すべての物事・出来事を、清く整えようと努めながら
http://sadhana.jp/kurashi/13001.html より
ふだんの私たちの生活には、関わるべき物事や出来事が次々と現れます。これらの物事・出来事は、一見、雑多に生まれ出て自分に届いてくるように見えますが、実は、無駄なものはないと言えます。
もちろん、私たちは、選びをする自由がありますから、相応しい選びを実践し、一人の人間として、まとまりのある関わり方をすることは当然です。
そのようにしながらも、やはり、いろいろな局面において、煩雑さや厄介さが伴います。
こういう中において、たとえ煩雑であったり厄介であったりしても、一つ一つに丁寧に関わるように努めることは大切です。
大きな意味深いことに限らず、些細なことでも、また一見無意味なように思えることでも、清く整えるように努めることは、暮らしの中の観想のために大切です。
自分の取り組み方を、混じり気の無い清らかな心から始めます。そのように始め、途中も、結末も、“清らかな心による清らかな”達成となるよう努めます。
それと同時に、きっちりしっかり整うようにもします。物事や出来事が、“おさまりよくきちんとした”展開になるように整えようとします。
そのように努力することは、単なる自己満足とは、ややおもむきが異なります。このように努めるならば、自分の心が奥底から気持ちよいものになるのですが、それで目標達成だということではありません。
どのような物事・出来事に関わる場合にも、それらを“清く整えよう”と努めることは、神様との出会い・交わりのための橋掛けになります。神様は、清い方であり、また全き調和の整いを保たれる方です。神様を探す心で生活し神様とつながりたい者に、一つの大切な道が開けるゆえに、そのように努めるのです。
人が、ふだんの局面において、清い整いを、すべての物事・出来事にもたらそうと努めることは、神様と響き合い触れ合う道を開いてくれます。自分が、神様と親密に呼吸し合い、息を通わせ合うことで、深い感銘を得ることがしばしば生まれてきます。