「救っているのは誰か?」~ゴールデンカムイ編~
Spark Lab(スパークラボ)の稲場泰子です。
本筋とは全く関係のない話ですが、11月11日は「ポッキーの日」だそうです。
子供の頃(昭和の頃、ですが・・・)食べたポッキーは、多分最後にチョコが固まる時に
ちょっとだけ垂れてしまったような「ツノ」のような突起がてっぺんにありました。
それを最初にかじるのが好きだったのですが、いつの間にかポッキーにはその「ツノ」がなくなっていました。
きっと製造工程が発達してクッキーにピッタリコーティング出来るようになっただと思いますが、なんだかそんな緩いところがなくなっちゃうのも寂しい気がします。
さて、本日も前回に続き、
『ゴールデンカムイ』をネタに書きたいと思います。
今日は「救っているのは誰か?」について書きたいと思います。
(ネタバレあり)
「私が救わなければ」
ゴールデンカムイの主人公の一人、
「不死身の杉元」こと「杉元佐一」は日露戦争に従軍した元兵士。
一緒に闘って戦死した幼なじみの「寅次」の遺言に従い、
「寅次」の妻で、自分とも一時期恋仲だった「梅子」の目を治すため、
金塊を手に入れようとしています。
「杉元」が冒険に踏み出す動機は「梅子」を救い、「寅次」の想いを救うことです。
誰かを救うため、という行動動機は尊いものですし、人の情熱と闘志をかき立てます。
私の友人にも、親戚の女の子を「救う」ために奮闘している人がいます。
その「女の子」は勉強を続けたり友人を築いたりするのが難しい、思春期の子だそうです。
孤立しそうなのが放っておけなく、色々と関わってサポートしようとしています。
相手の女の子も時々頼りにしてくれるようです。
あるとき、その女の子から、とても悩んでいるという連絡がありました。
普段より深刻なその様子にその友人は心配し、
新幹線に乗ってその女の子に会いに行ったそうです。
色々と悩みを聞いたり、アドバイスしたり出来たのかな?とその後様子を聞いてみると、
会ってみたら女の子は意外とけろっとしていて、
特に自分に話す悩みはなかったということで、
楽しくご飯を食べて帰ってきたとのことでした。
「今すぐ彼女を救わなければ」というのは一方的な思いだったようです。
「誰を救うのか?」
『ゴールデンカムイ』の「杉元」も、手に入れた金を、満を持して「梅子」に持って行きます。
しかし、そこにいた「梅子」は立派に自分自身を「救って」幸せに生きていました。
「梅子」は「杉元」に「救ってもらいたい」と頼んだこともないし、そもそも「救ってもらう必要」すらなかったのです。
時間は前後しますが、このエピソードから時間を遡った冒険の途中、「杉元」の旅の目的はもう一人の主人公、アイヌの少女「アシリパ」の目的を遂げさせるため、彼女を守ることに変わっています。
しかし、あるとき、「アシリパ」に
「本当に救いたいのはお前自身じゃないのか?」
と言われてしまいます。
きっとこれが本質なのだと思います。
私達は自分の心の中を他の人に投影し、転嫁している。
そのことは決して悪いわけではないのですが、それに気づかないと相手に無駄に執着してしまいます。
相手を「救おう」とした行為を受け取ってもらえ無かったとき、相手を恨むことすらあります。
こうならないためには、一旦一呼吸をおいて
「これは誰のためなのか?」
と問うてみる。
そこに「自分のため」があってもいいと思います。
しかし、もしそうならば、相手に自分の「救い」を押しつけてはいけないということになります。
そう思えば、自分も傷つくことが減るかもしれません。
ちなみに、「梅子」のたくましい姿を見た「杉元」は、清々しい気持ちでその場を去ります。彼自身が「救いの呪縛」から解き放たれたのかもしれません。