「ナポレオン失脚の原因」④
ナポレオンの没落、失脚の原因を考えていて浮かんだのがカエサルの言葉。
「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」
数あるカエサルの名言の中でも一番好きで、座右の銘にもしている。状況を変え、動かすには、目の前の現実から出発するしかない。現実をリアルに認識し、状況を悪化させている原因と状況を好転させる要因をその現実の中に見出し、前者を取り除き 後者の芽を伸ばし、育てていくしかない。状況を悲観したり、その状況の責任を誰かに押し付けたりすることなく、現実に立ち向かうことに神経、エネルギーを集中する必要がある。
ナポレオンの没落を決定づけたモスクワ遠征。1812年5月29日、フランス軍はロシア国境ニーメン河畔に到着する。この時ナポレオンはこう語った。
「二カ月もたたないうちに、ロシアは和を請うてくるだろう。まず大地主たちがおびえはじめる。何人かは破産の憂き目をみるだろう。その結果、アレクサンドル皇帝は大いに困惑してしまうはずだ」
しかし、アレクサンドルは困惑することなどなかったし、和を請うこともなかった。6月23日夜、フランス軍はニーメン河をこえ、28日ヴィルナに到着する。しかしそこにロシア軍の姿はない。住民も、食糧もない。同じことが、新しい都市を占拠するたびに繰り返される。ロシア軍と正面切って戦い、勝利をおさめ、アレクサンドルから和議の申し出を引き出す作戦は完全に破綻。餌の不足と疲労で馬がまず倒れる。騎兵や砲兵は歩兵となり、大砲や弾薬、食糧が打ち捨てられる。体力に劣る新兵や老兵が落伍。それでもナポレオンはモスクワを目指す。
「モスクワを陥落させれば、和平は得られる。ロシアの大貴族は、フランス人が首都の主となり、農奴の解放を宣言すれば、彼らの富がすべて失われることを悟るだろう。そうなったら、アレクサンドル皇帝も和議を申し出て来るに違いない」
しかし、すぐにそれが希望的観測に過ぎないことを知らされる。ロシア軍は首都モスクワさへ簡単に放棄して、全住民を引き連れて撤退していたのだ。それどころか、アレクサンドルはロシア正教の聖都モスクワを自らの手で焼き払った。それまでも無謀なモスクワ遠征の中止を試み、遠征開始後も撤退を求めてきた元ロシア大使コーランクール。かれはこの時、自分に都合のいいようにしか事態を予想しないナポレオンの中に、将としての衰弱が生まれてきたことを感じ取る。
「モスクワの大火によって、皇帝はきわめて深刻な内省に陥りはしたが、相手方のそれまでの覚悟がはらむ重大な意味も、その決断を下した当の政府が和を取り結ぶ見込みのまず薄かろうことも、どういうわけか認めようとしなかったのである。自分の上にはつねによい星が輝いているのだと、皇帝は信じようとしていた。」
ナポレオンが全軍にモスクワからの撤退を命じるのは10月19日。冬支度もないままロシアに乗り込んだナポレオン軍の前に新たな強敵が待ち受ける。最強の敵「ロシアの冬将軍」である。「いかなる戦場といえども、これ以上に戦慄すべき相貌を呈したことはかつてなかった」と言われたこの世の地獄が待っている。それをもたらしたのは、「見たいと欲する現実しか見ない」ナポレオンの知性の衰弱に他ならない。
(ナポレオン軍のニーメン渡河)
大軍の渡河は、6日間かかり「まるで民族大移動!」と言われた。
(ロシア皇帝アレクサンドル1世)
(モスクワのナポレオン)
(アドルフ・ノーザン「ナポレオンのモスクワからの退却」)
(ヴァシーリー・ヴェレシチャーギン「ナポレオン軍の退却」)