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発熱するとは? 

2022.11.09 09:39

先日、

ひょんなご縁から 静岡県は御殿場にあります【ありがとう寺】というところにて、人生初の護摩法要を体験してきた。


 護摩法要自体は、映像や話には見聞きしたことはあったが、体感するのは初めてのこと。

 こちらの【ありがとう寺】では、この護摩の法要を、 【炎の瞑想】と位置づけて
炎に向き合い、己の姿を振り返ると同時に炎の力によって祈願を実現していくものとのこと。

 私自身、とても良き体験であり、そしていろいろな気づきを得られる時間となりました。

 ただ、この火を焚いて、その火を囲み眺めるという行為は 日本に限らず、
世界のあちこち、それこそ太古の時代からヒトが行ってきた行為。

 おそらくヒトの身体が高熱を出して寝込んでいる時などは、
きっと身体の内側ではこの護摩の法要と同じようなことが行われているのだろうなと、
法要の最中に思い始めた。

 護摩の炎を眺めている内に、過去に存在した自分の内側の感情やら記憶やらが意識の中で燃やされていくような感じが、 おそらく発熱している身体の内側でも同様のことが起きているのであろう。

 そう思おうと、
井桁に組まれた木が、なんだか常に肺を動かし護ってくれている肋骨にも思えてくるから面白いものだ。

 最近のご時世は、いつの頃からか【発熱】というものを良くないもの、なっちゃいけないものみたいに捉えがちになっていますが、

 【発熱】という、高熱を出して寝込んでしまうという現象を、身体が行ってくれている自分だけの護摩の法要と思うとおもしろいかもしれない。

 そして、発熱の際にむやみやたらに市販の解熱剤などを安易に服用するという行為は、
ある意味で、この護摩の法要の真っ最中に、上から水をぶっかけることと同じと捉えると
それはそれで、とんでもないことだというようにもイメージしやすいかもですね。