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大洪水後のシュメール文明 ⑦

2022.11.11 06:52

http://blog.livedoor.jp/melody87/archives/2525857.html 【第10章 大洪水後のシュメール文明】より

シヴァと牛頭天王(ごずてんのう)

 シヴァは、仏教では6つの天界を支配する魔王マヘーシュヴァラ(摩醯首羅)となり、意訳して大自在天(だいじざいてん)である。6つの天界とは四天王衆(してんのうしゅ)天、三十三天(さんじゅうさんてん)、夜摩(やま)天、兜率(とそつ)天、楽変化(らくへんげ)天、他化(たけ)自在天であり、大自在天(だいじざいてん)は他化(たけ)自在天を支配する。それ故、他化自在天魔王とか第六天魔王とも呼ばれ、これが仏教最大の大魔王であり、大魔王とは暗黒の側面である。鬼門は鬼の住む方角で、この方角を守護する天部が伊舎那天(いしゃなてん)であり、その別名が摩醯首羅(まけいしゅら)でシヴァのことである。よって、鬼の原型はシヴァでもある。

ヒンズー教で牛を食べないのは、牛は神の化身だからである。その原型はシヴァの乗り物“聖なる牛ナンディン”で、天界の聖なる牝牛(めうし)スラビと聖仙カシュヤパの間に生まれた牡牛で、“幸福なる者”の意味である。シヴァとナンディンを重ねて描いた絵も多く、そのため、ナンディンはシヴァの化身と見なされることもある。

 また、シヴァの暗黒の化身バイラヴァは、顔は水牛で体は人間であるため、牛頭天王(ゴズテンノウ)とも言われる。

このように、インドでは牛は神だが、ヘブライでは偶像崇拝の対象だったのは金の仔牛アモンであり、偶像崇拝の神とされていたバアルも牡牛の姿をしている。そのため、シヴァに光の側面と暗黒の側面があるように、牛にも両方の意味が隠されている。

日本で牛に喩えられる神は、スサノオである。スサノオは牛頭天王(ごずてんのう)とも言われるので、シヴァが原型である。スサノオは英雄神として祀られているが、高天原で暴れたことが原因で、天照大神が岩戸に籠もったことから、シヴァのような暗黒の側面がある。

 一説には、中国で有名な神農の発音は“スサ”と言い、神農も牛頭人身だから牛頭天王である。仏教では、牛頭天王は祇園精舎の守護神であり、疫病をもたらす武塔(ブトウ)神とも呼ばれており、これも光の側面と暗黒の側面を併せ持つ。神農=炎帝は後に西遊記に取り込まれ、火炎山に住む牛魔王とされてしまった。

つまり、流れ的にはシヴァ→牛頭天王→武塔神→神農→スサノオとなる。あるいは、イラン高原南西部に建国したエラム人の国には、スサという都市があった。エラム人はシュメールの地に浸入し、都市間の勢力争いに加わった。そのスサの守護神はインシュウシナクと言い、後に冥界神となった。スサノオは根の国=冥界に下ったので、冥界神と見なすことができるから、スサは“エラムのスサ”由来でもある。

 なお、釈迦の正式名ガウタマ・シッダールタのガウタマは“最上なる牛”を、シッダールタは“目的(実利)を成就せる者”の意味なので、釈迦も牛に関係している。

 つまり鬼の原型がシヴァで、鬼門を守り、シヴァは虎の皮をまとい、ここでは牛の要素も加えられたので、鬼門は牛と虎が合わさって、丑寅(うしとら)=艮(うしとら)と言う。鬼門とは北東(艮=うしとら:丑と寅の間)の方位のことである。

 京都御所の築地塀が鬼門、北東方位を凹ませてあることから、御所が鬼門を恐れ避けている、鬼門を除けていると考えられ、それから鬼門を避ける鬼門除けの手法とされてきた。

また熊野大社の宮司家は九鬼(くかみ:本来は「鬼」の上の点が無い)氏だが、「鬼」という字の上の点を取って「かみ」と読ませている。つまり「鬼」とは元々神のことで、その「鬼」という字の上の点が、鬼の角を表している。鬼の角は牛の角である。虎の皮をまとい、金棒(かなぼう)を持っている。金棒ではないが、棒を持っているという点では、ヴィシュヌの棍棒(こんぼう)と同じで、ヴィシュヌもイナンナが原型である。つまり鬼は本来神で、牛の角と虎の皮、そして金棒で牛虎金神、ウシトラノコンジン(艮金神)となる。

鬼門に押し込められた鬼とは、ウシトラノコンジンのことである。つまり日月神示で言われているウシトラノコンジン=国常立神(くにのとこたちのかみ)というのは、シヴァことイナンナである。その上、シヴァがスサノオということは、スサノオの原型はイナンナである。

 シヴァは殺戮など暗黒の側面があるが、それはまさしくマルドゥクの行為に怒り心頭に発したイナンナそのものである。そして、スサノオも高天原で乱暴を働いて、追放された。バビロンで、マルドゥクによってイナンナが消された出来事である。つまり日本の本来の最高神はスサノオことイナンナということである。

 スサノオにわざわざ牛頭天王(ごずてんのう)が充てられ“てんのう”と読ませたということは、古代の大王家の最高神がスサノオだったという暗示である。それにスサノオには蘇民将来(そみんしょうらい:日本各地に伝わる民間信仰)の逸話がある。“将来蘇る民”とは、封印されたウシトラノコンジンことスサノオを最高神として祀る一族が、将来封印が解かれて蘇るということである。その“蘇り=黄泉帰り”の根源はイナンナである。それに、日月神示では封じ込められたウシトラノコンジンは国常立神(くにのとこたちのかみ)とされた。出口王仁三郎がスサノオの格好をしていたのも、満更ではなかった。また伊勢神宮の外宮(げくう)の神官の一族、豊穣神・豊受大神を祀る度会氏(わたらいうじ)の中には、出口姓の者がいる。

その他の神々

 ヴェーダの記述に用いられた古代サンスクリット語は、ゾロアスター教の聖典アヴェスターやアケメネス朝ペルシャの楔形文字碑文に残る古代イラン語に極めて近く、神々の名称や祭式の用語においても、多くの類似点が見られる。

 また、古代オリエント(中東地域)における他地域の文献にも、ヴェーダの神々の名が見られるので、ヴェーダの神々はインド系アーリア人固有のものばかりではなく、インド・ヨーロッパ語族の中で東方に移動したアーリア人に共通のものが多い。

ヴェーダの神々の多くは、自然界の事象を基に神格化されたもので、天神ディヤウス(=デウス=ゼウス)、太陽神スーリヤ、暁の女神ウシャスは天界に、雷神インドラ、風神ヴァーユ、暴風神ルドラ、雨神バルジャニヤは空界に、火神アグニ、酒神ソーマは地界に住む。

 雷神インドラはヴェーダにおける英雄神で軍神であり、仏教の帝釈天(たいしゃくてん)。軍神ニヌルタとイシュクルが原型。

火神アグニはラテン語"ignis"やイラン語の“火”とも語源を同じくする。アグニは天にあって太陽として輝き、空において稲妻として煌めき、地上では祭壇の聖火として燃え、人の中にも怒りの火、思想の火などとして存在する。

 スーリヤは太陽神、ヴァルナはイエスの原型でもあるミトラ=ミトラス=マイトレーヤと同様の契約の神。

ヴェーダ以前の土着神には、遺伝子の二重螺旋とニンギシュジッダを暗示する創造神ナーガ(男神)とナーギ(女神)、後にサナト・クマーラとされたクベーラ(毘沙門天"びしゃもんてん")、リグ・ヴェーダでは太陽神の子とされていたが支那風にアレンジされて日本では閻魔大王となったヤマなどがある。

 これらの起源はすべてシュメールの神々である。特に、火神アグニはペルシャのゾロアスター教の主神とされ、火の鳥フェニックスのイナンナを連想させる。ペルシャもイナンナが主神である。

聖仙リシ

 聖仙リシとは、ヒンズー教の仙人のことで、漢訳では仙人とも言われる。元は、ヴェーダに描かれた神の天啓に携わった詩人で、言わば預言者である。それが、世間から隔絶され、外見は宗教浮浪者と区別できないことから、後に宗教的悟りに達した修行者のように変化してしまった。つまり、聖仙リシとは「生命の樹」の奥義を知り尽くした者であり、マスコミなどに登場する自称聖仙は偽物である。また、一般的な仙人のイメージも誤りである。

 有名な聖仙としては七聖仙がいる。「シャタパタ・ブラーフマナ」の七聖仙はゴータマ、バラドヴァージャ、ヴィシュヴァーミトラ、ジャマド・アグニ、ヴァシシュタ、カシュヤパ、アトリである。「マハーバーラタ」では、マリーチ、アトリ、アンギラス、プラハ、クラトゥ、プラスティァ、ヴァシシュタである。「ヴァーユ・プラーナ」では、更にブリグを加えて八聖仙とする。

 現在も聖仙は実在し、不浄の地とされ、浮浪者がたむろするガンジス川東岸に住んでいる。本来、太陽が照らす南側から見て向かって右=東が重要なのだが、インダス・カバラでは逆なので、太陽が照らす南側から見て向かって右=東が穢(けが)れた側となる。そのため、聖なるガンジスの東岸に浮浪者がたむろしており、世間から隔絶されている。世間から隔絶されていれば、奥義を守るのに最適である。

 聖仙は基本的に12人で構成され、全員で1人の聖仙を構成する。これは、3人の大烏(おおがらす)で金鵄(きんし)を構成するのと同じで、日本に於ける八咫烏に相当する。インドやそれ以外にも日本の八咫烏に相当する組織がある。

タントリズム

 タントラでは、すべてのものは特定の周波数を有する振動音と見なす。それを視覚的に表したものがヤントラ=曼陀羅(まんだら)であり、宇宙あるいは神を象徴する。曼陀羅(まんだら)は三神三界を表した「生命の樹」の象徴である。そして、聴覚的なものがマントラ=真言(しんごん)である。

ヤントラ、マントラは永遠なるもの=宇宙創造の意識と一体となる秘術である。しかし、本来タントラの説く梵我一如(ぼんがいちにょ)は難解であるため、タントラではシヴァ神(男性原理)と神妃シャクティ(パールヴァティー、女性原理)の性的合一による宇宙創世が説かれた。そのため、解脱への実践として、女神及び女性器崇拝、性行為、飲酒、肉食などが織り込まれた。これは、正統バラモン教からは断じて認められるものではなかったが、タントラのこのような呪術性に、一般大衆は惹きつけられた。

タントラとは本来、宇宙の真理を人体の神秘から知ろうとする、インドに於ける密教思想のことである。一般大衆に開かれた教えは顕教(けんぎょう)であり、一部の者を対象とした秘密の教えが密教である。タントラの実践者をタントリーカと言う。

 リシが保持してきたタントラは、チベット密教やヒンズー教のタントラよりも古く、インダス文明からの口頭伝承による本来のタントラ=原始タントラである。

このタントラは人体に喩えられるため、誤って解釈すると、ダルマを踏み外して無意味な肉体修行を行ったり、カーマに堕ちる。ダルマとはタントラの奥義を求めて神に近づくことであり、カーマとは男女の性愛である。

 「生命の樹」に右と左があるように、タントラにも右道(うどう)と左道(さどう)がある。右道タントラはダクシナカラと言い、徹底的に禁欲を説く。深い瞑想を主体に梵我一如(ぼんがいちにょ)を目指すハタ・ヨーガは、ダクシナカラが基である。

しかし、本来の解釈が成されていないため、肉体改造を基本とした神秘思想となっている。梵我一如(ぼんがいちにょ)、神人合一(しんじんごういつ)を達成することにより不死の体が得られ、思い通りに肉体を消したり現れたりすることができ、透視や予知も可能になると信じる。つまり、仙人である。

 ハタ・ヨーガは強制的な肉体改造により、これを達成しようとする(悟りを開こうとする)が、非常に危険な行為である。このような肉体改造は神経を麻痺させ、幻覚を生む。やっている本人は、現実との区別が付かないため、恐怖のカーリーに会った後、シヴァに会うことができた、などという幻覚を信じてしまう。それは単に、本人の記憶がそのような光景を見させているに過ぎない。これは、例えば臨死体験者の経験談で、仏教徒は三途の川を見て、キリスト教徒は天使の集まりを見るのと同じことである。

