大洪水後のシュメール文明 ⑧
http://blog.livedoor.jp/melody87/archives/2525857.html 【第10章 大洪水後のシュメール文明】より
出エジプト記のいくつかの誤り
ティアウーバ星人は、奴隷状態に貶められ、また何よりも彼らの精神に危険をもたらす邪悪な聖職者たちのくびきから、ユダヤ人を解放したかった。100万年以上も前に、ティアウーバ星人は別の危険な聖職者たちの手にかかったある人々の集団を救ったが、興味深いことに、それはほぼ同じ場所で繰り返された。歴史とはまさに永続的な繰り返しだと言える。モーゼは聖書に描かれているように、エジプトからユダヤ人たちを先導した。しかしその前に、地球の多くの人々が知っている出エジプト記のいくつかの誤りについて、訂正しなければならない。
まず、当時のファラオは、セト1世の後継者であるラムセス2世であった。次にユダヤ人の数は37万5000人で、彼らが渡ったのは紅海ではなく”葦(よし)の海”であり、彼らがそこへ着いた時、3機のティアウーバ星人の宇宙船がフォース・フィールドを用いて、かなり浅かった海水を押し開いていた。ティアウーバ星人は再びその水を閉じたが、当然、エジプト人兵士には1人として溺れた者はいなかった。つまり、ユダヤ人の後を追って水に入る者は誰もいなかったからである。なぜなら聖職者たちからの大きな圧力にもかかわらず、ファラオは約束を撤回せず、ユダヤ人たちを勝手に行かせたのである。
彼らには宇宙船から毎日マナが与えられた。マナは大変栄養価が高く、非常にコンパクトだったことから、多くの宇宙船がそれを積んでいた。しかしあまり長時間空気にさらすと、18時間以内には柔らかくなり腐ってしまう。そこでティアウーバ星人はユダヤ人に、毎日必要な分だけ取るように勧めた。そのため多く取った者たちはただちにそれが愚かなことだったことに気づき、”主なる神”、実際にはティアウーバ星人だったが、その忠告に従うべきことを悟ったのである。
そしてユダヤ人たちがカナンに到着するのに、40年はかかってはいない。それはわずか3年半だった。最後にシナイ山での話はほぼ事実である。ティアウーバ星人は人々に目撃されないように宇宙船で山に着陸した。彼らのような素朴な人々には、彼らを監視して助けたのは宇宙人であるよりも、神だったと信じさせるほうが当時は都合が良かったのである。当時のユダヤ人は、ティアウーバ星人の目には、唯一、精霊に従って正しく生きる人々に見えたのであった。
のちに彼らの間の偉大な聖職者たちの間には、メシアが救いに来ると噂する者が現れた。彼らはシナイ山でモーゼと交わした会話の一部分を知っており、それを人々に教えたのだが、それはするべきではなかった。しかしそれ以来、ユダヤ人たちはメシアの到来を待ち続けるようになったのだが、彼らのメシアはすでに来ていたのである。
ティアウーバ星人について
ティアウーバ星の人々は男女の性を兼ね揃えた両性具有である。この惑星に住む人々はすべてそうなのである。彼らは地球人と同様に、子供を生むこともできるが、唯一の違いは、彼らが完全に出産をコントロールできるということである。ティアウーバ星人は皆美しい顔をしており、非常に穏やかである。身長は280センチから300センチほどで、整った体格をしている。肉体的にも完璧で、さらに自分の肉体細胞を再生したり変えたりできる。つまり、”彼女”たちは歳をとらないのである。
彼ら宇宙船の飛行速度は、最小の隕石にぶつかっても、その宇宙船を打ち砕いてしまう。そこで彼らは特別な部屋を利用して、強大な圧力下に一定の塵状形態をストックしておき、それを反物質砲に供給している。彼らの宇宙船は、はるか前方にある宇宙空間にさまようほんの微細な物質でも分解する加速微分子の流れを燃焼させるコスモトロンのようなものなのである。これが超光速飛行を可能にしている。
