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輝凛(きりん)の独り言

「うまく」とは…?

2018.03.23 15:18

今に始まったことではないんだけど、昔からいろんな人に「相談」を受けることが多いです。

周囲と比べて、しっかりして見えるのか、自立心が高く見えるのか、何なのか。

まぁ、所謂「アダルト・チルドレン」というヤツで、子供の頃に家に大人が不在で、どうしても家事だったり弟の面倒を見たり、自分のことも自分でやらないと「いけない」と思い込んで育ってきただけで、私の性格自体がそんなにしっかりしていたり、自立心が高いとは思ってないんですけどね。


高校生の時の男友達(後に、私の彼氏になる人でもあるんですが)に付けられたあだ名が「姐御」で、今でもすっかり周囲からは「姉さん(または姐さん)」という扱いです、それが年上の男性であってもね…。


んで。

その他人からの相談っていうのは、男性からは「仕事」についてや、恋愛や結婚についてなんだけど「どうすればいいと思う?」というのは、やっぱり突き詰めれば「どう振舞えばいいか」という行動だったり、それをする目的は「問題解決」だったりすることが多い印象があります。

私は女性でも、「問題解決」ということに重きを置くタイプなので、正直、男性からの相談の方が話しやすいです。


そして女性からの相談は「どう思う?」「どうしたらいい?」「相手はどう思っているのだと思う?」というところが突き詰めれば「丸く収めたい」という「誤解を解きたい」など、「感情に働きかけるもの」「自分や相手の気分を良くする方法」に辿り着くことが多いように思えます。

分かるっちゃ分かるけど、人の感情や気持ちなんて、分からないんで、正解なんてない。


つまりは、その相談してくる相手が「安心したい」「気分がよくなりたい」というものがあればいいんだろうな、とは思うんだけど、本当、その場で「なるほど!」でも何でもいいんだけど、安心しちゃうと、何もしてないくせに解決した気分になってしまい、「それ、この前も聞いたよね…」な相談や愚痴がまた同じ口から出て来るので、「問題解決追求型」の私は正直イラっとしてしまう(多分これが、男女の喧嘩の原因なんだろうなっていうのが、同性なのに感じてしまうというか…)。

大学生の時には女性からの「ちょっと聞いてもらっていい?」の時には「いいけど、問題解決したいの?それとも、話を聞いて吐き出して気持ちをスッキリさせたいの?それによって私の聞き方が変わるんで、それを先に教えて?」と確認してから聞いていました。

今は正直言って、それが女性でも聞かないですね…。

だってもう30歳を越えていたら、「上手く行かない…」っていう悩みだったら、いつまでもそこに捉われて時間を食いつぶすほど、人生にやり直しが出来るような年齢でもないと思うんですよねぇ…。まぁ、本人が同じ場所をぐるぐる回りたいのなら、それでもいいのかもしれないんですけどね。


とはいえ男性も女性も話を聞いて「分かったつもり」になって、やっぱり行動しない、そして他人を責めるだけで、自分のことは振り返らないか、自分を責めるけども反省して改善はしないっていう人はすっごく多かったりするので、男性の方が解決能力が高いっていうこともない。

結局は「納得しただけじゃなく、それを理解をして、自分の中でしっかり消化して、改善行動をしてみたか」でしか、結果は出ないんだよなぁ、とは思います。


それで、その「相談」「悩み相談」もそうだけど、ふとした時に聞く言葉で、子供の頃からずっと気になっているワードがあるので、今回はそれについて書いてみます。


「うまく言えない」って何?

よく、色んな相談だったり話を聞いていたりすると、出て来るワードとして。


「でも、うまく言えないからなぁ」

「うまくまとめられないから…」

「何て書いたら(言ったら)いいのか、分からない」


でもさ。

それ、全部言葉で、口から出てるよね…?

またはフランクであっても、自分の言葉として、文章に書けているじゃないか…。

何で「言えたり」「書けたり」しているのに、「うまく言えない(書けない)」と戸惑うの?

今の事を、それをそのまま言えば(書けば)いいだけじゃないの?

これは子供の頃から友達が「でも、うまく書けない」などを言う都度、ずっと疑問に思っていたことで、いい年齢の今になってもずっと感じている疑問です。


さらに言えば、なぜ、自分の思っていることや意見、相談等をする時に「うまく」言う必要があるの?