 ある者は、手っ取り早く幻覚を生じさせるために、幻覚剤を使用する。神の酒ソーマは、毒キノコであるベニテングダケから抽出したものである。幻覚剤を使ってお告げをしたりする口寄せやシャーマンなどは、如何にも愚かな連中である。

 左道タントラはヴァーマカラと言い、性愛を徹底的に追及する快楽主義である。カーマは性愛指南書「カーマ・スートラ」として有名であり、多くの者たちが左道に堕ちた。カーマ最大のものがカジュラホ寺院の一面に彫られているエロティックな男女交歓像であり、神殿売春が主体だった寺院である。

リシはハタ・ヨーガを容認こそすれ、自らがヨーガを行うことはない。タントラの原理は、下から地・水・火・風・空の五大元素から積み上げられた世界観に基づき、人間の11器官がそれに対応する。11器官とは、5行為器官としての発声器官、手、足、排泄器官、生殖器と、5知覚器官としての耳、皮膚、目、舌、鼻プラス隠された思考器官マナスである。つまり、五大元素とは「生命の樹」を人体化して表現したアダム・カドモンに於ける五体満足を暗示し、隠されたダアトを含めた11個のセフィロトを象徴している。

タントラは哲学として大きく6つに分類され、インド六派哲学となった。サーンキヤ、ヨーガ、ミーマーンサー、ヴェーダーンタ、ヴァイシェーシカ、ニヤーヤ哲学である。

・サーンキヤ:この世を精神と物質の二元論で捉える。この2つの相克(そうこく)により人間は苦悩する。それ故、解脱のためには、精神と物質がまったく別のものであることを自覚する必要があると説く。

・ヨーガ:サーンキヤ哲学の中心に神を据えた。自我の欲望を滅し、宇宙と一体となる実践的システムを作り上げた。

・ミーマーンサー:祭祀儀礼の解釈。

・ヴェーダーンタ:ヴェーダを重視し、ウパニシャッド哲学の解釈を推進。

・ヴァイシェーシカ:自然哲学。

・ニヤーヤ:論理学。

 原始タントラの直系とも言えるのが、サーンキヤ哲学とヨーガ哲学である。サーンキヤ哲学に於ける精神と物質は世界を生み出す原理であるが故に、精神原理(プルシャ)、物質原理(プラクリティ)と言う。プルシャは絶対神のことではなく、霊我とも言われるように、あくまでも個人的な自我の上にある存在のことである。陰陽で表すならば、プルシャが陽、プラクリティが陰であり、プルシャは上向きの三角形、プラクリティは下向きの三角形で象徴される。

 難しそうな話だが、簡単に言えばインダスのカバラは左道に堕ちやすい、ということで、これは創造神イナンナが性愛に溺れたからである。そして、イナンナはインダスを疎かにしたので、文明が十分に花開かなかった。つまり、知識が十分ではなく、誤解を生じやすかった。

ヨーガ

 ヨーガ哲学とは、サーンキヤ哲学の中心に神を据え、自我の欲望を滅し、宇宙と一体となる実践的システムである。ヨーガの基本は、神話などにしばしば登場する“修行、苦行”である。この実践方法については大きく2つの流れがあり、1つは顕教としてのラージャ・ヨーガ(王者のヨーガ)であり、もう1つは密教としてのハタ・ヨーガである。

 前者は、ひたすら欲望を無くすことを主眼とし、欲望から解脱することで悟りを開く。このヨーガの実践者をヨギンと言い、マントラを唱えながら実践する。釈迦が行っていたのは、このヨーガである。ラージャ・ヨーガの経典とも言うべきヨーガ・スートラ(スートラ:教典)には八支ヨーガと言われる修行の8つの階梯”かいてい”(禁戒、歓戒、坐法、調息、制感、凝念、静廬、三昧)が記されている。消極的な修道の概念であるニローダ(“積極的に鎮め封じること”の意から、心の動きを抑止すること)を標榜(ひょうぼう)し、哲学的追求に重きを置いた形而上学的修道論である。

 これに対して、ハタ・ヨーガはサーンキヤ哲学に基づき、俗的な属性であるプラクリティの否定によって聖なるプルシャとの合一を目指す。そのため、ラージャ・ヨーガのような階梯(かいてい)を踏まえず、一気に三昧(ざんまい)に至る方法である。ラージャ・ヨーガよって顕現したパワーを使い、俗的な世界を積極的に聖化させ、神々との合一を図る。このようなハタ・ヨーガは神秘思想とも言うべきものであり、仙人の概念へと発展し、道教、密教、禅の根源となった。ヨーガでも師のことを導師(グル)と言う。

 タントラでは、実際の身体に対して“微細身体”と呼ばれる存在を想定する。これは、肉眼では見えず、触れることもできない。しかし、肉体と同じ形、大きさであるとされる。微細身体には、脊椎に沿って7つの霊的中枢があると考える。この霊的中枢をチャクラと言う。チャクラとは“輪”という意味で、ヨーガを極めし者には、霊的中枢が円形に見えるらしいことから、このように言われる。(ヴィシュヌが持っている円盤もチャクラである。)

 また、微細身体は大宇宙に対する小宇宙を象徴する。チャクラとは、人体を小宇宙に見立てた場合、人体の中心を貫く7つの中枢のことでもある。

①サハスラーラ(頭頂)

②アジナ(眉間)

③ビシュター(喉)

④アナハタ(心臓)

⑤マニピューラ(臍”へそ”)

⑥スワディーナ(丹田”たんでん”)

⑦ムラダーラ(会陰”えいん”)

 チャクラは「生命の樹」を人体化したアダム・カドモンと対応し、背骨に沿うセフィロトだけでなく、左右のセフィロトを中心に合わせた7段階を示す。「生命の樹」に於ける慈悲の柱は陽、峻厳(しゅんげん)の柱は陰で、均衡の柱は両者が一体となった太極を表す。それ故、慈悲の柱、峻厳(しゅんげん)の柱にある同じ高さのセフィロトは、均衡の柱に於いて1つに統一することができる。

①ケテル:頭頂

②ビナー・コクマー:左右脳

③ダアト:喉

④ゲブラー・ケセド:心臓、右心房・右心室、左心房・左心室

⑤ティファレト:太陽神経叢(しんけいそう)

⑥ホド・ネツァク:両足

⑦イエソド:会陰(えいん)

 マルクトは足の裏のツボ“湧泉(ゆうせん)”として隠されており、脊椎(せきつい)には関与していない。また、アダム・カドモンの頭部も示しており、顔のカバラも構成する。マルクトは喉として、顔の外にある。

①ケテル:頭頂部

②ビナー・コクマー:両目

③ダアト:第3の目

④ゲブラー・ケセド:両耳

⑤ティファレト:鼻柱

⑥ホド・ネツァク:両鼻孔

⑦イエソド:口

 頭頂サハスラーラ以外のチャクラはマハットと五大にも対応している。サハスラーラは頭頂部から少々浮いた箇所に存在するので、微細身体に於ける実質的な最上部のチャクラはアジナである。

ムラダーラ:地・四角形

スワディーナ:水・三日月

マニピューラ:火・逆三角形

アナハタ:風・六芒星

ビシュター:空・円形

アジナ:マハット

サハスラーラ:無し

 7つのチャクラに大宇宙から絶対的エネルギーであるプラーナが降りると、チャクラの門が次々と開いて覚醒する。すると、ムラダーラ・チャクラで眠っていた生命の根源エネルギーが覚醒し、大宇宙の真理と一体化するために脊椎(せきつい)を上昇する。そのエネルギーをクンダリーニと言い、3回転半のとぐろを巻く神蛇で象徴される。

 現在流布しているヨーガでは、次のように解釈されている。まず、呼吸を整えることにより、空間に充満している特殊な宇宙エネルギー“プラーナ”を取り入れる。これは“気”“オーラ”などとも言われる。

 そして、ヨーガの独特なポーズにより会陰部(えいんぶ)を刺激し、ムラダーラのクンダリーニを活性化させる。クンダリーニにはとぐろを巻いた蛇がいることをイメージし、そのとぐろを解きほぐすように、意識によってクンダリーニを脊椎に沿って上昇させる。上昇は熱さや振動として感じられる。上昇できるまでは、精液を漏らしてはならない。最終的には、頭頂のサハスラーラまで上昇させる。クンダリーニは神妃シャクティ、サハスラーラはシヴァであり、両者の神秘的な結婚により梵我一如(ぼんがいちにょ)を達成する。サハスラーラまで上昇したクンダリーニは、体の正中を通してムラダーラまで戻し、クンダリーニを体内で循環させる。これを大周天(だいしゅうてん)と言い、これを達成できれば超人(リシ、仙人)となる。

 つまり、ヨーガにより体を柔軟にし、体内の霊的エネルギーの流れを良くすることにより、締め付けられているチャクラが開くようになる。そして、クンダリーニとプラーナが体中に行き渡ることにより、超人になれると考える。カーマでは、クンダリーニの活性化のために、性愛を利用する。男女が共に行うことにより、シャクティとシヴァの完全なる合一を達成できると考える。

 また、プラーナの通り道を気道(ナーディー)と言う。ナーディーは血管や神経のように張り巡らされ、72,000にも達するという。その中で最も重要なのは3本ある。脊椎を貫くスシュムナーを中心に、体の右半身から脊椎に絡みつくピンガラ(太陽のナーディー)と左半身から絡みつくイーダ(月のナーディー)であり、太陽と月に象徴されるように、右が陽、左が陰である。

 左右のナーディーは、アジナ・チャクラから伸びている。これは、人体としては脊椎を中心とした中枢神経と自律神経を示しているが、アダム・カドモンを正面に向けた時の、三柱の位置に相当する。そして、3本のナーディーの交差点にチャクラが存在し、「生命の樹」に於ける三柱が1本に統合された時のセフィロトの状態を示している。

 人体の中心を貫く7つの中枢チャクラは、“イナンナの冥界下り”に於ける「生命の樹」の7段階のことである。プラーナとは「生命の樹」に降下する“雷の閃光”の象徴で、頭頂部から順にセフィロトのシンボルであるチャクラを降下し、ムラダーラに達する。そこから、今度は上昇する。上昇する神蛇は3回転半のとぐろを巻いているので、「生命の樹」に絡まる蛇である。

 つまり、チャクラはあくまでも大宇宙の真理を人体に例えたものであって、大宇宙の真理と一体化するためには、「生命の樹」の奥義を知る必要がある。決して、肉体の修行や性愛に溺れることを言うのではない。そして、人体のすべてが「生命の樹」で成り立っていることを象徴している。あるいは逆に、人体の構造が大宇宙に通じる構造なので、神界に通じる奥義を「生命の樹」として象徴したとも言える。

 チャクラにはいろいろな形があり、チャクラは3本のナーディーの交差点にあるので、締め付けられた状態になっている。それがヨーガによってチャクラが覚醒すると、開花した蓮華として象徴される。各チャクラの蓮華の花弁の数と色は、例えばサハスラーラは1,000枚で光、アジナは2枚で白、ビシュターは16枚で薄紫などとなっている。込められた意味は様々で、いろいろな解釈がある。

 例えば、皇室の十六弁八重表菊紋を連想させるビシュターの色は薄紫で、紫は古代、どこの国でも最も高貴な色とされた。そして、微細身体にマルクト(足下)を加えると立ち上がった時の完全な人体となり、中心には全部で8個のチャクラがある。男女それぞれ8個で、陰陽の合一で16となる。また、エジプトの十六弁の蓮を持ってくれば、それは“復活、再生”を象徴する。陰陽の合一という点では、六芒星が究極と言える。よって、真の解脱者は肉体的修行を行わず、性愛に溺れず、薬物も使用しない、「生命の樹」の奥義を知る賢者のことである。

マントラ

 サーンキヤ哲学に依ると、世界の創造はプラクリティの動揺(振動)から始まる。プラクリティが振動して均衡を崩すと、その波紋は宇宙へ浸透し、能動的な現象世界が始まる。プラクリティの振動を音によって表現したものをマントラと言う。

 マントラは聖なる音声で、宇宙の根源的な力であるシャクティが宿っている。シャクティは女性原理に基づいているため、神妃を崇拝する呪文として説明されることもある。マントラの中のマントラ、聖なる音“オウム”は宇宙の根源的な音であり、この音から、絶対神をはじめとする森羅万象が生じたという。これをアルファベットで記すと"AUM"であり、阿吽(あ・ん、アーメン、アルファとオメガ、大神アヌ)に相当するが、実在の本質“サット・チット・アナンダ”が隠されている。これは、それぞれ“真の実在・純粋意識・無上の歓喜”という意味で、瞑想に於ける究極の目的とされる。それ故、"AUM"はトリムルティを表しているとも考えられている。

