ZIPANG TOKIO 2020「伝統を伝承して新しきをつくる『つば甚』館内編」
Before exploring the world of cuisine, many generations of the Tsuba family had been artisans of making a Tsuba-sword guard in Kaga Province. In 1752, Jinbei Tsuba III opened a small restaurant besides his main business of sword guard making. This is the origin of Tsubajin as a Japanese restaurant house (Ryotei). The restaurant gained a great reputation among the feudal lords, and soon it was recognized as the best restaurant in Kaga Province. After the Meiji restoration in early 19th century, literary masters including Saisen-Muro, political figures including Ito Hirofumi, the first Prime Minister of Japan, had all dined at Tsubajin to enjoy Kaga’s specialty food. Today, we welcome guests from all around the world to experience one of the most historical Japanese restaurants in Kanazawa City.
我が故郷「水の都」に建つ、奥の細道行脚の松尾芭蕉像
奥の細道の途次、金沢へ訪れた松尾芭蕉が九日間滞在した片町にあった「宮竹屋」の部屋をつば甚に移築。さらに、つば甚には句会を催した小春庵を移築した部屋もあります。
塚もうごけ 我泣声は 秋の風
秋涼し 手ごとにむけや 瓜茄子
あかあかと 日は難面も 秋の風
創業宝暦二年、金沢で最も歴史ある料理屋
加賀百万石の礎を築いた前田利家公(荒子観音寺 蔵)
創業宝暦二年、金沢で最も歴史ある料理屋
加賀百万石の礎を築いた前田利家が尾張に居を構えていた頃から代々のお抱え鍔師だった鍔家。
その三代目甚兵衛が宝暦二年(1752年)に鍔師の傍ら営んだ小亭・塩梅屋「つば屋」が「つば甚」の始まりとされています。鍔を依頼した遠来の客や友人知人をもてなした趣向に満ちた料理がたちまち評判となり、藩主はもとより藩内の重臣が訪れるようになりました。そして文明開化のあとも県内外からの多くのお客や文人墨客をはじめ海外からもお客が訪れ、今では金沢を代表する老舗料亭となりました。
Before exploring the world of cuisine, many generations of the Tsuba family had been artisans of making a Tsuba-sword guard in Kaga Province. In 1752, Jinbei Tsuba III opened a small restaurant besides his main business of sword guard making. This is the origin of Tsubajin as a Japanese restaurant house (Ryotei). The restaurant gained a great reputation among the feudal lords, and soon it was recognized as the best restaurant in Kaga Province. After the Meiji restoration in early 19th century, literary masters including Saisen-Muro, political figures including Ito Hirofumi, the first Prime Minister of Japan, had all dined at Tsubajin to enjoy Kaga’s specialty food. Today, we welcome guests from all around the world to experience one of the most historical Japanese restaurants in Kanazawa City.
菅原道真公について
