【長崎巡礼:感想文紹介⑥】Kさん
SYMの巡礼に参加するのは5年ぶりとなりました。
前回は大学2年生の時で、5年間で成長したと思う反面、あの頃と変わってないなぁと思うこともあります。
そして、SYM のスタッフになって5年も経つのだなと思うとともに最年長になってしまいびっくりしています。
さて今回の巡礼の出発地は出津教会だったのですが、ここは6年前の上五島巡礼でもミサに預かった場所でした。
数年ぶりに同じ場所に行くと、当時の仲間と共に歩いたことを鮮明に思い出し、感慨深いものがありました。
朝の潮風が流れる中、歴史ある聖堂で献げるミサはドロ神父の生きていた頃の雰囲気を味わうことができました。
また、出津教会の信者の皆さまの祈りは長崎弁も相まってとても早く、お祈りが身体、心に染み付いているのだなぁと感じました。
祈りは大きく分けて2種類あると思います。何かのため、誰かのための祈りと、何も考えずに心を清める祈りです。
想いを込めてする祈りももちろん大切ですが、何も考えずに祈ることもとても大切な時間だと思います。
ロザリオはなぜ10回唱えるかを考えた時、唱える回数には大きな意味はなく繰り返し唱えることに意味があるのでは思います。
繰り返し唱えることにより心が整理されるのだと思います。
なんとなく祈る、祈るという行為が非常に大切なのではないでしょうか。
昨今、マインドフルネス、瞑想といったキーワードの本や動画をよく見かけますが、これは何も考えずに祈る行為に非常に近いと思いました。
巡礼中は各巡礼地でロザリオを一連唱えました。
同じ意向を仲間とともに祈り、歩くという行為はたまたま巡礼に集まった仲間たちがだんだん同じ方向を向き、大きな愛で包まれると神の存在をとても近く感じます。
各巡礼地、宿泊地で迎えてくださる神父様、シスター、信徒の皆様が暖かく迎えていただきました。
皆、自分達の教会について熱く語ってくださり、所属教会に対して誇りを持っていると感じました。
私は自分の教会について多く語れるかと言われると自信がなく、反省しなければと思いました。
たくさんの愛で私たちを迎えてくださり、それを糧に我々も最後まで全員が歩くことができたと思います。
今回の巡礼では、大きなテーマであるドロ神父の生き方、殉教者について、そして自分自身を見つめ直す黙想をしました。
ドロ神父はキリスト教を広めるだけにとどまらず、外海地域のためになる様々なことを実践しました。
自分が何か他の人にやってほしいことがある時はそのことだけを考えず、他人のために何が必要かしっかり考える必要があると思います。
ドロ神父は地域のために働いている姿があったからこそ、キリスト教の考えも広まったのだと思います。
殉教者については、私が同じ立場だったら殉教していたのかどうかを考えました。
正直答えは出ていませんが、殉教者しなかった人たちがいたからこそ、隠れキリシタンは信仰を守り続けることができ、潜伏キリシタンが150年近く続いたのも事実であると思いました。
当時の人と全く同じ気持ちにはなれませんが、京都から歩いてきた日本二十六聖人はどのような気持ちであったか想いを馳せました。
自分自身を見つめ直すという点では、日々の生活が愛によって行われているかを振り返りました。自分が愛に満たさせるとともに他人も愛で満たせるような行動を心がけたいと思います。
最後にこの巡礼で出会った全ての人に感謝します。
企画をしてくださった方々に感謝します。私はスタッフでしたがほとんどやることはありませんでした笑
この巡礼も大成功で終われたことを、主に感謝します。