A:ブラフマー、U:ヴィシュヌ、M:シヴァ。

 つまり、"AUM"とは音で表現された「生命の樹」で、宇宙の創造・維持・破壊を表す究極のマントラ(真言)である。神々にはそれぞれマントラがあり、シヴァのマントラはフリーム、カーリーはクリームなどと言う。特に、チベット密教に於ける神々は“オウム・○○”となっているものが多い。例えば、阿弥陀如来はオウム・アミタプラバ・スヴァーハー、観自在菩薩はオウム・サマンタブッダーナーム・サハである。ちなみに釈迦は、サルヴァクレーシャニシューダナ・サルヴァダルマヴァシィタープラターパガガナサマーサマ・スヴァーハーで、“オウム”は含まれない。チベット密教はサンスクリット語だが、サンスクリット語の呪文そのものがマントラである。その音(おん)を漢字で音写したのがお経であり、代表的なものが般若心経(はんにゃしんぎょう)である。

 仏教に於ける最も重要なマントラは“オウム・マニ・パドメ・フウム”で、“全知全能の神、宝石が蓮華の中にあり=「生命の樹」の中に真理あり”という意味である。

 マントラで重要なのは意味ではなく音声と見なされているため、お経などは意味を知られずに唱えられている。解らなくても唱えることに意義がある、というのは、そういうことである。

 マントラは音という最も単純明快な波動なので、創造のエネルギーとも共鳴する。単に言葉の意味だけなら、他の言葉に置き換えても良い。しかし、マントラはその1つ1つの言葉に意味があるのは勿論、唱えた時の音が最も重要である。よって考えに考え抜かれて創られている。

 日本の仏教では、どんな宗派であろうと大抵、般若心経を唱える。神道大祓(おおはらえ)全集の最後にも掲載されている。つまり神道が仏教と習合できたのは本質に於いて同じで、仏教の神髄は隠された教え、密教にある。ユダヤ教の隠された教えがユダヤ神秘主義カバラにあるのと同じである。その密教を大切に護持してきたのがチベットだが、それを支那(中国)経由で日本に持ってきたのが空海である。よって空海が開いた高野山の真言密教こそ、仏教の神髄と言える。

 その真言密教で最も重要なのは般若心経で、仏像では十一面観音となる。十一は「生命の樹」の隠されたセフィラ「ダアト」も含めたセフィロトの数である。十一面観音は木像なので「生命の樹」の奥義そのものである。その隠された知恵ダアトは、十一面観音の裏にある笑った顔である。その観音像に水を掛ければ、「生命の樹」に「生命の水」を掛けることになる。それは東大寺のお水取りである。僧侶がお香水という聖水を取り、十一面観音に懺悔するということは、「生命の樹」に「生命の水」を掛けることで、イナンナの“復活”の場面が起源である。

 そのお香水は若狭(わかさ)の遠敷(おにゅう)川から送られてきているとされるが、“にゅう”は“丹生(にゅう)”で不老不死の妙薬とされた硫化水銀を暗示する。これは水銀朱(すいぎんしゅ)とも言われ、神社の鳥居などの赤い色は元々はこの色だが、不死鳥フェニックスをも暗示する。そして、“若狭”は“永遠の若さ”をも連想させる。

般若心経

 般若心経のサンスクリット語での解釈は、次のようになる。

仏説摩訶般若波羅蜜多心経

ブッセツマーカーハンニャーハーラーミーターシーンギョウ

“仏(釈迦)が説いた偉大なる般若波羅蜜多の教え”

観自在菩薩、行深般若波羅蜜多時、

カンジーザイボーサー、ギョウジンハンニャーハーラーミータージー、

(観自在菩薩、深般若波羅蜜多を行ぜし時、)

“観自在菩薩が、深遠な般若波羅蜜多の修行を実践している時、”

照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子、

ショウケンゴーウンカイクウ、ドーイッサイクーヤク。シャーリーシー、

(五蘊”ごうん”は皆空なりと照見して、一切の苦厄”くやく”を度せり。舎利子よ、)

“五蘊あり、しかも、それらは自性空であると見極めた。シャーリプトラよ、”

色不異空、空不異色、色即是空、空即是色、

シキフーイークウ、クウフーイーシキ、シキソクゼークウ、クウソクゼーシキ、

(色は空に異ならず、空は色に異ならず、色即ちこれ空、空即ちこれ色なり、)

“ここに於いて色は空性であり、空性は色である。色とは別に空性は無く、空性とは別に色は無い。色なるものこそが空性であり、空性なるものこそが色である。”

受想行識、亦復如是。舎利子、

ジューソウギョウシキ、ヤクブーニョーゼー。シャーリーシー、

(受想行識も、またかくのごとし。舎利子よ、)

“受、想、行、識についても、まったく同様である。シャーリプトラよ、”

是諸法空想、不生不滅、不垢不浄、不増不減。

ゼーショーホウクウソウ、フーショウフーメツ、フークーフージョウ、フーゾウフーゲン。

(この諸法は空相なり、不生にして不滅、不垢にして不浄、不増にして不減なり。)

“存在するものはすべて空性を特徴としていて、生じたというものでなく、滅したというものでなく、穢れたものでなく、穢れを離れたものでもなく、足りなくなることなく、満たされることも無い。”

是故空中、無色無受想行識、無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法、無限界乃至無意識界、

ゼーコークウヂュウ、ムーシキムージューソウギョウシキ、ムーゲンニービーゼツシンニー、ムーシキショウコウミーソクホウ、ムーゲンカイナイシームーイーシキカイ、

(この故に空性の中に、色は無く受想行識無く、眼耳鼻舌身意無く、色声香味触法無く、限界無く、ないし意識界無く、)

“これ故に、空性に於いては、色は無く、受・想・行・識無く、眼耳鼻舌身意無く、色声香味触法も無い。限界から意識界に至るまで、ことごとく無い。”

無無明亦無無明尽、乃至、無老死亦無老死尽、無苦集滅道、無知、亦無得。

ムームーミョウヤクムームーミョウジン、ナイシー、ムーロウシーヤクムーロウシージン、ムークージュウメツドウ、ムーチー、ヤクムートク。

(無明無く、また無明の尽くること無く、ないし、老死無く、また老死の尽くること無く、苦集滅道無く、知無く、また得も無し。)

“明知無く、無明無く、明知の滅無く、無明の滅も無い。老死無く、老死の滅も無い。苦・集・滅・道無く、知ることも無く、得ということも無い。”

以無所得故、菩提薩?、依般若波羅蜜多故、

イームーショートッコー、ボーダイサッター、エーハンニャーハーラーミーターコー、

(得る所無きをもっての故に、菩提薩?は、般若波羅蜜多に依るが故に、)

“これ故に、ここには如何なるものも無いから、菩薩は般若波羅蜜多を拠り所として、”

心無?礙、無?礙故、無有恐怖、遠離一切?倒夢想、究竟涅槃。

シンムーケーゲー、ムーケーゲーコー、ムーウークーフー、オンリーイッサイテンドウムーソウ、クーギョウネーハン。

(心に?礙(けいげ)無し、?礙無きが故に、恐怖あること無し、一切の?倒夢想を遠離して、涅槃を究竟せり。)

“心の妨げなく安住している。心の妨げが無いので、恐れが無く、無いものをあると考えるような見方を超越していて、まったく開放された境地でいる。”

三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。

サンゼーショーブツ、エーハンニャーハーラーミーターコー、トクアーノクターラーサンミャクサンボーダイ。

(三世の諸仏は、般若波羅蜜多に依るが故に、阿耨多羅三藐三菩提を得たまえり。)

“過去・現在・未来の三世に出現するすべての仏は、般若波羅蜜多を拠り所として、無上の完全な悟りを成就している。”

故知、般若波羅蜜多、是大神咒、是大明咒、是無上咒、是無等等咒、

コーチー、ハンニャーハーラーミーター、ゼーダイジンシュー、ゼーダイミョウシュー、ゼームージョウシュー、ゼームートウドウシュー、

(故に知るべし、般若波羅蜜多は、これ大神咒(だいじんしゅ)なり、これ大明(だいみょう)咒なり、これ無上咒なり、これ無等等(むとうどう)咒なり、)

“それ故に、知るべきである。般若波羅蜜多の大いなるマントラ、大いなる明知のマントラ、この上ないマントラ、比類なきマントラは、”

能除一切苦、真実不虚故、説般若波羅蜜多咒。即説咒曰。

ノウジョーイッサイクー、シンジツプーコーコー、セツハンニャーハーラーミーターシュー。ソクセツシューワツ。

(よく一切の苦を除き、真実なり、虚しからざる故に、般若波羅蜜多の咒を説く。即ち、咒を説いて曰わく。)

“すべての苦を鎮めるものであり、偽りが無いから、真実である。般若波羅蜜多の修行で唱えるマントラは、次の通りである。”

掲諦、掲諦、波羅掲諦、波羅僧掲諦、菩提、娑婆賀。

ギャーテイ、ギャーテイ、ハーラーギャーテイ、ハラソウギャーテイ、ボーディ、ソワカー。

“ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ、スヴァーハー。”

般若心経。

ハンニャーシンギョウ。

“以上で、般若波羅蜜多のマントラ、提示し終わる。”

 般若心経の世界最古のサンスクリット写本が残っていたのは、法隆寺であった。そこは秦氏の本拠地の1つで、さらに聖徳太子はイエスをモデルとしている。つまり「生命の樹」はイナンナが掛けられた木が原型だが、イエスが掛けられた十字架も重ねられている。

 般若心経の解説を一言で言えば“完全なる知恵に到達するためのマントラ”で、「生命の樹」の奥義を知るということである。従来の固定観念に縛られることなく、無我を認識することにより(照見五蘊皆空)心に妨げが無い状態(心無?礙)となり、「生命の樹」を上昇していく(遠離)ことができる。そして知恵を得て超越したものの見方ができるようになり(究竟涅槃)、神界の真理(阿耨多羅三藐三菩提)に至る。

 瞑想の際に唱えるマントラは、“ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ、スヴァーハー”である。これは“知恵という完成”を讃えるマントラである。“知恵という完成”とは、一般的な知恵を超越して、「生命の樹」に隠された真理を知ることに他ならない。”

 よって般若心経は観自在菩薩が弟子のシャーリプトラに説いている情景描写だが、“観自在”とは“達観して物事を観ることができる”“すべてを見通す目”の象徴である。

 釈迦は16歳で結婚して妃ヤショーダラーとの間にラーフラをもうけたが、人生に疑問を抱き、29歳で一切を捨てて出家した。釈迦は断食などの苦行を行っていたが、苦行が無意味であることを悟り、村娘スジャータの捧げる牛乳粥(かゆ)で体力を回復した後、ブッダガヤにあるアシュヴァッタ樹(インド菩提樹)の下で瞑想した。そして夜明け近く、“明けの明星”が輝く頃、35歳でついに悟りを開いた。

 人生の最後は、クシナガラ郊外で迎えた。そこには、東西南北に2本ずつのシャーラ(沙羅樹)が生えていたので、この木を沙羅双樹(さらそうじゅ)と呼ぶようになった。シャーラとは、優れた木、堅固な木の意味で、沙羅はそれを音写したもの。釈迦は2本のシャーラの間に横たわり、80歳で入滅した。遺体は火葬され、遺骨(仏舎利”ぶっしゃり”)はストゥーパ(仏塔:インドの墓)に納められると同時に、信者に分け与えられた。

 釈迦は、「生命の樹」の奥義を知るには、苦行は無意味であると悟った。アシュヴァッタ樹も沙羅双樹も「生命の樹」の象徴である。2本のシャーラの間に横たわって入滅したことは、「生命の樹」と「知恵の樹」の「合わせ鏡」でもある。

 このような釈迦の生涯は、イエスのものと類似している。何よりも、悟りを開いた時には“明けの明星”が輝いたことが、それを最も端的に暗示している。このように、般若心経には死んだ者の魂が到達すると言われている彼岸や涅槃などについて述べた部分は無く、死者にはまったく関係の無い内容である。まして、観自在菩薩は現世の在家求道者で、天国で救ってくれるような存在ではない。

 最も重要なマントラ“ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ、スヴァーハー”が“知恵という完成”を讃えるマントラとは言うが、ガテーとは、女性名詞ガター(行きたる女性)の呼びかけの形である。“行きたる女性”とは悟り、つまり、般若に他ならない。ここでは般若が女神と考えられている。

