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大洪水後のシュメール文明 ④

2022.11.11 06:50

http://blog.livedoor.jp/melody87/archives/2525857.html 【大洪水後のシュメール文明】より

マヤ人とアヌンナキの関係

 マヤ文明にはトートの他に、ニビルのイナンナなどアヌンナキも関係していた。2011年にメキシコ政府がマヤ文明に関する文献や遺物から、マヤ人とエイリアンとの接触の証拠が、政府の地下重要書類金庫に秘蔵されていた、と発表した。そこには3000年前にジャングルに着陸した円盤の姿と当時の様子が描かれている。遺物の絵には、縄文時代の土偶含め、世界中で見られる女神(イナンナ)の共通点を持った宇宙人が描かれている。

エジプト文明

  “2つの峡谷の土地(エジプト)”には、マルドゥクの支配の下、第2の地域が樹立された。そこはマガン(エジプト)、“滝になって落ちる場所”と呼ばれていた。しかし、言語が混乱させられて以来、その地域の人々によってヘム・タ、“暗褐色の土地”と呼ばれた。そして、アヌンナキはネテル(ネフィリム)“守護監視者”と呼ばれた。マルドゥクはラー、“明るい者”として、エンキはプタハ、“開発者”として崇拝され、ニンギシュジッダはテフティ(トート)、“神の測定者”として想起された。彼についての記憶を消すため、マルドゥクは“石のライオン”の姿をしたスフィンクスを、自分の息子ナブの姿に変えた。

 マルドゥクは60進法ではなく10進法とし、1年も10に分け、月の暦から太陽の暦へと変えた。一方で、ニンギシュジッダの主権下にあった北の都と南の都を再構築し、北と南の土地を1つの王権の都に統合した。彼はネテルと地球人の子孫を王に任命し、メナと呼ばれた。  

 2つの土地が交わり、大河が分かれる場所に、キシュを凌ぐ“笏(しゃく)の都”としてメナ・ネフェル(メンフィス、“メナの美”)を設置した。

  マルドゥクは自分より年長者たちを祀る聖なる都を築いた。ニビルの王に敬意を表したアンヌ(オン、ヘリオポリス)、その中のプラットホームの上にエンキのための神殿住居を建てた。その頂上は内側が高い塔になっており、尖ったロケットのようにそびえていた。その聖堂に、マルドゥクは自分の“空のはしけ船”の上部を置いた。それはベンベンと呼ばれ、“数え切れない年月の惑星”から彼が旅した時に乗ったものだった。新年の日、王は高僧として祝賀を執り行い、一番奥の“星の部屋”に入り、ベンベンの前に供え物を置くのである。この第2の地域を後押しするため、エンキはあらゆる種類の“メ”をマルドゥクに与え、あらゆる種類の知識を授けた。唯一、“死者を蘇らせること”を除いて。

 エンキはハピ(ナイル)の水流をマルドゥクと彼の民のために制御し、肥沃な土壌はすぐに豊作となり、人と畜牛が増殖した。“12の天体の中で偉大なもの”として、エンキはマルドゥクに牡羊座を割り当てた。

 このようにエジプトのラーの正体はマルドゥクであった。そして父親のエンキを“開発者”プタハに降格し、ニンギシュジッダはトートに変更し、スフィンクスの顔を息子ナブの顔に変更した。スフィンクスの別名はセシェプ・アンク・アトゥムで、最高神アトゥム・ラーの生きた像、という意味であるが、神話と共に、事実が相当改竄されていることが良く解る。

 マルドゥクは10進法を始めたので、それなりの知恵はあるが、ネフィリムという巨人と勘違いされるような命名も行った。

  また、ハム系フリーメーソンなどの伝承では、ベンベン石が“失われた秘宝”して伝えられているが、真相はマルドゥクの宇宙船の先端部だったのである。それを、毎年新年の1日だけ、王に拝ませていたのである。それが偶像崇拝であり、偶像崇拝の根源は邪悪なマルドゥクだったので、聖書では偶像崇拝が忌み嫌われているのである。

  プタハは、第一王朝の時代から信仰が確認されている古い神の1人で、メンフィスの守護神である。しかも、エジプトの神には珍しく、完全に人間形である。また、プタハは鍛冶の神であり、呪文を唱えつつ、世界を創成したりしている。プタハ神派の神官たちは、プタハ神は娘と交わってアトゥム神を生み出した、としている。トートの姿はトキであり、エジプトでのトキは、ナイル川の氾濫時期になると上流から下流の浅瀬にやって来て、氾濫を知らせる渡り鳥である。つまり、トキは水鳥と見なすことができ、水鳥で象徴されるのはエンキである。そして、トートは知恵の神でもあるから、エンキの息子ニンギシュジッダの象徴であると同時に、エンキの象徴にもなり得る。トートとエンキの関係について、初期エジプトのある古文書には次のようにあり、エンキとニンギシュジッダの関係を表している。

“エジプト王ゾサーの時代、南部が大飢饉に襲われた。その原因をトート神に尋ねると、ナイルの源泉には1人の神が居て、2つの洞窟からナイル川の水量を調節していることが解った。その神とは、人間を創り、ナイルとエジプトの運命を握っているトート神の親であるクヌム、別名エンキである。”

 なお、ニンギシュジッダはエジプト神話で、呪文でイシスの姿を隠したり、ホルスに向かって呪文を唱え、仮死状態のホルスが息を吹き返したりと、魔術・妖術の原型とされてしまった。これも、ニンギシュジッダを陥れようとするマルドゥクの策である。また神話では、コブラの女神ウアジェトが聖なる蛇とされているが、コブラは毒蛇であり、サタン的である。マルドゥクは“邪悪な蛇”と呼ばれているので、コブラの原型はマルドゥクである。

 エジプトに関連する“蛇”は旧約に登場する。アロンとファラオがそれぞれ杖を投げると杖は蛇になり、アロンの蛇がファラオの蛇を飲み込んだ。これは、エジプトの魔術師による“邪悪な蛇=マルドゥク”を象徴するファラオの杖は、“良い蛇=蛇神エンキとニンギシュジッダ”を象徴するアロンの杖には敵わないということを、象徴的に表しているのである。

 このように、エジプト神話はすべてマルドゥクにとって都合が良いように構成された。メソポタミアの神話もマルドゥクにとって都合の良いように改竄された。よって、神話や伝承だけに頼っていても、真相に近づくことはできない。つまり、口頭伝承を基本とするカッバーラだけでは、真相に辿り着くことはできないのである。

 マルドゥクはこれほどの野心を持っているのだが、何故、エンキがここまで彼を手助けしたのかというと、アヌにより、3つの地域に人類の文明を花開かせることが決定されたからである。なお、あらゆる種類の知識をマルドゥクに与えてエジプト文明繁栄の手助けをしたエンキだが、唯一、“死者を蘇らせること”は教えなかった。ならば、マルドゥクが“死と復活”を象徴する石棺及び3つ並ぶピラミッドとその意味について知る由も無いので、石棺ともう1つのピラミッドはマルドゥクが造ったものではなく、ニンギシュジッダが造ったのである。

   またニンギシュジッダの統治時代、エジプトは北と南、すなわち、上エジプトと下エジプトに分かれていた。上エジプトは蓮(はす)、下エジプトはパピルスとピラミッドで象徴され、カルナックにあるアモン神殿には、パピルス柱とロータス柱が建っている。蓮(はす)は花で女性原理、ピラミッドはそそり立つ山で男性原理を象徴する。つまり、カバラの奥義の1つである陰陽の概念が、天才科学者ニンギシュジッダによって考案されたというわけである。

■紀元前3100年頃

 都市文明を第二地域のエジプトに供与することが決定された。これにより、エジプトにおいても、メンフィスに人類のファラオによる王都が建設された。これによりエジプト初期王朝時代が始まる。ファラオはマルドゥクから知識を受け継いだ存在であった。

 またかつて高次元世界の「太陽の国」の波動は、アトランティスやレムリアの時代にもあったが、古代エジプト時代のあるファラオが、地上に「太陽の国」をもたらそうと試みたことがあった。もともとファラオとは、天と地をつなぐ存在のことである。それは宇宙の情報を真っ直ぐ地上に降ろすことのできる人を指して、人間たちはファラオと呼んだのである。地球の文字で図形的な解釈をすると、『王』という文字の形があらわしている通り、王は天と地と人を真っ直ぐつなぐ存在であり、王の中の王というのは『三界に住まう者』をあらわしている。

 そのファラオは自分の持っている力を、人々に分け隔てなくもたらそうとした。そういうことは、それまでの地上の人々の常識から考えて異例のことだった。誰もが仲介者なしに直接宇宙とつながることのできる世界を、彼はもたらそうとしたのである。そして彼はそのような能力を備えていた。しかし、地上に「太陽の国」をもたらそうというファラオの夢は失敗に終わった。なぜなら多くの人々は生存のために必死であり、ファラオの思い描いていた光の世界など望んではいなかったのである。

 人々の意識とともに歩む、というファラオの夢は叶わなかった。ファラオは時を急ぎすぎたのである。ある意味で「その時」が来るのを待てなかった。その「時」とは、惑星地球に生きる人類の波動が、宇宙とどれくらい共鳴できるほどに高められているか、ということだったのである。

中国の陳(ちん)の都

 この頃、中国では支那三皇の世、伏犠(ふっき)、女鍋(じょか)、神農(しんのう)が、都を陳(ちん)に作る。

■紀元前3000年頃

 現在のペルーのリマ市北方のスーペ谷にカラルという石造建築を主体とする文明が現れ、ピラミッドも6基作られた。この時代はプレ・インカ文明とも言われた。プレ・インカ文明のルーツは、レムリア文明→アマゾン帝国→アンデス文明となっている。

