人間の脳は「行動」をどう生成するのか
https://www.porsonale.co.jp/semi_c186.htm より
人間の「脳」のメカニズム、ないしシステムを解明して正しく理解することの意義
ポルソナーレのカウンセリング・ゼミは、「人間の脳」についてのレクチュアをつづけてきています。
平成20年1月で「第9期」は、「人間の脳」は「どのように言葉をつくり出すのか?」「どのように、行動をつくり出すのか?」のメカニズムを明らかにすることができました。
このメカニズムの解明は、「人間の脳は、どのように知能をつくり出すのか?」の解明と同じ意味をもちます。
すでに皆さまもご存知のように、世界の経済学の分野でも同じように「経済のメカニズム、システム」についての考察と研究がおこなわれています。
平成19年12月10日には、「経済のメカニズム、システムにかんするデザイン」の研究にたいして経済ノーベル賞が授与されました。
アメリカ・ミネソタ大学のハーウィッツ名誉教授、アメリカ・シカゴ大学マイヤーソン教授、アメリカ・プリンストン高等研究所のマスキン教授の3人です。
日経新聞に連載された東京大学准教授、柳川範之の解説によると、経済社会を大きく、広い目で見ると、ここにはたくさんの人々や企業の「意思」が働いていて、「経済社会」そのものがうまく機能しているとはいいがたい、ということが「メカニズム、システムの研究、開発」の根拠になっています。
人は、なぜ目先の短期利益にしがみつくのか
たとえば、日本では「食品の偽装」という問題が分かりやすいとされます。
偽装をせず、「ヤル気」を出すシステムは、評判とか信用、そして「みっともない」「恥かしいことだ」というプライドやモラルが「システム」をになっている場合は、経済活動も正常に機能します。
しかし、「偽装」の行為をおこなって「評判」をなくした場合、そこにはどれくらいのデメリットや利益の低下が見込まれるのか?の予想がはっきりしない場合、「短期的なメリット」を追う仕組みをつくり、実行するということが起こる、と考えられました。
旧来の経済活動の仕組みをつくる「要素」の善意や道徳観は、経済社会の限界をもたらし、きわめて危うく、不安定になっていると考えられています。
ここでは、「目先の短期利益」と「長期的に永続しうる長期利益」という二つの概念がぶつかり合っていることがお分りでしょう。
経済の場合、材料、燃料、食材といった「資源」の「分配」が世界的な規模で大きな問題になっています。
「偽装」というテーマは、経済のシステムやメカニズムにとって分かりやすい問題です。しかし、「消費」と「生産」という概念をとおして、世界レベルの経済のシステムやメカニズムを見ると、需要と供給のシステムを超えたところでコストの高騰が起こっています。初めは、中国やインドの大量消費、クジラのような「ガブ飲み」(原油)でした。しかし、平成19年度の一年間の国際経済社会の動向を見ると、生産のためのコストが「低コスト」から「高コスト」に移行していることと、第三次産業の生産力の伸び悩みの二つが大きな理由で、「偽装」のケースも同じように「目先の短期利益」の獲得のために需要と供給のメカニズム、システムを崩壊させている、ということが起こっています。これは、日本以外の欧米そして、中国、ロシア、中東、東南アジアで引き起こされています。日経をお読みになっている皆さまはすでにご存知のとおり、日本はこの「コストの高騰」の競争から今、完全に脱落していて、「長期利益の獲得の道」から転落しています。
肝心なところは、欧米では、経済学者にノーベル賞を与えても「経済社会のメカニズム、システムデザイン」を再構築して「未来」や「将来」も生き残り、勝ち残っていくヴィジョンを創出しようとしている、ということです。
日本もそうすればいいではないか?と皆さまはお思いでしょう。
