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ひだまり保育園*安藝里山保育

うんどう会のリレー☆保育士の視点が問われたはなし

2022.11.14 10:56

こんにちは こんばんは

ひだまり保育園のエンチョーダンジョーです。

今日は久しぶりに こどもが育つってすげえなあ。

保育ってほんま覚悟を決めてやらんといけん と

帯を締め直すような気持ちになった話しです。

ちょっと長いですが、本気で書きましたので読んでいただけるとうれしいです。




 まずは、上のリンクをぜひ先に読んで下さい。

 これからの話しが分かってくださると思います。 




 今年の年長は、年少時代から「仲間のことを考える」がテーマ。

 例えば ファミリープールに行った最後の日。 

 それぞれがんばってることを発表する場面、

 自分のことはがんばれるけど、

自分のことが終わったらすぐ気が散って 同級生が頑張ってる姿に興味があんまり持てない姿。

 そんな感じが続いてきました。 

 もちろん担任を中心に、職員全体で 何度も話し合い保育を見直してきました。 


 そんな中 9月うんどう会シーズンに突入。

 近所「幼児3クラス合同のリレー」の練習が始まりました。 

 いまひだまりは、年少9名 年中11名 年長9名の29名。 

 29人がメロン、ブルーベリー、ミカンジュースの3チームに分けて走りました。 

 チームは、春から続いているグループをそのままにしたので 

 こどもたちは自分の所属チームがよくわかっています。 


 年少が3人、年中が4人(内1チームは3人なので2回走る)、年長が3人。 


 リレーは もちろんはやくゴールしたチームが勝ちなのですが、

 ひだまりでは それだけではなく 

 リレーって何?どうすればいいの?と分からん年少やら

 ボーッと自分の思いにふけってしまって動かない年中やらに 

 声を掛け、どうしたらいいか教えて、 必要なら手を引いて連れて行ってあげたりする。 

 それが、年長の役割なんです。


 メロンチームの年長は ひよこちゃん、りすちゃん、かえるくんの3人。

 これが本当にマイペースな3人で、自分の他のひとのことあんまり考えて動いたりしない…

そこが変わってほしいなあ。と願いを持って私たち職員は関わっていました。


メロンチームに人一倍応援の必要な子がいて

その子は 走ったあとどうしたらいいか分からず   コースの中に立ってたりしてたんですよね。

そういう時こそ年長さんの出番!なのですが、

3人が3人とも鼻歌歌ってたり、その時走ってる子の応援に夢中だったりして

全くコースの中に立ってる子のことは見てない。

困ったなあと思っていると、

年中クラスの子がサッと手をつないで、走り終わった子たちの所に連れて行ってくれました。


そんな場面が何度も何度もあって…。

そのたびに私たちは「年長さん、それでいいの?」と問いかけてきました。



そんなんだったらアンカーせんでいいよ。

アンカーって足が速いだけじゃない、そのチームのことを一番考えられる人になってほしい

そんなことも何度も話しました。

1週間、2週間…リレーの練習を重ねていく中で

足が一番速いひよこちゃんは、なかなかみんなのことに目が向かず。

本人に悪気は無いのはわかってるんだけど、そこが難しい。

でも、断然足は速いからアンカー。

一方そんなに足が速いほうじゃないんだけど、

りすちゃんは、一所懸命みんなのことを見ようと努力を始めました。


そこでエンチョーの独断でアンカーをりすちゃんに変えたんです。

ほんとうに、こどもたちに相談なく独断でした。

(このことは本番が終わってから激しく後悔することになりました)


アンカーを交替したその後で

「私、本当にみんなのことがんばってるんだから!」

りすちゃんがお母さんにそう話したときいて、

私は、アンカーってそんなにまでこどもの心をとらえるんだなって

あらためて「アンカー」という役割の重さを実感しました。



さて、チームワークだけが、リレーの速さを決めるわけじゃないんだけど

なぜかメロンチームはなかなか勝てません。

どうしようか、このままじゃ 断然引き離されるよね…。

どうしたらいいかね…

運動会の2日前、お迎えに来てくれたお母さんたちを待たせてまで

年長3人の話し合いを持ちました。


机の上にある紙に、まず3人の気持ちを書いていきました。

・一番大事にしたいことは「メロンチームが勝つ」こと。

それは3人が共通していました。

よし。じゃ、勝つためにどういう人がアンカーがいい?と問いかけると


ひよこちゃんは

「足が速い人がやったほうがいいと思う」

りすちゃんは

「だって、みんなのこと考える人がアンカーがいいでしょ」

2人は自分こそがふさわしいと言って譲りません。


あれこれ聞いたり、足りない言葉を補足したりしながら話していくと、

ここまで一度もそんなこと言ってなかったカエルくんも

「だって俺だってアンカーしたいよ」と本当の気持ちを言い始めました。

1チームアンカー候補が3名です。

困ったね。

10分 20分 30分

話し合いは平行線をたどります。


いくらなんでもなあ…と思った私エンチョーダンジョーは

「わかった。あと5分待つ。それで決められんかったら私が あみだで決める!」と

言いはなちました。


当然決まりません(笑)