ゾロアスター教

 また紀元前3000年頃には、西洋、地中海、バビロン、エジプトでは、鉱石の中で金が一番高い価値があると考えられていた。そして東洋、中国、マレーシアでは銀が価値があると考えられていた。闇のカルト信者である特定の家系、特定の寡頭政治の独裁家系が基本的には全ての金を手にした。そしてキリストの時代の頃には、世界中で金は一番の商品と考えられていた。その様にして彼等は金持ちになったのである。そして一旦お金を持つと、政治家や王族を腐敗させる事ができ、そしてゆっくりと社会を支配していく事ができた。

 そして西洋の宗教をゾロアスター教と共に支配してきた。紀元前3000年のゾロアスター教からの家父長制を見ると、男女平等な社会から離れ、非常に横暴な家父長制社会へと進んでいった。そうして金融機関や政治機関を支配する支配者達はどんどん暴力的になっていった。

■紀元前2944年頃

第3の地域(インダス川流域)

  第2の地域のエジプトの成功に指導者たちは勇気付けられ、第3の地域のインドのインダス川流域に取り掛かった。約束されていた通り、そこはイナンナの領地とされた。彼女は女主人に相応しいように、天空の星座を割り当てられた。それまではウツと共に双子座だったが、ニンフルサグが贈り物として彼女の乙女の星座を割り当てた。地球の年にして、816年のことだった。遥か遠い東方の地、イラン高原の7つの山脈の向こうが第3の地域だった。“60個の宝石の土地”ザムシュと呼ばれた。アラタ、“森の多い領域”は、蛇行するインダス川の谷に位置していた。広い平野で農業が行われ、モヘンジョダロとハラッパの2つの都市が築かれた。

 エンリルの布告により、エンキはその地域のために以前とは違う系統の言語のサンスクリット語を、知恵を駆使して考案し、新しい種類の書く記号を創った。それは、前例の無い言語だった。しかし、エンキは文明化された王国の“メ”をその地域に与えなかった。以前、イナンナがウヌグ・キ(ウルク)のために“メ”を奪ったが、それと共用させるためである。

  アラタ(インダス地方)で、イナンナはドゥムジに似ていた羊飼いの責任者を任命した。彼女は宇宙船“空の船”でウヌグ・キ(ウルク)からアラタ(インダス地方)へ旅した。彼女はザムシュの宝石を大切にし、純粋なラピスラズリをウヌグ・キ(ウルク)に持ち帰った。当時、ウヌグ・キ(ウルク)の王はエンメルカルで、彼は2番目にそこを統治していた。彼はウヌグ・キ(ウルク)の領土を広げたので、その栄光にイナンナは鼻高々だった。

 彼はアラタ(インダス地方)の富を望み、使者を送り込んだ。しかし、使者の言葉をアラタ(インダス地方)の王は理解できなかった。そこで、アラタ(インダス地方)の王は木製の笏(しゃく)にメッセージを刻んで、使者に与えた。そのメッセージは、ウヌグ・キ(ウルク)の“メ”をアラタ(インダス地方)と分かち合うことを要求していた。そして、ウヌグ・キ(ウルク)への贈り物として、穀物がロバに荷積みされた。

 エンメルカルはメッセージを受け取ったが、誰も理解できなかった。エンメルカルは業を煮やし、どうしたら良いのか、祖父のウツに尋ねた。ウツは筆記の女神ニサバとの間を取り持った。彼女は、粘土板に自分のメッセージを刻むよう、エンメルカルに教えた。それは、アラタ(インダス地方)の言語だった。彼の息子バンダの手で、そのメッセージは届けられた。“服従するか、さもなくば戦争だ!”とそこには書かれていた。「アラタ(インダス地方)はイナンナ様に守られている。アラタ(インダス地方)はウヌグ・キ(ウルク)に服従などせぬ!もし、ウヌグ・キ(ウルク)が戦いを望むのなら、戦士1対1で戦おう!あるいは、円満に解決するか。アラタ(インダス地方)の財宝と引き換えに、ウヌグ・キ(ウルク)に“メ”を提出させよう」とアラタ(インダス地方)の王は言った。

 平和のメッセージを運んで帰る途中、フルム山でバンダは病気で死んだ。アラタ(インダス地方)の財宝をウヌグ・キ(ウルク)は受け取らず、アラタはウヌグ・キ(ウルク)の“メ”を手に入れなかった。第3の地域のインダス川流域で、文明化した人類は満開に花開かなかった。イナンナが自分の領土をなおざりにして、他の領地ばかりをむやみに欲しがったからである。

ウヌグ・キ(ウルク)もアラタ(インダス地方)もイナンナの領地なので、イナンナが間を取り持てば良い話であるが、イナンナはそんな僻地は嫌で、他の領地ばかりをむやみに欲しがり、そうしなかった。元はと言えば、イナンナが当然することとして、エンキはアラタに“メ”を与えなかったこと、イナンナがその期待に背いたことが原因である。

 インダス文明は満開に花開かなかった。だから、知識が隠されたカッバーラの解釈を、ヨガによる体の修行やカーマ・スートラによる愛欲充足により、追求するようになったのである。つまりヨガはアヌンナキによってもたらされたものである。そして、カーマ・スートラによる愛欲は、後のチベット密教に於ける暗黒の密教、無情瑜伽(むじょうゆが)タントラを生み出すことになった。

 イナンナは若い女神であり、イシュタル、ヴィーナス、アフロディーテなどの別名を持つ。イナンナには遠い地アラタ(インダス地方)が与えられた。しかし彼女は、エンメルカルの大伯母だから割り当てられていた遠いアラタ(インダス地方)よりもウルクに住むべきだ、とアヌに主張し、計画は見事成功した。

 イナンナは若い女神で別名が愛の女神ヴィーナスなので、その美貌でアヌの愛人となったのである。イナンナの更なる別名が“アンニツム”で、“アヌの最愛の人”という意味である。それ故、王位継承順位数はウツの20に継ぐ15であり、叔父であるイシュクルの10よりも上である。また、その美貌を利用してエンキに取り入って騙し、エンキから“メ”=“知恵の秘密”を聞き出すことに成功した。

 このような理由から、イナンナは誘惑する“裸の女神”として描かれていることが多く、世界中から土偶などが出土している。しかし、後にマルドゥクが“正統だ”と主張して王位を奪い取り、バビロニアの主神となると、イナンナはウルクを追われた。これ以後、イナン

ナは武装した戦う女神となった。ギリシャ神話では、知恵と戦いの女神アテナと、美と豊穣の女神アフロディーテに分裂している。

 イナンナの第三地域であるパキスタンのボラン峠のメヘルガルで、インダス・サラスヴァティー文明が発達し、3000近い遺跡が発掘されている。初期のメヘンガルは土器を伴わない時代で、この地域での農業は半遊牧民が行い、小麦や大麦を栽培しながら羊やヤギや牛を飼っていた。泥製の住居群は4つの区画に分けられ、埋葬の習慣もあり、副葬品として籠、石器、骨器、ビーズ、腕輪、ペンダントなどがあり、時折動物の生贄も見つかっている。出土した像は宇宙人そのものである。

イルニンニからイナンナ(アヌの愛人)となった経緯

 シュメールのウルクには、大神アヌが公式に地球に降臨する際に使用する神殿があった。「神々」以外で最初にウルクの支配者となったのは、太陽神ウツと人間の間の子メシュキアガシェルである。その後、メシュキアガシェルの子エンメルカルがウルクの支配者となった。神殿では、大神アヌと正妻アンツは別々の寝室を使っていた。アヌは降臨の儀式が終わると、ギパールと呼ばれる彼だけの館に入った。そこには、選ばれた処女エンツが待っているのが習わしだった。エンツは王の娘であり、王たちは自分の娘をエンツにさせようと務めた。エンツが王のために長寿と健康を「神」に直接祈ることができたからである。エンツとは“神の貴婦人”であり、エンツを通じて王たちは自分たちの守護神に直接近づくことができた。

 ところが、ある時、このギパールでアヌを待っていたのは、人間の娘ではなく、アヌの曾孫イルニンニだった。イルニンニは最も若い「神」だったので、遠い地アラタ(インダス地方)を与えられていた。しかしイルニンニは、エンメルカルの大伯母なので、割り当てられていた遠い地アラタよりもウルクに住むべきだ、と思っていた。そのために策を講じ(他の「神々」に仲介を頼み)、降臨したアヌに近づいて自分の思いを主張し、計画は見事成功した。イルニンニはその美貌でアヌに迫り、アヌの愛人となったのである。これ以後、イルニンニはイン・アンナ=イナンナ(アヌの愛人)と改名された。イナンナの更なる別名がアンニツムで、アヌの最愛の人、という意味である。それ故、イナンナは女性であるにもかかわらず、王位継承順位数は双子のウツの20 に継ぐ15であり、叔父であるイシュクルの10よりも上である。

 この“事件”以降、アヌはイナンナにこの神殿を使うことを許し、ギパールの役割は“ギグヌ(夜の愉しみの家)”へと変貌していった。なお、イシュクル(アダド)はエンリルの最愛の(末)息子であり、権力と嵐の特権を授けられた神である。愛人のことを“ドド”と言うが、イシュクルはイナンナとはとりわけ仲が良く、イナンナの愛人で叔父でもあったので、“アダド”と呼ばれた。

イナンナの不死宣言

 ウヌグ・キ(ウルク)とアラタを行き来しながら、イナンナは落ち着かず、満たされなかった。飛び回りながらも、太陽の光にドゥムジが揺らめき招いている姿を見た。夜には夢に彼が現れ、僕は戻って来るよ、と囁いた。そして、“2つの峡谷の土地(エジプト)”にある彼の領地の栄光を、彼は約束してくれた。こんな幻影に、彼女は翻弄されていた。

 ウヌグ・キの神聖な区域に、彼女はギグヌ、“夜の愉しみの家”を設置した。若い英雄たちを、彼らの結婚式の夜に、イナンナは甘い言葉で誘い出した。花嫁とではなく、彼女と寝ることにより、長生きと至福の未来を約束したのである。イナンナはドゥムジに思いを馳せながら、彼らと夜を共にした。そして、朝になると、彼らは彼女のベッドで死んでいた!