 パーラガテーは“向こう岸に行った女性(女神)よ”を、パーラサンガテーは“向こう岸に行き着いた女性よ”を意味する。ボーディは“悟りよ”のことで、スバーハーは掛け声である。

 現存する最古の心経のサンスクリット写本には「般若波羅蜜多の心」とあり、「経」の文字は無い。この心(フリダヤ)とは真言を意味する。つまり、心経はいわゆる経ではなく、女神・般若波羅蜜多の称名を勧めるメモである。

 “行きたる女性”“向こう岸に行った女性(女神)”“向こう岸に行き着いた女性”が悟りの知恵を得た女性・女神ならば、それは知識の“メ”を得た知恵の女神、“メ”のレディ、イナンナに他ならず、知恵の女神で豊穣神、インダスの最高神イナンナへの讃歌(さんか)に他ならない。

 こういったことがあり、イナンナが掛けられた木、イナンナが好物だったナツメヤシが原型となっている「生命の樹」の真理を悟る内容なわけで、イナンナが掛けられた「生命の樹」の象徴たる十一面観音に対して唱えられることは最も相応しい。インダス文明の創造神はイナンナである。

 もっと広い視点から見ると、女神を宇宙の女性原理と見なせば、その女性原理と波動で共鳴する、ということでもある。女神ガイアもそれに共鳴する。よって唱えること自体に意味がある。

 般若心経はこういう意味だが、その真意からすると、シヴァが好んだ修行や苦行も意味を持ってくる。このマントラには更に意味が隠されていて、“行きたる”“向こう岸に行った、行き着いた”をイナンナの奔放な性的側面から解釈するならば、“性的に愉悦(ゆえつ)を得た女性、女神”ということでもある。“聖なる結婚の儀式”の大元であるイナンナに相応しい。つまり、オーガズムを感じた女神ということである。

 聖婚では、イナンナの相手のほとんどは、朝には死んでいた。よってイナンナ様を歓ばせるためには、肉体的・精神的に鍛え上げなければならない。シヴァのシンボルはリンガ(男性器)である。つまり般若心経はこういった性的な意味も含まれている。

ヤントラ

 プラクリティの振動を視覚的に表現したものをヤントラと言う。基本図形は正方形で、その中に幾つかの同心円があり、蓮華の花弁が16枚や8枚で描かれている。更に、その内部に上向きの三角形と下向きの三角形が重なり合うように描かれている。この中で最も重要なのは、三角形である。上向きの三角形はプルシャ、下向きの三角形はプラクリティであり、重なり合っていることにより陰陽の無限の合一を象徴する。その基本形は、六芒星(ダビデの星)である。つまり、ダビデの星は、陰陽の合一で太極を表す。この三角形が変形されて巴(ともえ)となり、2つの巴(ともえ)が向き合って重なって1つの円形となっているのが、太極マークである。

 ヤントラは後に曼荼羅(まんだら)となった。曼荼羅とは“円”を意味し、タントラの宇宙観を表現しており、円は終わり無き“永遠”を象徴するシンボルである。そして、曼陀羅は三神三界を表した「生命の樹」の象徴でもある。マントラ、ヤントラは永遠なるもの=宇宙創造の意識と一体となる=梵我一如(ぼんがいちにょ)を達成する秘術と見なされている。

 このヤントラは、カバラを図形で表したものである。蓮の花はエジプトでは“再生”を表し、“復活、再生”の象徴である。日本で花と言えば“桜”を示すように、エジプトで花と言えば“蓮”というほど、ポピュラーである。そして、古代種の蓮には16枚の花弁を持つ種類もある。これが中東ではロゼッタ紋様として知られていて、いろいろな所で見られる。これはナツメヤシの花で、中東では知恵と豊穣の女神のシンボルである。そして、学名はフェニックスで、フェニキアのことでもあり、イナンナである。

 ナツメヤシが「生命の樹」と見なされ、“復活、再生”の大元はイナンナなので、当然、イナンナのシンボルとなる。そして、イナンナの象徴は金星=ヴィーナスだが、金星は八角形の図形として象徴される。八角形はまた、アヌとニビル、イエス(ベツレヘムの星)の象徴でもある。

 アヌとニビルの象徴としての八角形が変形され、天を象徴する記号と神を象徴する十字型になっている。つまり、これらの象徴図形は大神アヌとニビルの象徴であると同時に、シュメールの神々をも象徴しており、シュメール語では“ディンギル”と読む。そして、十字架や卍の原型でもある。

 特に八角形や八芒星はアヌのお気に入りだったイナンナの象徴ともされ、彼女に因む金星も同じ象徴となる。金星はニビルから見て8番目でもある。また、「生命の樹」に於ける最も重要なセフィラ、ティファレトは“美”を表すが、これも“美の女神ヴィーナス=イナンナ”に由来することを暗示しており、集まるパスの数が8本で、この八角形を象徴している。そして、数字の“8”を横向きにすると“∞”となり、数学の無限記号、すなわち“永遠=不老不死”を表し、イナンナのシンボルに相応しい。

 しかし、金星の意味はこれだけではなく、それ自体にも八芒星の意味が隠されている。更に言えば、五芒星の意味もである。

太陽、金星、地球が一直線に並ぶ時がある。これを合(ごう)と言い、合には内合”ないごう”(太陽-金星-地球)と外合”がいごう”(地球-太陽-金星)がある。

 金星の内合(ないごう)は584日毎に起こり、8年間で5回起きる。つまり、1回につき地球年で8/5年ということで、地球の公転軌道を5等分すると、内合の位置は軌道上で8/5周ずつずれていくことになる。それを順に結ぶと五芒星が形成される。

 一般的には観測により会合周期を調べ、ケプラーの法則に従って公転周期を計算する。金星の公転周期は224.7日。この公転周期より、地球が太陽を8周する間に金星は13周するので(8×365≒13×225≒2,920)、地球が1周した時には、金星は13/8 周=(1+5/8)周進んだ位置になる。よって、地球の特定の日の金星の位置を8年分繋げると、軌道上に八芒星が描かれる。

 つまり、地球の8年は金星の13年に相当し、会合周期を結んでいくと軌道上に五芒星が形成され、地球と金星の公転の位置関係を結んでいくと八芒星が形成される。

 この八芒星を金星とイナンナのシンボルとし、五芒星をこのような天体の深い知識を知ること、すなわち、知恵のシンボルとした。よって五芒星は“ソロモンの知恵”と言われるほど賢者だったソロモン王に因んで“ソロモンの星”とも言われる。太陽神ウツのシンボル六芒星は、そのソロモンの父ダビデに因んで“ダビデの星”なのである。

 日本でも陰陽師の巨人、安倍晴明を祀る晴明神社や、賢人・聖徳太子に縁の広隆寺に五芒星が掲げられているのも、“カバラの知恵を悟ったからである。この天体をも巻き込んだこんな“知恵”を仕組んだのは天才科学者ニンギシュジッダ(エジプトのトト)である。こうしてニンギシュジッダがケツァルコアトルとして崇拝されたマヤの暦では、金星の動きが非常に重要視されているのである。伊勢神宮の暦も、金星の動きが事細かに記されている。

 さらに5と8を足して13で、イエスと12人の使徒となる。よってイナンナと重ねられるイエスのシンボルも“明けの明星=金星”となる。またイエスが誕生した時に天空に輝いたとされるベツレヘムの星も八芒星で表されるが、これはニビルの象徴の方である。

 先ほどの続きだが、“∞”を3次元的な立体で表現すると“メビウスの輪”となる。これは裏も表も無く、ある点から表面をなぞっていくと、最終的にその開始点に戻ってしまう。つまり、阿吽(あうん)で、大神アヌやニビルを暗示する。それに、最初はアルファで最後はオメガなので、“私はアルファでありオメガである”と言ったイエスをも暗示する。

 イエスはギリシャ語のゲマトリアとしては“888”となる。これは、その“私はアルファでありオメガである=∞”という言葉に隠された“8”、その誕生時に天空に輝いた八芒星ベツレヘムの星=ニビルの“8”、そして、シンボルとしての明けの明星の“8”でもある。しかし、その原型のイナンナを見れば、“不老不死=∞”に隠された“8”、大神アヌに愛されたシンボルとしての八芒星=ニビルの“8”、そして、シンボルとしての金星の“8”でもある。つまり、シンボル的にイエスとイナンナはまったく一致するわけである。イエスの原型はイナンナなので、すべて辻褄が合う。

 この八芒星が十六紋菊に繋がる。ナラム・シンの戦勝記念碑に描かれているのは金星だが、後光が差して十六芒星となっている。金星は先端が尖った三角形の光を放つ八芒星で表現されていて、その間に、四角で後光が表現され、全体として十六芒星として表現されている。ナラム・シンはイナンナの忠実な僕だった。よってこの十六芒星はイナンナのシンボルである。これがエジプトで“復活、再生”を象徴する蓮と合わされて、ロゼッタ(あるいはロゼット)と呼ばれるようになった。

 他にもメリトアメン王女像の胸には十六花弁のロゼッタが刻まれており、有名なツタンカーメンの遺品やアメンへテプ3世の遺品でも、十六花弁のロゼッタが多数確認できる。ラムセス3世などは、八花弁のロゼッタである。

 メソポタミアでは、アッシュル・ナシルパル2世の浮彫が解り易い。左腕の部分を拡大すると、はっきりと十六花弁ロゼッタが確認できる。

 これほど中東にたくさんあり、イラクの故フセイン大統領が「これは我が国に古くから伝わる紋章である」と言っていたが、それだけ核心的な物がたくさんイラクにはあったわけである。よって、世界を裏から仕切っていた国際金融資本は、ありもしないことをでっち上げてイラクに侵攻し、真っ先に博物館から粘土板を根こそぎ奪い去って行った。

 伊勢神宮の石灯籠には太陽神ウツのシンボル六芒星と菊の御紋が刻まれている。これを見て、皇室はユダヤ人だ、と言っていた日ユ同祖論の人たちがたくさん居た。確かに、皇室=ユダヤということはあるが、しかし、それだけではない。何故、神宮にしか無いのか?

 ウツは太陽神なので、天照大神の原型と言える。そして、イナンナは豊穣神なので、豊受大神の原型と言える。しかし、御正殿の鰹木(かつおぎ)の数などが暗示しているのは、内宮は女神、外宮は男神で矛盾しているが、つまり「合わせ鏡」である。

 よって内宮は女神、外宮は男神で良いのである。つまり、菊の御紋は外宮の豊受大神=イナンナ、六芒星は内宮の天照大神=太陽神ウツを暗示している。これが、この国の根源である。

 更に、イナンナと重ねられるイエスは、シンボルとしては十字架で、陰陽で言えば閉じた形で陰なので、カバラのシンボル的には女神扱いである。よってカバラ的に外宮ではなく、内宮に重ねられた。それに、イエスは人類の贖罪(しょくざい)を一手に背負い、人類にとっての光となった。

 さらにもう一箇所、この対のシンボルが隠されている有名な場所がある。京都の鞍馬寺である。境内には大きな六芒星が描かれている。その奥の院には、650万年前に地球を守るために金星から飛来したとされるサナト・クマーラが祀られている。それは、神智学が大好きだった官長が後から追加したという話である。

 しかし、“万年”はカバラ的には“たくさん”という意味なので、省略しても構わない。そうすると、“65”が残るが、6+5で足すと11なので、十一面観音となり、これはイナンナが原型である。イナンナのシンボルは金星である。

 1,850万年前という説もあるが、わざわざ650万年前としている点がポイントである。そして、サナト・クマーラは地球の中心にいるとされる説もある。それは、封印を暗示している。封印されたイナンナはウシトラノコンジンで、鞍馬はウシ若丸が修行したとされている地である。つまりウシがある。

 その牛若丸は京の五条の橋で弁慶と一戦交えたが、弁慶は千本目の刀を奪えなかった。仏像で千と言えば千手観音である。千手観音は十一面観音でもある。牛若丸と弁慶の話もイナンナが原型である。

 また、スーフィーのムスリムでは、サナト・クマーラはアル・ハディル(緑の人)とも見なされている。イナンナが原型のシヴァは、青黒い肌で、それが緑になると青鬼と緑鬼となる。それに鞍馬ゆかりの天狗、すなわち、ユダヤの赤ら顔を加えると、青鬼、緑鬼、赤鬼となる。

