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人間の脳の働きの行動の生成・1 「記憶と行動」のメカニズム

2018.04.04 06:43

https://www.porsonale.co.jp/semi_c188.htm  より

脳の働き方のソフトウェアのメカニズムを解明して、理解することの意義

 平成20年1月25日の日経に、日本のノーベル賞受賞者の「利根川進教授」が、「人間の老化による記憶障害のメカニズムの解明に役立つ」として、「マウスの脳で信号伝達を遮断したり、回復させる技術を開発した」と報道されていました。

 内容のあらましの要点は次のとおりです。

マウスの脳をつかって、脳の海馬の領域で、新しい経験をすばやく記憶するのに必要な神経回路を発見した。

細菌の一種がもつ毒素を利用して「信号伝達物質」の放出を抑えた。すると神経回路が遮断した。

毒素を抑える抗生物質をまぜたエサを与えたら神経回路は回復した。

海馬は、いくつかの重要な領域に分けられていて、目、耳から入った情報は、こうした領域をさまざまな経路をとおって記憶にたくわえられる。

利根川進の研究チームは、「新しい環境で、危険を短時間で記憶する能力」をもつ神経回路だけを遮断する新技術を開発した。

(米マサチューセッツ工科大学、理科学研究所)

 ノーベル賞受賞級の世界の学者が「脳の働き方の解明や研究」にとりくんでいることは、前回の本ゼミでくわしくご紹介しました。この中に利根川進も並んでいることがお分りいただけると思います。

 なぜ、人間の脳の働き方についての解明が世界の最先端の知性の課題になっているのでしょうか。

脳の働き方がリスクと利益の一生を左右する

 前回のゼミでご紹介したとおり、世界の先進国の中で「階層分化」がすすんでいるからです。「階層分化」とは、日本では厚生労働省が算出して発表している「ジニ係数」が、年間所得が上昇していく人と、所得が増えずレベルダウンしていく人とに分かれていて、その「格差」が広がって固定化しているという階層社会のことです。GDP(国内総生産)を所得にして分配した結果の「分配率」が、「上流」と「下流」とに分かれて「中流」がいなくなっているという経済社会の状況のことです。イギリスが「階層社会」が完成し、ついでアメリカが完成に近づいていて、日本は「61%」が「下流化している」という状況になっています。

 「下流層」は、「下層」に変わることはあっても、「上流」に変わることはまずありえない、と三浦展(あつし)(『下流社会』光文社新書)はのべています。

 財政赤字がつづく中で、生活、医療、教育などへの「福祉費」が膨張していくことに加えて、「もし、下流層が上流層と同じように知的な生産力を身につけていると仮定すれば、そこにはどれくらいの損害が発生していることになるのか?」が試算されました。この「コスト増」と「試算された損害」が根拠になって「脳の働き方の解明」に向かわせているのです。

 しかし、初めにご紹介した「利根川進のマウスによる記憶障害の解明」に見るようにここには大きな問題があります。

 アメリカや日本のノーベル賞受賞クラスの学者らの「脳の働き方の研究」は、一様に「fMRI」(機能的磁気共鳴画像装置)を用いての解明であるということです。

 脳の活発に働いている部分を調べるために「fMRI」を開発(一九九二年・ベル研究所)した小川誠二は次のように話します。

 「脳には、人間の顔の認識をつかさどる部分がある。Aさんの顔とBさんの顔を見た時では、それぞれ微妙に違う部分が反応する。文字でも『あ』と『か』では反応する部分がわずかに異なる。こういう反応の違いの細かい解明がすすめば、言語などの認知プロセスがどのように始まるかが分かると期待している」

 「fMRIは、脳の血液に含まれているヘモグロビンの磁気信号を測定する。活動している部位を推測する。脳では、活動している部分に血液がたくさん供給される。血液の中で酸素を運ぶヘモグロビンを調べれば、その部位が分かるという仕組みだ。だが、脳の働きと血液の量の変化には時間差がある。測定では、数秒間のタイムラグが発生する」

