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ZIPANG TOKIO 2020「飛騨に春『高山祭』 日本を代表する美しい祭です! ユネスコ無形文化遺産登録」

2018.03.25 14:55


春の高山祭

世界遺産登録、国指定重要無形民俗文化財である飛騨 高山市春と秋の「高山祭」は、「日本三大美祭」「日本四大美祭」「日本三大曳山祭」すべてに名前が上がる日本を代表する祭です。

2016年ユネスコ無形文化遺産保護条約「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に「山・鉾・屋台行事」として登録。

春の高山祭「赤い中橋、宮川」

春の高山祭

春の高山祭

春の高山祭

春の高山祭「飛騨の匠の技」


日本四大美祭

日本四大美祭とは、3月の長浜曳山祭(滋賀)、 4月春・10月秋の高山祭(岐阜)、7月祇園祭(京都)、12月秩父夜祭(埼玉)のことで、いづれも国指定重要無形民俗文化財として登録されています。 伝統と華やかな出し物や伝統工芸で彩られた曳山、絵のように美しい絢爛豪華な祭の光景は観るものを魅了します。

高山祭(春と秋)

春の高山祭

秋の高山祭

高山祭は、春4月の日枝神社の山王祭と、秋10月の八幡神社の八幡祭の総称です。いずれも10数基ずつの華麗な屋台が、鶏頭楽や獅子舞などを伴って巡行する行事で、夜には屋台に提灯が灯されます。また、年行事と呼ばれる役により巡行が指揮され、屋台ではからくり人形や囃子なども上演されます。我が国における祭屋台を用いた祭礼行事の代表的なものの一つとして重要です。

高山祭屋台会館
桜山八幡宮境内にあり、秋の高山祭に使用される祭屋台(国指定重要有形民俗文化財)を展示しています。秋の高山祭屋台全11台のうち4台が展示されており、3月・7月・11月に入れ替えられます。
まだ先日入れ替えが終わったばかりです。春の高山祭で春と秋両方の屋台を観ることが出来ます。


長浜曳山祭


この行事は、長浜八幡宮の春祭に際して、12基ある曳山のうち、毎年4基ずつが交替で曳き出されるものです。4月13日の神輿渡御、鬮取り神事から始まり、14日の登り山、夕渡り、15日の朝渡り、太刀渡り、歌舞伎(狂言)奉納、お旅所への曳山、戻り山、16日の後宴などが行われます。曳山は、歌舞伎(狂言)を演じる花道用のセリ出しが仕込まれ、後部が竹本用の部屋になっています。また2階に亭があり、囃子が奏されます。


京都祇園祭


京都祇園祭の山鉾行事は京都市東山区祇園に祀られる八坂神社の祭りに行われる行事で、夏に発生しやすい疫病を除けることを祈願して行われます。1,000年近く前から始まったとされ、14世紀から15世紀には山形に松等の常緑樹を挿した舁山や屋根の上に真木がそびえる鉾等が出る祭りとしての形が整い、16世紀末頃には京都の町衆の富と心意気を示すように豪華絢爛な織物などを幕として懸け、錺金具や彫り物などにも凝るようになりました。
この行事は巡行の順番を決めるくじ取りや山・鉾建て、宵山、32基の山鉾による巡行など多彩な行事が行われ、それらの行事が町中(ちょうじゅう)と呼ばれる組織によって運営されているなどの特色が見られます。我が国の夏祭りの発生や変遷を知る上で欠かすことのできない祭礼です。 


秩父夜祭


この行事は、秩父神社の例大祭で行われる行事であり、特に3日夜の笠鉾・屋台の曳行は、豪壮華麗を極め、「秩父夜祭」の名で親しまれています。当日曳行される2基の笠鉾と4基の屋台のうち、屋台では展開して舞台として歌舞伎芝居を上演されます。お旅所までの曳行は、笠鉾を先頭に行われ、夜半に各町へ帰還。また神楽は、3日と6日に神楽殿などで演じられ、関東一円に分布する江戸神楽とは異なる構成と芸統を示しています。


春の高山祭

春の高山祭(山王祭)とは

16世紀後半から17世紀が起源とされる高山祭。高山祭とは春の「山王祭」と秋の「八幡祭」、2つの祭をさす総称で、高山の人々に大切に守り継がれてきました。
このうち、高山に春の訪れを告げる「山王祭」は、旧高山城下町南半分の氏神様である日枝神社(山王様)の例祭です。
毎年4月14日・15日、祭の舞台となる安川通りの南側・上町には、「山王祭」の屋台組の宝である屋台12台が登場。うち3台がからくり奉納を行うほか、祭行事では賑やかな伝統芸能も繰り広げられます。


