早稲田と東大の、早稲田の方。
彼と出会ったのは、アルバイト先だった。
「東大と早稲田の大学生が来る」と聞いた時は、正直「インテリは苦手」という言葉しか出てこなかったのを覚えている。とんだ偏見だけど、当時の僕は周りにインテリと呼べる人はあまりいなくて、いわゆる食わず嫌いである。食べてみたら、めちゃめちゃ美味しかった。
東大の方は、エグザイルのオーディションを5回受けて6回落ちそうなやつ。セカンドバックを持って出勤してくる彼を見て、「人は見かけによらない」という言葉を使うなら今しかない、そう思った。
早稲田の方は、絵に描いたような関西人で、初めて会った時から愛情たっぷり接してくれた。1年間休学して世界を旅していた彼は、「タバコを辞めれるか辞めれないかはメンタルなんすよ」と『タバコの辞め方』みたいな立派な本をみんなに真顔で自慢していた。もちろん、彼は今でもタバコを吸っている。僕はそういうところが好きだ。
早稲田の方が、アルゼンチンに来た。なんとか山を登山した帰りに、最後の思い出ということでアルゼンチンに寄ってくれた。日本の友人がこっちに来るのはこれが初めてで(もしかしたら最後かもしれない)、なんというか不思議な感覚だった。
「場所が変わると、話す内容や温度も変わってくる」と言ったのは、あのかの有名な、僕だ。日本にいる時はなかなか照れくさくて話せなかったけど、アルゼンチンという地球の反対側まで来てくれた友達には、もう全て隠さず何もかも話してしまおう、そんな気分になる。
「悩みとか迷いとか、死ぬまで尽きないんですかね〜」と、早稲田は言った。
僕はそうは思わない。多分、死んだ後も悩んでいる。
全て奇跡のように感じるのは、人生で今が初めてだ。今まで出会ってきた人も、今まで辿ってきた人生も、全て奇跡のように感じる。偶然を通り越している。早稲田の方にも、僕がいい歳こいてアルバイトをするという選択をしていなければ絶対に出会うことのなかった早稲田だし、僕がアルゼンチンに来ることがなければこんな素敵な経験は出来ていない。ここに来れたのも、いろんな奇跡が重なってなし得たものだ。僕の力ではない。
日本を離れて1ヶ月。まだまだ何もわかっていないけど、明らかに、幸せを感じる頻度は多くなった。日本で同じ出来事が起きても幸せに感じないことを、幸せに感じることができる。こんな良いことありますか。
どっかから友達がやってきて、自分の地元を紹介したり、自分が住んでいる国を紹介したり、一緒に観光したりするのは本当に有意義なことで、それはもう何にも変えられない。次に奇跡的に友達が来た時は、しっかりスペイン語を話せるようになっていて、色んな場所を知っていて、なおかつ幸せオーラぷんぷんでお出迎えしたい。
『人は奇跡を感じるほどの体験をした時に、初めて自分の人生を振り返る』
と言ったのは、紛れもなく、僕である。