「負」を継ぐため、負の世界遺産港「ゴレ島」
日本各地で動きが活発になっている「世界遺産登録」。
観光コンサルタント石田宜久として、お手伝いさせていただいている地域でも
「世界遺産」というキーワード
を、あげる観光課の方はいらっしゃいます。
もちろん、“本当の意味”での登録を考える方もいれば、観光の名所として人を呼び込むだけの目的と考えている方もいらっしゃいます。
日本ではどことなくキラキライメージのある世界遺産ですが、そもそもの意味である「未来へ継ぐべき遺産」としては、中には「負の遺産」もあります。
日本では負のイメージが付くとして嫌がる傾向があります。
例えば富岡製糸場が遺産登録される際に、強制労働の件には触れまい、なるべく触れないような細工をしてきました。皆さんもご存知のように、過酷な環境はあったとされていますね。教科書にも載っています。
しかし実際には、決して
負の遺産=負のイメージ には、なりません。
イコモスも、そこに黒歴史があったとしても、それを否定しようとか遺産登録に支障をきたすことはありません。
ダカールラリーの終着点として有名な、セネガルの首都ダカール。
ダカールの沖合い3kmほどのところにあるのが「ゴレ島(Île de Gorée)」
東西300m南北900mという非常に小さな島に、人間の歴史においては非常に大きな島があるのです。
この島が世界遺産にまでなったのはほかでもありません。
かつて奴隷の交易拠点として重要な港があり、数え切れないほどの悲劇の舞台となったのです。
初めてこの島にポルトガル人が上陸したのが1444年。
以来、オランダ・イギリス・フランスへと、次々にその支配権が移されてきました。
現在も島内には奴隷収容所などの関係遺産が残されており、「負の世界遺産」としてたくさんの観光客が、その悲しい歴史を見に訪れます。
世界の歴史の授業で「奴隷船」の話は知っての通りです。
あの奴隷船の拠点の一つになっていたわけです。
18世紀ごろの最盛期には、2000万人もの奴隷がアメリカへ送られていたそうです。
今でも「奴隷の家」が残され、いわゆる「積み荷達」が値付けされ、旅立ちの日までここで過ごしていたのです。
そしてその時が来ると、裏口にある「戻らずの門」を通って船に乗せられます。
彼らにとっては逃げ出す最後のチャンス。
多くが目の前に広がる海に飛び込むのですが、手足を縛られた状態です。
番兵に撃たれる、はたまたサメの餌食になるか・・・
現在の「奴隷の家」は博物館になり、当時の様子を今に伝えています。
「戻らずの門」も、今では“ただの”門として残されています。
セネガル最大の石造モスクや、カトリックの聖堂も当時のものが残されています。
1960年にセネガル独立に伴い、セネガル領になったゴレ島。
奴隷貿易の拠点として栄えた「負の遺産」としての背景を残すべく1978年にユネスコの世界文化遺産に登録されました。
遺産登録の際に基準とされたのが
“顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)”。
必ずしも美しく、正しいモノだけが世界遺産になるわけではないと、示された例としてもゴレ島の世界遺産登録は世界にとって貴重な事例となりました。
日本でもすこーしばかり、ゴレ島の名前が広まった時期があったのですが、覚えていますか?
どーでもいい小ネタではありますが、
「ラッスンゴレライ」
8.6秒バズーカのネタに出てくる「えっ?なんて?」のあれです。
意味はないと本人たちは言っていますが、
ラッスン=にんにく
ゴレ=ゴレ島
ライ=~由来の
という事で、
ラッスンゴレライ=ゴレ島産のにんにく
という意味になるという小ネタです(笑