しかし、日本でそのように考える人は、個人の資金も企業の資金も、全て、「海外」に移しています。それがあまりにもあからさまで、なりふりもかまわないので、個人資金の受け容れが拒否されるという現象も起こっています。
日本人の「行動」は、食品の偽装に象徴されるように「目先の短期利益」のことにしか向かわずに、「長期利益」という「存続」や「生き残り」に向かう「行動」にはなっていない、ということをよくお分りいただけていることと思います。
この原因は、「行動」の面や「言葉」の面をとりあげるといくつもいくつも指摘されます。それは、おもに病気をつくり出す原因の数だけ無数にテーブルの上に並べられるものです。しかし、「病気」は減らないばかりか、もっと増加しています。このことは、「行動」や「言葉」の改善や是正のアクション・プログラムを差し出しても、それ自体が不能に陥っていることを意味しています。
「長期記憶のソース・モニタリング」がおこなわれていない脳のメカニズムに原因
「説明」の言葉や「行動」の必要を説く言葉は、「目先の短期利益」の以外は、「脳」の中に記憶としてとどまりえていないということです。
このことは、日本人は「長期的な利益」のための「行動」をおこなうことができないというように言い換えても同じです。
これまでにご説明してきた「脳の働き」の本質にしたがうと、「行動」には「言葉」が必要です。
脳は「記憶のソース・モニタリング」のメカニズムによって「言葉」を表象(ひょうしょう)させます。目で見たり耳で聞いて認知した現実の対象と、表象(ひょうしょう)した言葉とその意味のイメージと一致した時、その対象を「短期記憶」として記憶します。
この「短期記憶」が「行動」としてあらわされます。言葉に出して話す、手を動かす、足を動かす、もしくは、目でじっと見つめて「認識」を深める、などが「行動」です。
では、脳はこのような「行動」をどのようにつくり出すのか?これが今回のお話のテーマです。この「脳」のシステムとメカニズムが明らかになると、日本人の「脳の働き方」の仕組みも明らかになります。
「脳のシステム、ないしメカニズム」は、「乳児の脳」がどのように「行動」をつくり出すのか?を解明することで普遍的なシステムないしメカニズムが明らかになります。なぜならば、「乳児」は、あらかじめ何の学習も訓練も知識もなく「行動」を生成するからです。
無藤隆は『赤ん坊から見た世界・言語以前の光景』(講談社現代新書)の中で、次のように記述しています。
『赤ん坊から見た世界・言語以前の光景』・3(無藤隆)
乳児は、ほとんど何も分かっておらず、混沌(こんとん)とした世界に住んでいると考えられている。ほとんど何も分かっていない状態から、かなり分かって大人に近い状態に進むのが発達である。最初の数ヵ月で対人的な世界と、物理的な物の世界を安定したものとしてとらえる。
乳児(生後2か月めと3か月め)は、「物」がもつ最も基本的な在り方を分かるようになる。
「物がまさに、そこに存在している」ということの最も基本的な特徴は、時間的、空間的に、そこに在る、ということである。いいかえると、突然になくなる、とか、突然に位置を変えたりせず、同じ場所を二つの物が重複して占めたりしない、といったことだ。
今、ある物が見えているとしよう。
それに触れるし、手でつかめる、という意味で「その物が存在している」と理解するだろう。もし、見ている自分の「視界から見えなくなった」時に、「それはもはや存在しない」という思い方もある。これは、必ずしもひねくれた考え方とはいえない。理論上は、こうした考え方も成り立つのである。
だが、素朴(そぼく)な実感レベルの認識では、「物」は、見えない間も存在していると信じている。
「乳児」の場合も同じなのだろうか。
「乳児」は、「物」が見えなくなっても存在していることが分かっているのか?
