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「宇田川源流」 【偏差値不要論】記憶に頼るテストをいつ辞められるか

2022.11.14 22:00

「宇田川源流」 【偏差値不要論】記憶に頼るテストをいつ辞められるか


 「教育」について考えてみようと思う。いや、以前から教育が重要であると思っていた。昔、新聞を屋て知多時代に「ジャーナリズム」ということに考えを巡らせていた、保守・または革新、どちらでもよいのだが、実際に、「ある程度の同じ考え方の人」がいて、その人々に、ある程度の情報が言ったうえで、「今までの考えの延長戦」を出しているだけではないか。そのように考えたのである。

政治思想において、保守2.5%、革新2.5%くらいではないか。残りの多く、つまり全体の95%は「政治に関しては興味がないか、何か固定の考え方が決まっていない」というものではないか。このように数字御見れば、政党支持率や内閣支持率と全く異なるが、実際に「経済的な問題」や「社会で生活する上での人間関係」などで政党支持などを決めている人も少なくないし、また、政治思想がしっかりと決まっているわけではなく、政治家の後援会に入っている人も少なくない。そのように考えてしまえば、本当に政治思想が固まっている人は少ないということになる。

そのような意味で、「政治の正しいこと」を広めるには、当然に「教育」が必要なのである。

さて、日本の教育水準は非常に高い。日本の高校のきゅお菓子をすべて英訳し米英の大学に見てもらったところ「これだけの教育水準があれば、非常にエリートが多くいるに違いない」ということを言っていた。しかし、その教育水準がそのまましっかりと学べればということに他ならないのである。つまり「時間」の事でなかなかすべて萬暴れていることはない。そのうえ「そこに書かれていることを全て記憶する」ということが中心になっているのであって、その記憶が薄れてしまえば、教育したことが全て水泡に帰するということになってしまうのである。要するに「かなり高度な教育内容を行っているにも関わらず、それを記憶させることを中心にしていることによって、その教育が全く残らない」ということになるのである。

このようなことを憂慮して、「ジャーナリスト」を引退したつもりであったのだが、まあ、生活もあるので「縮小した」レベルではないか。人間とは弱いものである。

脱「一夜漬け」、中学校で定期テスト廃止広がる…小テスト・論文で日頃の学び重視へ

 中学校で中間や期末といった定期テストを見直す動きが進んでいる。

 こまめな小テストや発表、討論に変えることで「一夜漬け」の知識詰め込みから抜けだすのが狙いだ。生徒が自ら学ぶ態度を育てようと、各校は工夫を重ねている。(福元洋平、江原桂都)

■◆ノート見てOK

 「最も江戸幕府を長続きさせた政治改革がどれか、自分の考えを書こう」。

 11月4日、岐阜県大垣市立東中学校2年3組では、社会の「単元テスト」が行われた。明治時代の官僚の目線で、江戸時代の政治改革を評価する設定の記述式問題だ。25分間の試験で教科書やノートを自由に見られる。

 同校は今年度から、年間3回の定期テストを廃止した。代わりに2~3週間に1回、単元ごとの小テストを行い、発表やリポートも合わせて成績を評価する。一方で、資料なしで知識を問う一問一答式のテストもある。

 テスト改革を主導した石橋佳之校長(60)は「出題範囲が広い定期テストは、生徒が一夜漬けに頼り、ヤマを張りがち。直前に詰め込むのは、本当の学力なのか」と疑問を感じていた。当初は「学力が低下する」「評価が難しい」などの声も上がったが、「学びを振り返りやすく、学習習慣も意欲も定着する」と踏み切った。

 この日、テストを受けた生徒(14)は「年号や用語を暗記するだけの勉強が変わった。歴史の流れを理解し説明できるよう意識すると、記述式も答えられるようになってきた」と手応えを感じる。

■◆進んで学ぶ

 定期テストの見直しの流れは、2018年度に始まった東京都千代田区立麹町中学校による試みが影響したとされる。自ら学ぶ姿勢を育てようと定期テストを単元テストに変え、再挑戦も認めた。同校の長田和義校長は「5年目になり、意欲が上がり、計画的に学ぶ意識も高まってきた」という。

