アイディアの価値
先日、友人がセッテイングしてくれたとある飲み会がありました。そこには思考の趣向性が似た人達が集まっており、僕個人的には楽しい話が出来ました。中でも一番興味深かったのは、アイディアと行動の話が出た時に自分の考えとは違うのに、場の流れで「そうですね」と答えてしまったことです。
「アイディアは誰でもどんな人でも頭に浮かべることができるから、それには価値はない。如何にそれを行動して実現できるか、が重要であり、それを達成させた者と実績に価値がある」
こんな話、どこかで聞いたことありませんか?
この定説には、勇気付けられる人もいるでしょうし、当たり前すぎるというか、間違ってはいないというか、分からなくもないので「おぉ、そうだよな」と思う人が多いと思います。いわゆるセミナー会場で話されるような話の作り方です。
さきの飲み会でも、この話をフリにして「みんなでやったりましょう!」と士気を上げたりしてたんですが、僕は正直なところ、この説には疑問を持っています。
ポイントはいくつかあります。
- 人間、一人として同じ人はいない
- そもそも、この説は誰が広めたか
- 価値とは何か
僕の基本的な思考の基礎ですが、「一人の人間、その人にはその人にしか発することができない言葉がある」という「ポジショントーク(wikiに載ってる使い方とは違います)」の考え方があります。一人として、同じ生い立ち、背景、人格形成、人生経験をしている人間はこの世にはいません。唯一そのポジションからの視点で話すことができる一人の思考、意見に価値のない訳が無い。というのが僕の基本スタンスです。
では、こんな一方的に決めつける説を創り上げたのは誰でしょう。それは「行動する人」です。行動する人は自分の「行動すること」に価値を持っているはずですから、自分の信念を当然の如く話しているだけです。
但し、注意しなくてはいけないのは、この説の話者は「行動する人」であり聴者は「行動していない人」であるケースが多いということです。
僕の視点から見ると、本来誰もが貴重な発想と意見を持つことが出来るはずなのに、この魔法のような説を唱えることで「行動する人」は「行動できていない人」のアイディアの芽を一網打尽にすることができます。「行動する人」は「行動さえしちゃえばいい」と思っているので、「誰もが考えているアイディア(←つまり、需要が高い)」を自分のネタにしたいし、いつどこから脅威が生まれるかもしれないと考えているはずです。「行動できない人」でもそこに他の「行動できる人」がくっ付いてしまうこともあり得ます。
100人の人がどう見たってゴミと判断するモノがあったとしても、101人目の僕は宝物だと言うかもしれません。
人の話を聞く前に、人の思考停止を促してしまうこの定説。要注意です。
自分の夢、思考、アイディアは積極的に話しましょう。人の話は「生い立ち」から聞きましょう。なんなら両親の「生い立ち」から聞きましょう。勝手に価値を付けられないように、価値を付ける側に立ちましょう。自分の視点を定め、相手の視点を見極め、より多くの視点に立って見ましょう。
「行動」はまず人に話すことから!