 しかし、中には生きていた者がいた。英雄バンダ、ウツの曾孫である。彼女の住まいでバンダは入浴させられ、房飾りの付いたマントに飾り帯を締めさせられた。

「ドゥムジ、私の最愛の人!」

 彼女は彼をそう呼んだ。彼女は花々で飾られたベッドへ彼を誘った。朝になってもバンダは生きており、イナンナは喜んで叫んだ。

「奇蹟よ!奇蹟だわ!私の最愛のドゥムジが帰ってきたの!」

 ウツの恩寵により、彼は死から蘇ったのである。

「死なない力を私は手にした!不死は、私によって授けられたのだわ!」

 そして、自分のことを女神イナンナ、“不死の力”と呼ぶことにした。イナンナの両親は、このような彼女の宣言を喜ばなかった。エンリルとニヌルタは彼女の言葉に狼狽し、ウツは困惑した。そして、エンキとニンフルサグは「死者を蘇らせることなど、不可能だ!」と言った。

 満たされない願望と性欲を、イナンナは地球人の英雄たちにドゥムジを重ねて交わることで解消しようとしたのであった。純粋なニビル人と地球人とでは時間の流れが異なるので、地球人にとっての一晩でも、イナンナにとってはごく僅かな時間にしかならない。よって、朝まで続く行為により、イナンナの相手は大方、朝には死んでいた。

 そして、この“聖なる結婚”の儀式は世界中のあらゆるところで行われるようになったが、後のあらゆる宗教における性的退廃の原型ともなった。つまり、イナンナもまた、サタンの原型の一部なのである。つまりイナンナがイエスとサタンの両方の原型でもある。

 イナンナのシンボルは金星で、イエスのシンボルは明けの明星(みょうじょう)で同じなのは、イエスの原型がイナンナだからである。そして、サタンも明けの明星と言っている。イエスが光なら、サタンは闇なので、宵(よい)の明星となる。しかし、共に明けの明星とさ

れているのは、原型が同じだということを暗示している。

 さらに、イナンナが創造神のインダス文明(遠い地アラタ)では、様々な女神が分身として登場する。実質の主神としてはシヴァだが、その分身の女神にはドゥルガーや暗黒のカーリーがいる。これなども、イナンナの暗黒面なのである。

 生命現象に詳しいエンキとニンフルサグも、死者を蘇らせることは不可能だと断言しているので、ウツの恩寵により死から蘇ったとされるバンダも、以前の火星でのアンズの“死と復活”も、そしてイナンナ自身の“復活”も、いずれも仮死状態あるいは瀕死の状態からニビルの高度な医療技術で助かったということである。

 そこから、イナンナの思い込みで“死と復活”という概念が登場し、名前もイルニンニからアンニツム、イン・アンナ、そしてイナンナとなった。

ギルガメッシュ叙事詩

 キ・エンギの土地で、人々は自分たちの幸運を讃えた。「神々は我々と共にいる。神々は死を止められる!」と人々は互いに言った。バンダは父エンメルカルの跡を継いで、ウヌグ・キ(ウルク)の王座に就いた。彼の称号はルガル、“偉大な人”だった。彼はエンリルの種子である女神ニンスンを妻とし、息子が生まれた。英雄ギルガメッシュである。ギルガメッシュはバンダの跡を継いで、王座に就いた。

 ギルガメッシュは年を取ってくると、生と死に関して母に尋ねた。アヌンナキの子孫なのに死んでしまった祖先について、彼はいぶかしがった。

「神々は死ぬのですか。私も2/3 が神ですが、死すべき運命の人間として壁を乗り越えるのでしょうか」

と彼は尋ねた。

「地球上に留まっている限り、地球人としての死が、あなたを打ちのめすでしょう。でも、ニビルへ行けば、そこの長い寿命(不死)を獲得するでしょう」

と母は答えた。

 ニンスンは、ギルガメッシュをニビルへ連れて行ってくれるよう、ウツに頼んだ。ウツは拒否したが、来る日も来る日も懇願されたため、“着陸場所”へ連れて行くことを許可した。彼を導き保護するため、ニンフルサグは彼の影武者を造った。エンキドゥ、“エンキによって造られたように”と影武者は呼ばれた。彼は子宮から生まれたのではなく、血液も流れていなかった。エンキドゥはニンフルサグによって造られた人造人間で、火を吹く怪物や“天の牡牛”はロボットである。

 エンキドゥと共に、ギルガメッシュは“着陸場所”へと旅し、ウツが神託で彼の進み具合を監視した。ヒマラヤ杉の森の入り口で、彼らは火を吹く怪物に阻まれた。彼らはペテンで怪物を混乱させ、粉々に壊した。彼らがアヌンナキのトンネルへの秘密の入り口を発見すると、エンリルの創造物、鼻息が致命的な“天の牡牛”に挑まれた。その怪物は彼らをウヌグ・キ(ウルク)の門まで追い立てたが、都の城壁のところでエンキドゥに打ち倒された。エンリルはこれを聞くと、苦悶のあまり涙を流して泣き、その嘆きは天のアヌにまで聞こえるほどだった。しかし、“天の牡牛”を惨殺したため、エンキドゥは罰せられ、溺れて死んだ。そのことはニンスンとウツに知らされていたので、ギルガメッシュは惨殺を免れた。それでもニビルの長寿を求めて、“二輪戦車の場所”へ向かうことをウツから許可された。

 数々の冒険の後、彼は第4の地域“ティルムンの土地”に辿り着いた。地下トンネルを進むと宝石の庭に出て、そこでジウスドラ(ノア)と会った。ジウスドラ(ノア)は大洪水について話し、長寿の秘密も教えた。庭の井戸に、ある植物が生えていて、それがジウスドラと配偶者の寿命を長くしていたのである。それは、地球の植物とは異なっていた。それにより、人間は溢れんばかりの元気を取り戻せるのである。「“年取った人が再び若返る”、これこそがその植物の名だ」とジウスドラは言った。

 ジウスドラ(ノア)が寝てしまうと、ギルガメッシュは自分の足に石を結び付けて井戸に飛び込み、その植物を引き抜いた。そして、植物を入れた鞄を持って、急いでウヌグ・キ(ウルク)へと引き返した。途中、彼が疲れて寝ていると、その植物の芳香に蛇が惹きつけられた。その蛇が植物を奪い、どこかへ消えてしまった。朝になってそのことにギルガメッシュが気付くと、彼は座って泣いた。そして、手ぶらでウヌグ・キ(ウルク)に戻り、死すべき運命の人間として、そこで死んだ。

 長寿の植物はニビル由来である。しかし、ギルガメッシュは母がエンリルの種子で、地球で誕生しているから、ジウスドラほどの寿命は得られない。

 鞄に入れた植物を蛇が盗んだというのは、例え話である。蛇神が地球人の長寿は許さなかった、ということである。これが世界中の“不老長寿の秘薬”の話の原型となっている。

  日本では、田道間守が第11代・垂仁天皇の命により非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)を求めて常世の国に渡ったものの、持ち帰ってきた時には天皇が崩御しており、半分を垂仁天皇の皇后に献上し、残りを垂仁天皇の御陵に捧げ、悲しみのあまり泣き叫びながら亡くなったという逸話に投影されている。泣き叫んだ原型は、ギルガメッシュだった。

■紀元前2924年頃

世界の宗教のオリジナルは同じ① 神話と宗教誕生の流れ

 この頃より、アヌンナキは世界中に様々な宗教を作り出して、世界を混乱させていく。世界中の宗教と、その神話のオリジナルは、ニビルのアヌンナキと、アヌンナキと人間との間に生まれた半神半人の話であり、重要部分な部分などは削除したり書き換えるなどして、人々に知られないように操作される。また神話によく見受けられる兄と妹などの関係でありながら妻としても子供を産む話は、アヌンナキの近親相姦(きんしんそうかん)の話である。近親相姦は人間の世界では堅く禁じられている行為だが、ニビル王アヌの血の濃さを競うアヌンナキにとっては重要なことである。

 また聖書などに出てくるアブラハムやノアが何百年間も生きたという話も、彼らがアヌンナキと人間との半神半人だからである。ただ生まれた体に転生する魂は聖白色同胞団(ホワイト・イルミナティ)からの高次の存在の場合もある。例えばアブラハム、テラ、ノア、エジプトのトト(ニンギシュジッダ)などである。

 下記の話は比較的それぞれの神話で見られる内容の話だが、これらはすべてニビルのアヌンナキが関係した話である。

・第一次レムリア文明の時代のアダマ(アダム)とティ・アマト(イヴ)の話

・アトランティス文明後期のジウスドラ(ノア)と大洪水の話

・大洪水の後の、ホロン(ホルス)とサトゥ(セト)のエジプトとシナイ半島での争い

・シュメールやイスラエルでの神官ティルフ(テラ)やイブル・ウム(アブラハム)の話

・紀元前2024年のアヌンナキ同士によるメソポタミアなどでの核戦争の話

 また世界の神話には必ず蛇の話が出てくる。つまり爬虫類人アヌンナキの話である。 こういったニビルのアヌンナキが関係した出来事が、人物名や表現を変え、そして他の物語とも組み合わされ、神話や聖典が出来上がっている。日本の古事記や日本書紀ですらも世界の神話と多くの共通点を見出すことができる。

 この頃までアヌンナキは世界中で活動していたので、世界の宗教と神話はアヌンナキが作ったものである。本当の事実を隠し、異なった話を広げるため神話と宗教は操作されていく。

 出来上がっていく宗教の流れを簡単に説明するならば、大洪水までのアヌンナキの話が何重にも重ねられ、大洪水後のエジプトでの話がエジプト神話となり、それがメソポタミアではイラン神話・ペルシア神話となり、そのメソポタミア付近ではやがてキリスト教やイスラム教になるまで様々な神話や宗教が作り出される。当然それらの内容は非常に似た物語が多い。

