創世記39章「ヨセフと共におられた神」
2018.3.21 「ヨセフとともにおられた主」
創世記39章全文
インマヌエルの神は、今も私たちの信仰によって私たちと共におられます。アーメン
21年前、私は大阪から京都の大学に一年間電車で通っていた時のことです。大学の授業が終わって大阪に帰る京阪電車墨染駅で電車を待っている間に、当時インマヌエル教会の看板を発見、その日から私はその看板を見るたびに、いつの間にか「インマヌエルの神」を賛美していました。「インマヌエル、インマヌエル、主の名はインマヌエル、共におられるわが主イエス、インマヌエル。」
インマヌエルの神は、約3,900年前にも主なる神によって愛される人たちと共におられました。その人が創世記39章のヨセフです。
先週も一緒にみましたように、創世記37章で、ヨセフは兄たちに嫌われて、野原でエジプトに向かっていたイシュマエル人の商人に銀貨20枚で売られました。
エジプトへ連れて行かれたヨセフは、エジプトの宮廷で仕えていたポティファル、即ちパラオの身を守る補佐官として仕事をしていたポティファルの家に、ヨセフは奴隷として来るわけです。ヨセフは、ポティファルの奥さんにも見惚れるほど、彼は体格もよく、美男子であったと6節に記しています。
そのようなヨセフに、主はいつも共におられたと聖書は私たちに伝えています。
これが本日のポイントです。
2節を見てみたいと思います。主がヨセフと共におられたとあります。そこで、彼は幸運な人となりとあります。日本語の聖書には「幸運な人」と訳されていますが、原文から見ますと、或いは英語訳や韓国語訳を見ますと、「He was a successful man成功する人」の意味です。英語聖書のNIV訳には「so that he prospered」prosperの意味は、「繁栄する、栄える、すくすくと育つ、成功をもたらす」というラテン語からの語源を持っています。
そうです。嘗て主がヨセフと共におられた時、ヨセフは守られ、どこへ行っても良い助け人が与えられ、成功することになりました。
私たちも又主イエスを信じる信仰によって、私たちはヨセフがそうであったように、どこへ行っても栄え、成功することが出来ます。アーメン
その意味で創世記39章は、ヨセフのストリーの一部分ではありますが、私たち人生においても又主がともにおられ、守られるという約束のしるしであると考えても過言ではありません。
では、3と4節です。「ヨセフを奴隷として受け入れたポティファル、ヨセフの主人は、主が彼とともにおられ、主が彼のすること全てを成功させてくださるのを見た。
それでヨセフは主人にことのほか愛され、主人は彼を側近の者とし、その家を管理させ、彼の全財産をヨセフの手に委ねた。」とあります。さらに、ポティファルがヨセフに、その家と全財産とを管理させた時から、主はヨセフの故に、エジプト人ポティファルの家を祝福されました。それで主の祝福が、家や野にある全財産の上にありました。
ここで、幾つかの聖書箇所が思い浮かびます。
詩編118:22には、「家を建てる者たちの捨てた石。それが礎の石になった」とあります。これを引用しているのが、有名なルカ福音書20章17節です。[イエスは、彼らを見つめて言われた。「では、『家を建てる者たちの見捨てた石、それが礎の石となった』と書いてあるのは、なんのことでしょう」とあります。
ここで引用されている石とは、メシアを意味します。即ち、ヨセフはメシアではありませんが、兄弟たちによって捨てられ、奴隷としてエジプトに売られてからは、何とエジプトの礎となりました。こう言った観点からも、将来来られる救い主、主イエスと類似していることが分かります。
さて、ヨセフは外見的にも体格がよく、美男子だったので、主人ポティファルの妻に目をつけられ、おっかけられることになります。
7-10節です。7 これらのことの後、主人の妻はヨセフに目をつけて、「私と寝ておくれ」と言った。
8 しかし、彼は拒んで主人の妻に言った。「ご覧ください。私の主人は、家の中のことは何でも私に任せ、気を使わず、全財産を私の手にゆだねられました。
9 ご主人は、この家の中では私より大きな権威をふるおうとはされず、あなた以外には、何も私に差し止めてはおられません。あなたがご主人の奥さまだからです。どうして、そのような大きな悪事をして、私は神に罪を犯すことができましょうか。」
10 それでも彼女は毎日、ヨセフに言い寄ったが、彼は、聞き入れず、彼女のそばに寝ることも、彼女といっしょにいることもしなかった。 (Gen 39:7-10 NKJ)
ここで、ヨセフの素直さと神様への思いがどれほどだったかが分かります。
彼は、自分にすべての財産を任せているポティファルを裏切りたくありませんでした。そして、ポティファルの妻と寝ることは、神に罪を犯す事であると自覚していました。
先日も創世記36章で見ましたように、ヨセフの兄たちは淫らな行動を平気にしました。そのことを父ヤコブも聞いていたのに黙っていました。しかし、ヨセフは兄たちのそういった行動が神様に罪を犯す行為であることを既に分かっていたのです。そこで、主はヨセフを愛しておられ、どこへ行っても彼の成功を保証してくれたのだと考えられます。
11-18です。
11 ある日のこと、彼が仕事をしようとして家に入ると、家の中には、家の者どもがひとりもそこにいなかった。
12 それで彼女はヨセフの上着をつかんで、「私と寝ておくれ」と言った。しかしヨセフはその上着を彼女の手に残し、逃げて外へ出た。
13 彼が上着を彼女の手に残して外へ逃げたのを見ると、
14 彼女は、その家の者どもを呼び寄せ、彼らにこう言った。「ご覧。主人は私たちをもてあそぶためにヘブル人を私たちのところに連れ込んだのです。あの男が私と寝ようとして入って来たので、私は大声をあげたのです。
15 私が声をあげて叫んだのを聞いて、あの男は私のそばに自分の上着を残し、逃げて外へ出て行きました。」
16 彼女は、主人が家に帰って来るまで、その上着を自分のそばに置いていた。
17 こうして彼女は主人に、このように告げて言った。「あなたが私たちのところに連れて来られたヘブル人の奴隷は、私にいたずらをしようとして私のところに入って来ました。
18 私が声をあげて叫んだので、私のそばに上着を残して外へ逃げました。」
このように、ヨセフは、やってもないことをやったと、理不尽な目に遭います。そして、ヨセフの主人は彼を捕え、王の囚人が監禁されている刑務所に彼を入れました。しかし、主なる神は、ヨセフとともにおられ、監獄の長の心にヨセフに対する親切な心と憐れむ心を与えられることによって、その監獄にいる全ての囚人をヨセフの手に委ねます。そこでヨセフは監獄でなされる全ての事を管理するようになりました。
これは、犯罪者が刑務所に入って、刑務官長に気に入ってもらって、刑務所を管理する刑務官になるというあり得ないことです。
つまり、23節の二行目にもありますように、それは主が彼と共におられ、ヨセフが何をしても、主はそれを成功させてくださったからであると記しています。
これによって、先ほどの最初の2節にあります、「ヨセフは幸運な人となり」という日本語訳は、実際、ヨセフはどこへ行っても成功する人、繁栄する人であったことがはっきりわかったと思います。
何度も言いますように、主イエスへの信仰によって、インマヌエルの神は、私たちと共におられ、私たちがどこへ行ってもヨセフのように成功させてくださることを忘れてはいけません。ただし、その成功の条件として、ヨセフのようにどんな誘惑があっても流されずに、常に自分の弱さに自覚していることが求められます。
これが、私たちの人生の繁栄と成功のカギになると言えるのです。
神様のヘセード、恵みが皆さんに豊かにありますように。アーメン