この乳児の「認識」についての最も古典的な観察としてよく知られているのはピアジェ(スイスの発達心理学者。子どもの認識の研究の創始者)の記述である。
ピアジェは次のように述べている。
生後8ヵ月くらいの乳児の前 に小さなうさぎのおもちゃを置く。
このうさぎのおもちゃに白いカバーをおおいかぶせて見えなくする。(うさぎのおもちゃが消える)。
乳児は、うさぎのおもちゃを見ていた動作をそのまま持続する。(うさぎのおもちゃをテーブルの下に落して見えなくさせると、最後に見えた場所をじっと見つづけるのだ。生後数ヵ月は、この状態にある)。
カバーをかけたうさぎのおもちゃの下を探すことはしない。うさぎのおもちゃを、乳児のいるテーブルの下に落す、とする。乳児は、うさぎのおもちゃを探し求めて、床を見つめる。しかし、うさぎのおもちゃが転がって落ちた地点には無い場合、うさぎのおもちゃはすぐには見つからない。すると乳児は、諦める。
生後8ヵ月から12ヵ月ごろになると、乳児は、うさぎのおもちゃにカバーをかけて隠すと、そのカバーを取り除き、ほしいうさぎのおもちゃを取ろうとする。見えなくても存在すると理解する。
テーブルの上にフタのない箱を二つ置く。うさぎのおもちゃを入れると隠れて見えなくなる大きさの箱だ。
Aの箱に、うさぎのおもちゃを入れて隠してから取り出す、ということを数回、くりかえす。
この後に、Bの箱にうさぎのおもちゃを入れて隠す。
乳児は、Bの箱ではなくて、初めに隠したAの箱を探す。
同じように、AのカバーとBのカバーを二つ用意する。
Aのカバーでうさぎのおもちゃを隠して取り出す。これを数回くりかえす。
次に、Bのカバーをかけて、うさぎのおもちゃを隠す。乳児は、目の前で隠したBのカバーを取ってうさぎのおもちゃを探すのではなく、初めのAのカバーを取る。
満1歳になると、過去の探索習慣への依存を克服する。対象を最後に見た所のみを探すようになる。
だが、カバーをかけて隠したままのおもちゃのうさぎを、カバーごと移動して別の新たな所に隠すと、その新たな場所を探す、ということはできない。「置き換え」という目に見えない行程が理解されていない。
乳児は、一歳半ごろになると、目に見えない置き換えを理解するようになる。
「自分の行為とは無関係に、対象が、自分と他者との共通の場所に実在し、存在しつづけることを分かるようになる。このときの対象のあり方を、対象の永続性という。対象の永続性が分かるようになる」(ピアジェ)。
ピアジェのこの観察は、世界中の多くの実験によって確証されてきた。これらの個々の事実に間違いはない。
これによって、乳児は、少しずつ「客観的な物理対象と空間を創り出していく」と考えられるようになった。初めは、自分の行為の延長に対象を考えていた。これが乳児期の終わりの頃になると、「自分の行為」とは「独立の対象」を把握できるようになる、という発達のメカニズムがとらえられた。
ピアジェとその後の乳児についての実験は、「乳児に物を示す。すると、乳児はその物をどのように取ったり、探すか?」にテーマをしぼっていた。ここで問題になるのは、「認識すること」を「探すという行為」のフィルターで見ていることだ。「探す」ことが未完成の場合、同時に「認識する能力」も低く評価される。全体としては「探す能力の発達」が研究されていることになる。
そこで、「乳児の認識」についての実験が必要になる。それは、次のようなものだ。
「乳児は、新しい物を好んで見る」という特性をもつ。
乳児は、ある物をくりかえし見せられると、自発的に、その物を見る「注視率」が減少する。つまり、「飽きる」のだ。その後にまた新しい物を見せると「注視率」が上がる。この特性は、新生児にも、乳児期の全体をとおして認められる安定した傾向である。
すなわち、「新しい物を見せると注視率が上がる」。ここで「同じ物を見せても注視率は上がらない」。
このことは、「注視率」が上がれば、「前の物」とは区別して見ている、ことを意味する。もし「注視率」が上がらなければ区別して見ていない、ということだ。
「物の認識」の基本の「物を同一のものとして認識しているか?認識していないのか?」が分かる。(注。同一のものと認識することを「馴化」(じゅんか)という)。
アメリカのコーネル大学のスペルケらの研究グループの実験の要旨を説明する。
「乳児」は、生後4ヵ月半だ。