 サナト・クマーラはサンスクリット語で“永遠の若者”を意味し、16歳だとも言われている。“永遠”はイナンナが根源であり、“16”はイナンナが原型のロゼッタで、十六紋菊である。よって、菊の御紋はそのままではなく、奥の院に祀られたサナト・クマーラである。

 そもそもそこは松尾山と言い、インドのクベラが仏教に取り入れられた毘沙門天(びしゃもんてん)を祀る。毘沙門天は邪気を祓う北方の武神なので、北方が領地だった戦いの神イシュクルが原型で、イシュクルと仲が良く、戦う女神だったイナンナが重ねられたと言える。それが鞍馬になり、“その時”が近付くに連れ、封印を解くための鍵として、サナト・クマーラが勧請(かんじょう:神仏の来臨や神託を祈り願うこと)された。伊勢神宮の謎を解く鍵が鞍馬の大魔神にあった。

支那(しな)

 地続きの支那(しな:中国)でも当然シュメールの流れがあった。それは黄河(こうが)・長江(ちょうこう)・遼河(りょうが)文明とまとめて言われる中華文明である。

・夏(か:紀元前2070年頃 - 紀元前1600年頃)

・殷(いん:紀元前1766 - 紀元前1046年)

・周(しゅう:紀元前1046年頃 - 紀元前256年)

と続く文明の中で、夏(か)と殷(いん)の時代にあった蜀(しょく)はシュメールの影響が濃い。この地域は4つの川(岷江”みんこう”、沱江”だこう”、嘉陵江”かりょうこう”、烏江”うこう”もしくは大渡河”だいとが”)に囲まれた地域で、後の四川省に相当する。ここでは金が重要視され、その後の楚(そ)の時代には、天狗のような羽人と呼ばれた仙人の根源も登場した。

 支那(しな)の地には多くの国々が現れては消えたが、初めて国家として統一されたのは、ペルシャに居た十支族の系統の始皇帝(紀元前259年 - 紀元前210年)の時代である。それは、四川省に隣接する王都で、市街地の様相や制度などはペルシャそのものだった。

 その後、道教の元となった仙術を扱う方士、徐福(じょふく)が始皇帝の命令で不老不死の妙薬を求め、一団を率いて日本に渡来した。

 4つの川と言えば、チグリス、ユーフラテス、ピション、ギホン川に囲まれたエデンの園と同じであり、そういう所に導かれて住み着いた。これは導きの神、ニンギシュジッダによる。金が重要視されたのもシュメールと同じである。天狗のような羽人というのは、烏天狗(からすてんぐ)の根源である。

 ただ、そこから直接来たわけではなく、シュメールの影響を暗示させるために拝借したのである。支那では8が最も演技の良い数字で、つまり支那でもイナンナの影響が大きいのである。それがやがて、大陸全土に広がっていった。特に、西王母(せいおうぼ)伝説はその典型である。

 西王母(せいおうぼ)は、すべての女仙たちを統率する女鬼神のような存在である。「山海経(せんがいきょう)」に依れば、人間の女の顔に獣(虎の類など)の体、蓬髪(ほうはつ:乱れた髪)に玉勝(ぎょくしょう:宝玉の頭飾”とうしょく”)を付け、虎の牙を持ち、よく唸(うな)り、咆哮(ほうこう:吠えたけること)は千里に轟いて、あらゆる生き物を怯えさせ、蛇の尾を振れば、たちまち氾濫(はんらん)が起き、また西王母(せいおうぼ)には大黎(れい)、小黎、青鳥(せいちょう)という3羽の猛禽(もうきん:鋭い爪とクチバシを持つ鳥)が従っていて、王母の求めに応じて獲物を捕らえ、食事として捧げる、とある。

 これが“天厲五残(てんれいござん:疫病と5種類の刑罰)”を司る鬼神と言われた西王母の大元で、人間の非業(ひごう)の死を司る死神だった。それが次第に“死を司る存在を崇め祀れば、非業の死を免れられる”という、恐れから発生する信仰によって、徐々に“不老不死の力を与える神女”というイメージに変化していった。

 やがて、道教が成立すると、西王母はかつての“人頭獣身の鬼神”から“天界の美しき最高仙女”へと完全に変化し、不老不死の仙桃(せんとう)を管理する、艶(あで)やかにして麗(うるわ)しい天の女主人として、絶大な信仰を集めるようになった。王母へ生贄を運ぶ役目だった青鳥も、“西王母が宴を開く時に出す使い鳥”という役に姿を変え、やがては青鳥と言えば“知らせ、手紙”という意味に用いられるほどになった。

  容貌が女の顔、獣の体、虎の牙、蛇の尾なら、これで神の戦車メルカバーを形成する。それがカバラである。死を司る冥界の女神と見なされたのは、イナンナの 冥界下りに登場した姉のエレシュキガルだが、カバラを操れるのは、知識の“メ”をエンキから手に入れた知恵の女神イナンナである。

 イナンナはシヴァ神の分身の1つ、暗黒のカーリーでもあり、宗教に於ける暗黒の側面の原型となったが、これが、“人頭獣身の鬼神”の意味するところである。またイナンナは美の女神ヴィーナスでもあるから、“天界の美しき最高仙女”でもある。

 また支那から見て、シュメールやイナンナが主神だったインドやペルシャは西にあるので、“西の王母”となって西王母となった。後に、この西王母が七夕の織姫(おりひめ)となった。そして相手の牽牛(けんぎゅう)はドゥムジである。

 ドゥムジはニビルから羊を降ろして牧羊・牧畜に携わっていたから牽牛(けんぎゅう)に相応しく、イナンナは牡牛(おうし)に喩えられたエンリル側である。

  イナンナはウヌグ・キ(ウルク)の神聖な区域に“ギグヌ(夜の愉しみの家)”を設置し、それとは別に、王たちと一緒に新年の祝いの儀式も行うようになったので、これらが変遷(へんせん)して、年に1回、イナンナとドゥムジが逢瀬(おうせ:愛し合う男女がひそかに会うこと)する、という逸話になった。

 西王母がイナンナで織姫なら、機(はた)を織る女性の原型がイナンナということになる。そして、高天原で機織(はたお)りしていたのは女神の天照大神であるから、その原型はイナンナである。そして、そこにはヒッタイトの“太陽女神”の概念も合わされている。イナンナは豊穣神の豊受大神(とようけのおおみかみ:伊勢神宮の外宮)でもあるので、外宮の豊受大神と内宮の天照大神は元々1つだった、とも言える。あるいは、太陽神ウツはイナンナと双子だったので、一心同体とも見なせる。カバラは奥が深い。

 また、西王母は不老不死の仙桃(せんとう)を管理していて、桃は“兆しの木”という意味だが、西王母がイナンナである以上、それは“死んだはずの者が蘇った、復活の兆しの木”ということなので、「生命の樹」の暗示である。

 死んだはずのイナンナが蘇ったので、黄泉帰りの原型はイナンナの冥界下りで、それがイザナギが黄泉の国から帰る神話に反映されている。その時、鬼に追われた際に邪気を祓うために投げつけたのは桃なので、それはイナンナと「生命の樹」を暗示していた。

 他にも、節分の追儺祭(ついなさい)では、3人の神職がそれぞれ3回ずつ、桃弓(ももゆみ)で葦(よし)矢を放って魔を祓うが、これなどもその派生である。旧暦では立春から春が始まるので、節分はいわば大晦日に相当する。よって、大祓(おおはらえ)の意味合いが

ある。

 “3人の神職がそれぞれ3回ずつ”というのは“3×3”で「生命の樹」の三神三界、桃はイナンナの暗示で、葦は生い茂っていたシュメールを暗示する。よって支那にもシュメールの影響が多大、ということである。

 さらに、弓は射手座が充てられている軍神ニヌルタ(アラム・ムル)の暗示である。“邪悪な蛇”マルドゥク一派を木端微塵(こっぱみじん)に粉砕したからである。それが“魔を祓う”ということである。だから、神道ではしばしば弓が用いられる。

  始皇帝も徐福も、イナンナが主神のペルシャ系ユダヤ人だったので、尚更シュメールの影響が強い。こういったことがあり、イナンナに関わる不老不死の概念が濃厚なわけである。よって、彼らよりも先に渡来していたエフライム族と和平を結ぶことができ、新たな国造りが始まったのである。

環太平洋文明圏

 中近東からインドにかけては古代核戦争の影響があったが、大洪水後にカ・インの子孫が広がって行った環太平洋地域にはその影響は無かった。そのため、この地域は大洪水後に独自の発展を遂げた。

 南米からニヌルタとエンリルがニビルに金を送っている間、マルドゥクと喧嘩別れしたニンギシュジッダが信奉者を引き連れ、オルメカ文明を創成した。彼らが現地人(カ・インの子孫)を指導し、それが後にマヤ文明やアステカ文明へと発展し、ニンギシュジッダは“翼のある蛇”ケツァルコアトルとして崇められた。

 この文明の担い手たちは、発達した海運力で環太平洋の各地域で文明を築いた。中南米の反対側にあたる古代日本列島は、とりわけ大洪水の影響が小さかった。そのため、古代縄文王国が花開いていたのである。この列島は火山列島で時折大きな地震が発生するが、このような地殻構造により治癒力のある天然の温泉が湧き出て、また、季節的に大きな嵐に見舞われたりするものの、それが豊かな水量をもたらし、氾濫で土地が肥沃になるサイクルが出来上がっていた。何よりも、四方を海に囲まれ、豊富な森林に恵まれた温暖な気候は清浄な飲み水を絶えずもたらし、四季の恵みを与えてくれるのだった。

 すなわち、後に日本と呼ばれることになるこの列島は、地球のエネルギーグリッド(網)とエネルギーラインが同時存在する極めて稀な場所であり、それ故に、地球の意識(ガイア)エネルギーだけではなく、“万物の創造主(宇宙創造のエネルギー)”とも共鳴している極めて重要な場所であった。

 それを知った天才科学者ニンギシュジッダは、過去の地殻変動や太陽活動から遠い未来を予測計算し、密かにこの星の将来に備えて古代縄文文明を花開かせ、更に後にシュメール王家の血統の一族をこの地に導き、弥生文明を花開かせる。

 つまり環太平洋文明圏はカ・インの子孫たちの文明だった。太平洋にあったとされる、いわゆるムー(レムリア)大陸は誤解や妄想が生んだ産物だったが、この一大文明圏を“ムー文明圏”と言うことはできる。この文明圏のあちこちで、共通のペトログラフが発見されていることは、一大文明だった証拠である。しかも、古代シュメール象形文字に類似している。字体も様々な種類のものが生まれていった。

 世界の共通言語は神代文字(じんだいもじ)となり、現在では世界各地に23万個以上の古代文字の痕跡がある。これはペトログラフと呼ばれる岩石に刻まれた文字や文様で、アメリカ、ロシア、スペイン、日本など、大陸全域に残されている。日本で発見されたペトログラフは約5200個で、そのうち1740個が九州北部に集中している。これは九州に巨大な文明があったことを意味している。九州の大分県の佐田京石(さだきょうせき)という列石群は環状列石になっており、七本の石柱を線で結ぶと楕円形となり、その並びは惑星軌道を表している。これは高度な幾何学や数理学があった証明となっている。

 また山口県彦島(ひこしま)でも、後にシュメールで使われている文字がペトログラフとして存在し、それはハワイの文字とも同じ系統であった。

 シュメールを中心とした地域ではマルドゥク一派の反乱によって言語がバラバラにされたが、この文明圏はかなり長い間、言語は統一されていた。普通はマヤとかアステカばかり注目されるが、本当は縄文文明こそ、隠された最高の文明だった。1万年も前の磨製石器が日本列島から見つかっていることなどは、それを裏付ける。また、縄文土器は食物を煮炊きできる道具なので、シュメールで文明が花開く前から、かなり高度な文明の基礎が出来上がっていたと言える。他に、そんな所は見つかっていない。

 縄文の王の記録はなく、竹内文書がある、という人もいるが、それはアダム誕生以来の人類の血統の歴史、とも解釈が可能なので、必ずしも古代日本列島の王家の歴史とは言い難い。邇邇芸命(ニニギノミコト)を秦氏の大王とするなら、ニニギよりも前に天孫降臨していた饒速日命(ニギハヤヒノミコト)を物部氏の大王と見なすことができる。そのニギハヤヒよりも前から居たのは、長髄彦(ナガスネヒコ)である。ニギハヤヒがナガスネヒコの妹の登美夜毘売(トミヤヒメ、日本書紀では三炊屋姫”ミカシキヤヒメ”)を娶(めと)った。

