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神様の“闘い”に招かれながら

2018.03.26 14:45

http://sadhana.jp/kurashi/13001.html より

虚心に、自分の生活している場の状況を観察してみます。

教会には、高齢の人々が多く、若い人が少ない。また、司祭が少ないので、その少なさを埋めるための努力に、とても苦労させられる。たまに、シスターの姿を見かけても、腰の曲がった高齢の方々ばかりのようだ。未来への希望が持てそうにない。

 一般社会に目を向けてみます。仕事が無くて、路上生活に落ちた人々が数多くあります。凶悪な犯罪で、意味無く人命を落とす人があります。自殺される方々が、日々現われます。贈賄や収賄が跡を絶ちません。ネットの領域には、悪魔的な悪意が日々、現われます。

 海外に目を向ければ、戦争やテロを繰り返す地域があります。核兵器を生産している国があります。食糧が乏しく、衛生状態が悪いために、あたら幼い命が、どんどん失われています。

 このような”悪”が蔓延しています。神様のお力はどこに行ってしまったのでしょうか? と、解らなくなります。神様、あなたは負けてしまったままなのですか? 人類の営みの舞台で、神様、あなたは負けたままでおられるのですか? 神様、あなたはお勝ちにならないのですか?

 衷心から、神様にお尋ねし続けます。――尋ね続けるところに、お答えが届きます。「負けたままではいないけれど、この闘いが良い闘いになるためには、あなたが動いてくれなければなりません。」「あなたの協力の仕方次第で、私は、いろいろと勝つことができます。」

 そう、<神様に協力する人間>が必要です。そして、その<協力者>は、キョロキョロ誰かを探すべきことではないのです。

<神様に、私は何かの協力>ができます。

 私の、神様との対話の一つとして、次の対話が求められます。すなわち、「神様、お勝ちください――私は、のろまで鈍い動きの者ですが、精一杯あなたに付き従って働きます。」

 私は、歯を食いしばって、五体を鞭打ちながら、神様がお求めになる働きに着手します。神様は、人類によい恵みを届け続けておられ、私の拙い働きをお使いくださりながら、実を結んでくださいます。

 神様が闘ってくださっています。私が、神様から離れないようにしなくてはなりません。歯をくいしばり、一生懸命の思いで、神様と共に働こうとします。

 神様と共に働きます。その基本線は、「目に見える太成果を先ず目指す」ということとは異なります。小さな着実な一歩一歩が大切です。持続可能な“勝ち”の歩みです。私の暮らす場で、こうして神様が“勝ち”をもたらしてくださっている。・・・・「この動きがずっと続くといい」「この動きが大きさを増すといい」――こういう願いと実践で、“勝ち”の手応えを得ていく基本線です。

 私の協力とともに恵みを届け続けてくださる神様の御手にいつも触れます。神様の息遣いさえ、そこにあるように感じられます。