楽しむのにも努力がいる
「学校の勉強なんて将来なんの意味があるんだ??」
勉強に疲れた学生の典型のような悩みで、僕も中学生の時そんなことを考えていた気がします。
勉強したら人生もっとオモロくなるじゃん
って事です。
勉強っていうから少し構えちゃうけど、基本的に「分からないコトが分かるようになる」、「知らないコトを知る」「できなかったコトができるようになる」って経験って快感なんですよ。
知らない、分からない、出来ないって状態は誰にとっても苦痛で、その期間を切り抜けるには一定の忍耐が必要です。
☆「学び」は最初は辛い
僕は小3の時からサッカーをしていたんですが、他の人に比べてリフティンングがとても苦手でした。
夜暗くなるまで公園で何回も練習して、できない自分にイライラしながら、文字通りワンワン泣きながらボールを蹴っていました。
24回、36回、59回とだんだんと自己ベストを増やして行って、小6くらいになってやっと100回を超えるようになってからはほとんど自由にリフティングできるようになりました。
サッカーが楽しくなり始めたのはそれからです。
ということです。
僕の場合はサッカーでしたが、なんだって同じだと思います。
気持ち良さそうにピアノを弾ける人だって、最初はドレミファソラシドから始めた訳です。
基本を押さえてからだと、それを発展させるのに自分のクリエイティビティを活かすことができ楽しさが広がります。
☆「旅」と「学び」は最高の組み合わせ
旅をしていても、勉強していればもっと楽しめるのに。と思う事がいくらでもあります。
以前書いたように、僕は東ヨーロッパの旅がいまいち楽しめませんでした。
なぜなら東ヨーロッパのアート、建築、歴史をあまり知らなかったからです。
「これは昔、◯◯2世が建てたお城です(ドン!)」
って言われても、
「でかっ!」
くらいの感想しか出てきませんでした・・・・。
旅は、異国の文化、宗教、歴史に触れることができる絶好の機会です。
より楽しい旅をするには、もっともっと勉強したいと思いました。
自分の中の教養が高まると、旅のレベルが上がっていきます。
得られることも何倍にも広がり、感じる事の質もあがります。
RPGのゲームでレベルが上がるごとに貰える経験値もどんどん増えていくようなものです。
初めて、海外を旅する人は、
「言葉わかんねー」、「自販機どこッ?」、「クリスマスのNYってイルミネーション綺麗ー」
といった表面上のことしか分かりません。
もっと楽しむために、例えば宗教を勉強をした人は、
「なるほどこれがイスラムの断食ラマダンかー。こんな大勢の人がモスクに集まり祈りを捧げるんだなー。」とか「インドでは主にヒンドゥー教では牛が食べれないけれど、南インドのゴアではキリスト教が布教されたからまた違った文化があるなぁ」
とより多くのことを感じる事ができます。
僕はまだこのレベルなんですが、もっと教養をもっている人はもっと大きな事を吸収することができます。
僕が好きな高城剛さんは「移動距離はアイデアに比例する」と言って世界中を旅しながら仕事をしている人で、あらゆるジャンルのことに詳しい人です。
彼はメルマガでこんなことを言っていました。
「香港の町を歩いていると経済の発展を感じます」
僕はこれを読んだ時、
「まじか!!!(汗)」
って思いました。
旅を極め、教養も兼ね備えて、過去の香港も知っている人ともなると、
街を歩いてるだけで「経済の発展」すら「感じ」取っちゃうできるんです(笑)
政治、経済、宗教、科学。
もっと勉強っぽくないことでもオッケーです。
昆虫、ジャズ、将棋、カメラ。
あらゆることを「勉強」したら、
自分の身の回りに限らず、世界全ての出来事が「自分事」になります。
そうなったら、この時代に生きてることがおもしろくなってくると思います。
リフティングと同じように、最初は楽しくないかもしれませんが、
そこを乗り切ってひとつひとつ極めていきたいです。
人生を楽しむにも、もっともっと努力・勉強を積んでいきたいと思った次第です。