あみだをしました。

りすちゃんでした。

でもあとの2人は当然納得できません。


仕方ない。話し合おう。


そして さらに色々言い合っていく中で

りすちゃんが

ぼろぼろ泣きながら

「だったら ひよこがアンカーしていいよ」と言ったんです。

「本当は私がしたいけど、私がやる方がいいと思うけど

ひよこがどうしてもしたいんだったら それでいいよ」と。


保育士として、私はここで激しく悩んだんですよね。

*******

こうやって 相手のことを考えられる人がガマンしていいの?

勝てるようにできたら、それが正解の指導なの?


でも、でも、でも。

ここで私が りすちゃんがアンカー!って

私が決めたら、

こどもの気持ちはどうなるだろう。

やっぱり最後はダンジョーが決めるんじゃないかってなるよなあ。


そしてりすちゃんは

「ああ、こうやって言えばアンカーできたんだ」って思ってしまうし

ひよこちゃんは、納得できないまま運動会を迎える。

カエルくんだって、ダンジョーが決めたって終わる。


相手のことを考えられる人にこそ光が当たってほしい

そういう思いを具現化するってことは、

リスちゃんがアンカーをするってことじゃなくて、

そうやって「みんなのことを考える自分を選んだ」そのことを

大切にすることなんじゃないか。

*******

このくらいのことを グルグルグルっと頭のなかで高速回転させて

「りすちゃん、えらい。

 それでこそ年長!大きくなった!」って言ったんです。



そして

「ひよこちゃん、いい?

アンカーで走るってことは、

こうやって考えてくれたりすちゃんの気持ちを大事にするってことよ。

それは、ありがとうって言うことだけじゃないよ。

脚がちぎれるほど必死に走ることが 大事にするってことになるんよ」


「カエルくん、自分の気持ちを言うてえらかったよ!

悔しいよねアンカーしたかったよね。

でも、足が速い人がしたほうがいいって思ってガマンして、

チームが勝つように考えたカエルはかしこいよ。

運動会、カエルも脚がちぎれるほど早く走ろうね」


そんな話しをして話し合いを終えました。


当日、かえるくんも りすちゃんも ひよこちゃんも

文字通り脚がちぎれるほど走りました。

すっごい すっごい かっこよかったです。




~~~ここからはダンジョーの気持ち~~~


実は、リスちゃんがアンカーを譲るといったところで

よしよし!これで解決か!と思ったけど

実は、それで終わりにはならず、

やっぱりリスちゃんも自分がアンカーやっぱりしたくなるし、

ひよこちゃんも、そこまで泣くならりすがアンカーで良いよって言ったけど

やっぱりアンカーさせて って言い出すし。


でも、わんわん泣いていたりすちゃんが

次第に明るい表情になっていったんです。

初めにリンクをした お母さんの記事を読んで納得したのですが、

明るい表情になったのは

「私大きくなるの!」と自分をとらえたからだったんですね。

すごいよなあ 年長!

そんな風に 自分の感情から しっかり立ち上がっていけるんだもんなあ。


そして 幼児の担任3人で大きく激しく深く反省しました。

大人は、チーム同志のバランスや

「この子にこうなってほしい」という願いでアンカーを変えたり

チームのメンバーを入れ替えたりしてきたけど、

こどもにとってそれはとっても大きなことで

私たちが考えてる何倍も大きな意味をもつことだから

それは本当にしちゃいけないことなんだ。

大げさかもしれないけど、こどもの人権に関わるようなことなんだ。

あんな風に泣かせるようなことをしちゃだめだ。

そのことを肝に銘じて これから保育をしていこうと思います。



「わたし 大きくなったの!」


りすちゃんがそう言えたのは、

何十分も こどもたちの言葉で話しあいを重ねたから。

ダンジョーが勝手に決めたんじゃなくて

自分たちが決めたから。


こどもが 育つとき

大人は ねがいをもって

最大限の配慮で、しっかりと自分の気持ちを出せるように支える。

それが保育なんだと痛感した 1時間半でした。


こどもはいつでも私たちの先生です。