実験1…テーブルの上に、うさぎのおもちゃを置く。うさぎは、回転して後ろ向きに倒れる。この動きをくりかえして見せると、「注視率」が下がる。
実験2…テーブルの上に箱を置く。うさぎのおもちゃは後ろに下がって、箱を隠して、止まる。
実験3…テーブルの上に箱を置く。うさぎのおもちゃは、箱を隠して、箱の向こう側で倒れて姿が見えなくなる。
結論…この実験では、「実験3」の「注視率」が最も長かった。すなわち、「物は、隠されても、乳児はそこに存在する」ということを理解していることを実証する。また、乳児は、「目に見えない動き」も理解していることも実証する。
生後4ヵ月の乳児の「物理的な認識」の能力をスペルケらの研究グループは次のようにまとめる。
乳児は、目の前にある物を目で見るとき、その物が動いて見えなくなっても、その物は「動いて」、「見えなくなっても存在する」ことを「表象」(ひょうしょう)する。
その物が姿を隠して見えなくなっても「その物」についての理解は消えない。自分が歩いて、その物に近づいていき、その物を手に入れるという、能動的な表象(ひょうしょう)の能力をもつ。
乳児は、「物は、連続して動く」「連続して動いても、初めに見たとおりの姿で存在する」と理解している。
乳児は、「物」が隠されていても、その「物」は、物にぶつからないかぎり、連続して動くと、推理する。
生後4ヵ月の乳児のこのような「認識」の能力の上に、ピアジェが観察した「本人が動いて、物を探索する」という空間の認識が重なっている。すなわち、乳児が手を伸ばし、後には自らが移動して物を探したり、引き寄せるという「動的な認識」が発達していく。これは、生後4ヵ月までの「静的な物理認識」の上につくり出されるものだ。
その発達は、0歳の後半、「8ヵ月」から「10ヵ月」の身体移動が可能になる時期にズレてあらわされる。
「脳のソフトウェア」のメカニズムをおさらいしましょう
無藤隆(むとうたかし)の「乳児」(0歳4ヵ月から0歳12ヵ月までの子ども)の「脳の働き方」を観察した「事実」と「事実関係」を再構成してご紹介しました。
「脳の働き方」を正しく分かるには、脳の働きを構成するもう一つの「事実」とその「言葉」をとおして理解することが必要です。
これまでの「胎児」「新生児」「生後1ヵ月から3ヵ月までの乳児」の脳の働き方を構成する「言葉」を、ここでもう一度、簡単に整理してみます。
このような作業を、「前提を構築する」といいます。
脳の働きは、自律神経がつくり出します。自律神経とは「交感神経」と「副交感神経」の二つのことでした。
すでに皆さまにはよくお分りのとおり、「自律神経」は、「首から上の脳」と「首から下の身体」とでは、その働き方は全く違います。
自律神経が働くスタートは、「脳幹」です。ここに青斑核(せいはんかく)というA6神経の中枢があります。A6神経は「副交感神経」です。ノルアドレナリン(猛毒のホルモン)という神経伝達物質をつくって、恒常性(ホメオスタシス)としてエネルギーの保存やエネルギーの確保をおこないます。「首から下の身体」では、心臓や肺、呼吸機能、胃や腸、生殖器を働かせることは、よくご存知のとおりです。
一方、「首から上」の「脳」では、A6神経の「副交感神経」は、どのように「恒常性」(ホメオスタシス)を働かせるのでしたでしょうか。
脳が働く、とは主に、五官覚の「目」や「耳」が働くということと同義です。脳は、「記憶すること」と「記憶を思い出すこと」と「思い出した記憶のとおりに五官覚の知覚神経を動かすこと」の三つをメカニズムの特性にしているからです。
自律神経は、このメカニズムを働かせます。
A6神経の「副交感神経」は、「目」(視覚)の場合、「近くに焦点を合わせる」「色や形象のこまかいいりくみを分かる」というように機能させます。目(視覚)のこのような機能を「X経路の機能」といいます。「X経路」は「左脳」で働きます。「左脳」は、どういう働きをする脳(大脳)か?というと「言葉」「言語」「数字」「記号」を憶えて、表現します。簡単にいうと「目で見たものを認識する」のです。
「認識」とは、「Aのもの」と「Bのもの」とを比べて、違いを分かって、その形象性や属性や性質を分かる、ということでした。このような「脳の認識」の機能をごく当り前に(つまり、恒常性として)働かせるのは「女性の脳(大脳)」でした。