彼らはカトとタキという単位を使う。彼らは、現代人が使っているアラビア数字と呼ぶものを同じように使っている。そしてその数字は、ティアウーバ星人たちが地球に持ち込んだものなのである。
ティアウーバ星はたとえようもなく美しく、それを表現するとするなら”発光する黄金”である。そして海にはさまざまな色をした島々が点在していた。ここで見る色は、地球人が今まで知っている色よりもはるかに鮮やかに感じられ、しかもこの惑星にある色は、地球に存在するどのような色とも比較できない。赤は赤であるが、それは地球人の知っている赤ではない。ティアウーバ星人によれば、地球人の親しんでいる色はカルビラオカで鈍いという意味があり、ここにある色はテオソラコヴィニキで、内部から色を放射しているという意味である。
そして地上には、大小の”巨大な卵”を目にすることができる。あるものは横たわっているが、あるものは先端を上にして立っており、そうした巨大な球体がさらに数多く存在する。それはビルである。
このティアウーバ星は地球の重力と同じではなく、地球での体重は70キロは、ここでは47キロになる。よって宇宙船から出るとき平衡感覚を失う恐れがある。さらにこの惑星の光と色は、地球人にとってはしばらくお酒に酔ったようにさせる。色というのはある意味、人間の生理体に作用する振動、バイブレーションなのである。地球では色に対する認識があまりないが、ここではそれが重大な結果をもたらすことがよく知られている。
ビルである卵の中まるで外にいるかのようで、周囲には見渡す限りの田園風景が広がっている。少し離れたところでは2、30人の人々が、宇宙船にあるのと同じようなスクリーンとデスクの前で忙しそうに働いている。ここはティアウーバ星の銀河間センターである。そこでは音楽のようなものが柔らかに流れていて、それを聞くと、何とも言えない幸福感に包まれるのである。またここにいる人々は誰もが嬉しそうに挨拶してくる。
ティアウーバ星人の表情には喜びと親切さがあふれており、訪問者に対しても温かい歓迎で迎えてくれる。しかしティアウーバ星人は地球人に慣れていないので、幸福感が溢れている彼らの顔色からすれば、地球人の顔色は悲しそうで、色も悪く見えるのである。
ティアウーバ星の大気は穏やかで芳(かぐわ)しく、地球上では決して味わえない幸福感に包まれる。森の木々は巨大で、およそ200メートルの高さがある。最も高いものでは240メートルにもなる。根元の直径は2、30メートルあり、何本かは樹齢8000年のものがある。彼らの1年は333日で、1日は26カルセである。1カルセは55ロルセからなり、1ロルセは70カシオである。1カシオは地球の1秒とほぼ同じである。
森の高い枝の間には鮮やかな色をした巨大な蝶が飛び交い、それらの蝶は1メートルはある羽を広げており、羽の色は青、緑、オレンジである。蝶たちは不思議な縁取りのある羽を羽ばたかせたが、その美しさはまるで息を呑むようであった。その蝶の羽は金色で、その先端には明るい青色の筋が入った緑色で、ダーク・オレンジの菱形で縁取られている。羽の裏側はダーク・ブルーに輝いており、まるで上から光で照らされているかのようだった。そしてこの巨大な昆虫は、葉に止まっている間、柔らかな笛のような音を発していた。
森の樹下にはさまざまな植物が生い茂っており、その大きさはさまざまで、ある種類の葉は人の手ほどの厚みがある。植物の色は緑というよりも青に近い。
鳥たちの色は、地球人にとってはまさしく色の祭典で、青、黄色、ピンク、赤の羽毛を持ったさまざまなインコたちがいる。ハチドリは金の斑点をつけた鮮やかな赤色をしている。極楽鳥に似た鳥の尾は赤、ピンク、オレンジで250センチほどあり、翼を広げると体長は2メートルにもなる。その”宝石”が飛ぶと翼の内側は淡いピンクに見え、先端には明るい青のアクセントがあり、翼の内側はオレンジ・イエローをしている。その頭はかなり高く逆立っており、その色は黄、オレンジ、黒、青、赤、白、クリームなどさまざまな色をしている。
