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瀬織津姫

2022.11.13 07:15

Facebook清水 友邦·さん投稿記事

は古事記・日本書紀に出てこない女神ですが、岩手県は瀬織津姫を祀る神社の数が23社あり47都道府県で最多となっています。

早池峯神社祭神は、瀬織津姫ですが遠野の早池峯神社から花巻の早池峯神社に行く途中に、アイヌ語で「森の奥へと続く道」という意味の「タイマグラ」と呼ばれる地域を通ります。

「タイマグラ」は昭和六十三年、日本で最後に電気がようやく通った地域でした。

「早池峰神楽」は国指定重要無形民族文化財の第1号に認定されユネスコ文化遺産にも登録されていますが、人の往来が少ない辺鄙な山奥だったおかげで、タイムカプセルのように文化が保存されて来たのです。

遠野の伝説では、遠野三山には「若き三人の女神」がいると記されています。

柳田國男は『遠野物語』で、三女伝説を次のように記しています。

『大昔に女神がいて、3人の娘を連れて遠野を訪れ、来内(らいない)の伊豆神社で宿を取りました。母神は3人の娘にむかって「今夜良い夢を見た者に、良い山を与えましょう」といいました。

その夜に末娘が目を覚ますと、姉の胸に蓮の花が降りたのを見て手に取り、自分の胸に乗せかえました。こうして末娘は最も高く美しい早池峰山を姉達は六角牛山、石上山をそれぞれ得ることなりました。遠野の女性たちは女神の妬みを畏れて今もこの山には入りません。』

明治以前、早池峰山は女人禁足でした。

『綾織村誌』によると次のように記しています。

『安倍宗任の妻「おない」の方は「おいし」「おろく」「おはつ」の三人の娘を引き連れて今の上閉伊郡の山中に隠れました。おないは人々の難産難病を治療して、大いに人命を助けたので、その功によりて死後は、来内の伊豆権現に合祀されました。娘は三所の御山に上りて、おいしかみ(石上山)、おろくこし(六角牛山)、おはやつね(早池峰山)の山名が起きました。』

安倍宗任は前九年の役(1051~1062)で九州に配流されたエミシの武将です。

宗像市の大島に安倍宗任のお墓があります。

安倍宗任の妻「おない」は伊豆神社の伊豆権現と合祀されたとあります。

伊豆神社の祭神は瀬織津姫俗名「おない」となっています。

伊豆権現は、早池峰を開山した猟師藤蔵が、故郷の伊豆から持ってきた守り神でした。

伊豆権現は長くなるので割愛しますが熊野権現と白山信仰と関連があります。

坂上田村麻呂と奥州の玉山立烏帽子姫が夫婦になり娘の松林姫が「お石」「お六」「お初」の三女を産んだという話もあります。

大沢滝神社の社伝では安倍貞任の娘の真砂姫と習合しています。

このように瀬織津姫は東北の女性と習合して広く信仰されてきたのです。

Facebook若林俊彦さん投稿記事

今日は古事記、日本書紀以前からあるホツマツタエの話を六甲比命神社の守り人である大江先生のお話を聞きに兵庫県西宮市にある由緒ある廣田神社⛩に行って参りました

陰陽が入れ替わっていたり神様などの名前に波動の悪い名前が使われていたりと実にわかりやすく問題点を説明されていました

例えば

比売(ヒメ)に売るという屈辱的な名前、売女に通じますよね、これは和多志の解釈です

本来なら比命や姫とするのが普通だと思います

卑弥呼(ヒミコ)にしても日巫女すなわち日本の又は太陽の巫女を表すはずなのに卑という卑しい意味を表す字が使われています

又ホツマツタエではアマテラスの姉である比子(ヒルコ)別名ワカヒメが陰陽逆で恵比寿となり商売繁盛の神となったり天照大神が女神となっているとか天照大神は男神で妻は瀬織津姫でお二人で陰陽(男が陽で女が陰となります)

様々な文献などを研究すると大いに矛盾が起きています

和多志に来た感覚ではエネルギー封じやおとしめることによってエネルギー的混乱をさせています

一見それほどの影響がないと思われるでしょうがこういった改ざんが本来の波動を乱して国内に混乱を招きます

そういった観点でいえば本来の形に戻すべきなのですそういったお勉強をして来ました

そして大江先生のお話に賛同させていただきましたありがとうございました