 エジプト神話からイラン神話となったものが次にインドに伝わり、 それがインド神話となる。インド神話からはヒンドゥー教や仏教が生まれる。

 またメソポタミアからインドを通り中国に伝わって儒教や道教が生まれ、日本でも歴史が改ざんされ、古事記や日本書紀となって形作られていく。

 下記の図はその神話と宗教誕生の流れである。

 現代のユダヤ教(約1500万人)、キリスト教約(21億人)、イスラム教(約13億人)、そしてヒンズー教(9億1360万人)、仏教(3億8400万人)、日本の神道(278万人)など、世界のすべての宗教のルーツは同じ話であり、すべてが同じ神を意味しており、宗教の違いはただの名称の違いであった。

 そして世界中の人々は黒色同胞団(ブラック・イルミナティ)のニビルのアヌンナキと、聖白色同胞団(ホワイト・イルミナティ)のトト、ノア、テラ、アブラハムなどを神として崇めているのである。

 つまり信仰というのは、国や時代によって、その姿や名を変えているのである。この宇宙の本質からすれば、悪魔はおらず、悪魔とされる者は光の違う側面なのである。現在、悪魔と呼ばれているルシファーは、アヌンナキの情報操作でネガティブな存在として知れ渡ったにすぎない。一見、悪魔的に見える人と交わったとしても、その出来事はいずれその人の経験としてプラスに転じる。悪魔の基となった存在が実は救世主である。アヌンナキとは、考え方によっては人類に智恵をもたらした英雄であり、幾度も人類を滅亡の危機から救い出した救世主である。ここが現代の常識である二元論の考え方と違う部分である。

世界の宗教のオリジナルは同じ② 大洪水

 各神話の共通点はあらゆる専門家が述べているが、その中で各国の大洪水伝説(ノア)を比較してみる。

・インド

 人間の始祖マヌが手を洗っていると、小魚は、自分を救って世話をしてくれたら、あなたを救ってあげましょうという。小魚はマヌに、大洪水にそなえて箱舟をつくり、その中に入るよう告げる。小魚はやがて大きくなったので、マヌは海に放ってあげた。そして大洪水のとき、マヌは魚にいわれたとおりに箱舟に入ると、どこから現れたのか、あの魚がやって来て箱舟を引いて海を渡り、山の頂の安全な場所まで導いてくれた。こうして、すべての生き物のうちマヌだけが生き延びることができた。                               

・ラオスとタイ

 そのむかし、ゼン王が天界の王国に住み、下界には3人の偉大な人々、プレンスン、クンカン、クンケットがいたという。ある日、ゼン王は敬意を示すために人々に食事をする前にその一部を自分にささげなさいと命じた。人々が拒絶したので、怒ったゼン王は洪水を起こし地上を壊滅させた。そのとき、三人の偉大な人々は筏(いかだ)を組み立て、その上に小さな家を建て、たくさんの女性と子供を乗せて船出した。このようにしてかれらとその子孫は洪水を逃れた。

・韓国 環峰(コリボン)伝説

 大洪水が世界を襲ったとき、朝鮮半島の環峰の山頂だけは水に侵されずに残った。人々は鳥、動物、家具、飲食物を船にのせて洪水の中を漂っていたが、船が流されないように、船をこの山頂に網で結びつけた。洪水が退いたときは人々は船から出て、この山頂に避難した。浸水の証拠として、この山からは魚介類の殻、海の土や白砂が出るという。

・中国の神話

 伏羲(ふっき)と女?(じょか)の父がかつて自身が閉じ込め、自分の子供たちによって解放された雷公と戦ったが、雷公が洪水を起こして攻めたために二人を残して人類が滅亡してしまう。兄妹は雷公を助けた時に彼からもらった種を植えて、そこから生った巨大な瓢箪の中に避難して助かり、結婚して人類を伝えたとある。

・メキシコ、中央アメリカ

 コスコストリという男と、その妻のソチケツァルの二人は、神から事前に大災害が起こることを警告されていた。彼らは神の指示に従い巨大な船を造って災難を逃れ、高い山の頂上に着いた。そこで地上に降り、多くの子供を作ったが、ハトが木の上にとまり言葉をプレゼントするまで、言葉がしゃべれなかった。(アステカ族)

 神テスカティルポカは人類を洪水で破滅させる決心をした。だがテスピとその妻と子供たちだけを大きな船にのせ、助けることにした。この船には人間が生き残っていくのに必要な、動物たち、鳥、穀物や種などが積まれた。船は水面に露出した山の頂上についた。神テスカティルポカが洪水の水を引かせるようにしたからだ。上陸しても大丈夫かを調べるために、テスピはコンドルを放った。・・次にほかの鳥を放ったが、ハチドリだけが口ばしに枝をくわえて戻ってきた。これをきっかけとして土地は姿を現し、テスピとその家族は船から下り、人口を増やし地上を満たした。(メチョアカネセクス族)

 この、船が山の頂上に着き、その後鳥を放って様子を見るのは、聖書、シュメールの古文書、アメリカ先住民ホピ族の神話にも見られるパターンである。もちろん、このメチョアカネセクス族の話はスペイン人が大陸に来る前からある伝承神話である。

・ハワイ

 かつて太平洋にはハワイからフィジーに達するような巨大な大陸があった。しかし、kai aka hina alii(首長を破壊する海)という名前の大洪水が起こった。マウナケア山などの高い山をのぞいて全ての土地が沈んでしまった。ヌウという神官がこの洪水を予知して、家付きのカヌーで逃れ、マウナケアの山頂で洪水の終わりを迎えた。

・オーストラリア

 オーストラリアの先住民は自分たちの起源を景色と社会を変えてしまった大洪水に求めている。

・バヌアツ(ニューへブリデス諸島)

 クアトは平野で大きなカヌーを作っていた。それを見た兄弟は笑った。「おい、どうやって海までもって行くのか?」。クアトはカヌーに家族と生き物、そして蟻(あり)まで乗せた。そして雨を呼ぶ呪文を唱えた。すると洪水が起こり、水路ができて、あっという間に海まで流されてしまった。平野だったところは湖になった。このため彼は島で最もよいものだけを積んで船出した。

・ギリシャ

 神ゼウスは「銅の種族」すなわち地球人を滅亡させるという重大な決定を下したとき、デウカリオーンは神プロメテウスから事前に忠告をされ、木の箱をつくり、「必要なものをすべて」を中におさめ、ピュラーとともにその中に入った。神々の王ゼウスは天から大雨を降らせ、陸地のほとんどのものを水没させた。この大洪水で高い山の頂に逃れた少数の人々を除いて、人類はすべて死滅した。箱はギリシャ中部の山パルナッソスに漂着、二人は神にいけにえをささげた。

 こういった大洪水の話は世界に500くらいあると言われ、ほとんどの話が今挙げたものと似ている。

(1) 怒った神が人類を破滅させることにした

(2) しかし、人格者の家族にはそのことを知らせた

(3) 船もしくは箱をつくる、その中に動物たちと入る

(4) 大洪水が来て、船は山の頂上に着く

(5) 鳥を放って様子を見る

などである。大洪水の話はメソポタミアのギルガメシュ叙事詩、アッカド神話(バビロニア神話)、旧約聖書、インド神話などにも見られる。

世界の宗教のオリジナルは同じ③ 処女からの出産と誕生日

・BC3000年頃、エジプト神話のホルスは、処女イシスから12月25日に生まれた。

・BC2250年頃、アッカド神話のタンムズ(ドゥムジ)は、処女ミルラから12月25日に生まれた。

・BC1200年頃、ペルシアのミトラ教のミトラは、処女から12月25日に生まれた。

・BC900年頃、インド神話のヒンドゥー教のクリシュナは、処女デーヴァキーから生まれた。

・BC800年頃、フリギアのキュベレー信仰のアッティスは、処女ナナから12月25日に生まれた。

・BC500年頃、ギリシア神話のディオニューソスは、処女から12月25日に生まれた。

・50年頃、キリスト教のイエス・キリストは、処女マリアから12月25日に生まれた。

世界の宗教のオリジナルは同じ④ インドのクリシュナとキリストの類似

 クリシュナはBC7世紀頃に活躍した実在の人物で、ヤーダヴァ族の精神的指導者として、バクティ思想の萌芽を含む新しい教えを説き、その神をバガヴァットと称した。クリシュナは死後、そのバガヴァットと同一視され、神格化されるに至った。そして、このような逸話はほとんどイエスの予型といって良い。イエスの逸話と対比させると、次のようになる。

a:クリシュナが自分の子ではなく神の子だと知った父ヴァースデーヴァは戸惑った。

 ヨセフはマリアの懐妊を知り、婚約を解消しようとするが、天使のお告げによって神の子であると知り、思いとどまった。

b:救世主クリシュナが誕生することを知ったカンサ王は恐怖に慄(おのの)き、近隣の町や村の嬰児(みどりご)を虐殺するよう命じた。

 イエスが誕生する時、ヘロデ王は恐怖に慄き、ベツレヘムと周辺一帯の嬰児を虐殺した。

c:クリシュナは8番目に生まれた。

 イエスが誕生する前、八角形で象徴されるベツレヘムの星が輝いた。

d:クリシュナは卑しい牢獄で誕生した。

 イエスは貧しい馬小屋で誕生した。

e:赤子のクリシュナは、カンサ王の虐殺から逃れるために、ヤムナー川を渡っている。

 赤子のイエスは、ヘロデ王の虐殺から逃れるために、ナイル川を渡ってエジプトに行っている。

f:クリシュナは幼い時から強い霊性を発揮して人々を驚嘆させているが、悪戯もして、母親を心配させている。

 イエスは幼少時代、神殿で学者たちを相手に時を忘れて議論したので、帰りを心配した母マリアは遅くなるまで探し回っている。

g:クリシュナはヤムナー川に住む悪龍カーリヤを退治するため、頭の上に立ち上がり、踊って追い出している。創世記には、龍とはサタンのことで、蛇の頭は足で砕かれる、とある。