地球人が見れば、ここでは色が物体の内部から発せられているという印象があり、その色は地球人の常識を超えている。地球では赤色はせいぜい15種類くらいのものだが、ここでは100種類以上に分けられるのである。また特に注意を引くのは、森の上を飛びながら耳にする”音”である。それは遠くから絶えず聞こえる同じ調子で演奏されるフルートに似て、軽くソフトなBGMのようである。しかも人々が動くたびに音楽は変化し、そして元の調子に戻る。
この音は、たとえばキシノキシのような、ある種の植物が太陽光線に照らされた時に生じるもので、その色の振動と無数の昆虫から発せられる振動とが影響し合って生じたものである。それが耳にとても音楽的に聞こえる。またそれは、意識的にそれに波長を合わせる時にだけ聞くことができる。というのも、それがティアウーバ星の生命と環境に欠かせない部分から成り立っているからである。専門家によると、もしこれらの振動が消えてしまうと、ティアウーバ星人の目にはかなりの害が出ると言われている。音が目に影響するのは奇妙に思われるが、それは事実である。
また海では、黄金の砂浜の端にココヤシに似たヤシの木が、高いこずえの美しい葉を揺らしている。砂浜の向こうには小高い丘があり、鮮やかな赤い岩肌が海の青さと美しいコントラストを見せている。そこでは100人ほどの人々が全裸で日光浴をしたり、透き通った海水で泳いでいる。
ここでは耳や目に作用するすべての振動は、人々の神経や感情に大きな影響を与えている。いつもは神経質な人も、その柔らかな調べを聞きながら、あたかも温かな浴槽の泡に包まれてくつろいでいるかのようにリラックスできる。しかし実際にはそれ以上であり、余りにも気持ちがほどけて泣き出したい気分になる。ティアウーバ星の海にいるイルカは、地球のイルカと同じように遊び好きである。
ティアウーバ星人は腰にタラという装着状のベルトを着け、リティオラックというコントローラーを持っている。それが発する振動によって、惑星の持つ磁力を中性化することができ、重力をなくすことができる。よって何百トンもの重量であっても問題はない。また超音波に似た別の振動によって正確な進路をとることもできる。この惑星では誰でもが、そうした方法である距離を旅行し、空を飛んでいる。彼らは垂直に立ったままで飛んでいく。
ある島の黄金の砂浜では何人かの人々が日光浴をしている。辺りには鮮やかな昆虫や蝶や鳥たちの鳴き声が満ち溢れている。ここの低木や花をつけたブドウの木々に囲まれた場所には、小さな卵の建物がある。ここでは建物はすべて卵形をしており、ほとんどは横向きだが、立ち上がっているものもある。その殻は白く、窓もドアもない。ある卵は横になっており、半分が地中に埋まっている。横は約30メートル、縦は約20メートルで、これはかなり小さいものである。
その中へ入ってみると奇妙なことに、まだ外にいるという感覚を感じる。中にいながら青い空に広がる木々や蝶や花々が見える。外から見える屋根の中央の鳥の巣は、内部からもその巣の底を見ることができた。つまりその巣は、奇跡のように空中に止まっているように見えるのである。外との唯一の違いは、床に一種の絨毯(じゅうたん)のようなものが敷かれており、椅子や大きなテーブルがあることである。そこにあった家具類は、彼らの体に合わせた大きなものである。