 ニニギは山の神・大山祇神(オオヤマツミノカミ)の娘・木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)を娶って火火出見(ホホデミ)を産み、ホホデミは海神・綿津見神(ワタツミノカミ)の娘・豊玉姫を娶って鵜草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)を産んだ。これにより、天孫には高天原の神、大地の神、海の神の霊力が宿り、ようやく大八洲(オオヤシマ:日本)を治める資格を得たわけである。

 これはつまり、自分には無い重要な性質を有する大王の娘を娶って和平を結んだと見なせる。そうすると、天孫ニギハヤヒがナガスネヒコの妹のミカシキヤヒメを娶ったことは、ナガスネヒコが縄文王国の大王だったということである。

 ナガスネヒコは文字通り“脛(すね)の長い”という解釈もできる。実際、中南米では背が高く脛(すね)の長い人骨が埋葬されていたから、環太平洋文明圏は人種的にも同族だったという証拠である。それに、縄文人は山の民でもあり、後にサンカと呼ばれた。山の神はオオヤマツミノカミだが、海神でもある。それは、縄文人が海の民でもあるからである。

 太古は、世界中の何処もが豊穣の女神を崇めた。それと恵みをもたらす太陽も。イナンナは放浪が好きだったので、当然、環太平洋地域含め世界中へ行っていた。イナンナの別名はアシェラで、ヘブライ語の“柱”という意味でもあるから、ついつい古代ヘブライの関係などと考えられていた。しかし原型はイナンナである。インディアンのトーテムポール、諏訪大社の御柱(おんばしら)など、環太平洋地域では至る所で柱が神の依り代、あるいは神聖な場所の結界と見なされてきた。

 そして、蛇が神の使いあるいは神自身とされた。諏訪大社の根源は蛇神のミシャグジだが、ヒッタイト神話ではイナンナが悪龍イルルヤンカシュ(マルドゥク)を退治したので、いわばイナンナは“良い蛇”である。そして、双子のウツにも蛇に関わる伝承があり、導きの神ニンギシュジッダは蛇神である。さらにニンギシュジッダの父で海神で地球の主エンキこそ、すべての蛇神の根源である。

 彼らに関わりがあるからこそ、蛇神である。ミシャグジ=ミシャグチを“御イサク地”と見なし、御頭祭(おんとうさい)と合わせてイサクを救う場面の再現、と言う説もあったが、それは最表面だけのことで、根底は“神の社に仕えて神懸かりするサニワ(審神者)”ということで“御社宮司(ミシャグジ)”である。柱に蛇が絡まれば「生命の樹」である。それと対を成すのは「知恵の樹」で、両者は「合わせ鏡」である。

 そして、それらを1つにまとめて2匹の蛇が絡まればカドゥケウスの杖でニンギシュジッダのシンボルとなる。中南米はニンギシュジッダが主神だったので、翼のある蛇神、白く輝く蛇神が男神の太陽神として崇拝された。よって、例えばインカでは、神に仕える巫女は冬至の日に、陰部を日の出の太陽に向けて太陽神の子を宿すとされた。似たような話は、古事記にも天之日矛(アメノヒホコ)に関わる阿加流比売(アカルヒメ)の話がある。

 “昔、新羅のアグヌマ(阿具奴摩、阿具沼)という沼で女が昼寝をしていると、その陰部に日の光が虹のようになって当たった。すると女はたちまち妊娠して赤い玉を産んだ。その様子を見ていた男は乞(こ)い願ってその玉を貰い受け、肌身離さず持ち歩いていた。ある日、男が牛で食べ物を山に運んでいる途中、アメノヒホコと出会った。アメノヒホコは、男が牛を殺して食べるつもりだと勘違いして捕えて牢獄に入れようとした。男が釈明をしてもアメノヒホコは許さなかったので、男はいつも持ち歩いていた赤い玉を差し出して、ようやく許してもらえた。アメノヒホコがその玉を持ち帰って床に置くと、玉は美しい娘になった。アメノヒホコは娘を正妻とし、娘は毎日美味しい料理を出していた。しかし、ある日、奢り高ぶったアメノヒホコが妻を罵ったので、親の国に帰る、と言って小舟に乗って難波の津の比売碁曾(ひめこそ)神社に逃げた。アメノヒホコは反省して、妻を追ってヤマトへ来た。この妻の名はアカルヒメである。しかし、難波の海峡を支配する神が遮って妻の下へ行くことができなかったので、但馬国(たじまのくに)に上陸し、そこで現地(出石)の娘、前津見と結婚した。”

 これには新羅も関係している。新羅は海宮一族が建国に携わった国である。

  インカの話では、巫女は毛抜き用ピンセットで陰毛を抜かれ、掻把器(そうはき)で陰部を開いて太陽に向けられた。その毛抜き用ピンセットに似た物が、日本にもある。宮中の新嘗祭(にいなめさい)などで使われる、神饌(しんせん)をお供えする箸(はし)である。竹を曲げてピンセット状になっている。

  箸というと、スサノオが出雲に降りた時に斐揖川(いびがわ)に流れてきた箸の話や、倭迹迹日百襲姫(ヤマトトトヒモモソヒメ)が陰部を箸でついて死んだ話がある。また箸ではないが、天照大神あるいは機織(はたお)り女の稚日女(ワカヒルメ)が機(はた)を織っていた時にスサノオが皮を剥いだ馬を投げ入れたのに驚いて梭(ひ)でホト(陰部)をついて死んだ、などの話もある。その機(はた)を織っていた時の話は新嘗祭(にいなめさい)の時だった。古代の新嘗祭は、ほぼ冬至の頃だった。よって新嘗祭で使うピンセット状の箸は太陽神の子、日の皇子を暗示しているわけである。

 さらに、ワカヒルメの話の“梭(ひ)”は“日”に通じる。インカと日本にはそんな繋がりもあった。マヤ文明などでは20進法なので、数字のカバラからすれば太陽神ウツを暗示する。しかし、彼の地で20進法を始めたのはニンギシュジッダで、主神もそうである。つまり、太陽神の性質も併せ持つニンギシュジッダだからこそ、そこに太陽神ウツのシンボルが重なっても矛盾しない。これがカバラの難しい点でもある。

 そして日本ではニンギシュジッダは導きの猿田彦で、縄文時代の土偶には明らかに豊穣の女神を模したものが多く、太古から続く諏訪大社(すわたいしゃ)などを見ると、縄文の最高神はイナンナで、ニンギシュジッダが裏から支えた、という構造である。

 また、ドゥルガーはイナンナそのもので、獅子を従えた美しい女神で航海の神なので、イナンナは航海の女神でもある。つまり海洋民たる縄文人を導いていたのは、豊穣の女神で航海の女神でもあるイナンナということである。それをニンギシュジッダが助けた。

■紀元前1694年頃

 バビロニアを統治したハムラビは、自身の名前をかかげたハムラビ法典を制定させた。それにはシュメール人の法律が全て282の条項として石に刻まれている。ほとんどのものは日常生活における商業取引、結婚して相続の側面に関連したものなどである。王は役人や公共事業を監督する者に、虐待から人々を守る為の調査をするよう命令したなど、シュメール人が多くの分野における先駆者となっていることが証明されている。あとがきに「強者が弱者を虐げないように、正義が孤児と寡婦とに授けられるように」の文言がある。ハムラビ法典は完全な形で残る世界で2番目に古い法典である。

■紀元前1650年

サントリーニ島の海底火山ティーラの噴火

 エーゲ海のキクラデス諸島南部に位置するサントリーニ島で、この島の海底火山ティーラの噴火という壊滅的な噴火が起こった。これは地震が数日間続いたあとに起こった。火砕流などが海に達し、津波が発生した。津波の高さは20m近くで、南へ約100kmにあるクレタ島の内陸約8キロまで押し寄せた。クレタ島はリトル・アトランティスの文明を引き継ぐ島でもあった。

 壁画の絵からはこの文明が非常に高度で、陽気な印象で、個性的なものだったことがわかる。また女性の身分が高く、金のイヤリングをしていたり、上着は明らかに高額なサフラン染料で色づけされている。ある壁画の女性の後ろにはギリシャの神グリフォンが描かれているが、これは女性の立場が確立されている証拠でもある。

 本島であるティーラ島は貿易ネットワークの中心的な要だった。それはヨーロッパ、アフリカ、アジアに広がっていた。国際貿易の拠点として限りなくたくさんの言葉が話され、ミノア、ヒッタイト、エジプト、カナンに至るまで相互間、ボートで海をまたがり帆船で漂流していた。市民の住居も現代的で2~3階建てのものもあり、ベッドも使われていた。

 クレタ島の岩には伝統的な二重斧のマークが刻まれたものがあり、そこに横からポセイドンの三叉矛の突起物が突き刺さっているが、アトランティスの君主はポセイドンであり、ミノア社会でポセイドンは大きな存在だった。ティーラ火山の大噴火から150年後、ミノア文明はすべて消え去った。

■紀元前1600年頃

ミタンニ王国とヒッタイト

 神々の核戦争はBC2024年に起きたが、生き残ったのはイブル・ウムの一族だけではなかった。マルドゥクのバビリは勿論のこと、それよりも北の地域やモヘンジョダロ・ハラッパよりも東の地域、“5つの都市がある緑に囲まれた渓谷”よりも西の地域など、人類やイギギの子孫が着実に増えていた。イブル・ウム(アブラハム)の一族はその中でも、神官であり真の王家、王の中の王、という位置付けである。

 イブル・ウム(アブラハム)直系以外のシュメールの一族に、フルリと呼ばれた一族がいた。シュメールの栄光の時代の最後、ウル第3王朝(BC22世紀からBC21世紀)の頃、大きな勢力を保っており、シュメールで服飾産業を管理し、人材を供給していたのである。

 しかし、核戦争後、ウルがバビロニア傘下となる前に、一部が北方へ移動し、ミタンニ王国を築いた。旧約ではホライト(ホリ人、自由な人々)と言われ、シュメールからアッカド、アナトリアまでの広い範囲を支配していた。フルリは言語学的にはシュメールだったが、アッカドの要素もあった。アッカドはイシュクルの領地だったが、仲の良かったウツとイナンナの影響も大きく見られる地域である。

 また、時を同じくして、北イランやコーカサス地方を中心とした地方からインド方面まで移動した民族があった。アーリア人(高貴な人間)である。イナンナを主神とするアーリア人はインドにヴェーダをもたらし、ヒンズー教は“人間の手によらない”神聖な経典としてヴェーダを基本とした。インドの創造神はやはりイナンナだが、ヴェーダはサンスクリット語は勿論のこと、ギリシャ語やラテン語などヨーロッパ系言語の祖先で、ギリシャ神話とヴェーダの神話は類似している。

 このアーリア人のもう一方は西方へ移動し、ヨーロッパへと辿り着いた。ギリシャへの窓口となっている場所がアナトリア高原で、彼らはそこにヒッタイト王国を築いた。ヒッタイトの主神は雷と稲妻の神テシュブ=イシュクルで(ギリシャでのゼウス)、ウツとイナンナも同格だった。他にもシュメールの神々を祀っていた。エンリルは“古い神”、エンキは“昔の神”と言われ、アヌは天の王だった。ヒッタイト語には大量のシュメールの象形文字、音節、言葉が使われており、シュメール語が高度な学識の言語だった。フルリもまた、ヴェーダと同じ名前によって幾つかの神々を呼んだ。そして、文化的・宗教的にヒッタイトに大きな影響を与え、ヒッタイトの神話はフルリに由来した。

 ミタンニのフルリは特に馬の取り扱いに習熟しており、ヒッタイトとミタンニは激しく争った。後にミタンニとエジプトは政略結婚により同盟を結び、アッシリアと対抗した。アメンホテップ三世(BC1,402年~BC1,364年)は政略結婚の申し子である。このように、この地域は絶えず争いが絶えなかった。

 ヒッタイトのアナトリア高原は鉄鉱石の産地で、製鉄業が盛んだった。それ故、鉄の武器によって周辺地域を侵略し、後にはバビロンも攻略してカッシート王朝(BC1,500年頃~BC1,155年)を築いた。最も特筆すべきは、太陽崇拝があったことである。鹿や牛の像もあったが、それらは太陽崇拝に結び付けられており、太陽を引く馬の像などが残されている。天候を司る神テシュブ=イシュクルを主神とし、太陽女神をその配偶神と考えていた。

