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正しく気高い動機で

2018.03.26 15:00

http://sadhana.jp/kurashi/13001.html より

イエス様に派遣され、神様のみ国の発展を願って、私たちはいろいろな活動がしたいです。

 活動しながら、「観想」が実るためには、活動にとりかかかる最初からも、活動のさ中も、正しく気高い動機が貫かれることが求められます。

 暮らしのさ中では、私たちは、動機がさまざまに誘惑されます。・・・・・「人に負けたくない」「皆から敬愛されたい」「皆の注目を浴びたい」「利益を得たい」「衣食住をいっそう快適で便利にしたい」などなどと。だからこそ、「正しく気高い動機」を堅持する必要性が、注目されます。

 自己の満足のための活動になるなら、神様に向かうことから離れるばかりです。同じく、自己の栄えを求めるようになっても、神様から離れて行きます。その他、他人からの誘いに付和雷同の順応をしてしまっても、あるいは、快楽的な本能に引きずられても、観想という方向に引き上げられることは、不可能です。

 神様からの派遣を十分に意識すること、神様のみ国の発展にしっかり方向づけること、――そういう正しく気高い動機が求められます。職場において、自分の任務を正しく気高い動機で遂行します。また、自分の暮らす場において、その場で周囲の人々への、融和・思いやり・愛徳的な配慮などを保ち続けます。外側から見て形が整っているとしても、なおそれだけでは不十分です。内側からの、心構えが問われます。

――直接神様に呼びかけることのない業務だけれど、神様の創造のみ業に与り、社会の公共善を生むため奮励します。

――人に見せるためではなく、神様に喜んでいただくためこそ、これをします。

――かなり損をするやり方だけれど、私は神様に向かう望みゆえにこのやり方を選びます。

――誰も私に気づいてくれないけれど、神様に捧げたいからこそ、知られないままこれをします。

――誰よりも苦労が多くなるけれど、これをする人が居ないと全体が崩れるから引き受けます。

などという、「正しく気高い動機」が、「観想」の恵みをいただく大きな契機になります。

 そのような動機に絶えず戻り、落ち着いて、深く静かに自分を堅持し、活動します。そうすれば、活動全体は、神様のお働きそのものと響くところが出て来ます。

 そして、上にみたような「無秩序で混乱を招く」心の動きが湧き出るたびに、それを退けて、「正しく気高い動機」を取り戻すことを続けるのです。

 そういう、神様を目指す動機を貫く暮らしぶりが、神様の訪れの恵みにつながります。神様と共に活動する事が実現し、活動全体は、神様の全活動の中に組み込まれたようになり、“やり甲斐・潤いある充実感・幸福感・希望・喜び”の心で、静かな感動とともに活動できるのを恵まれます。