神楽台(春の高山祭)

<沿革> 古くから山王祭の神楽、獅子舞を主管し、初めの頃は白木のわくに太鼓をつって二人でかついだものでした。文化年間(1804年~1818年)、四輪の屋台形にし、嘉永七年(1854年)の大改修により現台形となりました。明治26年(1893年)改修。その後数度の改修が行われています。

嘉永改修 工匠 谷口延儔(のぶとし)

彫刻 谷口与鹿(よろく)

明治改修 工匠 村山民次郎

塗師 田近宇之助

金具 井上芳之助

構造 屋根無 太鼓昇降 四輪外御所車

<特色> 祭礼に際しては、侍烏帽子(さむらいえぼし)、素襖(すおう)姿の五人の楽人を乗せて獅子舞を付随させ、全屋台に先行します。曲は「場ならし」「高い山」など多数あり、場所により使い分けられます。嘉永の改修のとき、金具に一坪(3.3平方センチメートル)あたり一匁(4グラム)の純金が使用されました。

※文書:「高山の文化財」(高山市教育委員会発行)より


三番叟(さんばそう) 上一之町中組

<沿革> 宝歴年間(1751~1764)の創建で、台銘は「恩雀(おんじゃく)」、天明年間(1781~1789)に翁操りを取り入れ「翁(おきな)台」と改銘、文化三年(1806)に雛鶴(ひなずる)三番叟の謡曲による操り人形に替え、台銘も三番叟となりました。天保八年(1837)、現在の台形に改造され、大正七年と昭和四十一年に大修理が行われました。

天保改造 工匠 牧野屋忠三郎 彦三郎

構造 切破風屋根 四輪内板車

<特色> 二十五条の細綱で操るからくりがあります。童形の三番叟人形が所作を演じつつ、機関(からくり)樋の先端へ移行した聯台(れんだい)上の扇子と鈴を持ち、面筥(めんばこ)に顔を伏せ、翁の面を被り、謡曲「浦島(うらしま)」に和して仕舞を演ずるという構成です。屋台曳行順のくじは、必ず「一番」を引くことになっていて、神楽台についで他の屋台に先行する慣例となっています。

※文書:「高山の文化財」(高山市教育委員会発行)より


麒麟台(きりんたい) 上一之町下組

<沿革> 創建年代未詳。天明4年(1784年)の火災に焼失し、再建されたものが文化3年(1806年)の記録に「鉄輪(かんなわ)」の名でみえます。翌文化4年「よしの静(しずか)」と改名し、文化10年(1813年)、以前から組内に金森家から拝領した麒麟の香炉を保管していたことにより、「麒麟台」と改名されました。

弘化2年(1845年)大改修、大正10年改修。昭和46年修理。

弘化改修 工匠 中川吉兵衛

彫刻 下段唐子 谷口与鹿(よろく)牡丹 中川吉兵衛

塗師 輪島屋藤兵衛 大正改修

工匠 彫刻 村山群鳳(ぐんぽう)

塗師 田近卯之助(うのすけ)

構造 切破風屋根 四輪外御所車

<特色> 台名の示す通り、屋根飾りとして一対の麒麟を載せ、中段、上段の上部の木鼻(きばな)の彫刻も麒麟の意匠となっています。下段の唐子群遊彫刻は谷口与鹿の作で神技といわれ、屋台彫刻中の逸品です。豪華絢爛な屋台です。

※文書:「高山の文化財」(高山市教育委員会発行)より


石橋台(しゃっきょうたい) 上二之町上組、下神明町西組

<沿革> 宝暦創建説と天明創建説があります。当初から長唄の石橋の操り人形があったため、台名もこれに由来します。弘化―嘉永年間(1844年から1854年)に改修。文久3年(1863年)大改修し、旧台を古川町に譲りました。

文久改修 設計 村山勘四郎

工匠 畠中久造

彫刻 下段獅子 村山勘四郎 中段彫り龍 浅井一之(かずゆき) 牡丹 中川吉兵衛

見送り 朝鮮の段通(だんつう)

構造 切破風屋根 四輪内板車

<特色> からくり人形は長唄石橋物(しゃっきょうもの)のうち、「英執着獅子(はやぶさしゅうちゃくじし)」を取り入れたものです。濃艶(のうえん)な美女が踊っているうち、狂い獅子に変身し、また元の姿に戻り両手に牡丹の花を持って千秋万歳(せんしゅうばんぜい)と舞い納める構成です。明治25年(1892年)に風紀上よくないと中止されましたが、昭和59年に復活されました。重厚で調和のとれた屋台です。 ※文書:「高山の文化財」(高山市教育委員会発行)より