 つまりフルリはシュメールのコピーで、ヒッタイトは更にフルリのコピーである。ヒッタイトと言えば製鉄だが、製鉄はシュメール文明が発生する以前からあったアヌンナキの技術である。

 ヒッタイトでの太陽崇拝は太陽神ウツのことである。主神は嵐と天候の神イシュクルだったが、イシュクルはウツ、イナンナと兄弟のように仲が良かったので、この3人が同格とされ、イシュクルに太陽神的性質が加わった。そして、イナンナはイシュクルのことをドゥドゥ、“最愛の人”と呼んだので、イナンナが配偶神としての太陽女神と見なされた。こうして人類は、すぐに誤解をした。太陽神は日本以外の国では基本的に男神だが、ヒッタイトに太陽女神という概念があった。それはイナンナが女神・天照大神の原型ということである。

 かつて、太古ヤマトの大王家でもそうだが、神宮でも天照大神と共に豊受大神(とようけのおおみかみ)が祀られていた。極秘伝では、天照大神の荒魂(あらみたま)が豊受大神、豊受大神の荒魂(あらみたま)が天照大神というものもあった。ならば、天照大神と豊受大神は一神と見なすことができる。そうすると、豊受大神の豊穣神的性質は明らかにイナンナ由来なので、ヒッタイト起源の太陽女神イナンナの性質を付加して、女神・天照大神が創られた。

 確かにヒッタイトには、八岐大蛇退治の元となった神話があった。それは竜神イルルヤンカシュと嵐神プルリヤシュの戦いである。

 イルルヤンカシュは海の支配者とされた竜である。“嵐神プルリヤシュと竜神イルルヤンカシュが争った時、イルルヤンカシュの強大な力の前に、天候神である嵐神プルリヤシュは敗れ去った。そこで、風と大気の神である女神イナラシュに助力を求めた。

 女神は盛大な酒宴を開き、イルルヤンカシュを招き、イルルヤンカシュを泥酔状態にした。女神は人間の中から選ばれたフパシヤシュという男に、泥酔して動けなくなったイルルヤンカシュを縛ることを依頼した。フパシヤシュは女神と一夜を共にすることを条件に、イルルヤンカシュを縛り上げた。その後、嵐神プルリヤシュにより、イルルヤンカシュは殺された。(この後、フパシヤシュは女神の家に軟禁され、最終的には女神によって殺された。)

 ”嵐神プルリヤシュはイシュクル、風と大気の神である女神イナラシュはイナンナである。ここでは、イナンナに“風と大気”というエンリルの性質が付与されている。また、“女神と一夜を共にする”ということで、イナンナの“聖婚”が暗示されている。この地域はマルドゥクが自らの正統性を流布し始めた地域なので、イルルヤンカシュはマルドゥクのことである。つまり、邪悪な竜マルドゥクである。

 八岐大蛇の逸話ではスサノオが大蛇を切ったことになっているが、この話ではイナンナが策を練り、イシュクルが切っている。八岐大蛇を切った十握剣(とつかのつるぎ)は尾を切った時に刃が欠けてしまい、そこから草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)が出てきたので、当時の武器から考えれば、十握剣(とつかのつるぎ)は青銅剣、草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)は鉄剣ということで、ヒッタイトの製鉄技術を暗示している。そして、スサノオは牛頭天王(ごずてんのう)で、その原型はシヴァ神でイナンナなので、八岐大蛇退治の逸話はこの神話が元になっている。イナンナを中心に見れば、何の矛盾も無い。

 スサノオは八岐大蛇退治の際、クシナダヒメを神聖な櫛(くし)の姿に変えて自分の髪に刺した。シヴァ神は髪に聖なるガンジスの女神ガンガーを閉じ込めた。インダスの主三神ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの中で、インダス文明の創造神イナンナの姿が最も投影されているのがシヴァである。

 インダスはいろいろな神が登場して、しかも化身などあり、手が何本もあったりしてややこしいが、それも、第3の地域をイナンナが疎かにして、文明が花開かなかったためである。

■紀元前1570年頃

古代天皇ヤコブと相撲

 またメソポタミア文明では神事として、相撲が行われていた。天下泰平、国家安全、五穀豊穣の政として相撲を奉納していた。メソポタミアから相撲を取る2人の人物の青銅器の壺が出土した。これは裸にまわしをして組み合っている姿である。

 旧約聖書には、イスラエルの祖であるヤコブを指す言葉としてShemo(シュモー)がでてくるが、この言葉が「相撲」という名になった。そして旧約聖書にはヤコブが天使と相撲をしたという記述が残されている。

 後に世界天皇ヤコブは兄エサウとの不和を解決すべく和解するため兄に会いに行った。その途中、ヤボク川の渡しで天使と格闘し、天使がヤコブには勝てないとわかると、神の勝者を意味する「イスラエル」というイシャラー(勝つ者)エル(神)の複合名詞の名を与えた。これが後のイスラエルの国名の由来となった。ヤコブの息子達はイスラエルの12部族となり、その内の十支族が日本へやってきた。ヘブライ語でHakeh(ハッケ)は投げつけろを意味し、Yohy(ヨイ)はやっつけろを意味している。

 つまり相撲はヤコブから始まっているのであり、現代の世界各国の相撲に似たスポーツのルーツとなる。

世界の相撲と類似スポーツ

★アジア

日本(相撲)

沖縄県(シマ)

朝鮮半島(シルム)

韓国(シルム)

中国(シュアイジャオ)

ブータン(ブータン相撲)

モンゴル(ブフ)

ベトナム(ヴァット)

フィリピン(ブノ、ドゥモグ、キノムタイ)

カンボジア(チャン・バブ)

ネパール(ネパール相撲)

チベット(ケネ)

ミャンマー(ナバン)

インド(クシュティ、ムクナ、インブアン)

イラン(コシュティ)

グルジア(チダオバ)

キルギス(クロシュ)

ウズベキスタン(クラッシュ)

トルコ(ヤールギュレシ)

★アフリカ

セネガル(ブレ、ベリ、オルバ)

エジプト(ヌビア相撲)

ガンビア(ガンビア相撲)

カメルーン(ドゥアラ相撲)

トーゴ(エヴァラ相撲、ズヴァラ)

スーダン(トゥーバタ)

★アメリカ

メキシコ(ルチャ・タラウマラ、チュパ・ポラーソ)

キューバ(ルチャ・デル・トレーテ)

★オセアニア

キリバス(カウンラバタ)

★ヨーロッパ

【柔術系】

フランス(リュット・パリジェンヌ)

ロシア サンボ→コマンドー・サンボ

ロシア ブフ系(オイラート・ブフ、ブリヤート・ブフ)

古代ギリシア(パンクラチオン)

スペイン(ルチャ・カナリア、ルチャ・レオネーサ)

【アルプス・レスリング】

ブルガリア(ブルガリア相撲)

ハンガリー(ハンガリー相撲)

セルビア(ナロードノ・ルヴァン二ェ)

オーストリア(ランゲルン)

オランダ(ボルステル)

スイス(シュビンゲン)

フランス(グーラン)

イギリス(ランカシャーレスリング、コーニッシュレスリング、デボンレスリング)

【タータンチェックを履いて行う】

(カンバーランド・ウエストモーランド・レスリング、スコティッシュバックホールド、スコットランド・ヤード・レスリング)

アイルランド(カラー・エンド・エルボー・レスリング) またこの頃、日本に大変動が起こり、日本周辺のレムリア文明が残っていた島が、完全に海底に沈む。

ナイル三角洲の爬虫類神殿ケム

 紀元前1570年頃からのエジプト第18王朝に、「神々の血」を意味する「イコル」という名の司祭がいた。イコルは紀元前700年頃のソロモン神殿で働くイザヤという男性チャネラーの前世で、このエジプト第18王朝での「イコル」としての転生であった。紀元前700年にソロモン神殿のヘブライ人はエジプト打倒をもくろんでおり、アヌンナキに利用されたイザヤは、イコルという自分のエジプト人としての前世をチャネリングする役目を与えられた。このエジプトで秘密の徒党に属する生活は、イザヤにとって地獄の苦しみであった。

 イコルはナイル川に面した爬虫類の神殿コム・オンボで教育され、そのあとナイルの三角州のすぐ上流にある、爬虫類の占いの神殿ケムで星の占いを教わった。

 ケムは地下三層にわたる複合構造物で、第四層は地上にあり、ナイル三角州に裾野をひく砂漠の隆起のすぐ上に姿を見せるようになっていた。最下層はナイル川の乾期の水位に合わせられており、氾濫の季節には水とワニで満たされた。第一層の各部屋が水でいっぱいになると、ワニたちは酸素を求めて天井の穴から第二層に上がっていく。第二層にはトカゲの迷路のように水路がめぐらされ、休息所と魚と水草と蓮の花があった。古代エジプト人は、ワニたちが旅を始めた瀑布付近の湿地の情景を描いたタイルまで壁に貼ったのであった。

 第二層にすべりこんだ大きなトカゲたちは、そこで憩い、遊び、共同体のさまざまな関係に同調して過ごした。地表の神殿のすぐ下にあたる第三層には、部屋がいくつも並んでいて、それぞれの床の中央に穴が開けられており、そこには水晶の目のような球形の水晶レンズがかぶせてあった。部屋の壁は青ナイルを象徴するプタハの青、きらめくアクアブルーのタイル貼りである。占いの時期には、白ナイルから一頭の祖母なるカバを連れてきて花の綱で飾り、第三層に竹細工の家を作って住まわせた。

 地表の神殿ではイコルと、神殿専属の占星学者たちが、それぞれの氾濫期における、月の一周期のあいだに生まれたワニすべての出生天球図を作成した。ワニを調べることによって、その氾濫期が生物に及ぼすさまざまな力を理解し、地球の生物の状態がオリオンの図書館、つまり銀河連盟の図書館に伝わるようにしたのである。ケム神殿はこのように機能していた。 

 紀元前1570年頃から紀元前1293年頃のエジプト第18王朝の占星学者たちにとって、すべての意図はもっとも高い秩序に沿い、エネルギーを濫用するものはいなかった。エジプト人が数千年ものあいだ平和な民だったのは、いつも忙しく過ごす方法を知っていたからである。人類にとって最大の困難は、創造性が発揮できない不満であることを彼らは理解していた。

 その頃、ファラオ(ヘブライ人)の力が弱く、大飢饉が起きていた時期、ヒビル(ヘブライ人)がエジプトの地にやってきて長く寄留した。彼らはエジプト人がケム・オンボでオリオンの存在たちと交流していることを知り、非常に驚いた。オリオンは8次元の銀河連盟につながる導管であることを知っていたので、自分たちもその方法を学びたいと思った。オリオンの存在は宇宙の秩序を守る責任者にあたり、非常にパワフルであるがアクセスは困難といわれていた。しかもエジプトは力と豊かさと美と調和の土地だったので、その幸運の源は銀河連盟に違いないと、ヒビルは考えた。しかし本当はそうではなく、彼らは実現化がすばらしく上手だっただけなのである。

 エジプト人はいつも、ワニやカバたちとさえ遊んでいた。力は単なる力であり、よい目的にも、悪い目的にも使える。エジプト人はオリオンの協力を得る方法を見出し、そこから非常に高いレベルの実現化意識を発達させた。ヒビルは自分たちの欲しいものを手に入れるために、この能力を会得したいと思った。

 多次元性にアクセスするためには、「場所の力」にアクセスするために土の領域の協力を得なければならない。そして土の領域を活性化するためにはガイアの意図を受け取る必要があった。ワニたちがシリカ(二酸化珪素)の泥の中でごろごろしている神殿の最下層では、それが行なわれていた。

 ワニは血が冷たく、鉱物の領域に同調している。人間は血が温かく、植物と同調している。ワニは泥を愛し、人間はエデンの園を愛する。エジプト人は爬虫類のパワー・ポイントに神殿を建て、シリカの泥の中で遊ぶワニたちの波動と、生い茂った草地に憩う祖母なるカバの波動を合わせれば、占星学を使って二次元の土の領域の性質が占えることを発見したのである。

「次元」と「土」の領域が接点をもつパワー・スポットがいくつか存在するが、ケムもそのような場所であった。まずガイアが一次元で、二次元は泥の中で振動して土の力にアクセスする爬虫類、そして三次元は、惑星のパターン分析によって四次元の視覚を誘発するエジプトの占星学者である。水晶のレンズは五次元から九次元までの宇宙の叡智にアクセスしていた。