相手が自分よりもかなりの年下(子供だったりね)すれば「きちんと」言わないと伝わらないのは分かるんだけど、その「うまく(=上手に)言う」っていう目的と動機が分からないんですよね、私には。

私は他人から見て文章が上手いと思われることも多いようだし、話も伝わりやすいと言われることも多かったりします。

あと「聞いていて嫌みがない」とか「厳しいことを言われていても不快感を感じない」とか、色々言われて、「どうすれば、あなたみたいに言える(書ける)の?」とも言われますが、知らねーよ、としか。

ただ、言えるのは、私は「うまく書こう(言おう)」と思ったことが、あまりないです。

何か強い目的を持って「伝えたい」と思ったら、書き方の工夫はするけども、それでも「うまく書こう」という気持ちを持ったことが、ほぼないです。


人として当たり前の根底にある感情

最近も、友達とツイッターのDMだったり、LINEだったり、文章でやりとりしていて「でも私はうまく言えないから…」というワードがよく出て来たんですよね。

それで、私の比較的仲が良いと私が感じている(笑)女性友達の共通点として、感じたこと。


こういう人でも「うまく言えない」と言うんだよなぁ…。

で、恐らくとして感じたもの。


「怒られたくない」

「相手の気分を害したくない」と、

どこかで思っているように思えたんですよね。


相手の感情だったり、相手からの評価を気にしすぎていて、自分を押し殺してしまっているというか。

でも、相手がどう思うのか、なんて、推測しても仕方がないし、しても意味がない。

さらに、自分の意見や言葉なのに、自分を押し殺していたら、伝わるはずがないと思うのです。


つまり「傷つきたくない」が根底にあると、人は思うような言葉を発せなくなるように思います。


それと「相手にしっかりと伝わって欲しい」という、

「期待」というか

「欲望」というか

または状況においては

「分からせたい」という

「支配欲」のようなものもあるのかな、と。


でも、たとえば同じ「朝、早く起きたんだけど」という会話の「早起き」っていうのも「何時」っていうのは、発信している相手と、それを聞いている相手で必ずしも一致するでもない


私みたいに「本当は夜型なので、朝の7時台だって早朝だよ!」という人もいれば、「7時なんて当たり前に起きているんだから、早起きって4時くらいでしょ?」って人もいる。


結構、言葉の多くっていうのは「ふんわり」していて「抽象的」で「曖昧」なんです。

同じ言葉だとしても、人によってどういう感覚で捉えているのか、その言葉を聞いて脳裏に浮かぶものなんて、全く違う。

そういう中で「相手にしっかりと伝わって欲しい」と願い、それが出来ないことが過去にあって「うまく話せない(書けない)」と自信喪失したのだとしたら。

その「相手にしっかりと伝わって欲しい」という時の表現方法の基準が「自分」でしかなく、「相手」の感覚や選んでいる言葉まで踏まえていなかったら、そりゃ伝わらないですよ。

「うまく話せない(書けない)」のではなく、「相手のことを見ていなかった自分がいた」という事実に気づけていないだけではないか、と思ってしまうのですよ。


この場合は、伝えたい相手のことを見ていないし、自分の狭い価値観でしか物事を見ていないですよね。

つまりは「自分に出来る努力をしたくない」(楽をしたい)っていう気持ちが働いているように思うんです。


でもまぁ、人間として当たり前ですよね。

でも、これを乗り越えて来なかったから「うまく言えない(書けない)」ままだってことです、厳しいことを言うようですが…。


深い関わりほど、傷つくものです

それで、恐らく多くの人が無自覚だと思うんだけど、根底にあるように感じる「傷つきたくない」という感情。

これ、何で出て来るんでしょうね?

だってその相手に伝える時に「相手に傷つけられるかもしれない」というものがあるとしたら、きっと相手のことを実は信用していないと思うんです。

そうではなく「失敗したくない」「怒られたくない」などが強いとしたら、自分の能力を信じていない(相手に伝えられると思っていない)、つまりは自分に自信がなく、自分のことを信用していないですよね。

相手の立場から見て考えて欲しい。

その結果、その話が伝わらなかった過去があるのだとしたら、相手なり自分なり、誰かしらへの「不信感」というものがあれば、その話からは「不穏なもの」を感じると思うのですよ。

人間って、誰しも危険察知能力があります。「防衛反応」って言われるものですね。

なので、誰しも「嫌な予感」ていうのは、当たりやすいんですよね(個人的にはその嫌な予感が当たりやすい人は、霊感が強いとか、読みが深いとか、そういう能力が高いのではなく、「単なるビビりなんじゃねーのか?」って思っていますが、これはどうでもいい話ですね、はい、ごめんなさい)。


が。

人間関係が深くなってくると、関係性が深くなってくると、お互いに自分の本心が隠せなくなる(誤魔化せなくなる)ため、どうしても傷ついてしまうし、自分では意識していない時であっても、相手を傷つけてしまうものなんだろうって思います。


だって、関係が浅い人からの言葉で、ご丁寧にガッツリ傷つかないでしょ?