 「このタイムラグを解消するために、脳細胞が活動する時に膨張するときの水分の変化や、脳細胞が情報を伝える時に発する電気信号をじかに測定する研究がすすめられている。もし、実用化できれば、リアルタイムで脳の活動部位を測定できるようになるかもしれない」

 「脳の中では、脳神経細胞が、電気信号で情報を伝え合っている。この時、細胞がどんな『言葉』を使っているのかまでは、現在の技術では分からない。脳の機能を本当に知るには、この部分の解明が必要だ」

 (平成20年12月9日、日経)

脳の働き方は「ハード」と「ソフト」の二つで成り立っている

 ここで小川誠二がのべていることは、脳は、「ハードウェア」(生理学や生物学的な仕組みと機能)と「ソフトウェア」(電気信号で送られる情報と、言語学的な内容)の二つがあるということです。

 この「ソフトウェア」としてのメカニズムの解明は、まだまだ遠い先のことだと語られています。

 それにもかかわらず、「脳の働き方」の「ソフトウェア」の領域での研究がすすめられています。「下流化した人々」は、「生の感情」や「生の欲求」をつかさどる「大脳辺縁系」を中心にして脳を活発に働かせているようだ、という脳の部位の特定が観察されたからです。「短期記憶や目先の利益を中心に脳を働かせる人は、脳の働く部位が決まっている傾向がある。それは、すでに3歳くらいに固定化されていて、14歳くらいになって教育しても遅いようだ」というように、帰納的に考えられていることが理由です。「帰納的」とは、ある具体的な事実から一般的な法則を導き出す論理的な思考の方法のことです。

 三浦展(あつし)によれば、「階層社会」が完成しているイギリスでは「上流」の人々が「下流」の人々の生活の面倒を見ているという通念が一般的になっているということでした。これは「おれたちと奴ら」という言い方で対立的に表現されていると説明されています。脳の働きを「帰納的にとらえる」ための基礎的な実証の根拠として「fMRI」が用いられているといってもあながち的(まと)はずれではないかもしれません。

「記憶」について理解するためのアプローチの仕方

 ポルソナーレの「脳の働き方」のソフトウェアとしてのメカニズムの解明は、どういうものでしょうか。

 利根川進の研究している「記憶障害」を例にあげましょう。

 「老人になれば記憶の障害が生じる」ということが、利根川進の研究の前提になっています。

 「記憶の障害」は、「いつ」「どこで」「何について」「どのように起こるのか?」が重要な問題です。

 アルツハイマー病や老人性の痴呆だけが「記憶の障害」ではないということです。「うつ病」でも起こることは誰でもよく知っています。

 すると、「うつ病」になるようなものの考え方をもっている人は、合わせて「記憶の障害」も抱えていることを意味します。利根川進らの研究チームは、「記憶」ということにかんする脳のソフトウェアのシステムを考察のための視野に入れていないことが分かります。ノーベル賞受賞級の「脳の働き方」の研究は、「帰納法」として論を導いて「記憶できない人は、脳のハードウェアに原因があるから、社会にたいしてコスト負担と、記憶できる人と比べて、生産にリスクをもたらしている人だ」という評価が、行政や政策の前提になるでしょう。

 ポルソナーレの「脳の働きのソフトウェアのメカニズム」の解明は、イギリスふうにいうと「おれたちと奴ら」といった階層間のボーダーをなくして、「中流の人」を「上流」に押し上げるということを可能にします。「下流の人」が、実際に「上流」になるのか?は、理論上は可能になるはずです。

 ポルソナーレの「脳の働き方の仕組み」についての説明は、難しいという感想をおもちの方もいらっしゃるようです。そこで、ノーベル賞を受賞した「利根川進」の研究の次元に合わせて、「記憶のメカニズム」をおさらいしてみましょう。

