呼吸
弛緩していなければならない時に緊張してしまうという話しをしましたが、呼吸筋はその最も顕著な例です。
呼吸の場合、吸気は緊張させた状態になります。
つまり最大吸気時には呼吸筋は緊張しているのが普通ということです。
この前から書いているとおり、緊張状態にならなければならないのに弛緩してしまうとはどういうことかを丁寧に説明してきました。
呼吸筋が働いている時に弛緩していると最大吸気の状態で肋骨を押すとペコペコになるという現象を見つけました。
逆に弛緩している普通呼吸時には肋骨が緊張しているのです。
つまり異常のある肋間筋や横隔膜は普通呼吸時に緊張し、最大吸気時には弛緩するという現象が起こるということです。
ここでも一生懸命解剖学や生理学を勉強したきた人にとっては、ええ?
って思うことがあります。
それは呼吸をした時に横隔膜や肋間筋は一つにつながっていて同じように働くという幻想をしているということです。
つまり呼吸をした時に全ての筋肉は同時に同じように働くというイメージができあがって錯覚しています。
これは勉強の弊害ですね。
勉強すればする程、真実が見えてこないことが医学ではよくあります。
肋間筋や横隔膜が呼吸時に同じように働くのは同じ筋肉だからと考えてしまいがちです。
というか考えさせられるような教育しか受けていないことが最大の問題です。
図はお腹をやや下方向から眺めた図です。
横隔膜は図のように肋骨の中に左右に広がっている筋肉です。
この筋肉は呼吸をする時に重要な筋肉です。
一つにつながっているので単体で動くと考えられがちです。
まあこれは一般的な目から見てもそう思うのは仕方がないことです。
つまり右も左も呼吸をした時には同じように働く筋肉と誤解されています。
しかし、一つの筋肉であっても同じように働く訳ではありません。
横隔膜全体は呼吸と共に動きますが、部分的に動いているところとそうでないところがあります。
これは肋骨下を触診するとよくわかります。
安静時に緊張しているところとそうでないところがあります。
もちろん肋骨の中に隠れている横隔膜を直接触れる訳ではありませんよ。
よく起こるのがいわゆるミゾオチの部分がパンパンになっていることが多く観察されます。
胃腸の調子が悪い人に多いですね。
栄養障害で免疫系がやられている人にも多いように思います。
この前から書いているようにミゾオチが異常緊張すると最大吸気時(緊張時)にミゾオチが緩みます。安静時には緊張します。
緊張しているのをみるとただ緊張していると考えるのが普通ですが、この現象がわかると様々な疑問が氷解してきます。
もちろん肋間筋にもあらわれます。
呼吸筋の一部である背部にもあらわれます。
大胸筋や小胸筋にもあらわれます。
上腕二頭筋や三角筋にも当然あらわれます。
しかもその筋肉の全てが緊張するのではなく、その筋肉の一部分だけにあらわれます。
だからしっかりした観察が必要なんです。
呼吸筋は呼吸によって緊張したり弛緩したりする訳です。
ヨガ等では呼吸を使いながら身体を動かして呼吸の不均衡をなくすようにしているのです。
この意味がわかるとヨガをやっていても注意深くなりますよね。
なんの意味もなく呼吸をさせて動かしている訳ではないということです。
だからこそ自分に合った動きが存在しているのです。
左胸の緊張のある人、右胸の緊張のある人、季肋部に緊張のある人、腹直筋に緊張のある人
全ての人が個々で動かす筋肉、意識する筋肉が違って当たり前なのです。
それを一律にするから事故が起こるという訳です。
ヨガだろうが、スポーツだろうが、一律で同じ動きをするのは、ある一定の効果はあってもやり過ぎれば障害もあるということを意味しています。
大事なことは自分がどういう状態であるのかを意識することです。
そしてそれに対応することです。
そうすれば日常生活でちょっとした動きを意識するだけで健康状態を保つことができるようになります。
もちろん、それは万人に適応なのではなく、その人にのみ適応です。
本来治療でもスポーツでも身体を使うということはそうでなくてはなりません。
歩行ですらそうです。
合気道の達人と言われた塩田剛三氏も歩行も武道と言っていましたからね。
私もそう思います。
だから鍼治療だけが治療だと思っているうちは本当の鍼灸師ではありません。
もちろん、色んな手技や治療法が治療だと思っているうちは治療そのものの意味がわかっていないということだと思います。
だから何々運動をすれば良いとか悪いなんていう考えは本当に幼稚な考えです。万人に効くようなイメージは単なるイメージ操作です。
これが良いとか悪いとか言って右往左往して結局なんの的も得られない。
そんな薄いものになってしまう訳です。
まあそんな人ってどこまでいっても話しが平行線になりますからよくわかります。
人生も同じですよね。
物事の本質をわかろうとせず目先のことにばかりに囚われているから一体何をしてきたんだろうと年をとってから思う訳です。