『「つば甚」には昔から毎月25日に床の間に「菅原道真公のお軸」を掛ける習慣がありました。でも何故25日に掛けるのかを知っている者はおらず、只伝統だからと言う理由で営々と続けられていました。 ある日前田藩のお軸を掛けている際にそのお軸をじっくり見たら"道真”と言う印が 押されていました。 古文書を調べた結果、「前田藩」が菅原道真公の子孫であることが判明したのです。 前田藩にお遣えしていた身分でありますから、前田藩は勿論、道真公も祀っていたと言う事でございます。 それで「菅原道真公のお軸」を掛ける意味が分かりました。』 つば甚 女将 (2009年講演会にて)
※国立国会図書館に所蔵されている「好古類纂」という書物に菅原道真公の系図を記載した「菅公事歴及系譜」というものがあり、それによると子孫は加賀藩前田家にまでつながっています。
菅原道真公 束帯天神像
菅原道真(すがわらのみちざね・845~903)は、宇多(うだ)天皇の庇護の下に出世を重ねた結果、昌泰2年(899)に右大臣に昇り詰めます。しかし、左大臣・藤原時平との政争や、道真の出世を妬んだ貴族の反発から、同2年に道真は讒言(ざんげん)により失脚し、大宰府へ左遷され、そのまま延喜3年に歿しました。道真の死後、京には異変が相次ぎ、延長8年(930)に清凉殿が落雷に遭うと、朝廷はじめ人々はこれらを道真の祟りであると恐れました。これ以降、道真は雷神と結びつけられ、天神として信仰されるようになました。(徳川美術館 蔵)
つば甚 館内紹介
つば甚 最古の部屋「梅の間」
「つば甚最古の部屋」 つば甚としてつくられた部屋のなかで一番歴史があり、江戸末期の頃につくられたとされる部屋です。 床柱としては非常にめずらしい石榴(ざくろ)を使うなど、当時の工匠のこだわりを見ることができます。 また部屋にかけてある書は、近代日本画壇を代表する画家・横山大観が泊まられた際に揮毫された書。
つば甚 芭蕉が句会を開いた部屋「小春庵」
松尾芭蕉が奥の細道の行脚で金沢を訪れた際、句会を催した小春庵を移築した部屋です。
障子を開け放てば犀川の緑地やせせらぎ、遠くには医王山の山並みを眺めることができ、
春になると犀川の堤に咲く桜花を愛でながら食事を楽しむことができます。
また総理大臣をつとめた吉田茂の長男で、著書「金沢」で知られる英文学者・吉田健一が好んで利用した部屋です。
つば甚 九日間、芭蕉が過ごした部屋「吟風の間」
奥の細道の途次、金沢へ訪れた松尾芭蕉が九日間滞在した片町にあった「宮竹屋」を移築した部屋です。 苔むした中庭には戦国時代の武将として知られる高山右近がつくったキリシタン灯籠を配しており、灯籠の足もとにはマリア様が彫られています。 土間にはヤブコウジが植えられ、季節を問わず可憐な赤い実を観ることが出来る。
つば甚 亀田是庵が使用した部屋「茶室 是庵」
金沢ゆかりの茶人として知られ江戸末期から明治初期にかけて薬種商を営んだ亀田是庵。
その亀田是庵が表千家の茶室「不審菴」を模してつくった茶室を移築した茶室です。
二畳台目出炉の茶室で、亀田是庵と親交のあった裏千家十一代家元・玄々斎が度々茶を楽しんだと言われています。
つば甚 山下清がちぎり絵を描いた部屋「松の間」
戦後間もない頃、進駐軍がダンスホールとして使われた部屋です。
つば甚に宿泊した放浪の画家として知られる山下清は、この部屋から金沢の街並を眺めちぎり絵を描いたのでした。
またこの部屋には、「おたべ」や焼き鳥缶のイラストで知られる漫画家・おおば比呂志が
宿泊した際に描いた絵がかけてあります。
つば甚 日本の風情漂う部屋 「花の間」
苔むした庭を愛でながらゆったりとくつろげる風情あふれる部屋で、 金沢を旅した放浪の画家・山下清は、この部屋に宿泊しました。
またお手洗いが併設されており、婚礼の際には新郎新婦の控えの間として利用。
つば甚 武士の世のしきたりが今に伝わる部屋 「竹の間」
身分の高い者のみが座ることの許された謁見の間のつくりにならった竹の間は、
部屋の名前のとおり床柱や落掛け、天井の竿縁など随所に竹を使っています。
また、意匠として曲線を多く用いてのびやかでのどかな時間を過ごすことができ、
春になると犀川対岸の桜並木を観ながら食事を楽しめます。
つば甚 城下町の端正な時間を感じる部屋「菊の間」
落ち着いた色の紅殻の壁が目を引く金沢らしい落ち着いた佇まいの菊の間は、 つば甚で唯一掘りごたつのある部屋です。正座をする心配がないので、 お年を召された方にもゆったりと寛ぎながら食事を楽しむことができます。 また菊の間の隣りには仏間もあり、法事などの仏事の際にも利用できます。
つば甚 伊藤博文を魅了したしつらい「月の間」
伊藤博文、芥川龍之介、三島由紀夫など、幾人もの文人墨客が利用した部屋で、
伊藤博文はこの部屋に投宿して、つば甚の料理、もてなし、部屋からの眺めに感銘を受け
「風光第一楼」という書をしたためた。
深みある紅殻の壁、前田家の姫君の帯をつかった地袋、なぐりと細竹を編んだような広縁の鶯張りの床など、金沢らしい風雅なしつらいを楽しめます。
つば甚 細やかな細工に、金沢の粋を感じる「鶴の間」