ペンフィールドの「記憶」についての大脳生理学

 「人間の記憶」は脳の特定の部位がつかさどっていることを、大脳生理学の観点から明らかにしたのは、カナダのマルギ大学・神経外科医「ワイルダー・ペンフィールド」(一九五一年)です。ペンフィールドは、「てんかん患者」の治療を目的に、患者に局部麻酔をかけて「開頭手術」をおこない、患者の「大脳」の表面に電気的刺激を与えました。

 患者の大脳表皮の「ある部分」を刺激するたびに「まぶたがピクリと動く」「別の部を刺激すると、手が反応する」などを観察しました。ペンフィールドが、「大脳」の表皮に弱電流の流れる細い針金で刺激を与えて、観察した結果をまとめたものが「ペンフィールドの大脳機能地図」です。

 ペンフィールドは、「大脳の表皮」、「側頭葉」「大脳辺縁系」にあるいくつかの部位に「記憶にかかわる部位」がある、ということをつきとめました。その「記憶」にかかわる内容は、頭頂葉から側頭葉にかかる帯状(おびじょう)のゾーンです。ここは聴覚や言語、話し言葉の記憶にかかわる領域だとされています。もう一つ、頭頂葉から後頭葉に広がる面があります。ここに、人間の五官や手、指、足などの知覚神経の「記憶」にかかわる神経細胞が分布しているとペンフィールドが図解しています。

 しかし、これらの「記憶」にかかわる部位は、あくまでも「脳のハードウェア」の機能です。人間は、手足を動かすにも、脳(右脳)で「言葉」なり「対象についてのイメージ」を浮べていることは、誰もがよく知っています。将棋(しょうぎ)の名人は、あれこれと戦局の流れをイメージして行動をおこします。

 みなさまも、メールなり手書きの文章を書くときは、「自分の思い」なり「相手へのメッセージ」なりを言葉で思い浮べる経験をおもちです。

 これらのことは、「ペンフィールド」の解明した「大脳皮質」の上の「記憶」にかかわる部位とは、直接にむすびつきません。すると、「記憶」には「記憶」そのもののソフトウェアとしてのメカニズムがあるということになるのです。

 それは、次のように考えられるべき問題としてとらえられます。

「乳児」は「移動すること」をどのように生成するか?

 アメリカの女性の心理学者「マリーゴールド・リントン」がおこなった実験があります。

 リントンは、毎日の出来事を6年間にわたってカードに記入しました。一日に何度も印象的な出来事があった時は別々のカードに分けて書き、裏には年月日、出来事の重要度、喜怒哀楽の強さ、意外性、特異性などを五段階評価にして記録しました。

 この「記憶のカード」が5、500枚になったところで、次のような実験をおこないました。

毎月、一度、カード150枚をランダムに選ぶ。2枚を見比べる。どちらの出来事が先に起きたのか?を思い出してみた。

これらの「年月日」を推定して、覚えていた記憶の傾向を調べた。

すると、「2年目」あたりから「忘却」が直線的に進行することが分かった。

「記憶」は、「一年で5%ずつ失われていた」。「6年前の記憶は30%が忘れられていた」。

この計算のパターンをつづけると12年後には60%の忘却、20年後には「全ての記憶が失われる」ということになる。しかし、実際にはこのようなことはありえない。

 そこで、リントンは、次のような実験をおこなった。

「毎月の記憶テスト」の前に「前の年の出来事を思い出す」ことをおこなった。

すると、「自由に思い出す」という方式で「前年度の記憶を思い出す」時は、「良いことばかりを思い出した」。

ランダムに「日付けを選ぶ」という方式で思い出す時は、ここには「嫌な体験の記録」もまじっていた。すると「不快な気分」にとらわれた。「苦情を言われた」「口論をした」などの出来事が不快な気分を思い出させた。

 マリーゴールド・リントンの「記憶」にかんする実験から分かることは、「記憶」とは次の三つのプロセスと段階に分けられるということです。

記銘(きめい)…外界からのさまざまな情報を受け取る(パソコンでいうと入力)。

保持(ほじ)…入ってきた情報を思い出すまでの間、その情報を蓄(たくわ)える。(パソコンでいうと保存)。

想起(そうき)…蓄えている記 憶を取り出す(パソコンでいうと出力)

