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ビッパサーナ瞑想

2018.03.27 06:54

http://heartandlife.jp/vipassana   より

ビッパサーナ瞑想とは

「特別な仕方で」という意味の「ヴィ」と、「見る」という意味の「パッサナー」が合わさり「ヴィパッサナー」(vipassana)=「洞察」という言葉になります。

「ヴィパッサナー瞑想」とは、呼吸を特別の仕方で見ることによって、洞察を得るためのものです。

初期の仏教を受け継ぐ上座部(テーラワーダ)仏教でのアビダルマ哲学や『清浄道論』に基礎をおいた複雑な瞑想法が、50年ほど前にミャンマーの「改革派」たちによって、誰でも行えるように簡略化されました。

この簡略化された「ヴィパッサナー瞑想」の広がりによって、出家者が在家の瞑想指導を行うという上座部の伝統の中では新しい潮流が生まれてきました。

そういった流れのなかで、タイで僧侶になり、ヴィパッサナー瞑想を学んだジョセフ・ゴールドシュタインやジャク・コーンフィールドなどによって、「インサイト・メディテーション」という名前で、北米に最初に伝えられました。

それは、『入出息念経』や『四念処経』をベースにした伝統的な指導スタイルでしたが、後にコーンフィールドは、カリフォルニアに拠点を移し、心理療法なども取り入れた総合的なプログラムを行いました。

他には、スリランカの僧侶バンテ・ヘーネポラ・グナラタナが、ウェストバージニア州の森林に僧院と瞑想センターを設け、一般に向けても指導を行い、影響を与えました。

ヴィパッサナー瞑想の流行とともに、次第に、上座部の組織や信仰・思想とは距離を置き、新しい運動(欧米新仏教)となっています。 仏教の伝統では、止観の観の瞑想と呼ばれるものですが、このように、20世紀に開発、または復興されたものを、欧米人の自国へ持ち帰り、その発展のなかから、様々なヴィパッサナ瞑想が生まれました。

・ ヴィパッサナー瞑想のやり方

日本に伝わるものとしては、ビルマのマハシ式の特徴は、気づきを頭の中で言語化することで(ラベリング)します。 瞑想中にお腹が「膨らんでいる」「縮んでいる」とラベリングしたり、お腹の膨らみ縮み以外に何か気づいたら、その気づきを言語化します。

タイ上座仏教系のビパッサナ瞑想は、言語化せずにただ気づきます。歩いたり、手を動か したりしながら、気づきを保とうとすることが特徴です。

最近、若い人たちの間で有名になってきたゴエンカ式のヴィパッサナは、体の感覚を体の部分ごとに観察する方法が使われるのが特徴です。 10日間の禁欲的な生活をする合宿で修行をするので、そのリーズナブルな料金設定もあっ て、若い人たちに人気で、ネオ・ヒッピー的な自然派志向の人たちが集まっています。

そのゴエンカ式のビパッサナ瞑想合宿では、私語の禁止や休憩中のストレッチや体操なども禁止されて、ひたすら呼吸と体の感覚を観察します。

一方、「ブッダのヴィパッサナーは砂漠だ。砂漠には砂漠特有の美しさがある。だがそこには潤いはない。私はそこに潤いを与えた。」と語ったOSHO のところでのヴィパッサナー瞑想はかなりゆるく、呼吸を観察する基本姿勢は他のものと同じですが、リラックスすることがいちばんに大切にされています。そのために導入にガイド瞑想の手法や音楽なども使われることもあります。

基本的に静かに座り、呼吸を見つめますが、他のヴィパッサナーのように、詳細に厳密に観察することはありません。 雑念・妄想が出てきても気にせずに、空を流れる雲を眺めるように受け流すこと。 集中ということを重視せず、ただ自然に見つめ洞察することのみを重視します。

静かにくつろいで座り、目は閉じて、呼吸をただ見守ります。

これは、さまざまなやり方のヴィパッサナー瞑想の多くに共通するものです。

呼吸を見守っているあいだに、呼吸以外の多くのことに注意をそらせるかもしれません。 思考、感情、感覚、音や匂い、そよ風など、外の世界からの印象などがやって来たときには、 それらを空に漂い行く雲をみるように見守って、それらを意識して、いつでも呼吸への気 づきに戻ります。

・ ヴィパッサナー瞑想の効果

呼吸を錨として、今この瞬間に起こっていること、自分が今経験していることに気づき、それをよく観察していると、すべては流れてゆくプロセスに過ぎないことがわかってきます。

すべての物事は生まれ、変化していきます。それに執着すると苦しみが生まれます。 すべてのものは変化し、変化しない実体的な自己はなく、その無我の境地を洞察することが起こります。 そうした洞察から人生を生きる知恵が育っていきます。

経験したものを判断して、愛着を感じたり、嫌悪を感じたりする反応パターンに気づき、それをきめ細かく見ていくことによって、反応からの習慣的な行動をしなくなります。

そうすることで、無自覚な反応が起こらなくなり、意識的に生きることができるようになり、自由に生きることができます。

機械的な過去の繰り返しであったり、未来の夢の中に迷い込むのではなく、今ここで創造的に生きていくことが可能になってきます。