 イエスは、サタンからの誘惑をすべて拒絶している。

h:クリシュナは成長すると、“牛飼いクリシュナ”と呼ばれるようになる。

 イエスは成長すると、“良き羊飼い”と呼ばれるようになる。

i:クリシュナは、暴風雨に困っている牛飼いたちのために、神通力で山を持ち上げ、その下に避難させている。

 使徒たちが小船に乗っていると嵐になるが、イエスは一言で嵐を鎮め、信仰が強い者は山をも動かせる、と言っている。

j:神に祈った後に全裸で水浴びする牧女たちから衣服を奪い取り、カダムバの木に1人ずつ礼拝することを命じている。

 時として、イエスを唯一の花婿として全人類を花嫁としている。その典型が10人乙女の例え話であり、天国=「生命の樹」にあずかる花嫁の選ばれ方が示してある。

また、クリシュナはヴィシュヌ以上に16000の分身を創った神とされている。つまり、古代インドの「神々」の正体はすべてクリシュナであり、そのクリシュナはヴィシュヌの具現化した姿である。

世界の宗教のオリジナルは同じ⑤ 神話の中の地球の地軸の歳差運動の数字

 伝説、神話の中に地球の地軸の歳差運動の数字があちこちに散りばめられている。このことから世界の宗教は、ある特定の同類の存在が作ったものであることが見えてくる。

 その中で9で割り切れる歳差運動の数字に注目する。地球の地軸は固定されておらず、コマの軸のように微妙に円運動をしている。それを歳差運動という。地軸の円運動は2万5920年で一周する。30度動くのに2160年。春分の日の、日の出の太陽の背景には12星座のどれかがある。その移行速度は1星座で2160年。歳差運動と完全に連動している。イエスキリストの時代は魚座で、そのため初期のキリスト教のマークは魚であった。

 これらの歳差運動の数字が、古代の神話の中に散りばめられている。歳差運動を表す数字は3や9で割り切れる数字で、とくに12、30、36,54、72、108、360、2160、4320、25920といった数字ですべて表現できる。

 地軸が一周するのにかかる25920年、30度で2160年、15度で1080年、1度で72年と、すべて9で割り切れる。これらは偶然ではない。

 国際プロジェクトSETI(地球外文明探査)の40周年を祝う会議上で、おそらく太陽系は優れた文明によって構成された人工システムである、と宣言された。つまりこの太陽系は異星人によって造られたのである。この歳差運動に関わる数字が、世界各地の神話や建築の中に見出せるのである。

・北欧の伝説(最高神ワルハラが神々の最後の戦いに挑むところの一節)

 500と40の扉がヴァルハラの壁にあるだろう。800の戦士がそれぞれの扉から出ていき、狼との戦いに赴く。540の扉かける800人の戦士=43200人の戦士。43200は、地球の地軸が一周と240度回った年数である。4320や43200という数字は、世界中の古文書に頻繁に出てくる数字である。シュメールの粘土板古文書にも43万2000年前に神々アヌンナキらが地球に初めて降り立った、と書かれている。また地球の半径を43200で割ると、エジプトの大ピラミッドの高さになる。また地球の赤道周囲の長さを43200で割ると、大ピラミッドの底辺の周囲の長さになる。

                                 

・マヤのロングカレンダーにも、歳差運動を計算するのに必要な数字が登場する。例えば、1トゥン=360日、6トゥン=2160日、1カトゥン=7200日、6カトゥン=43200日、15バクトゥン=216000日といったように。

・中国の王朝図書館にあった、古代から伝わる「すべての知識を網羅する」といわれる古文書の巻数は、4320巻であった。

・インド神話リグ・ヴェーダは10800連の詩からなっている。その各連は40の音節からなり、文章全体で43万2000の音節で構成されている。

・ブッダとUFOを模したと言われているインドネシアの寺院ボロブドゥールの仏塔は、ちょうど72ある。

・アンコールワットの入る門は全部で5つあり、1本の道沿いには108体の巨大な石像が並んでいる。石像は全部で540体ある。

 これらは一例である。

世界の宗教のオリジナルは同じ⑥ 世界の蛇信仰

 この頃から世界各地では、蛇を崇拝する文化が増えてくる。一般的に蛇は邪悪な霊か人間の生まれ変わった姿と見なされている。また多産のシンボルでもあり、人間と神との仲介役となることもある。

 神としての蛇や竜に生贄を捧げる文化は、神をなだめるための宗教的な意味合いが込められていることがある。生贄や蛇の神話や歴史が残っている場所からは、アヌンナキの活動範囲が見えてくる。

 サハラ以南のアフリカ全土では、57個の原住部族において蛇崇拝の文化が存在し、西アフリカに存在するダホミー族、フイダ族、ポポ族、アシャンティ族、ヨルバ族、アイボ族、ベニン族、イジョー族などは大蛇であるパイソン信仰をおこなっている。蛇の寺院に棲んでいるパイソンは神の化身であり、他の場所にいるパイソンについても同様に神の化身と見なされた。また古代エジプトでは王権の象徴とされ、メキシコのマヤ文明では、羽を持つ蛇のククルカン(トト、ニンギシュジッダ:聖白色同胞団=ホワイト・イルミナティ)が崇拝され、3回にわたる人類の創造に関わり、人に文明を授けたと伝えられる。人類を創造し、人類に文明を与えたのは蛇族など爬虫類人であり、それが人間の神話に神として描かれている。

 日本ではヤマタノオロチが有名で、スサノオノミコトという嵐の神が、高天原を追い出されて出雲国に落ち延び、そこで8つの頭を持つ大蛇のヤマタノオロチの生贄となりかけたクシナダヒメを救うため、強い酒を用意して大蛇に飲ませ、酔っ払ったところで首を切り落として打ち倒し、クシナダヒメを救い、彼女と結ばれるという神話が残っている。

 中国神話の蛇神で有名なものは、伏義(ふっぎ)と女?(じょか)が挙げられる。蛇身人面の兄妹神であり、黄土をこねて人間を作り上げた人間の生みの親とされている。

 ギリシャ神話では、伝令の神であるヘルメスの持つ杖に、翼の生えた蛇2匹が巻き付いている。ヘルメスが商業の神であったことから、蛇もまた商業の神として崇められるようになった。また蛇が自分のシッポを飲み込もうとする姿を図案化したウロボロスは「完全」を象徴している。

 旧約聖書で蛇は、智慧(ちえ)を知らぬアダムとイブをそそのかし、神の持ち物である智慧のりんごを食べさせた堕落の象徴として描かれている。

 アステカ文明では羽毛のある蛇の姿をした神のケツァルコアトルを神と崇めている。ケツァルコアトルは人類に火をもたらし、アステカの人々に生贄の文化をやめさせた平和を愛する神だった。現代人に知られているアステカやマヤの民には生贄の風習があったというイメージは、歴史家や考古学者によって捏造されたイメージである。古代マヤ人は地球人が行ってはいけないこととして、それら邪悪な行為を神秘劇などにして伝えようとしていた。そしてそれをマヤにやってきた征服者達が、独善的に中傷したのである。

 蛇信仰、生贄の文化、神話の内容から見えてくる事は、この時代、龍など爬虫類人と爬虫類人アヌンナキが世界中に現れ、平和的な文化を広めていく場合と、神として自分達を崇めさせ生贄を捧げさせるネガティブな勢力が混在していた。基本的にはポジティブな蛇はニンギシュジッダ、ネガティブな蛇はマルドゥクである。

・7つ頭の蛇の絶対神ナラヤナとルシファー

 ルシファーは7つ頭の蛇として語られていることが多く、絶対神ナラヤナ(ナーガラージャ)であるルシファー信仰は、いつの時代も存在する。後のヒンドゥー教の神であるヴィシュヌと一緒に描かれる蛇神の諸王アナンタも、ナラヤナである。インドやエジプトで蛇が神聖視されている理由は、ナラヤナにルーツがある。沖縄のロゼッタ・ストーンには、「かつて栄えた偉大なる王の宮殿は、忌まわしき蛇の力によって、海の底へ沈んでしまった」という内容の石板が存在する。

 メソポタミアでは7が神聖な数字だった。7つの「メ」、7人の賢者、7種の悪霊、冥界の7つの門、天の7つの層など、世界観や集団の数にその思考がはっきりと現れている。ユダヤ教でも、神が7日で世界を創造したので、7は神聖なのだといわれ、エジプトでも多くの数字が神聖なものと関連しているが、7もまた重視された。またシュメール時代からアッカド時代(前29~22世紀ごろ)にかけて作られた円筒印章や陶器などには、7つの頭を持った怪物が描かれている。アッカドはニビル王アヌが作った文明である。

 円筒印章では、怪物は蛇のように胴体が細長く、そこからダックスフンドのように短い脚が4本生えている。肩のところからは長い首が伸び、さらにその首から6本の長い首が生えている。これら7本の首のうち上3つは斜め上をむいており、そして口から、先の割れた舌を突き出している。首の先についている頭は蛇のものである。しかし下4つは生命力が失われており、斜め下に首が倒れうなだれている。また、先の割れた舌も突き出されてはいない。背中からは、非常に長い背びれのようなものが6本生えているが、尾は生えていない。戦っている角が生えた冠をかぶっているのは、2人の神々である。彼らは槍をもち、怪物の前後からそれを突き刺している。

 別の陶器片には、また違った形の7頭の蛇が描かれている。その蛇はとぐろをまいており、尻尾は一つ。頭がきれいに7つに分かれている。そしてそのうち2つは切断されているように見える。

 またシリアでは、蛇は神の主要な敵である海の怪物として描かれている。ヘブライではレヴィアタンが七頭の蛇と表現されるときは、必ずヤハウェに倒されるときである。レヴィアタンの伝統は新約聖書にまで続き、悪魔の代表と変化する。

