人って20代でもできるし、できない人は100歳でもできない。

健康や医療に関する記事を見ているといつも思うんですが、どんどん説が入れ替わっていますよね。

それが良いとか悪いとか・・・。

全然自分で考えたり感じたりすることは含まれない。

だから参考にしかならない。


参考にしかならないことを声高に言っている人います。

あくまでも人の知識なのに自分が考えたみたいな顏で言うんですよね。

それは古い書物から引用したものであっても同じことです。

自分で考えたことじゃないから無責任に言える訳です。

そんな知識はいらない。

つまり必要ない知識なんだと思うんです。

それを貯め込んで不自由になっている人って世の中をちょっと見渡せば一杯います。


医学的な最新の知識を習得しても患者さんの身体からでてくる訴えをそのまま聴くことはできません。

それなのに知識があるとわかったような気になってしまう。

これに振り回されすぎるとものすご~く不自由な生活を強いられる。 


ここで考えて欲しいのは一人の人が生きていて経験できることってそんなに多くないはず。

殆どは知識であって体験したことじゃない。

ってことです。

よくよく考えてみて下さい。

殆どは人が経験したことを鵜呑みにした知識だったということがわかるはず。

そんなこと必要ですか?

と問いかけて医療は行わなければなりません。

自分が経験したことですら捨てないと、その人そのものは見えてこない。

つまり治せないということになります。


つまり馬鹿ではなく、完全にアホになることなんですよね。(関西では馬鹿よりアホの方が上です)

同じことを言っていても、これを書いた偉い先生が書くと品がありますよね。

私が書くと品がない。

でも本質は全く違わない。