こうした住居は特別な磁場によって存在している。ティアウーバ星人は、すべてを自然の力と自然の創造物に見習っている。すべての存在は、人間や動物や植物、鉱物であるかを問わず、すべてのものはその周囲に”ある場”を持っている。たとえば人体は、オーラと卵形をしたエーテル体によって二重に包まれている。エーテル体は部分的には電磁気によって、またその大部分はアリアコスティナキと呼ぶ振動によってできている。このバイブレーションである振動は、生きている間、人間を保護するために働き続けるが、オーラの振動とはまた異なったものである。彼らのこうした住居では、原子核の周りで生じる鉱物性の、エレクトロ・エーテリック・バイブレーションの場を創り出すことで、自然を見習っているのである。
家具類はすべて”彼女”たちのサイズに合わせて作られている。ティアウーバ星人がキッチンで食べ物をトレーに準備し、そしてひと言発すると、そのトレーは宙に浮かんで部屋の周りを動いて自動的に人々の前で止まる。人々がトレーの食事を手にすると、再びトレーは動き出し、元の場所へ回収されていく。これは地球人が言う空中浮揚である。彼らはいつでも自分の体を宙に浮かすことができるが、それは彼らにとって単なる遊び以上の目的はないのである。
これは地球人が失ったたくさんの科学の中の1つに過ぎないのである。今でもこれが可能な人はわずかに地球にもいるが、かつてこのようなことが他の多くの科学とともに誰でもできた時代が、地球にもあった。
ティアウーバ星は、街の真ん中でも寝られるほど安全である。武装した警察や犬や、それに警報装置のあるような地球の建物よりも安全なのである。ここには、高度に進化した人間しかいないからである。地球にいるような犯罪を犯すような人は誰もおらず、彼らからすれば、そうした人々はもっとも野蛮なけだものと同じなのである。
ティアウーバ星の平原にはさまざまな動物がおり、数種類の動物は2本足で、ややダチョウに似ている。他の4本足のものたちはマンモスの2倍の大きさがある。カバと並んで動く地球にいるのとそっくりの牛やロバやキリンもいるが、地球のものよりは背が高い。馬たちが群れをなして疾走しているが、その中には可愛らしい女性の頭をした馬もいる。何頭かは金髪で他のものは赤毛や茶の髪をしており、青い髪をした馬もいる。馬たちは走りながら、10メートルも宙に浮くことがある。彼らには翼がついているのである。また彼らはティアウーバ星人と会話することができる。
■紀元前1250年頃
やがてモーゼが再び日本へ去り、彼の後継者ヨシュアに率いられたユダヤ人は、ヨルダン川を渡り、イェリコの町とその地域を征服する。大預言者モーゼの後を引き継いだヨシュアは、イスラエル12支族を率いてヨルダン川を横断し、約束の地カナン(パレスチナ地方)へと侵入した。イスラエル12支族は、神が約束した土地であるという大義のもとで先住民と戦い、瞬く間に征服し、支族ごとに12の領地に分割した。ここにイスラエル王国の基礎が築かれたわけだが、当初は戦争の英雄でサウルがイスラエル12支族を統治していた。
■紀元前1200年頃
この頃建てられたエジプトの古代都市遺跡アビドスの、ラムセス2世の父親セティ1世の葬祭殿にある壁画には、ヘリコプターや飛行機の様な乗り物の絵が描かれている。
アッシリアの黄金の盃(さかずき)
メソポタミア地域を支配したアッシリアの黄金の盃(さかずき)にも天皇家の菊花紋が刻まれていた。盛り上がった中央部にある。この頃は小規模勢力に過ぎなかったアッシリアが、有力国として台頭する時代であった。
カナン(フェニキア)
カナンの歴史はシュメール時代にまで遡る。“海の民”の侵入があったが、その後、著しく発展している。ヒッタイトもBC1,200年頃、“海の民”によって本拠地を追われた。
古いカナン暦では、秋分の頃(現行暦の9~10月頃)から1年を数え始めた。この時期は雨が降らない夏が過ぎ、秋の雨が降り出して、種まきを始める時期である。ダビデ王国以後もこの暦が採用されていたが、BC604年頃のエレミヤ書に依れば、1年は春から始まるように変えられた。これはバビロニア暦の影響で、この直前にネブガドネザル2世がエジプト軍を破っており、カナン地方が新バビロニアの勢力範囲に入ったためである。