「女性」は、視床下部(大脳辺縁系に所在します)の「視索前野」(しさくぜんや)という副交感神経の中枢によって「動機」(欲求や生(なま)の感情のことです)をつくり、目(視覚)のX経路の「認識すること」を、恒常性(ホメオスタシス)のメカニズムとして働かせるのです。
自律神経の「下向システム」と「上向システム」について
胎児、新生児、乳児(生後三ヵ月めまでの子ども)にも自律神経は働いています。このことは、胎児が「子宮」の中で羊水(ようすい)を飲んだり、吐き出したりして「液体呼吸」をおこなっている事実によっても証明されます。呼吸は、副交感神経が支配していることはご存知のとおりです。自律神経が「首から下」に働く場合を「下向システム」といいます。
自律神経は「下向システム」だけしか働かないということはありません。「下向システム」が働くということは「首から上の上向システム」としても働く、ということです。「上向システム」として働く副交感神経は、「左脳」を働かせる、という結論になるのです。このような説明の仕方を「論理実証」といいます。このような説明の仕方をおこなうことを「論理実証主義」といいます。ちなみに、平成20年1月9日の日経の『私の履歴書』欄に、アメリカの前FRB議長のアラン・グリーンスパンが、「事象を直接、観察して、この上に概念的な土台を築く」ことをおこなってきて、この論理実証によって「アメリカ経済の市場をコントロールしてきた」とのべています。
「乳児」(生後三ヵ月からの子ども)は、「左脳」を機能させるためのメカニズムの構成要素の「X経路」による認識のシステムを完成させています。この「X経路の認識のシステム」は、どのようにメカニズムを機能させるのか?についてご一緒に考えています。
すでに、前回の本ゼミでは、「ゲシュタルトの法則」が働いて、「認識を成立させる」とご説明しています。「ゲシュタルトの法則」(原理)とは、何のことでしたでしょうか。
「ゲシュタルトの法則」とは、ひとことでいうと「パターン認知」のことでした。「パターン認知」とは「ひとつのまとまりとして、統一したものとしてとらえる」ということです。典型的な事例は、「光の移動」の「認知」です。
暗い公園の中に、離れたA点とB点の地点に、それぞれ懐中電灯を持った人物がいるとしましょう。
A点とB点の懐中電灯を、少しの時間の間隔をおいて、交互に光を点滅させます。
この点滅を、遠くに離れた位置から見ると「光が動いている」ように見えます。「見える」というのは、「認知される」ということです。「動いているように」というのが「パターン」です。
このような認知は、視覚の「Y経路」がおこないます。「Y経路」は、「色は知覚しない」「動きや動きの方向、動きの角度」を認知します。
頭頂葉で記憶して、「右脳」のブローカー言語野に表象させるのです。
このように、「胎児」「新生児」「生後3ヵ月の乳児」の「脳の働き方のメカニズム」と、ここでの右脳への認知の表象(ひょうしょう)、および、左脳での認識の表現のシステムについての実証的な説明をとおして、分かることは、一体、何でしょうか。
ここで、ピアジェと、無藤隆(むとうたかし)の紹介するアメリカのコーネル大学のスペルケが観察した「乳児」の「脳の働き」の能力についての結論をまとめてみましょう。
ピアジェによる乳児の能力の観察
生後8ヵ月の乳児は、物の動きをじっと見る。その物が見えなくなっても、見ている動作を保つ。
生後8ヵ月から10ヵ月の乳児は、見ている物にカバーをかけて隠しても、カバーの中に物があることを分かる。
満1歳になった乳児は、物にカバーをかけて隠して、隠したままの物を別の場所に移動させると、新たな場所を探すことはできない。
コーネル大学スペルケの乳児の能力の観察
ピアジェは、「物を探す能力」を観察している。「物を認識する能力」についての観察ではない。
0歳4ヵ月の乳児は、新しい物を好んで見る、という特性をもつ。
0歳4ヵ月の乳児は、物が隠されても、物がそこに在ることを分かる。
0歳4ヵ月の乳児は、物が動くこと、物の動きの方向、物が動いて見えなくなってもその物はちゃんと存在すること、が分かる。また、物は、動きを止めるものがないかぎりどこまでも動く、ということが分かる。
胎児、新生児の脳の働き方のメカニズムについて