(相手の態度があまりにも傍若無人で、精神的にガキすぎて、相手を傷つけていることに無自覚で、その相手の暴言や態度に傷つくこともあるかもしれないけど、それは今回は除外して考えます)


大抵、がっつり傷つく相手って、家族だったり、恋人だったり、親友だったり、一緒に頑張って行きたい仕事仲間だったり…、と、それなりに、自分と心の距離が近いと思っている相手だったりしませんか?

(逆に言えば、それほどでもない相手からの言葉に傷つくんであれば、スルースキル不足なので、それを身につけることが自分の心を守るためには、急務だと思いますよ…)


やっぱり、それなりに親しかったり、「好き」だったりの気持ちがあったりすると「期待」もするから、自分の感情も高ぶりやすいし凹みやすい。

関係性が深くなればなるほど、期待が大きければ大きいほど、傷つくことは当たり前なんですよね。

なので、自分の意見を伝える時にも、相手から話を聞く時にも「傷つくことがある。傷つけることがある」ということを、予め覚悟しておく(想定しておく)だけでいいようにも思うんです。

だからこそ、相手が故意ではないことで傷つけて来たと感じても、流せるようにするか、納得できなかったら話し合えばいい。

そして自分が相手を傷つけてしまったと思ったら謝る。

それが出来ればいいだけだろうって思っています。


ストーリーなんて描けない

さっきも少し触れましたが、たまに聞かれることではあるので、ついでに。

「なぜ、あなたは思うように言えるのですか?」ということ。


いい意味で、相手に「こういう返事をして欲しい」とか「こうなって欲しい」という期待をしていないからです。

まずは話してみて、相手の反応を見て、それでこちらが反応をすればいいって思っているからです。


「書く」ことについても、「最終的には相手が自分にとって都合のいいところを読むだろうし、覚えるだろう。そして何か言いたいことがあったら、その人なりの方法で伝えてくるでしょう」と、自分のしたことに対して、相手がどう反応するかまで、自分で想定していないからです。


そして、「話す」でも「書く」でも、発信する人物は「私」から変わらないんでね。

話す私と、書く私が、全く違う感覚になることもないです。


ただ、話す時は敬語が使えないというか、好きじゃないんですけど、書く時は敬語の方が書きやすいっていう(敬語の方が気楽に書ける、実は)、私にとって敬語は「文語体」なんだよなーっていう、どうでもいい、私だけの感覚はあったりします。

なので、文章はガチガチの敬語で「距離感があるなー」と思ったとしても、それ、逆に親しみがあるからこそ、敬語を使うんだなって思ってもらいたい。

文章でフランクになると、すっごい雑になる(まとめようという意識が働かなくなり、冗長になりやすくなる)ので、最近書いているブログも話し言葉で書いているから、長いでしょ?っていう、言い訳(苦笑)。


私の感覚では「書く」「話す」ことっていうのは、別の言葉で言えば「感想」なんですよ。

だから特にしっかり考えてもいなくて、瞬間的に感じ取れたものを並べて行くだけなんだけど、その感じ取れた物や、思ったことが、いつも大量にあるのでしょうね、人に比べたら。


なので「よくそこまで考えるね」と言われますが、全然考えていません。

勝手に沸いて出て来るだけで、そこに「よく思われたい」とか「怒られたくない」とかもないので、「私にはこう見えます、こう感じます。」で、いつも話したり、書いたりしているだけっていう。


なので「どうしたら、あなたのように話せます(書けます)か?」と言われても、分からない。

子供みたいに、見たまま、感じたままを言葉にしているだけなんで…(^^;


だって、相手があるものに対して、自分だけではストーリーなんて描けないし、そのままになったら、それはそれでまた「つまらない」と思うんです。

分からないこと、予測できないことは「楽しい」ですよ。それに対応出来ることは楽しいです。


だったら、思ったことを、感じたことを素直に相手に伝えて、自分のことを理解してもらったり、その反応から、相手のことを見て行く方が、よっぽど楽しい。


ストーリーは見えなくても、相手との関係性や距離感は見えて来るように思うんで、その方がよっぽど大切に思えるので、私はこれからも、そういうスタンスでいたいなって思っています。