 岡山県赤磐市立桜が丘中学校は、20年度から段階的に定期テストをやめ、再挑戦を認める単元テストや思考力や表現力を試す「まとめテスト」を導入した。村松敦校長は「定期テストは生徒に『やらされ感』があったが、生徒が進んで学ぶ空気ができてきた」と話す。今年4月の全国学力テスト(全国学力・学習状況調査)のアンケートでは「分かった点やよく分からなかった点を見直し、次の学習につなげているか」との質問に肯定的に答えた同校生徒の割合は86・9%で、全国平均の74・9%を上回った。

■◆思考力重視

 定期テスト廃止の背景には、20年度以降に小中高校で順次、実施された新しい学習指導要領が、知識だけでなく思考力や表現力を重視していることもある。

 北海道標津町立標津中学校も今年度から、年4回の定期テストを2回に減らした。飯田雄士校長は「定期テストに頼りがちだった評価を変えたかった」と話す。単元テストのほか、グループ討論やリポートなどをこれまで以上に評価。生徒の学習への姿勢も積極的になった。

■教員負担増加に懸念

 ただ、テストの回数増は教員の負担につながりかねない。標津中では中3数学の定期テストを年4回から2回にしたが、年8回の単元テストとあわせて計10回になった。飯田校長は「年間を通じて教員の負担は平準化したが、トータルでは増えたかも」と話す。

 定期テストは、ほぼ一発勝負の高校入試の練習になるとの意見もある。東海地方の公立中学校の教頭は「広い範囲から出題される一発型のテストにも慣れないと、他の中学生に差をつけられないか心配」と打ち明ける。

 福岡教育大学の鈴木邦治教授(教育経営学)は、「定期テストでは、点を取るための受け身の勉強に陥りがちだが、単元テストやノートの持ち込みは、生徒が課題の意味を考えながら学ぶきっかけになる。変化の激しい現代では一時的な知識より、自ら課題を見つけ学び続ける姿勢が大切で、そうした姿勢を育むには定期テストの見直しも効果的だろう」と話す。

2022年11月11日 15時24分 読売新聞オンライン

https://news.livedoor.com/article/detail/23182303/

 さて、現在の教育は「記憶したこと」を「マークートに塗るだけ」であり、なぜそうなっているかもまったくわからない状態でしかない。そのことを、一昨年、確か菅内閣の時であったが、萩生田光一氏が文部科学大臣であった時であったと思うが、その内容を改革すべきとして、共通一次(センター試験)の廃止と、論文試験の実施を実施しようとしたが、それは学校関係者によって反対されたのである。

さて、まさに、「政治家は記憶教育・記憶型テスト」に疑問を抱き、欧米と同じようにと言えば何かがおかしいが、日本は記憶ではなく、しっかりとした論理性や思考の過程、そして「根本」を学ぶことが最も重要ではないかという気がするのである。しかし、文部科学省や大学の関係者はすべて、それを否定しているのである。

何故だろうか。単純に「彼らこそが、記憶教育の勝者」であり、その自己否定が全くできないということに他ならない。いや、もっと言えば、彼らに論文を審査することなどはできないのである。もちろん、「出来ない」と言えば、おかしいのかもしれないがしかし、その論理性などを審査することはできないのである。

さて、上記のように「一夜漬け」ができるということはいったいどういうことであろうか。つまり「物事を基礎からしっかりと理解しないでも、記憶だけであれば出来てしまう」ということになる。そのことが、最大の問題になる。そしてそのまま単位を得てしまっているから、「終わったことになってしまう」のである。つまり「記憶教育で単位を取っていても、その通りの知識や知恵がついているとは限らない」ということになるのである。

まあ、その内容の改正の動きが上記のような記事であるが、しかし、そもそも記憶教育を止めるということを、決断しない限り、つまり「記憶以外の試験方法で、その試験を採点できる教員以外を解雇する」というような感覚がなければ。日本の教育はうまくゆかないのではないか。