 すると、「記憶」とは、?の「記銘」、?の「保存」、?の「想起」の三つのメカニズムをもつということになります。マリーゴールド・リントンは、?の「想起」にあたる「記憶」のメカニズムについての実験をおこなっています。?の「想起」のメカニズムについてどのようなことが分かったのでしょうか。「自由に思い出したら楽しいことを思い出した」「ランダムに日付けを選んだら不快な出来事も思い出して不快な気分になった」とのべられています。

 ここをまとめると「記憶」は、「楽しいこと」か「不快なこと」のいずれかを想起させる、ということです。「いずれかを思い出す」というのは、「カードを選ぶ」という「行動」によって決まる、ということです。

 「自由にカードを選ぶ」「日付けを決めてカードの記述を読む」という二つの行動にはどのような差異があるのかは分かりません。自由にカードを選んでも、日付けを決めてカードを選んでもカードに書かれている記述には差異はないと思われるからです。

 書かれている内容によって「楽しい気分になった」か「不快な気分になった」かの違いが生じているのですから「カードの選び方」の行動と「記憶」にともなう快、不快の気分の想起とはかかわりはないと考えられます。

「記憶」は、「行動」と直結している、が記憶の本質

 ここで有意性をもつのは「記憶の想起」とは「楽しい気分になるか」「不快な気分になるか」のいずれかになる、ということだけです。マリーゴールド・リントンの「記憶」の想起の仕方は「カードに書かれていた出来事の記述」にもとづく想起の仕方です。

 これは、記憶とは、「因果づけ」によって想起されるものであるという法則性を示します。

 「楽しいこと」が書いてあれば、因果の法則性によって、「楽しいこと」についての記憶が想起されるし、「不快なこと」が書いてあれば「不快な記憶が想起される」というメカニズムを理解することができます。このことをもっとつきつめると、「行動」は因果づけの法則によって脳に「記憶を想起させる」という法則をもちます。「想起」とは「エピソード記憶」のことです。「エピソード記憶」とは、「いつ」「どこで」「誰が」(何が)、「どのように」という内容のことです。

 ここでみなさまは、「行動」にはもうひとつ「何が」と「どうした」という結論や結果をあらわす行動があるはずだとお考えになるはずです。これは非常に行動の本質をとらえた考えです。これは「行動」を「過去の行動」と「現在から未来に向かう行動」とに時間的に区別して分けて理解されています。

 すると「行動」は、次の二つに分類されます。

「現在から未来に向かう行動」……「いつ」「何を」「どのように」の「エピソード記憶を想起する」

「すでに終わってしまっている過去の行動」……「何を」「どうした」の「エピソード記憶」として保存されている

 この二つの「行動」とは、「記憶」にとって何を意味するのでしょうか。

 「行動」が「現在」から「未来」に向かっている時は「いつ」「何を」「どのように」の内容にかかわる「エピソード記憶」が想起されるのである、という法則性が成り立つのです。

 また、「行動」が「現在」から「未来」に向かっていない時は「何を」「どうした」というエピソード記憶しか起されないという法則性が成り立ちます。

 このことは、「記憶」の中に「いつ」「何を」「どのように」のパターンの内容にかかわる「エピソード記憶」が「記憶されていない」ときの「行動」は「現在」から「未来」に向かって行動することはできないという法則性も「真」として成り立たせます。

「記憶」についての分析とは「行動」についての分析と同じである

 「行動」とは何のことでしたでしょうか?基本のモデルは「身体を生かすための生存活動」です。食事を摂る、水を飲む、環境の変化から身を守る、などです。「近づく」「引き寄せる」「取り込む」「選択する」の4つが行動の基本型です。現実の対象にたいしてこの4つの行動の基本型が発生します。行動の発生は何によって起こるのでしょうか?「欲求」です。欲求とは、生理的身体の自然性がつくり出す「ニーズ」(必要性)です。人間には、もうひとつ「欲望」というニーズがあります。これは、「人工的な欲求」というべきものです。「気分よくなりたい」「所有欲を満足させたい」「他者から評価されたい」「他者を支配したい」などが「人工的な欲求」の「欲望」のパターンです。

