「ナポレオン失脚の原因」③
ナポレオンの非凡さは、何事も常に先行的かつ長期的に考え、平素から十分に準備しておくことにあった。
「私は常に仕事をしている。実に多くのことを考えている。私がいつでも、何が来ても、動じないで対応する準備ができているとすれば、それはとりかかるずっと前からそのことについて考えているからだ」
コルシカ出身の貧乏貴族出身の彼をフランス皇帝まで導いたのは、何より彼の知性(エスプリ)の力だった。とすれば、彼の没落、失脚の原因もまたその知性の衰弱が原因と考えられる。あるいは、権力獲得、権力拡張によって彼が直面することになった彼の知性を超える課題、難題だろう。彼はあまりに短期間で、その支配領域を拡大しすぎた。ナポレオンは、権力獲得に至る過程で、軍事面でも行政面でも状況を正確に把握して、細部にまで配慮の行き届いた的確な指令を次々に出していった。しかし、トップダウン方式は、組織が小さいうちは有効に機能するが、組織が巨大になればなるほど、トップに立つ人物にとっては過重負担になる。そこで、大規模な権限委譲が必要になるのだが、それをできるだけの人材がナポレオンの場合育てられていなかった。ナポレオンが発する細々とした指令に従って行動するのに慣れた部下たちは、ナポレオンからの指示がなければ自発的には何もしなくなる。時には状況の変化に応じて独断専行することがあっても、勝手なことをしたときつく叱責されることが常態となり、主体的な判断を抑制していった。このような中では、巨大な組織は維持できない。中央集権と地方自治は両者のバランスがとれて初めて、どちらの目的も達成することができる。そしてその実現のかなめは、優れたトップの存在とともに、トップの意向を十分に理解、把握しつつ地方(現場)の実態に合わせて、柔軟に課題を処理できる部下の存在だろう。そのような部下を育成する教育力、これがナポレオンには欠けていた。人材育成には忍耐が必要。責任ある仕事を任せやらせなければ、ひとは育たない。しかし、同時に今、目の前の現実に対応しなければならないとき、トップ自らが手を出した方が間違いなくその場はうまく事が運ぶ。だから、つい手を出してしまう。しかし、それでは人は育たない。将来を見据えつつ、目の前の現実に対処することは言うほど簡単ではない。しかし、これをやりぬかなければ、組織はかならず衰弱する。
(オーチャードソン「ベレロフォン号上のナポレオン)
1815年、ナポレオンはこの船でセント・ヘレナ島に流された
(ナポレオンと息子ローマ王)
一日に何度もローマ王の部屋を訪れるほど、ナポレオンはローマ王をこよなく愛した