エジプトは当時(BC1200年代)、カナンのことを“フル”と呼んだ。これは、フルリ人に由来する。アッカド王朝時代、アルメニア地方を起源とするフルリ人がチグリス川東方からカナン地方まで進出した。(BC18世紀の出土記録が最も古い。)風習として、実子が無い時には養子を迎え、その後で実子(じっし)が生まれればその実子が第一相続人となるが、この風習は旧約のアブラハムの子の記述などに見られる。
カナンの歴史を振り返る時、見逃せないのはエジプトのアマルナ文書に出てくるハビル人である。ハビルは民族には関係無いグループで、シュメール語でサ・ガズ(破壊者、虐殺者、暴民などの意)と同じ意味である。ウガリト文書ではアピルとされている。彼らは一定の共同体から疎外された人々で、徒党を組んで略奪したりして、乱世を生きぬいた人々で、日本で言えば戦国時代の野武士に相当する。
カナンで活躍したのは他に、ペリシテ人がいる。“海の民”の一派で、おそらくシリア方面から南下して来た。カナン地方が後にギリシャ人によって“ペリシテ人の地方”という意味で“パライスティネ”と呼ばれ、これが現在の“パレスチナ”である。ペリシテ土器には水鳥や尾が魚の尾のような水鳥が描かれている。また、ペリシテ人によって、契約の箱はサウルの時代に奪われたが、ダビデの時代にようやく戻った。
フェニキアはシュメールに匹敵する古い地域である。ヒッタイトと同様、“海の民”が侵入したことは注目である。フェニキアは“海の民”による侵入を受け、その時点から急速に発展している。ならば、この“海の民”は古代先進文化、シュメールの末裔と見なしても良い。つまり、ヒッタイト側に侵入した“海の民”がフェニキアで合流した。ヒッタイトも通説では、BC1,190 年に“海の民”によって滅ぼされたとされている。
古いカナン暦では秋分の頃から1年を数え始めた、ということだが、それはカナン暦では種まきを始める時期である。ところで、神宮の神嘗祭(かんなめさい)は“神宮の正月”とも言われており、かつては9月に行われていた収穫を感謝する神事である。しばしば、ユダヤ暦との類似性が言われたが、ユダヤ暦はそれよりも古いカナン暦の影響を受けているに過ぎない。
カナンの元々の最高神はエルだった。これは個人神の名称でもあるが、“とても高い神”を意味する包括的用語でもあった。“アブアダム(人の父)”が彼の肩書で、“情け深い、憐(あわれ)み深い”があだ名だった。とても高貴な神でアダムの父ならば、それは人類を創成し、大洪水から人類を救った“情け深い、憐み深い”神エンキに他ならない。これを裏付ける詩がカナンには残されている。「情け深い神の誕生」という詩である。
“エルが海岸にいると、2人の女性が彼のペニスの大きさにうっとりしてしまった。そうして、遊んでいた鳥が浜の上で日光浴をしている間に、エルはその2人の女性と交わり、二柱の神シャハル(夜明け)とシャレム(夕暮れ、または完成)が生まれた。しかし、彼らはエルの主要な息子たちではなかった。”
これは、“アダパとティティの誕生”場面が原型となっている。“アダパとティティの誕生”場面では、生まれた2人は息子(アダパ)と娘(ティティ)で、ここでは2人の息子とはなっているが、いずれも“夜明け”と“夕暮れ”で、生まれた2人は確かにエンキの主要な子ではないので、本筋は同じである。エルの主要な息子はバールだが、バールや彼に関わるヤム、アナトの神話はいろいろな神々が場面場面で対応し、それは後にマルドゥクによって改竄された結果なので、詳細は重要ではない。
このように最初はエンキが主神だったが、後にイシュクルの領地となり、イシュクルはウツ、イナンナととても仲が良かった。よってイシュクル、ウツ、イナンナが主要三神へと変化し、その後はイナンナが主神となった。