 頭の数は7ではないが、古代ギリシア神話では、ヒュドラという多頭蛇がおり、ヒュドラは固有名詞ではなく水蛇といった意味である。ヘラクレスはこのヒュドラを退治しなければならないが、何度でも再生する首に立ち向かうため、甥のイオラオスの助けを借りる。シュメール(ニビル王アヌが創造した文明)での蛇ムシュマフは、確実に水と関係している。こういった神話では、主に英雄が多頭蛇を退治する。時代的にも地理的にも非常に離れたシュメール、ギリシア、インドで、同じような蛇の物語が残っていく事となる。

 東南アジアにも蛇の物語は残っている。下記の写真は東南アジアで広くみられる仏像で、7つにわかれた頭をもった蛇がとぐろを巻き、その上に仏が座っている像である。これは釈迦が苦行をしていると、竜王がその頭を笠のようにさしかけて雨露から守った、ということで、竜王護仏像と言われている。これは蛇の7つの頭が次第に変形して、木の葉や衣紋や冠のさきに変化したものである。これらの突起が7つ数えられる。写真は左から如来(ビルマ)、竜王護仏(タイ)、竜王護仏(タイ)である。

 さらに下記の写真では7つの突起はさらに発達し、タイのものでは太陽の光のように放射しており、ネパールのターラ菩薩では肩を飾る大きな花びらに変わり、さらに進んで左端の観音像の手と冠になっている。ネパールの観世音菩薩では、竜王の頭が6本の手に変化している。手は左右対称になり、真ん中の頭は手にすることができないので、突出した冠に変化している。写真は左から、観世音菩薩(ネパール)、ターラ菩薩(ネパール)、竜王護仏(タイ)、如来(ラオス)。

 また赤い竜は、新約聖書の『ヨハネの黙示録』十二章及び十三章に記される竜である。英名にある通りエデンの園の蛇の化身であるのと同時に、サタンが竜となった姿であり、サタンの化身とも言える姿である。 以下のような姿で描写される。

「また、別のしるしが天に現れた。見よ、火のような赤い大きな竜である。七つの頭と十本の角があり、その頭には七つの冠をかぶっていた。」

「わたしはまた見た、海から一匹の獣が海の中から上ってきた。これには十本の角と七つの頭があった。その角には十本の王冠があり、頭には神を冒涜するさまざまな名があった。わたしが見たこの獣は、豹に似ており、足は熊の足のようで、口は獅子の口のようであった。竜はこの獣に自分の力と大きな権威とを与えた」

宗教による性行為の意識の変化

 この頃から性の意味が変化してくる。私有意識の定着から性も私有対象になっていく。女性と結婚するためには羊10頭、といった婚資の登場は性が商品価値として認められたことを示す。

すると男は、手に入れた女性は自分のモノ、他の男には絶対渡さない。女は自分の性をできるだけ価値あるものにして、財力のある男に高く売りたい。こうして性は、簡単には手に入らないものとなり、私的なものへと変化していった。

 性が私的なものになればなるほど、浮気や寝取られたりでトラブルが続出する。不倫が死刑に値する罪とされる習慣は多く見られる。そうして現代の性意識の原点になったのがキリスト教の快楽性は罪、セックスは夫婦の一対一関係のみに許される、という性規範である。

 しかしいくら厳しく戒律で定めても性の快楽は存在する。性はどんどん秘め事になり、恥ずかしいことになり、特別な相手のみに許すもの、という考え方が一般的になっていった。

 下記のイヌイット、タヒチ、日本の例も、ヨーロッパ文明が世界に広がる過程でキリスト教的性規範が浸透し、性は邪、私的なものへとごく最近塗り替えられてきた。つまり現在の性意識は決して普遍的なものではない。

キリスト教が世界に広がる前の性の風習

・イヌイットは、お客さんのもてなしに自分の妻を貸す。日常的にセックスは大家族に見守られながら行う。

・タヒチでは、ヨーロッパ人が侵略してきたとき、若い娘たちの性で歓迎した。

・日本には昭和初期~戦後まで夜這の風習が残っていた。

■紀元前2850年頃

イナンナをめぐるエンメルカルとアラタ(インダス地方)の抗争

 この頃、“エンメルカルとアラタ(インダス地方)の抗争”が始まった。これはウルクの統治者エンメルカルと、アラタの王(名前不明)との間に起きた権力闘争と、“女神との愛”にまつわる物語である。

 この抗争は、イナンナの権力拡大と共に起きたものだった。イナンナが遠い地アラタ(インダス地方)に住むか、あまり知られていないウルクに滞在するかを決めかねており、これがエンメルカルとアラタ(インダス地方)の女神招聘(しょうへい)合戦へと発展したのである。

 その最終的な目的は、イナンナがどちらに住むかということではなく、どちらの王と“愛の契り”を結ぶか、ということだった。イナンナは最終的にウルクへ移ったが、冒険好きな旅行者イナンナは“アラタ(インダス地方)の彼女の家”も見捨てなかった。

 このような密通は、イナンナの両親のみならず、双子のウツの不興も買ってしまった。ウツに叱責されたイナンナは、こう述べた。「それなら、誰が私の性欲を満たしてくれるの?私のアソコの小さな丘を、どなたが耕してくれるの?私のアソコは濡れた畑。どなたが牛を入れて下さるの?」

 これに答えてウツは言った。「おやおや、淑女ともあろう者が。ドゥムジが、立派な種を持っている。お前のために、耕してくれるさ」

■紀元前2760年頃

エジプトへの死生観植え付けとマルドゥクの野望

 ギルガメッシュ統治後、更に7人の王がウヌグ・キ(ウルク)を統治し、地球年でちょうど1000年が経過した時、第1の地域のメソポタミアの王権はウリム(ウル)に移された。このような事柄すべてに、マルドゥクは大いに留意した。そして、ドゥムジの領地奪還を仄めかすイナンナの夢や幻影に彼は動揺し、その企てに対抗することにした。彼は、“死と復活”の問題に、熟考すべき点が多いことに気がついた。そして、“神の神性”という概念は彼の興味を大いに惹き、何と、自分自身が偉大なる「神」になると宣言した!

 血統的にほとんど地球人であるギルガメッシュに対して許可されたことに、マルドゥクは腹を立てた。だが、王や民の忠誠を維持するためには、「神」の国へ行って長い寿命が授けられる、「神」の領域に近づくことができるという考えは、賢い方法であると見なした。半神半人が不死への出入り口を教えてもらえるのなら、自分の領地の王たちにも、これを適用しようとマルドゥクは決めた。自分の地域の王をネテルの子孫ということにして、“来世”でニビルに旅させよう、と決めた。

 彼は“ティルムンの土地”がある、東を向いた墓を建てる方法を王たちに教えた。そして、神官(筆記者)に長い本(死者の書)を与え、それには“来世の旅”について詳しく記されていた。“ドゥアト(ティルムンの土地のエジプト名)”への辿り着き方、そこから“天国への階段”で不滅の惑星への旅の仕方、“生命の植物”を食べること、“若さの水”を飽きるまで飲むことについて記されていた。神官たちは、地球への「神々」の到来について、マルドゥクから教えられた。「金は生命の輝きだ!神々の肉体なのだ!」とマルドゥクは教えた。そして、金を手に入れるために、アブズと“下の領域”に行くことを王たちに指示した。

 王たちが武力によって自分たちのものではない土地を征服した時、マルドゥクは自分の兄弟たちの領域を侵犯し、彼らの怒りを引き起こした。「マルドゥクは何を企んでいるのか。我々を踏みにじる気か?」と兄弟たちはお互い尋ねた。彼らはこの行為をエンキに訴えたが、マルドゥクはエンキの言うことすら聞かなかった。彼は隣接するすべての国を占領するよう、マガン(エジプト)とメルーハ(ナビア:エジプト南の古代王国)の王に指示した。第4の地域(シナイ半島)の宇宙船基地(宇宙港)を占領して支配者となることが、マルドゥクの真の目的だった。「地球を支配するのは私です!」彼は父に断固として譲らずに宣言した。マルドゥクは究極のエゴの塊りであった。

 マルドゥクはエジプト人に“来世で神の国に行き、そこで復活できる”という死生観を植え付けようとし、復活するためには肉体が必要なので、ミイラという 保存方法が開発された。つまり、マルドゥクの言う“死と復活”の問題とは、このようなことであり、イエスに関連するような“死と復活”ではない。

 後に現代社会を支配するグローバル・スタンダード(世界標準)を実現させたブラック・イルミナティは、マルドゥク一派の系統である。まさに、邪悪な蛇である。邪悪な蛇と言えばマムシだが、そのマムシに例えられたイスラエルの支族はダン。つまり、その連中の中核にはダン族がいたということである。通常はレビ族が除外されて十二支族とされているが、ヨハネ黙示録に記されている、救われる十二支族にはレビ族が含まれる代わりに、ダン族が記載されていない。それは、こういう意味であった。

アッカド

 王権がウヌグ・キ(ウルク)からナンナルの都市ウリム(ウル)に移されると、ナンナルと配偶者ニンガルは民に微笑みかけ、彼らは崇拝された。月に縁のある彼は、1年の中に月を定め、それぞれの月に祝祭を制定し、12人の偉大なアヌンナキに捧げられた。そして、第1の地域には、至る所に聖堂や聖所が建てられ、人々は「神々」に直接祈ることができた。国中に豊かさ繁栄がもたらされると同時に、言い争いや侵害行為もあった。彼と配偶者のニンガルは、非常な情け深さで人々を指揮したので、ナンナルは愛情を込めて“父ナンナ”と呼ばれていた。

 イナンナはその間ずっと、“空の船”で国から国へと飛び回っていた。“上の方の海”ではウツと戯れ、イシュクルの領地では彼をドゥドゥ、“最愛の人”と呼んだ。彼女はメソポタミアのチグリス川とユーフラテス川の2つの川の、上流の平野のアッカドに住む人々が気に入った。彼らの言葉を心地良く感じ、その言葉の話し方を学んだ。彼らは彼女のことを、金星を指す“イシュタル”という名で呼んだ。彼らはウヌグ・キをウルク、ウリムをウル、ニブル・キをニップール、イシュクルをアダド、ナンナルをシン、ウツをシャマシュと呼んだ。そして、キ・エンギの土地はシュメールと呼んだ。

