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サダナ想像と祈り

2018.03.26 15:34

http://sadhana.jp/sozo/1200.html  より

【9】 美術館

 これから想像力を使って彫刻のある美術館に一人で行きます。その美術館の建物をよく観察します。近代的ですかそれとも古い建物ですか。前に庭がありますか。その庭をよく見て下さい。建物を見て中に入ります。色々な彫刻を見ます。ある部屋に入るとあなたの彫刻があります。その彫刻をよく観察します。――このような想像から中心部へと向かい、冥想を深める祈りです。以下のガイド通り忠実に辿って冥想してください。

☆☆☆☆                                  

 はじめに、5分間、ヴィパッサナなどによって、心を静めます。その間は、雑念から離れ、頭を空白にして、素直で静謐(せいひつ)になることをめざします。

 その準備の後、方法は大きく変わって、活発に想像を繰り広げることとなります。

 あなたは美術館の前にいます。庭をよく見てその後、中に入って下さい。そして彫刻をよく見て下さい。ある部屋に入ると、あなたの彫刻があります。よく観察して下さい。大きいですか小さいですか、よく見つめて下さい。 (5分)

 あなたの彫刻の回りを歩きながら、手で触れて見て下さい。どんな感じがしますか。温かいですか、冷たいですか、ざらざらしていますか。 (2分)

 前面からもう一度あなたの彫刻をよく眺めて下さい。好きですか、嫌いですか。あなたの彫刻に話しかけて下さい。彫刻は何と答えますか。 (3分)

 今度はあなたの彫刻の中に入り、部屋や他の彫刻を眺めて下さい。どんな感じがしますか。 (2分)

 突然イエス様が部屋に入ってこられます。どんな衣服を着ておられますか。イエス様はドアのところからあなたの彫刻を見ています。どんな気持ちで見ておられるてしょうか。イエス様は、あなたの彫刻のところへすぐ来られますか、それとも他の彫刻を見た後来られますか。しばらくの間イエス様と共にいて下さい。 (7分)

 そろそろイエス様は、あなたに別れの挨拶をされます。イエス様は、あなたから離れられます。イエス様はドアのところでもう一度あなたを見つめられました。どんな気持ちがしますか。 (1分)

 今まであなたは、あなたの彫刻の中に入って彫刻と一つになっていました。今度彫刻から出て、もう一度あなたの彫刻をよく見つめて下さい。あなたの彫刻は変わりましたか。どのように変わりましたか。見学を終えてあなたは博物館を後にします。道路を歩きます。多くの人がいます。人込みの中に入ってどんな気持がしますか。人々はあなたを見ますか。どんな感じがしますか。それからあなたはどこに行きますか。 (3分)

 未だ目を閉じたまま、今あなたが実在する部屋に戻りなさい。窓はどこにありますか、天井は高いですか。床はどのようになっていますか。隣に誰がいますか。1分経ってこの冥想を終ります。目を開いてゆっくり体をほぐして下さい。

【10】あなたの葬式

 あなたは死にました。どのような教会で葬式が行なわれるか想像するところから、入って行きます。教会の祭壇の前にある自分の棺を見ます。――このように、「あなたの葬式」を想像しながら祈って行きますが、心の準備の5分間は、体の各部の感じ取りをします。本体部分は、25分ほどでまとめましょう。

 では、始めましょう。最初の5分間は、体の各部の感覚を忠実に感じ取って行きます。頭のてっぺんから爪先まで、各部分を感じ取ります。雑念にとらわれたら、気付き次第感じ取りに戻ります。どんな感覚でも受け入れましょう。注意深く、忍耐強く、平静にやって下さい。(5分)

☆☆☆☆

 想像のエクササイズに入ります。あなたはもう死んで葬式が行なわれています。どこの教会で行なわれていますか。どんな教会ですか。よく見て下さい。祭壇の前にはあなたの遺体が安置されています。あなたの顔の表情をよく見て下さい。どう感じますか。(2分)

 あなたの葬儀に参加している人々の顔をよく見て下さい。誰がいますか。出来れば一人ひとりの前にたって、その人たちが何を感じているか、できるだけ意識して下さい。(3分)

 そろそろ説教が始まります。司式者は誰ですか。あなたについてどんな話をしていますか。その司式者はあなたの長所、業績、能力について話しています。司式者の話の中であなたはどの部分を肯定しますか、ある部分については抵抗を感じますか、出来るだけ司式者の説教をよく聞いて下さい。(5分)

 今度はもう一度あなたの葬式に参列している親族・友人・知人の顔をよく見て下さい。これらの親族・友人・知人は自宅に帰って、あなたの話をします。どんな話をしていますか。親族・友人・知人のあなたについての話を聞くと、あなたはどう感じますか。反発しますか、あるいはありのまま受け入れますか。出来るだけ意識して下さい。(3分)

 葬式はまだ進行中です。葬儀が終る前にあなたは最後に誰と話したいですか。しばらく話して下さい。話した後、あなたの気持ちがどうなるか、感じ取って下さい。(2分)