折り鶴をあしらった欄間や、室町時代の頃からの家伝の鍔を嵌め込んだ床の間の板など、
大正時代につくられたとは思えない斬新な意匠が随所に見られる鶴の間。
広縁の床材には江戸期に活躍した北前船の船底で使用されていた板を使用しており、気骨ある風格が漂います。
また、廊下側の襖絵は、つば甚を訪ねた若き歌人や画家が出世払いの御礼として描いた書や絵を銀箔ととも表具にしたものです。
つば甚 こころ華やぐモダンな空間、大正時代のロマンの薫りのする洋間「すみれ」
大正時代の和モダンな造りのすみれは、
人前式の式場や、会議場としても利用できる洋間です。
つば甚 ビジネスで利用できる進駐軍が使用していた白漆喰の会議室などもあります「戸室」
大戦後、進駐軍が使用していた部屋を再現した部屋。
仕事の打ち合わせや少人数での会議に利用できる使い勝手のよい会議スペース。
照明の灯具は進駐軍が残していった、珍しいカタチのものです。
つば甚 現代では再現できない、200畳ひとつづきの大広間「大広間」
大正時代につくられた格天井の200畳ひとつづきの広壮な大広間は、柱を間に用いない工法で建築法の関係で現代では建てることのできない空間となっています。
部屋の広さは可動式の舞台によって変えることができ、最大200名まで一同に揃って食事をすることが出来ます。
また壁にかけられた屋号「つば甚」の書は、アカデミー賞を受賞したことでも知られる近代を代表する洋画家・和田三造の揮毫したものです。
まだまだ、紹介しきれておりませんが、これにて「つば甚」の紹介とさせていただきます。
石川県の温泉
石川県庁からの展望
よしが浦温泉
湯涌温泉
片山津温泉
粟津温泉
山中温泉
山代温泉
辰口温泉
わじま温泉郷
和倉温泉
菅原道真公補足資料
思い起こせばそれはかれこれ30年以上前の話になります。
ふと思い立ち種田山頭火の足跡をたどりたく、大分から熊本へ旅をした時のことです。
予定では竹瓦温泉⇒塚原温泉⇒湯平温泉⇒湯布院温泉⇒壁湯温泉⇒(?)⇒杖立温泉⇒黒川温泉⇒はげの湯温泉⇒小国温泉の順でした。ところが、大分から車で熊本県境の杖立温泉に向かって山の中を走っていると、川の端に建つ大きな看板に日帰り入浴可とあったので、尋ねてみました。すると年配の女性が顔を出し、「どうぞ」とのことで嬉しくなり、更に話を聞くと、その温泉を発見したのは菅原道真公だったというのです。それは菅原公が大宰府へ左遷された折、刺客の眼から逃れるため、近くの生い茂った樹木に囲まれた処に隠れ住んだとする謂われがあり、その折に発見されたもののようでした。今日では、お髭の寛仁親王殿下もお忍びで幾度かご来館のお話も・・・そのとき、奥から女将が持ち出してきたのはツーショットお宝写真㊙。どうやら小生がつい「エッ、こんな山奥にですか?」と失礼なことを口走ったせいかも?・・・(苦笑)当温泉場へのアクセス道路こそは舗装され立派でしたが正直相当分け入った山奥だったので驚いた次第にて失礼しました・・・
その先の話はまた機会があればこの次に・・・では写真をご覧ください。
山の日の落ちるのは早く、午後になるともう暗くなってきます
これが菅原道真公発見の温泉です。湧出する川底に柱を建て屋根を被せてある東屋をイメージしてください。湯は小石の下から吹きあがってきます。この浴槽が一番小さく2m~3m間隔で3つの切り石でできた浴槽が階段状になっています。一番上段の浴槽が4m角位の大きさでかなりの人が同時に入ることが出来ます。この温泉は混浴ですが別途檜の女性専用風呂がありますからご安心ください。さて、小生は日帰り入浴のつもりが少し熱めとは言え、温泉があまりにも気持ち良くて、別に急ぐ旅でもなかったのでついつい2泊しちゃいました。驚いたことにこの温泉の裏手は1万坪の庭園になっていたのです。序でに時間があったので菅原道真公の隠れ家を勇み拝見してまいりました。其処は確か菅原神社になっているように記憶して居ります。その後、スケジュール通りに事が運んだかどうかは、残念ながらフェードアウト!遥か昔話となりにけりです。
昼間はこんな感じです。夏には蛍が飛びかいその名も「蛍川荘」不思議と名前だけはよく覚えています。突然ですが掲載の締め切り時間が迫っております、この辺りで補足を終了いたします。
この後の予定は、飛騨高山祭、古川まつり、八坂神社・祇園祭、信州栄村秋山郷・・・順序は変わるかもしれませんがご紹介して参りたいと思います。特に、図らずもプレスリリースの速報が入った場合にはそちらが優先する為、遅れることもありですが・・・予めご容赦ください。
追加スケジュールとして
天神さま(菅原道真公)をお祀りする太宰府天満宮のご紹介をいたします。
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」の明和町観光大使
協力(順不同・敬称略)
つば甚 〒921-8033 石川県金沢市寺町5丁目1−8
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