乳児は、生まれたばかりの新生児(生後1ヵ月)から、「息を吸う」(安心する)、「ミルクを飲む」(安心する)というように、X経路のメカニズムが機能しています。このX経路は、何について安心を認識するのかというと、「母親の胎外に出て独力で息を吸うこと」(エネルギーの消費)にたいして、「息を吐く」(副交感神経が支配)という安心の認知を「認識する」のです。
また、身体の生命活動に必要なミルクの摂取にたいしても安心します。この「安心する」ということは、「視覚」の働きに置き換えると「X経路」のメカニズムになります。
乳児のこのような「X経路」の働きは、「泣くこと」としても表現される、とご説明いたしました。「泣くこと」は、空腹であったり、エネルギーの代謝のためにもっと酸素が必要である、という「X経路系」(副交感神経)の認識です。
新生児や乳児の「泣き」は、何を認識するのでしょうか。「母親」(保護者)が近づいてきたり、遠くの位置から「声をかけてくれること」を認識するのです。
この「認識」は、当然、「認知したこと」についての認識でなければなりません。
「母親が遠くからやってきてミルクを飲ませる」「母親が遠くの位置から、声をかけたことが聞こえる」「母親の顔がパッと笑顔に変わる」などの「Y経路」のパターン認知を「認識」するのです。
新生児、乳児の時は、「認知」と「認識」のシステムを完成させている
すると、「乳児」は、生後1ヵ月めの「新生児」から生後2ヵ月の「乳児」の段階で、「母親」を対象にして「物が動くこと」「物が遠くに移動すること」「物が見えなくなってもちゃんと存在すること」などを認知(Y経路系・右脳)したり、認識(X経路系・左脳)するという脳の働き方のメカニズムとシステムを完成させていて、正常に働かせていることが分かります。
X経路系(左脳)の「認識」とは、「何を」と「どうした」の言葉のパターンに相当します。
Y経路系(右脳)の「認知」とは、「いつ」「どこで」「何が」「どのように」の言葉のパターンに相当します。「Y経路系」のパターン認知は、「母親の顔の動き」「母親の表情の変化」を認知します。これを「二・五次元の認知」といいます。この「二・五次元の認知」は、ゲシュタルトの法則として「触覚の認知」に還元されます。
「子ども自身の社会的な微笑」に象徴されるように、模倣として学習されて、身体機能(自分の手足を動かすこと、行動すること)の記憶になるのです。
「目に見えなくなった物の実在を分かること」が、脳の働き方のモデルになる
生後1ヵ月めの新生児と生後2ヵ月めの乳児が、「物の動き」や「物それ自体が見えなくなっても存在すること」を認知したり、認識しているとするならば、ピアジェやスペルケらが観察した0歳8ヵ月の乳児は、一体、何をしていることになるのでしょうか。
それは、乳児自身の「行動」のための脳の働き方のシステムをつくっていることになるのです。「行動する」とは、現在から未来に向かって身体を動かすことです。これは、「物が見えなくなっても存在する」というように、「見えない物」の記憶と、これについての「右脳でのイメージづくり」(表象・ひょうしょう)がなければなりません。Y経路系の「ゲシュタルトのパターン認知」が「認識」されて、記憶されていることが「行動」(手足を動かすこと)を可能にします。
0歳8ヵ月の乳児は、自分が手足を動かして動く、という「行動」づくりのための脳の働き方のシステムを準備していることになるのです。それは、「物が見えなくなっても、その物はちゃんと存在する」というゲシュタルトのパターン認知を記憶して、右脳に「その物」をイメージとして表象(ひょうしょう)させることで可能になります。
もし、「その物」が無くなってしまった、という認識であれば、今、げんに目の前には見えない対象に向かって「行動することはできない」のは、どなたにもよくお分りのとおりです。乳児は、「Y経路系」の「何が」と「どのように」に該当する「目に見えない対象」を「長期記憶」として記憶し、これを表象(ひょうしょう)させることで自分の手足を動かし、「現在」から「未来」に向かって行動する「記憶のソース・モニタリング」をおこなっています。
乳児の脳の働き方は、大人の脳の働き方のメカニズムのモデルになります。
すなわち「目に見えない対象」について、「何が」「どのように」の言葉のパターンに当る「言葉」を長期記憶として記憶していなければ、「現在」から「未来」に向かって、ただの一歩も「行動することはできない」、というようにです。