天照大神の原型がウツ、豊受大神の原型がイナンナなので、伊勢神宮でカナンの神が祀られていても不思議ではなく、ある意味当然である。太古は農作物の種蒔きや収穫の時期を決めるために暦がとても重要で、暦を操る者が王でもあった。よって、暦の源流を調べていけば、どこの由来なのか解る。
日本でも、陰陽師が暦を専門に扱った。また、カナンはエジプト人から“フル”と呼ばれ、それはシュメール語と日本語に共通する膠着語(こうちゃくご)を話し、シュメール起源のフルリ人がチグリス川東方からカナン地方まで進出したことが起源である。このフルリ人の習慣は、聖書でも最も重要な人物の1人であるアブラハムの子の記述などに反映されているので、かなり重要な民族であることを伺わせる。
後のイスラエル十支族はカナン地方に散らばったわけだが、その後のガド族の大王が祖先に因んで“フル”を名乗ったとしても、それはこのようなことがあったからだ、とも言える。
そして、ペリシテ人は“海の民”の一派とされ、水鳥や尾が魚の尾のような水鳥というのは主エンキを暗示しているので、これもまたシュメールの末裔。そして、主エンキを崇めるペリシテ人は契約の箱を奪ったが、それは契約の箱が“主エンキとの契約”であるからに他ならないとも言える。
このように、カナンには多くの民族が集まり、明らかにシュメール系と思われる民族がある。つまりシュメール系のフルリ人と“海の民”が重要な役割を果たしている。“海の民”は海洋民族である。
核戦争の前、エンリルは神聖な場所、第4の地域(シナイ半島)、“二輪戦車の場所”を守りに行くよう、イブル・ウム(アブラハム)に命じた。ニブル・キ出身でウリム(ウル)の王の血も引く神官で王族の末裔のアブラハムである。
それに応じて、ハランに居たイブル・ウム(アブラハム)は“二輪戦車の場所”、シナイ半島のエル・パランへ向かったが、その直後、マルドゥクがハランにやって来て、人々を扇動した。そのため、“二輪戦車の場所”は破壊されることになった。事前にイブル・ウム(アブラハム)の一族を保護してから、ニヌルタとネルガルによって攻撃された。
その後、助かったバビリ(バビロン)をマルドゥクが治め、最高神を名乗り、エンリルとニヌルタは離れて行った。その後、エンキは去っていなかった。他に残っていた神々はニンギシュジッダ、ウツ、イナンナ、イシュクルで、あとの神々はエンリルとニヌルタに続いた。
ただし、マルドゥクが最高神を宣言した以上、残った神々は表立って出てくることはなく、かつてエンキがジウスドラ(ノア)にしたように、姿を隠したまま、時々お告げを告げる程度だった。主エンキは主に海神として振る舞った。
つまり保護されて地下へ避難していて、地上が安全になってから出て来たイブル・ウム(アブラハム)の一族をエンキが守護して導いた。イブル・ウム(アブラハム)はウリム(ウル)の王の血も引いていた。そのウリムからは“フルリ、フル”が進出してミタンニを建国した。もう一方の中心的役割を果たした“海の民”は、イブル・ウム(アブラハム)の直系ということである。
よって“海の民”が侵入する毎に、著しく発展しているわけである。その集大成の地がカナン、フェニキアということである。この地には後に北イスラエル王国ショムロン(サマリア)が建国されるが、それは“小さなシュメール”という意味である。サマリアはシュメールの末裔が集まった場所で、しかもニブル・キ出身でウリムの王の血も引く神官で王族の末裔が居た。その末裔が、後に北イスラエル王国を率いるエフライム族の大王となった。
イブル・ウム(アブラハム)の祖はアルバカド=シャルル・キン=サルゴン1世で、彼はイナンナをレイプしても赦されて王になったほど、イナンナから寵愛(ちょうあい)を受けていた。だから、その末裔がイナンナが主神の地で王となることは辻褄が合う。