雨の味
雨の味
Smell of Rain
2007年11月2日 NHKふれあいホールにて(第8回NHKアジアフィルムフェスティバル)
(2006年:シンガポール:93分:監督 グロリア・チー)
とても詩的な映画です。
最初の10分くらいで、あ。これはいいかも・・・と映画の匂いに気がつきました。
タイトルは『雨の味』で、映画のタイトルも日本語で「雨の味」と出ます。使われる言葉は中国語です。
原題は、「雨の匂い」なんですね。
味というものには、匂いも含まれる・・・そういう文化を持つアジア圏の言葉を使いたいというのが監督の意向だそうです。
また、シンガポールは、様々なアジアの人々が暮らしていて、祖父母は中国から移住してきた人もいるし、他のアジアの国から来た人々が多く、言葉も色々なのだそうです。
まさに、匂いの映画・・・といってもいい匂いがするわけではありませんし、シンガポール映画といっても名所が出てくる観光映画でもありません。
街並、マンション、商店街・・・なんとなく日本と同じような匂いがするのです。
映画はシャオチー(ナサニエル・ホー)という青年のモノローグがほとんどです。台詞らしい台詞・・・・ましてや自分の意見とか感情をもろに出す台詞は一切ありません。
シャオチーという名前だって、映画の中で一回しか出てこないのです。
僕、シャオチーは、楽器屋でアルバイトをしている青年。コンロンという親友と2人くらし。
シャオチーは、人と話すのが苦手だ・・・と冒頭、つぶやくように、ほとんど口を聞きません。
僕には、一日、24時間もいらないな・・・一日、10時間でいい。
それほど、シャオチーには「なにもない」
ルームメイトのコンロンは、昼寝と韓国テレビドラマが大好き。
時々喧嘩するけれど、シャオチーはコンロンを「賢い奴なんだ」と言う。
シャオチーとコンロンはとても静かに暮らしていて、他に友人も家族も見あたらない。
2人だけの世界に、リアという女の子が現れる。
リアは、暴力をふるう父と2人暮らしだと言うけれど、リアもまた、無口。
シンガポールでは、夕立がいきなりくる。雷鳴がとどろいて、大粒の雨がスコールのように降る。
シャオチーは、そんな雨の匂いが、苦手だという。母が自分を置いて出ていってしまったとき、大雨が降ったことをどうしても思い出してしまうから。
そんなとき、いつも側にいてくれたのがコンロン。
背が低かったシャオチーはいつの間にか、コンロンよりも背が高い、ハンサムな青年になるけれど、表情は極めて少なく、おとなしい。
いつもTシャツにビーチサンダルのシャオチー。いつも、ソファで昼寝をしているコンロン。思いついたようにあらわれるリア。
3人の距離は少しずつ近づいていく。
この映画はまず、風景がたくさん出てきます。電車から見た住宅街の風景。シャオチーの住むアパートの前の公園、橋。
そして詩的なモノローグ。
ロウ・イエ監督の『ふたりの人魚』と並ぶ、モノローグ映画です。
Tシャツに半ズボンという格好で、気楽なようで、シャオチーは憂鬱で、不眠症。
眠れない時は、夜の街を散歩する。
夜のシーンも綺麗で、シーンのひとつひとつから、雨の匂い、街の匂い・・・スクリーンから匂いや暑さが風に乗ってそよそよと吹いてくるようです。
しかし、リアに好き・・・と言われたシャオチー・・・コンロンはリアのことを気に入っているけれど・・・でもシャオチーならいいよ・・・なんて、何のさざなみも立たないのです。
そして、最後になって、シャオチーの真実・・・というのが、映像で一瞬で描かれる。
自分が、自分が!!!と主張することのない、青年。かといって、悲観にくれているわけでもない青年。普通に仕事をして、おとなしく暮らしている青年の心の中を透明に映し出すような映画です。
この透明感がたまりませんね。
監督は女性監督なのですが、女だから、女なのよ!という力みが全くなく、詩的な風景と映像で、ちょっと哀しくて、ちょっと切なくて、ちょっと笑えるような、空気の映画を作りました。
シンガポールでは、映画製作はあまりさかんではなくて、年間10本くらいしか自国の映画は作られないそうです。
世界で一番映画製作本数が多いのは、インドというのは有名なのですが、その次は、なんと日本なんだそうです。
日本の映画の可能性はまだまだあるんだなぁ、というのもこの映画祭で知りました。