 「行動」は、これらのニーズ(必要性)の対象に向かって発生し、そして手や足が動くことをいいます。

 この「行動」を成立させるのが「記憶」です。

「行動」には「形式」がある。この「形式」が脳のハードウェアを発達させてきた

 するとよくお分りのとおり、「記憶」とは、「行動の形式」に対応しています。行動の「内容」ではなくて「形式」です。ここに「大脳生理学」が関与します。その典型が「ペンフィールドの脳の記憶の部位の分布図」です。

 脳には、すでに「記憶にかかわる部位がある。この部位は、特定の対象を記憶する脳神経細胞で成り立っている」というのがペンフィールドの「記憶の地図」です。正式には「人間の新皮質の運動野と、体性感覚野の機能局在」といわれています。ここには、人間の五官覚、身体に感じられる知覚、性などの神経知覚の部位と名称が精密に記入されています。

 「行動の形式」とは、「手」を例にあげると、こんなふうです。「手」は、「物を握る」「物をつかむ」「物を持つ」「物に触れる」などの運動機能があります。

 しかし、人は、「物を持つ」ことはできても全ての人が同じように「持つこと」はできません。そんなことはないと思われるでしょうか。「魚を三枚におろすときに包丁を持つ」「花や野菜の種を植えるときにスコップを持つ」などの現実的な対象を目の前に想定すると、「持つこと」が可能な人と、不可能な人がいる事実をよくお分りいただけます。「持つこと」には「対象」が不可欠です。この「対象と、それへの関わり方」が「行動の形式」です。人間の「行動の形式」は、「対象」との「関わり方のパターン」のことです。この「関わりのパターン」が「脳の特定の部位」で記憶されてきたのです。

 みなさまも「人類はこのようにして、猿からヒトへと進化してきた」という想像の場面を見たことがおありでしょう。そこには、たいてい、猿のようなヒトが、石で作ったナイフで魚を切ったり、稲の穂を切り取っている光景が描かれています。

 「手で持つ」という行動は、その時代の中で人間にとって必要とされた対象があって、それと関わってきたという「記憶」が継承されて、これが脳の特定の部位の脳細胞が「特化した記憶」をになうようになっています。「行動の形式」とは、単に「魚を包丁で切ることができる」という所作を指すにしかすぎません。この段階では、まだ誰も「魚を調理のために切ること」はできません。なぜでしょうか?「魚」についての体験的な記憶がないからです。また、「魚」そのものの食用のための解体の記憶が無いからです。すると、「記憶」とは、「対象」についての記憶、「対象」への関わり方の記憶の二つを指すことがお分りでしょう。この「対象への関わり方の記憶」は、対象そのものも含む記憶です。

「記憶」と同義としての「行動」についての理解の仕方

 このように理解してみると、「行動」にはおよそ三つのパターンがあることが分かります。この「行動」とは、ペンフィールドやノーベル賞を受賞した「利根川進」などの人々が想定している「記憶」とは何か?を定義する意義をもちます。

 一つは「植物学的な次元の行動」です。じっと受け身で待って、その場から動かずにいる状態の「行動」です。エネルギーの代謝が、呼吸をするだけ、排せつをするだけ、白日夢のような幻覚を表象するだけの低次元の精神活動が「行動」の形式です。

 もう一つは、「動物学的な次元の行動」です。身体の欲求を満たすこと、性の欲求を飢餓すること、環境からのストレスを防衛すること、が「行動の形式」です。

 三つめは、「人間的な次元の行動」です。

 「人間的な次元の行動」は、さらに二つに分かれます。「非社会性」(日常生活)の行動と「社会性」(社会概念を学習しての社会生活)の行動です。

 ペンフィールドをふくめたこれまでの大脳生理学者は、「植物学的次元の行動」についての記憶と、「動物学的次元の行動」についての記憶を取り扱っていることになります。もちろん、「利根川進」も同様です。

