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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

帝国の時代40-エムス電報事件

2022.11.08 11:23

名誉革命を行ったスペインでは、セラーノ将軍のもとで臨時政府が結成され、普通選挙、国家と教会の分離など自由主義的な憲法が制定された。そして君主選びに入る、このとき候補にあがったのはホーエンツォレルン家のレオポルトだった、彼はカトリックだが、プロイセン王の縁戚である。

ビスマルクはこの縁談を積極的に押し、ナポレオン3世もそんなに異存はなかった、レオポルトはナポレオンの皇后ジョセフィーヌの血縁であり、プロイセン王より近い。ところが仏世論は猛反対した、曰くカール5世のハプスブルクのようにフランスは挟撃されるというのだ。

仏宮廷でも皇后や外務大臣が反対し、フランスの普大使は、普王ヴィルヘルム1世に、レオポルトの西王を断念するように要請し、普王も熱心ではなかったので、レオポルトに断念させた。ところが猜疑心にかられている皇后らは、普王にさらに西王擁立に介入せぬ確約を取れと命じた。

普大使は普王とさらに会談、さすがに普王は不快感を感じたが、この状況をビスマルクに伝えた電報を、ビスマルクはフランスが不当な要求をしてきて、国王はフランス大使に会うのを拒否された、と新聞に公表したのである。これが世に名高い「エムス電報事件」である。