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沈静な平らかさ

2018.03.26 15:08

http://sadhana.jp/kurashi/13101.html  より

祈りの積み重ねから、人は、聖霊のお働きの「実」をいただくようになります。そういう「実」の一つは、心が、とても静かで安定し、平らかさが保たれるということです。

 たとえば、池の水面に葉を広げるオオオニバスという葉がありますが、その葉のように、心が平らかに伸びます。オオオニバスが人を乗せても不動でいるように、聖霊の「実」として平らかさの達成を得ている人の心は、安定して不動です。

 そもそも、人生において、緊迫を感じたとしても、あわてる必要は無いのです。神様が、私の認知以前に、すでにそれをご存知だからです。

また、大きな課題が課せられたという場合でも、あるいは、厄介な課題が現れたという場合でも、対処の仕方は、種々見つかるものです。聖霊の「実」を与えられて、人は、そういう課題に落ち着いて向かい合うことができます。対処することは簡単ではないのですが、自分にゆとりを与えながら、いろいろな策を思い巡らします。

――この大きさや厄介さだと、到底、独りではやり遂げられないから、誰か支援してもらえる人を探そう。

――求められる期限を延ばすことを願い出て、段階を経て、徐々に達成するようにしよう。

――自分で引き受けることにするが、抱えている他の課題は一時休止し、当面の大課題に集中し、できる限りの手段・方法をじっくり練って、なんとか達成できそうだ。

――とても自分で引き受けられるものではないから、一生懸命願って、課題から免除してもらおう。

などと、誠心誠意の対処の道を探すことで、きっと落ち着いてやり通せます。

 心理的に不安や心配や苦痛を招きそうな状況に直面することもあります。

――親族が、突如生命の危険に臨むこととなった。

――自分の体にガンが見つかった。

――自分の失敗から、突如、高額の出費が避けられなくなった。

 人間ですから、心の動揺は起こります。一生懸命祈ることが必要です。しかし、聖霊の「実」をいただいているならば、遠からずして、その事態を受け入れられます。受け入れたうえで、その状況下で自分のなすべき仕方を真摯に探します。暮らし方に大きな変化を生むことさえ受け入れながら、心の動揺の鎮まりを得つつ、自分のできるより良い足取りを辿るに至ります。

その他さまざまな心の揺れや浮沈に見舞われつつも、聖霊の「実」に支えられることて、早いうちに、静かな平らかさが回復されます。人間としての、気品や尊厳が保たれる傾向が大きいです。

 なお、心が静まって平らかであるときに、そこから人が益することは多いです。「時のしるし」「神様のつぶやき」が、人を通して現われるわけですが、そのささやかなしるしに気付き易いのです。

 そればかりでなく、さらに次の利点も恵まれます。それは、そのような心の状態において、行く先の計画を立てたり、行動選択をしたりするとき、地に足の着いた上質な計画と選びを達成し易いということです。

――このように、落ち着いて平らかな心で人生に対処する生き方は、人一倍、人生の豊かさへと向かうものとなります。

 繰り返しになりますが、以上の「心の風景」が得られるために、祈りを絶やさないことが求められます。