 重要なことは、「植物学的な行動」も「動物学的な行動」も、そして「人間的な次元の行動」もそれぞれ「脳」の中に「記憶の部位がある」ということです。「次元」とわざわざ定義しているのは、それぞれの間には大きな隔たり(へだたり)があって、「記憶の対象」が異なるとお伝えしています。

 「利根川進」は「ラットの脳」の記憶をテーマにしています。

 「次元」という基準を立てて考えてみると、「人間的な次元の記憶」ではなくて、最も「原始的次元の動物の記憶」がテーマに立てられています。

 ここで、アメリカの心理学者マリーゴールド・リントンにならって心理学ふうの実験をおこなってみましょう。

設問…次の三つの思い出の中で「あなたは、子どもの頃のどのことを思い出しますか?」

●母親とのことで、楽しかった思い出

◆親とのことで、不快だった思い出

★子どもの頃の「一人遊び」の思い出

 記憶」をテーマにしたこれまでの心理学は、●の「楽しかったこと」を思い出すはずだ、と結論します。人間には「防衛機序」というものがあって、「自我」を守るために「不快な記憶」は心の奥底の無意識の中に封じ込めるのが人間の心理の法則だ、が心理学が得た法則です。

 みなさまは、すでに「オペラント条件づけ」ということをご存知です。目の前の対象を見た時、その対象を原因として、関連した記憶を表象(ひょうしょう)するという記憶のメカニズムのことです。人間は、「オペラント条件づけ」も、「記憶のために因果づけのメカニズム」として記憶しています。このメカニズムの起源は、自律神経の「交感神経」と「副交感神経」がになっていることを本ゼミで初めて明らかにしました。

 「オペラント条件づけ」は、「設問」の文章にたいして働きます。●◆★の記憶のうちどれを思い出すのか?は、この「設問」を目にして読んだ人の「行動」が決めます。

 「行動が止まっている人」(行動停止、半行動停止のいずれも)は「負の行動のイメージ」を表象させるので、◆の「不快な思い出」に因果づけて思い出すのです。

 脳の記憶の部位はどこか?というと、すでにご存知のとおり「大脳辺縁系」です。線状体、扁桃核、中隔核が中心になって、「右脳系の海馬」がエピソード記憶を想起させます。このような「行動」は、「動物学的な行動の次元」の記憶です。

 ★の「子どもの頃の一人遊びの思い出」の記憶を思い出す人の行動とはどういうものでしょうか。

 「狭い空間で生活していて、その狭い空間で見たり聞いたり、触ったことについての触覚を中心にしたイメージを思い浮べる」という「行動の形式」をくりかえしている人です。「行動停止」からさらに退行した行動の形式です。

  無為な日々を送っている行動のことです。これは、「植物学的な行動の次元」のことです。脳の記憶の部位は「大脳辺縁系」の「視床」や「視床下部」「扁桃核」の記憶が表象されつづけます。このようなタイプでは、脳の記憶の地図(ペンフィールドの『ヒトの新皮質の運動野と体性感覚野の機能局面の地図』のことです)に分布している手、指、足、皮ふ感覚の脳神経は、どのように働くのでしょうか。

 人間の「行動」は、「記憶のソース・モニタリング」によって行動可能になります。「記憶のソース・モニタリング」とは、「魚を見る」とすると、「魚の解体の状態」についての長期記憶を「右脳」にイメージする、「三枚におろして刺身になった記憶をイメージする」というようにまず「記憶したこと」が思い浮び、「刺身を造って食べる魚」という記憶と一致した時に、目の前の「魚」を買う、という「行動」が起こります。

 「野菜を見る」、「何かつくろうかな」とかえ考えてその野菜を買うという行動を起こす、という場合は、野菜の調理の「記憶」が表象されていません。ここでは買った野菜は調理されません。すると、再び「野菜を買う」という行動は起きません。脳に「運動野と体性感覚野」の記憶の細胞はあっても、やがて「廃用萎縮のメカニズム」にしたがって記憶の神経細胞は死滅していくのです。「記憶のソース・モニタリング」は成立しないので、「行動停止」の対象が拡大していく一方になるでしょう。これが「退行した行動の形式」の内容です。

