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チャクラ・ヴィジョンからヨーガ・チャクラへ

2018.03.20 05:42

http://bharatia7.blogspot.jp/2011/08/blog-post.html   より

サンチーでブレイクした華輪のデザインは、その数百年後にもうひとつのチャクラ思想を開花させた。それがヨーガ・チャクラだ。

ヨーガ・チャクラとは脊柱に沿って存在する人体の霊的センターを指し、それは下から会陰部のムーラダーラ・チャクラ、尾骶骨のスワディシュタナ・チャクラ、臍のマニプラ・チャクラ、心臓の高さのアナハタ・チャクラ、そして喉のヴィシュダ・チャクラ、額のアジナー・チャクラ、最後に頭頂部のサハスラーラ・チャクラへとつながっていく。

そして、ヨーガのテキストを改めてひもとけば、全てのチャクラが蓮の華輪の姿でシンボライズされている事に気づく。最高位のサハスラーラという言葉自体が『千の花弁の蓮華』を意味すると言う。

頭頂のサハスラーラ・チャクラ

私はこの事実に思い至ったとき、興奮を抑える事ができなかった。かつて学んだ事柄が、全く新しい文脈で蘇ってくる。それは以前には考えた事もない全く新しい視点だった。

私の考えでは、このヨーガ・チャクラは明らかにインダスのチャクラ・ヴィジョンにその起源を発している。瞑想の文化は、インダス文明の衰退からアーリア人の侵略という激動の歴史を潜り抜けてなお、インドの精神文化のコア・ファクターとして継承されていったのだ。

それは六十二見と呼ばれた前六世紀の思想家達にも受け継がれただろうし、シッダールタが初め師事した六師外道によっても様々な形で実践されたであろう。そしてブッダもまた、この坐法による瞑想を通じて最終的な覚りを得たのだった。

仏教だけではなく、同じヴェーダへの批判勢力として台頭したジャイナ教によっても、そして本流のヒンドゥ教においても、坐法による瞑想は数千年に渡ってインドの中心的な実践行として共有され続けた。彼らの少なくない数が、チャクラのヴィジョンを瞑想の深みで経験し、それに哲学的な解釈を重ねていった。それがクンダリーニの経験と結びついたときに、体内に感得された霊的エネルギー・センターは、自ずからチャクラと呼ばれるようになったのだ。

ひとつには、インドラの昔からあるエネルギーの根源としてのチャクラ(車輪と日輪)のイメージが、体内のクンダリーニ・シャクティ(女神が持つコスミック・エナジー)と重なり合ったのだろう。そして、そのクンダリーニの上昇によって霊的センターが活性化される、つまり開く、連想から、名前は車輪(チャクラ)でありながら、ヴィジュアルは蓮の華輪で描かれるという『ねじれ』が生まれた。

もっとも、車輪と華輪をすでに一体視している私にとって、それはねじれでも何でもない。古のインド人が仏典に記されているように車輪と華輪を重ね合わせていたとするならば、彼らにとってもそれはごく自然な事だっただろう。

私はさらに思索を深めていった。

そもそもインドの瞑想実践の中で、最も完全な坐法はパドマーサナ、つまり蓮華坐と呼ばれる。これは日本では結跏趺坐とも呼ばれるが、両足を深く組み合わせて膝を開いた姿が、蓮の花が開いた様子を連想させるものだ。そして、この蓮華坐、神仏を乗せる台座と同じ名前である事に気付く。これは一体何を意味するのだろうか?

神仏像における蓮華の台座は、頭上のチャトラ(傘蓋)、あるいは天井の華輪と合わせることでスピリチュアルな結界を作り出すと前に書いた。ひょっとして坐法としての蓮華坐は、結界としての蓮の華輪を、自らの身体で構築するものではなかっただろうか?

そして、頭頂部のチャクラは千枚の花びらを持つ重層的な華輪の姿で表されている。この万華鏡のようなイメージは、一般に寺院の天井や屋根に見られる多重花弁の華輪デザインと、見事に重なり合うのだ。

エローラ、屋根の華輪

つまり、蓮華の坐法で瞑想し、頭頂部のサハスラーラ・チャクラまで開いた瞑想者の身体は、生きたまま、神が宿る寺院となる!

単なる石や金属の塊に過ぎない神の像が、寺院と言う霊的装置に安置される事によって正に臨在する生きた神となるように、瞑想の深みにおいて自らが霊的装置と化した修行者は、クンダリーニと言う神気に全身を貫かれた瞬間、正に臨在する生きた神となるのだ。

これこそがヨーガ・チャクラの隠された真実に違いない。私はその時、深遠なるヨーガの秘密を、その奥義の一端を、ありありと視覚化していた。