 イナンナは相変わらず放浪し、世界中を飛び回って豊穣の女神として崇められた。それと共に広がったのが“聖なる結婚”であった。しかし後に、マルドゥクの改竄によって“神への人間の犠牲”を行うところも出てきてしまうことになる。

 この頃から世界中でイナンナの女神像が作られる。その姿は場所によって変わっているが、それらイナンナの土偶には共通点があり、地域によって共通する部分が異なっている。それは下記のようなものである。

●目が細く、爬虫類のよう。

●肩幅が広い。

●脇の下に空洞がある。

●胸が出ている。もしくは胸を触っている。

●稀に赤子を抱いている。

●おへそが目立つ。

●三角形の下着を着ている。

●下半身が太い。特にお尻回りが太い。

●全部ではないが服装が宇宙服に見えることもある。またデザインセンスが良い。

マルドゥクの独断的宣言

 第1の地域シュメールでは、都市間の持ち回りで王権を担当したが、第2の地域エジプトでは、そのような多様性は認められず、1つの都市だけで統治することをラー(マルドゥク)は望んだ。神の一番上の子、地球における第一子、彼は神官たちにそう知らしめたかった。最古の時代から第一位、彼は賛美歌でそのように歌わせた。永遠の王、永遠を作りし彼、すべての神々を率い並ぶ者の無い者、偉大なる唯一無比の者!

 こうして、マルドゥクはラーとして、あらゆる「神々」の上に自分を君臨させた。彼らの力と属性を、勝手に我が物のように語った。

「私はエンリルとして支配権を持ち、法令を司り、ニヌルタ(アラム・ムル)として鍬(くわ)と戦闘を司る。イシュクルとして稲妻と雷を司り、ナンナルとして夜を照らし、ウツとして昼を照らし、ネルガルとして冥界を統治する。ギビルとして黄金の奥深さを知っており、どこから銅と銀が産出するのか、私が発見した。ニンギシュジッダとして数とその数え方を私は命じ、天は私の栄光を示している!」

 このような宣言に、アヌンナキの指導者たちは動揺した。マルドゥクの兄弟たちはエンキに伝え、ネルガルはニヌルタたちに自分たちの懸念を伝えた。

「お前は一体、何に取り憑かれているのだ?お前の主張は、無法にも程がある!」

とエンキがマルドゥクに言った。

「天が、天が私の覇権を示しているのです!エンリルの星座、“天の牡牛”は彼の子孫によって惨殺された。天では私の時代、“牡羊の時代”がやって来るのです。その前兆に、疑いの余地はありません!」

とマルドゥクは答えた。

 シュメールのエリドゥの住まいでエンキは星座を調べ、1年の始まりである立春の日に、日の出の方角を注意深く観察した。その日、太陽は牡牛座の間に昇って来た。ニブル・キとウリムでエンリルとナンナルが観測し、“下の世界”ではネルガルがその結果を裏付けた。まだエンリルの牡牛の時代で、牡羊の時代はまだ先だった。しかし、マルドゥクは主張を曲げなかった。彼は自分の領地に使者は送らず、息子ナブの力を借りて、人々にラーの時代がやって来ると発表した。

 これに対抗するため、指導者たちは人々に空の観測の仕方を教えるよう、ニンギシュジッダ(トト)に頼んだ。彼は知恵を働かせ、石の建造物を考え出し、ニヌルタとイシュクルが建造を手伝った。それはあちこちに設置され、彼らは人々に空の観測方法を教えた。そうして、太陽がまだ牡牛座の位置にあることを示した。エンキはこれらの成り行きを悲しい気分で見守り、如何にして“宿命”が正当な秩序を捻じ曲げるかに思いを巡らせた。「アヌンナキは自らを神と宣言した後、むしろ、人類からの支援に依存しているのだ!」

 マルドゥクは勝手に自らが最高神であることを宣言した。これが元となって、聖書の唯一絶対神ができた。またイスラム教の唯一神“アッラー”は“ラー”を含むから、マルドゥクということである。1 日に5回も礼拝を強要するのは、如何にもマルドゥクというところである。

ストーンヘンジの建設

 世界各地に存在するストーンヘンジはニンギシュジッダが考案し、ニヌルタ(アラム・ムル)とイシュクルが建造を手伝ったのである。それはマルドゥクに対抗するためであった。

 そしてイギリスのエイヴベリー、ソールズベリー、アヴァロンにストーンヘンジが建設される。ストーンヘンジは太陽崇拝、暦の移り変わりや変革のパワーにおける強力なエネルギーセンターである。ストーンは夏至点の最初の光線を受け取れるように位置が決められていた。これらは癒しの場所であり、儀式を行う場所であった。それぞれのストーンには歌または波動により歴史が記録されている。ストーンヘンジ、ニューグランジェ、エイヴベリー、自然に存在するグラストンベリーのトールの丘やエイヴベリーの裏にあるシルベリーの丘はどれも銀河のエネルギーを大地に固定(アンカリング)するために創造されたものであり、これらはすべて、レイライン上に位置している。

 イギリスのセント・マイケル・レイラインには、多くの教会や遺跡が一直線上に並んでいる。

ストーンヘンジ、宮大工の祖ニンギシュジッダ

 ストーンヘンジに限らず、世界中の巨石遺跡やピラミッドはニンギシュジッダが考案し、ニヌルタとイシュクルが建造を手伝った。それは、マルドゥクがラーとしてあらゆる「神々」の上に自分を君臨させ、彼らの力と属性を、勝手に我が物のように語ったが、まだそのような時代ではないことを人々に知らせるために、空の観測の仕方を教える目的で建造された。

 各「神々」には星座が割り当てられており、エンリルは牡牛座、マルドゥクは牡羊座だったが、マルドゥクが支配権を主張したのは、太陽がまだ牡牛座の位置=エンリルの時代にあることを示していたのである。

 ストーンヘンジ本体は、外側のサーセン・ストーン29個半が月期の日数(29.5日)、内側のブルーストーン19個が太陽年を示している。19太陽年=235月期はメトン周期と呼ばれ、BC432年に特徴的な周期として発見したギリシャの天文学者メトンに因んで名付けられた。19年前と同じ日付に同じ月の相が見られるので、太陽と月の周期を調和させるのに役立った。

 北と南、夏至と冬至、春分・秋分の日の出・日の入り、月の出・月の入りを組み合わせ、象徴的な八芒星が描かれる。この8個の位置が、56個のオーブリー・ホールを取り囲んでいる。オーブリー・ホールは日蝕の予測に使われ、七芒星としてストーンヘンジ本体を取り囲んでいる。構造としては、一見すると石の柱の上に横石が乗っているだけで、地震で崩れてしまいそうである。しかし、木造建築と同じほぞ組の工法が使われており、崩れたりすることは無い。  

 ならば、宮大工に代表される日本の伝統的建築工法の基礎も、ニンギシュジッダが教えたということである。その証拠に、大工の神様として崇められる聖徳太子は、広隆寺でニンギシュジッダの“知恵”の象徴である五芒星として象徴されている。

イタリアのピラミッド

 北イタリアのミラノから40キロほど離れた場所に、モンテヴェッキアという小さな村があり、ここには3つのピラミッドが存在する。現在のピラミッド丘は草や木に覆われているが、3つのピラミッドは、エジプト・ギザの3つのピラミッドとほぼ同じ配置で並んでおり、つまりオリオン座の三ツ星と同じ形で並んでいる。これもニンギシュジッダが作った。

 また、イタリア半島のピラミッドは、ボスニア半島のスロベニア、ギリシャ、ボスニアのピラミッドと並列し、同じエネルギーライン上に配置されている。バルカン半島のラインはゼウスラインと呼ばれ、イタリア半島のラインはパラレルウエストと呼ばれている。

 イタリアのピラミッドの丘は、バルカン半島のゼウスラインと平行に配列し、イタリア半島の形状に沿って、直線上に並列している。そのイタリアの5つの場所で、ピラミッドが建設された。

1.モンテヴェッキア(Montevecchia)、ミラノの40キロ北

2.ポンタッシエーヴェ(Pontassieve)、フィレンツェの14キロ東

3.ピエディルコ(Piediluco)、ローマの100キロ北、テルニ付近

4.サンタ?アガタ?デ?ゴチ(Santa Agata dei Goti)、ナポリの40キロ北東

5.ヴェザーロ(Vesallo)、レッジョエミリア付近

中国の西安のピラミッド

 中国の西安の周辺には複数のピラミッドが存在するが、これもニンギシュジッダによるものである。なかには高さ300メートル以上のピラミッドも存在し、ギザの大ピラミッドに匹敵する大きさ、あるいはそれ以上の巨大ピラミッドである。中には頂上が平らな中南米型のピラミッドもある。現地には「火を吹く籠に乗って地球にやってきた天の子たちが、この地にピラミッドを建造した」という伝説が残っている。

沖縄にある3つのピラミッド

 ニンギシュジッダは日本へもやってきて、沖縄県の北谷(ちゃたん)に、ピラミッド複合施設は南北600m、東西200mという規模で、ほぼエジプトのサッカラのピラミッド複合施設と同じ規模と構造のものを作った。その複合施設の外壁は、長さ100m、高さ10mである。その北谷(ちゃたん)の海底階段ピラミッドは幅40m、高さ10数mある。

 北谷(ちゃたん)のピラミッド複合施設には第2階段ピラミッドもあった。

 また北谷(ちゃたん)のピラミッド複合施設には、長さ20mのニ体の蛇の石像もある。

 沖縄には巨人伝説が多い。沖縄へ来た背の高い人達が、そのような伝説になった。伝統芸能アマンチュは3mの巨人が五穀の種を人々に授ける物語である。伊江島のタッチューというピラミッドの山頂には巨人の力(ちから)タンナッパの足跡が残っている。