 ?の「楽しかった記憶を思い出す」人の行動とは、どのようなものでしょうか。これは、本ゼミで、これまで中心のテーマにしてきた「胎児」「新生児」「乳児」の「脳の働き方」のメカニズムにしたがって「行動の形式」に長期記憶を加えている人です。

 「人間的次元の行動」といいます。

「行動」の次元とは「長期記憶」の未来性のことである

 「行動」の本質は、「生理的身体が生きていくこと」に原型がありました。乳児の行動に即していうと「ミルクを飲む」「母親が喜びの表情や声をかけてくれる」ことが、乳児自身に得られることです。大人に置き換えると「自分に得することがもたらされる」ことと「自分に楽しいことがもたらされる」の二つです。これは、「昨日」や「三日前のこと」ではなくて、「現在」と「明日以降もずっと」の得することと楽しさでなければなりません。

 このような「乳児」の脳は、つねに目の前の現実の「物」や「人間」を対象として「記憶」を表象させつづけています。「手足」を中心にした「行動」は「記憶のソース・モニタリング」をくりかえして「行動の形式」を拡大しています。

 無藤隆の『赤ん坊から見た世界・言語以前の光景』(講談社現代新書)から、「行動の形式」を拡大する「行動」についてのケースをご紹介します。

乳児期の後半は、大脳皮質での記憶と表象する能力が成熟する。

「短期記憶」と人や物を記憶する「長期記憶」が伸びていく。

この時期は、母親との「愛着関係」が明瞭になり、その裏返しとして「人見知り」が始まる。

生後6ヵ月から8ヵ月にかけて「ハイハイ」による移動が可能になる。

「ハイハイ」とは手足をつかって四つんばいで動くことだ。移動の距離は数メートルから10メートルまで広がる。

 ペンフィールドによる脳の新皮質にある「記憶」のための特定部位の「地図」では、「手」「足」「指」の知覚を記憶する脳神経は「頭頂葉」と「頭頂葉に近い後頭葉」にあります。

 0歳8ヵ月の乳児は、「右脳」の手、足、指の特定部に「手足が動くこと」の知覚を記憶させます。

 「頭頂葉」は、「方向感覚」を記憶する「野」(や)です。

 乳児が「動く」には、「前後」とか「左右」といった「物の動き」の「動きのパターン」が長期記憶されていることが必要です。

 乳児は、この「動きのパターン」を「母親の顔が動くこと」を目で見て記憶しました。母親が遠くから自分の方向へ動いてやって来る、母親が自分の位置から離れて行き、遠ざかって姿が見えなくなっても「母親はいる」という「動きのパターン」です。もし、自分が動いたらこのようにいくつかの角度から「同一の母親の顔」を目で見て認知するだろうという変化のパターンが「二・五次元の認知」です。

 乳児の「動くこと」は、この「二・五次元」の認知を「三次元の認知」へと推し進めることというメカニズムになっています。「右脳」の特定部位への記憶とは、「二・五次元」が「三次元」の記憶に変わったことを意味しています。それは、「母親の話し言葉の音色」が「記号」として記憶されて、「対象」が記憶されることで可能になります。「記憶のソース・モニタリング」のメカニズムが成立しないと人間は行動できない、という法則を思い出しましょう。「母親」なら「あ、あ」、「うさぎ」なら「う、う」という音の記号になるでしょう。視覚のクローズ・アップは「触覚」と同義です。この「クローズ・アップのイメージ」にむすびついた「音声の音」は、対象を表象させます。

 乳児の「舌」と「手」は同じ質の筋肉です。乳児は、「あ」という音声を聞くと母親との接触感を視覚のイメージとして思い浮べました。この「接触感」の記憶が「口」から「手」へと広がったときが「ハイハイ」の移動のための長期記憶になったのです。