帝国の時代38-アフタヌーンティー
2022.11.04 11:28
イギリス労働者階級がジンで酔っ払っているとき、上流階級ではアフタヌーンティーが定着した。当時の食事は朝夕の2食で、やっぱりお腹が空く。これは1840年頃ベッドフォード公爵夫人が始めたそうだが、上流階級の社交場となり、そのための調度やマナーが整えられた。日本の茶席もそうである。
紅茶はというと、そもそも中国の産であり、イギリスは大量に輸入していた。この貿易赤字を埋めるのがインドで取れるアヘンであり、アヘン戦争が引き起こされた。しかし中国の茶が自由になったわけではない。ところが1823年、英国探検家がアッサム地方で自生していた茶樹を発見した。
このアッサムチャは葉が大きいために大量生産が可能で、ちょうどうまく手に入れたインドで労働者を使ったプランテーションに乗り出した。さらにダージリン地方では従来の中国茶が育つこともわかり、こうして紅茶産地のブランドができたというわけである。
プランテーション栽培の茶は、価格を大幅に引き下げ、ヴィクトリア朝でイギリスの喫茶の習慣は庶民にまで広がっていく。イギリスでも陶器のティーセットが普及する。しかしインドといえば茶カスしかないので、これでつくったのがチャイである。茶にも砂糖にも罪はないが、人間の罪深い帝国主義がかかわっている。