 今度は場所が変わって今墓地にいます。あなたの親族・友人・知人はあなたの遺骨を墓に納めます。あなたはこれを上から眺めています。誰が墓の回りに集まっていますか。納骨が終り皆は墓地を去ります。あなたはどんな気持ちになりますか。上から眺めていて、参列していた人々についてどう感じますか。(2分)

 上から自分の墓を眺めながら、あなたの人生の生涯を振り返って見てどう感じますか。生きるに価する人生でしたか、どうですか。(3分)

 まだ目を閉じたままこの部屋に戻って下さい。部屋の大きさを思い浮べて下さい。入り□はどこですか、窓はどこにありますか、誰といますか。出来るだけ感じ取って下さい。この部屋に戻ってどう感じますか、あなたの葬式に参列していた親族・知人・友人を思い浮べて下さい。彼らに対するあなたの見方は変わりましたか。出来るだけ感じ取って下さい。(2分)

 今度は自分自身をもう一度見つめて下さい。どういうふうに自分を見ますか。このエクササイズによって自分を見る目が変わりましたか、どうですか。(3分)

 聖歌を歌って祈りを結びましょう。(例えば、『典礼聖歌集』282番「愛のうちに歩む人は」)

【11】福音の場面を想像し、自分もその中でイエスに出会う-3

   (賛美の晩餐)

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※この祈りの場合、福音書の語る「事実」からは、かなり飛躍した想像を展開します。しかし、イエスの言動の「真実性」は、大きな深みのうちに保たれ、そのイエスと冥想者は深い交わりを持ちます。

【この祈りの準備】次の3つの福音の箇所を読む。

・「マタイによる福音」26章26~30節

・「ルカによる福音」22章14~19節

・「ヨハネによる福音」13章~17章

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イエスが私に向かってこうおっしゃる様子を想像する。

「今晩、私は、あなたと食卓をともにします。

そのために場所を用意しなさい。」

そこで、私は、ある場所を選ぶ・・・・・

このいつもと違う晩餐に、私は誰を招くだろうか・・・・・

晩餐のために、私と友人たちとは、どんな準備をするのか・・・・・

ついに、その時がやってくる。

私は晩餐の部屋、そこに並べられた食べ物を見る・・・・・

パンやぶどう酒、招待した客たちを眺める・・・・・

イエスを私の友人たちに紹介する。

また逆に、友人たちを、イエスに紹介する。

そのとき、一人ひとりに、それぞれ形容詞をつけて紹介する。

たとえば、「こちらは、誠くん、『誠実な』人」とか、

「こちらは、恵子さん、『愛情あふれる』人です」、

または、「こちらは、『心やさしい』英之くん」という具合に・・・・・

次に、イエスは、私たち一人ひとりに、なんらかの形で愛を示してくださる・・・・・

このようにして、食事が始まる。

食事が始まって間もなくすると、イエスはパンを裂き始める・・・・・

そして、私たちに、それぞれパン切れを手渡す。

そのとき、イエスは一人ひとりに何かひとことおっしゃる。

私には、いったいどんな言葉をくださるだろうか?

パンをいただいた後も、食事はまだ続く。

イエスは、よくお話しになる。私たちの質問にお答えになる。

また、自ら話されることもある。

イエスは愛についてお語りになる。

まるで、私ひとりに向かって話しているかのようだ。

イエスは、使徒職についてお話しになる・・・・・

それに伴う迫害や困難についても語られる・・・・・

こうしたことは、私たちの日常の生活のなかで、

具体的にどのようなことを意味しているのか、イエスに尋ねてみる・・・・・

続いてイエスは、平和について話される・・・・・

私は今、いかばかりの平安を心に持っているか、自問してみる・・・・・

平安に対して、自らどのような妨げを築いてしまっているか・・・・・

イエスは、喜びについて語られる。

その喜びは、イエスが何らかの形で臨在しておられるという実感から生まれ出てくるもの。

その臨在は、誰も私たちから奪い取ることのできないもの・・・・・

そこで、私たちはイエスに尋ねてみよう。

この喜びについて・・・・・この臨在について・・・・・

また、私の人生で、この「臨在」を感じた瞬間を思い出してみよう。

確かに、この晩餐はなんらかの形で、イエスと私たち双方の生き方につながっている。

すなわち、その受難、死、復活と結び付いている。

そこで、これについてもイエスと話し合ってみよう・・・・・

今や晩餐が終わろうとしている。

イエスは、ぶどう酒の杯をとり、尊い言葉を唱え、

私たち一人ひとりに、そこから飲むようにと杯を手渡される。

そのたびに、イエスは再び何かの言葉をおっしゃる。

私に対しては、何とおっしゃるだろうか?・・・・・

ぶどう酒が飲みほされ、部屋には沈黙がやってくる。

すると、イエスは、私のため、友人らのために、大きな声で祈られる・・・・・

私たちが互いに結ばれ、一致するようにと祈られる・・・・・

私たちがどこにいようとも、この一致が深められますようにと祈られる・・・・・

ついに別れの時が来た。

私たちは席を立ち、イエスに続いて賛美の歌を歌う・・・・・

私は賛美を歌いながらも、心のなかで、ある感動と余韻とを、ゆっくり味わう。

私がイエスと友人らのために準備したこの晩餐、

この晩餐を通してかもしだされた感動と、その余韻とを味わう・・・・・