  伊江島にもタッチューというピラミッドがあり、伊是名島(いぜなじま)にも高さ100mのピラミッドがある。

 そして、沖縄のピラミッドとエジプトのピラミッドは同じ並びである。これらはオリオン座とも同じである。

 さらに、シーサーはエジプトのスフィンクスがルーツだった。シーサーに限らず世界中のライオン像はエジプトがルーツだった。

オリオン座の配置で並ぶ世界のピラミッド

日本列島に存在した精密な太陽(観測)のレイライン・ネットワーク

 冬至(とうじ)の日没を西南西に望み、東北東に夏至(げし)の日の出を望む地点を結んだ線のことを冬至線と呼び、また夏至の日没地点(西北西)と冬至の日の出地点(東南東)を結ぶ線を夏至線と呼ぶが、奈良県の三輪山(みわやま)はこの冬至線・夏至線のネットワークの中心交点上にぴたりとある。

 この冬至線、夏至線の通る道(線)の上には重要な神社や巨石信仰の拠点が置かれた。冬至線、夏至線の一部を巨石建造物や祭祀場の建設に用いたことは、イングランドのストーンヘンジなどいくらかは見つけられているが、これほどの規模のものは少なくともどこにも見つかっていない。そこには磐座(いわくら)や鏡石(かがみいし)が置かれた。

 太郎坊(たろうぼう)神社の上に立つとすると、三上山(みかみやま)の上に冬至の太陽が沈む。この太郎坊山と三上山を結ぶ空間上の直線がここでいう冬至線である。

 この冬至線と三輪山(みわやま)の三輪神社の磐座(いわくら:三つあるとされるが、中心のものが張り出し台地上にある)との南北距離(経度上の距離)は48.6キロメートルで、この距離は30古代理と呼ぶ距離と完全に一致する。これは縄文中期から存在する特別の距離である。

 奈良県の三輪神社の磐座から太郎坊と三上山の冬至線と平行に冬至線を引くと、畝傍(うねび)山頂、忌部(いんべ)山頂を通る。それも冬至線である。

 三輪山(みわやま)と畝傍山(うねびやま)の冬至線は、畝傍山、耳成山(みみなしやま)、天香具山(あまのかぐやま)といういわゆる大和三山(やまとさんざん)が作り出す二等辺三角形の中線となる。

 この三山の山頂が正確な二等辺三角形を作っており、これが人口造山であることの一つの理由である。その二等辺三角形を畝傍山を頂点とする中線で割ってできた直角三角形は三辺の比が5対12対13の、いわゆる「メソポタミアの聖なる三角形(別の言い方ではピタゴラスの定理)」となっている。そしてその二等辺三角形の中線が東北東に延ばされると三輪山に至るのである。大和三山は人工の山であり、それを造営した技術はニンギシュジッダであった。

 三輪山基点の冬至線と夏至線を全列島に引いてみると、巨石遺跡を残す78ヵ所の交点ができる。そしてこの冬至線、夏至線によって、富士山、白山、鹿島神宮などの重要な信仰施設が結びつけられている。

 三輪山の張り出し台地のその部分は、三輪神社の禰宜(ねぎ:神職の総称)しか入れない聖地で、冬至線に沿って一直線に巨石が配列されている。また北海道を除く本州、四国、九州には全部で78ヵ所の冬至線・夏至線の交点があるが、三輪山以外は禰宜(ねぎ)や神主であっても、人が足を踏み入れないことが前提になっている土地である。

 この交点にはほとんど巨石遺跡または巨石だけがぽつんとある。人口が密になっている現在においてさえ住めない地ばかりである。これらは列島全体をおおう太陽信仰と暦に対する意識があったことを示すもので、その高い技術は現代人をもしのぐ。

 縄文晩期以降は三輪山を基点として、その基点から30里の距離で冬至線、夏至線が引かれ、菱形(ひしがた)という籠目(かごめ)のの模様を地上に織りなすネットワークが作り出されていった。

 そして三輪山と畝傍山の冬至線の30里南に平行する冬至線は、富士山に至っている。冬至線は富士山頂をわずかに北に外れた所を通り、小室浅間神社(こむろせんげんじんじゃ)の上を通る。そしてそこから東南東にある浅間神社からわずかのところが夏至線との交点である。そこも人は足を踏み入れない場所である。

 冬至線と夏至線のネットワークは意識的に作られ、山大日之国彦命の邪馬台国は空間感覚を持って列島を支配下に置いていった。つまり、冬至線や夏至線上には重要な神社などが多数あり、人が集まる場所も多数あるが、30古代里を単位に線を引いた籠目のネットワーク上の交点上には必ず荒地や海や山間の谷や川の洲などがある。

日本の巨石文化とニンギシュジッダ

 現代には、アヌンナキでありシリウス人の親の血を引くニンギシュジッダにより指導された巨石群が数多く残っている。この種のもので日本で最大規模のものは、宮島の弥山(みせん)周辺などで見られる巨石群である。巨石群とはその名の通り巨大で、なかには1500トン前後と見積もられる巨石もある。

 こういった巨石群の存在理由は、パワーセンターとしての利用や、イニシエーション(通過儀礼)の場としての利用などがあり、宇宙からの訪問者もそこで自らの波動を上昇させ、インスピレーションを受け、リフレッシュやヒーリングを行っていた。こういった使用方法は、エジプトのピラミッドでも見られる。ギザの大ピラミッドの目的の1つは、アセンションのために、修行者たちの波動を上昇させる場所とすることだった。

 またパワーセンターは、次元間のベールが最も薄くなっているエネルギーポイントである。こうした場所を将来もわかるように印を付ける方法や、その位置を感知する方法も人間に教えられた。詩歌に節をつけて歌うことやダンスも伝授されたが、これらをそこで演じることで、強力なエネルギーを十分に利用することができる。このエネルギーが過剰なら、特別な石でできたエネルギー貯蔵器に蓄えることもできた。それを異星人達の指導の下で適切な場所に置いたので、異星人や他の多次元的存在は、必要なときにそこからエネルギーを引き出すことができた。 

 今日の地球人たちは、こうした石のエネルギー貯蔵器を、古代の天文台としか見ておらず、ただそれらが日の出や夏至・冬至のような至点や他の惑星などと、入念に合わせて造られていることには気づいてはいる。しかし本来の目的は、天体と地球の両方のエネルギーを限りなく集め、貯蔵することだった。また、使われる石のタイプもとても大事だった。蓄えられたエネルギーを引き出すことで、異星人達は三次元の地球の領域で、強くて活力ある肉体を維持することができた。またそれによって、若い地球人たちも、自分たちの精神的な満足と向上のために、もっと高く精妙な周波数の宇宙エネルギーを利用することができた。

 また、岩に宇宙生命体が乗るUFOが突進して、そのまま亜空間トンネルへ入っていくための入口となっている場合もある。奈良県明日香村にある石舞台古墳もこの時期に作られた。

 九州本土から約60キロ離れた玄界灘の真っ只中に浮かぶ周囲4キロの沖ノ島には、高さ20mを超える巨石などがある。島には掟があり、立入、口外、持出、女人、肉食、漁獲、暴言、焚火となっている。

プレアデス人と日本

  広島県の呉の地は、日本人の遠い祖先がシリウスやプレアデスからやってきたときに、最初に着陸した神聖な場所の一つであり、彼ら龍蛇族の拠点の一つであっ た。その中のプレアデス星人は、地球の大半の古代文明と関わりを持って いたが、中でも日本とは非常に深い繋がりがあった。

 古代のプレアデス星人にとって、特に縁が深い場所の一つが広島県の宮島である。日本三 景の一つで、厳島神社がある安芸の宮島の周辺には、環太平洋縄文文明圏のレムリア文明の大規模な宇宙人の複合都市があった。ある地域は通信基地として、またある地域は人間の 原型の遺伝子実験や教育の場として使われていた。宇宙人の移住地域として使われた所もある。宮島は一大文化交流センターでもあった。

 宇宙人との交流が盛んだった日本は、当時、南米にあった文明とも交流があった。この他、日本には、奈良県の天川、丹後半島の天橋立、宮城県の松島をはじめ とする東北地方など、アヌンナキによって行われた人間の創造・教育計画が行われた場所が数多くある。その中でも宮島周辺は、プレアデスと地球を繋ぐ世界有数の 入口(ゲート)の一つだと言える。

 プレアデス星人の種族の外観は、地球の東洋人と白人の混血によく似ている。彼らの目は、東洋人特有のアーモンド形をしている。プレアデス星人の場合、白人 系の種族であっても、やはり目の形はアーモンド形である。しかし地球人と違う点は、プレアデス星人の方が目が大きいということである。

ニンギシュジッダが作った世界の石積みの共通点

  世界各地にはどのようにして作ったのかわかっていない巨石遺跡が、数多く存在する。多くの場合、巨石を複雑な形状に正確に切り出し、指も入らないほどに隙間なく積みかさねている。ただ四角い石を切り出すのではなく、10角形以上のものも存在し、上下の面にも凹凸をつけ切り出して積み重ねることで、どんな方向にもずれないようになっている。

 大阪城などの場合、 後に人間が作った石積みも見られ、その場合は、石の大きさも小さく、形も不揃いで、隙間も多い。

 大阪城は石山本願寺の跡地に1583年(天正11年)、羽柴秀吉が築城を開始した。顕誓(けんせき)が1568年に書いた史料によると、その時すでに、そのまま礎石(そせき)に使える大きな石が土中に多数揃っていたという不思議な状況があった。そしてそれに因んで、石山と呼称したようになったのであろうとしている。

 つまり石山本願寺建設前には、すでにニンギシュジッダによる巨石がそこにあったのである。

 下記の地図からもわかるように、ニンギシュジッダと、それを手伝ったニヌルタとイシュクルは世界中に現れて、石の神殿を築いていった。