 ヒビルはアヌンナキのニビル式技術の熟練者だったが、エジプト人はシリウス式技術の熟練者であった。シリウスの知識は決して秘密ではないが、めったに理解されないので、そのための適切なレンズが重要なのである。

 「レンズ?」と当惑している人は、何かの本を最後まで読んだのに、言いたいことが全然わからなかった経験があるかもしれない。その時点では、その本にアクセスするための内なる知恵が自分に備わっていなかった、ということなのである。シリウスの知識は万人に開かれているが、探求者に六次元の視覚がなければ理解できないのである。

 六次元の視覚を持つ者はまれなので、地球で誰かがそのレベルに達したときは、ぜひ祝うべき理由になる。エジプトやギリシャの神殿、ホピ族のダンスなども、同じ理由ですべての訪問者に開かれている。エジプトもギリシャもホピの地も、崇められ、怖れられ、しばしば侵略されてきた。それは嫉妬を招いたからである。

エジプトの座位分娩(ざいぶんべん)

 エジプトのコム・オンボ神殿に、婦人科に使われた医療器具のレリーフが残されている。当時の出産は座位分娩(ざいぶんべん)であった。

 日本では昭和の中頃まで、出産は自宅で行われるのが一般的で、分娩(ぶんべん)は座って行われるのが普通であった。これは妊婦の体に良い、楽な姿勢だったためである。妊婦の座る部分の畳をあげ、藁(わら)などを敷き、また天井から綱を吊るし、それにつかまって出産をすることもあった。

 現在の出産は、病院や助産院の分娩台の上で行われるのが一般的である。妊婦はその上に仰向けになり、両足を広げる「仰臥位(ぎょうがい)」と呼ばれる体勢になる。これは欧米の産科学の普及に伴い導入されたもので、妊婦自身の産みやすさよりも、分娩を助ける産科医の利便が重視されている。

■紀元前1500年頃

 シリウスAからやってきた人魚種族のシリウス人が、ドゴン族に文明を伝える。ドゴン族はマリ共和国のニジェール川流域に面したバンディアガラの断崖に居住する民族で、人口は約25万人。後にドゴン族の伝承には次のようなものがある。

●シリウスの周りには「ポ・トロ」と呼ばれる星が50年で一巡りしている。

●「ポ・トロ」の通り道は楕円で、母なる星(シリウスのこと)はその2焦点の一方に位置する。

●「ポ・トロ」は全天で最も小さくて、重く、色は白く、地上にない種類の非常に重い金属からできている。

●「母なる星」には、ポ・トロの4倍も重く、通り道もずっと大きい「エンメ・ヤ」(第3の星)が回っており、さらにそれを、ノンモ(両生人)の住むニャン・トロ(ノンモの故郷星)が回っている。

●遠い昔、ノンモが地上を訪れ、オゴ(人類)に文明を与えてくれた。

●太陽系の木星には4つの衛星があり、土星には輪が存在する。

■紀元前1353年頃

 この頃、アヌンナキの黒色同胞団(ブラック・イルミナティ)に征服されたエジプトのファラオでアメンホテプ4世であるアクエンアテンが即位し、有翼円盤に象徴されるアテン神への信仰が起こる。その王妃ネフェルティティ(ツタンカーメンの義母)の肖像画は、火星の大地にも描かれている。

 アクエンアテンは聖白色同胞団(ホワイト・イルミナティ)の存在であり、古代エジプトに仲間とともに光を持ち込んだ。それまでエジプト人たちは光を見たことがなく、彼らは多くの現代人同様、光の余りの明るさゆえにそれを理解できなかった。それは彼らにとって恐ろしいものであったゆえに、結局彼らの多くが、暗闇の快適さの中へと後ずさりすることになってしまった。

■紀元前1324年頃

アクエンアテンのアマルナ革命

 紀元前1346年の在位4年、聖白色同胞団(ホワイト・イルミナティ)のアメンホテプ4世(後のアクエンアテン)は、歴史に著名なアテン信仰を宣言する。この年はまた、今日アマルナとして知られる新都アケトアテン(「アテンの地平」の意)の建設が開始された年だと信じられている。在位5年目には、アメンホテプ4世は彼の新たな信仰の証として、みずからの名を公式にアク・エン・アテン(アテンに愛される者)に変更した。それは1月2日頃であったと推定される。在位7年目には、王国の首都はテーベより、アケトアテンへと遷都された。とはいえ、新都の建設はなお進行中であり、更に二年を要して都市としての体裁を整えたと考えられる。新都は王と王妃、二人の新しい信仰に献げられた。また遷都の前後、王妃ネフェルティティの胸像は作成されていたと考えられている。

 聖白色同胞団(ホワイト・イルミナティ)のアクエンアテンを父に持つエジプトのツタンカーメン王の墓から、天皇家の菊花紋の青銅器製が出土する。エジプトはシリウス星人が創造した文明である。

ツタンカーメン王と双子の宇宙人

 黄金の宝飾品と共にツタンカーメン王の墓から発見された二体の新生児は双子で、ツタンカーメン王の娘だった。この双子のミイラは人間の姿には見えず、宇宙人であった。妻はファラオ・アクエンアテンと正妃ネフェルティティの三女アンケセナーメンであった。ツタンカーメン王は紀元前1341年に生まれ、8才または9才の時に王座に座り、それから10年も満たない後に亡くなっている。

■紀元前1290年頃

 地球の人々が物欲的に傾き、エジプトの上流社会ではギリシャと同じく、麻薬はありふれたものとなり、動物とのセックスさえがまれなことではなく、自然と宇宙の法則に絶対的に反する行ないが蔓延していた。ティアウーバ星人の使命は、助けを必要と見なした人々を援助することだが、この時点で介入して歴史の方向性を変える決定を下した。ヘブライ人(ユダヤ人)は邪悪になったエジプト人のもとではもはや進歩する見込みがなかったために、ティアウーバ星人はユダヤ人をエジプトから脱出させなければならなかった。

 それは彼らが、はからずも地球に到着して間もなくのことだったが、エジプトから故郷の地へユダヤ人を導く1人の人物を送り込むことが決定された。その頃、第8カテゴリーレベルの惑星ナクシティでは、クシオスティンという名前の人物がちょうど死んだところであった。彼のアストラル体(魂)はティアウーバ星での生まれ変わりを待っていたが、その代わりに地球において、ユダヤ人の解放者になるために肉体を得ることを求められたのである。彼はそれに同意し、モーゼとして地球へ派遣されることになった。

 父ヤコブ(古事記のニニギノミコト)に最も可愛がられていた11男ヨセフ(古事記のホオリ)は、一番下の弟ベニヤミンを除いた兄たちの嫉妬をかい、エジプトに売られてしまう。ところが、当時世界中を襲った大飢饉から逃れるため、ヤコブと息子たちの一族が全ての財産と家畜を伴いエジプトに赴くと、そこで彼らを迎えたのは、ファラオに次ぐ地位であるエジプト首相に就いていた11男ヨセフだった。ヨセフは兄弟たちを許し、イスラエル一族はエジプトの地で子孫を増やして大いに栄えた。だがヨセフの死後、ヒクソス人が駆逐されると、ヘブライの勢力を恐れたファラオが、彼らを奴隷の境遇に突き落としてしまった。

モーゼ

 ユダヤ人にとっては奴隷時代が400年程続いた。そうした中、モーゼという一人の男が立ち上がる。苦境の中にあったイスラエル人が待ち望むメシアにして、偉大なる大預言者であった。彼は紀元前1290年に全イスラエル民族を率いてエジプトを脱出。以後3年半にも及ぶ集団放浪生活を送ったが、この間に神はイスラエル民族に「十戒石板」「マナの壷」「アロンの杖」という三種の神器と、それを入れる「契約の聖櫃(アーク)」を授けた。これは神とされたニビル星のアヌンナキとイスラエル12支族との契約の証しで、古代ヘブライ教(原ユダヤ教)の成立を意味した。

 十戒が刻まれた石板を収めた契約の箱であるアークを、モーゼはニビル星のアヌンナキから授かったもので、紀元前2024年の核戦争に使用されたウランを保管していたものである。アークはやがて日本の神輿の文化へとつながっていく。神輿をかついで街をねり歩くその光景は、ダビデが契約の箱をエルサレムに導き入れたときの光景である。神輿をかつぐ者たちの正式な服装は白の祭司服である。ダビデやレビ人たちも、白の祭司服を着ていた。

 後にモーゼは大司祭などには厳しい戒律を設けた。また日本で葬式から帰ったら塩を撒くような習慣は、当時のイスラエルでも清めの儀式として行われていた。

モーゼのエッセネ派の創立とクムラン

 ベガ星ではザイと呼ばれていた地球への転生者は、ある時はイエス・キリストとして、そしてある時はモーゼとして転生し、地球人を陽性化することに努めてきた。彼はすでに504回の人生を地球で送っている。

 モーゼとしての転生時には、背が高く、髭をたくわえた長髪の男が群集に語りかけ、人々はありがたく彼の話に耳を傾けていた。この演説は人間のために14の規律を設けたときのことである。規律の内容を分析し、大昔からベガ星で実践されている集団生活の重要性を学んでもらうためのものだった。モーゼはそこで、エッセネと呼ばれる集団を創立した。この名称は、ベガ星の言葉である<エス・ニエ>から派生したもので、その意味は地球の言葉で、<集結された力>と訳せる。この<エス・ニエ>が時を経て、<エッセネ>と言う言葉に変わった。エッセネ派の創立は、長い間中断されていた地球訪問が再開されて以来の、人間の陽性化を促すザイの試みの一つだった。ザイは気が遠くなるほどの長い間、宇宙現象に阻害されてこの銀河へ来ることができなかったのである。現代ではエッセネ派とは、紀元前2世紀から紀元1世紀にかけて存在したユダヤ教の一グループの呼称で、現代では複数の関連のある集団がまとめてエッセネ派という名で言及されていたと考えられている。

 モーゼは地球人が、一つの社会で和合して暮らせるように彼らを導きたかった。それは階級や差別のない、怠惰や金銭の存在しない平和な社会の創設だった。それはちょうど、彼らが地球に住み始めた頃の時と同じ状態に戻したかったのである。地球の兄弟たちの間に、集団労働と学習を糧(かて)とする一つの組織を復活させたかったのである。この組織を通して、地球に生きるすべての生命体を平等に守ろうと考えた。そうすればベガ星と同じように、生活において完璧な調和が達成されるはずだった。

 しかしザイであるモーゼの試みは時が経つにつれて、エゴイズムによって歪曲されてしまった。当初は、集団生活を送る陽性のグループが形成されたが、その後、正規の規律は変更され、利己的な利益追求に都合のいい内容に書き換えられてしまった。こうして少しずつ、かつて陽性だったグループは、さまざまな政治的なグループや宗教的なグループへと姿を変えてしまったのである。

 当初そのグループは中規模の村を形成し、男女の大人たちと子供たちは完璧な調和のうちに暮らしていた。彼らは集団学習や労働に励み、金銭は存在しなかった。彼らはベジタリアンで、植物や動物や人間を平等に考えていた。和合と集団学習、そして集団労働の結果、彼らは超能力と呼べる力を獲得するようになり、地球だけでなく宇宙の現象にも対処できるようになった。

 しかし、世代交代が行なわれていくうちに、エゴイズムは金銭の必要性を唱えるようになり、その考えがすべての人々に取り憑き、それが組織の陽性を歪めさせていった。そしてついにコミュニティーの生活は、軍隊生活に似た暮らしへと様変わりしてしまった。そしてそんな生活に適応できる人はいなかった。社会生活から婚姻というものが排除された結果、ベガ星人にとってもっとも神聖な生殖というものが否定されてしまったのである。

 このエッセネ派が集団生活を行なった場所は、現在はクムランと呼ばれている場所で、死海の沿岸にあるカリアの街の近くである。そこはこの惑星でも、もっとも陽性のレベルが高い場所の一つであり、そこは太古の時代に、まだ地球がリラ星の一部であった頃には、リラ星人の科学者たちがそこに研究所を構えていた。ちなみに当時その場所は、<クン・ラ>と呼ばれていた。リラ星の言葉で、<賢者の卓>という意味である。

 リラ星人であるラーは、そこでタイム・スクリーンとミニウスの活用法を開発した。こうした経緯を踏まえて、エッセネ派は<クン・ラ>に地球初の陽性コミュニティーを設立したのである。その時の人間たちはすでにエゴイズムにすっかり影響されており、リラ星人の生活様式を忘れてしまっていた。