五台山(ごだいさん) 上二之町中町

<沿革> 創建年代未詳。寛政年間(1789年から1801年)には「盧生(ろせい)」の台名で操り人形がありました。文化年間(1804年から1818年)に改修。中国名山の「五台山」と名を改めました。天保3年(1832年)の火災で焼失後、天保8年(1837年)再建。明治20年から23年改修。昭和48年修理。

天保再建 工匠 谷口延恭(のぶやす)

飛獅子彫刻 立川和四郎(たてかわわしろう)

明治改修 工匠 村山民次郎

構造 切破風屋根 四輪内御所車

<特色> 朱塗り格子を透かして、回転する御所車がみえます。車は京都御所御用車師中川万吉の作。獅子牡丹の刺繍(ししゅう)幕は円山応挙が下絵を描き、下段の飛獅子彫刻は幕末の左甚五郎といわれた諏訪の立川和四郎作。見送り幕の雲龍昇天図は明治の帝室技芸員幸野楳嶺(こうのばいれい)の原作で、京都西陣で製作に半年を要した綴錦織の大作であり、各所に由緒を誇る屋台です。 ※文書:「高山の文化財」(高山市教育委員会発行)より


鳳凰台(ほうおうたい) 上二之町下組

<沿革> 創建年代未詳。寛政11年(1799年)、大黒天のからくりの人形を大国台に譲り、その後文化4年(1807年)には「迦陵頻(かりょうびん)」の名で曳行しています。またその当時、「鹿島(かしま)」と呼ばれていたこともありますが、文政5年(1822年)に「鳳凰台」と改称しました。天保元年(1830年)から改修を行なったが、天保3年の火災で焼失、天保6年から8年に再建されました。明治8年(1875年)、大正年間に小修理。昭和37年から39年に大修理。

天保再建 工匠 原屋喜助 牧野屋忠三郎

構造 切破風屋根 四輪内板車

<特色> 屋根中央部に赤木白毛の長い鉾(ほこ)をたて、根部に緋羅紗(ひしゃら)の屋根覆いをまとっています。赤黒黄3色の大幕はオランダ古渡りの珍しい毛織りといわれています。全体に堅牢で、金具も目立たなくして木材の美しさを強調しています。狭い道路の通行に備え、上段蛇腹(じゃばら)形支輪(しりん)が伸縮するようになっています。 ※文書:「高山の文化財」(高山市教育委員会発行)より


恵比須台(えびすたい) 上三之町上組

<沿革> 創建年代未詳。明和年間(1764年から1772年)、越前宰相(さいしょう)より大幕などが下附されたことは、高山富裕町人の大名貸を想起させ、当時すでに屋台があったことがわかります。初めは「花子(はなこ)」と呼び文化7年(1810年)に殺生石(せっしょうせき)の操り人形に替えて「殺生石」と改名。祭神に恵比須神を祀ることから「蛭子(えびす)」と呼ばれることもあったが、天保年間(1830年から1844年)頃から「恵比須台」となりました。弘化3年(1846年)から3年間かけて大改造。明治18年、昭和43年修理。

弘化改造 工匠 谷口延恭(のぶやす)谷口与鹿(よろく)

彫刻 谷口与鹿

構造 切破風屋根 四輪内板車

<特色> 下段の龍、中段の獅子、手長足長(てながあしなが)像の彫刻はいずれも名工谷口与鹿が情熱を傾けた会心の作。金具の鍍金(ときん)には14キログラムの純金が使用されています。見送りは幡(はた)見送りといわれる形式で、西欧の風俗を画材とした綴錦織(つづれにしきおり)。鯉の伊達柱(だてばしら)は藤原家孝卿の牛車に使用されたものです。 ※文書:「高山の文化財」(高山市教育委員会発行)より


龍神台(りゅうじんたい) 上三之町中組

<沿革> 創建年代未詳。安永4年(1775年)に弁財天像に猿楽を舞わせたとの記録があり、文化4年(1807年)の屋台曳順の「龍神」の台名がみえます。またこの頃、竹生島(ちくぶしま)弁財天にちなみ、「竹生島」とも呼ばれました。文化12年(1815年)に改造し、弘化3年(1846年)に修理。明治13年(1880年)から3年がかりで再改造され、唐破風屋根を現在の切破風に替えています。昭和41年、半丸窓上に龍彫刻が取り付けられました。

文化改造 工匠 谷口紹芳

明治改修 工匠 彫刻 谷口宗之 塗師 小谷屋正三郎

構造 切破風屋根 四輪内板車

<特色> 32条の糸を操って龍神のはなれからくりが演じれます。これは、竹生島の龍神にちなんだもので、8尺余りの橋樋の先端に、唐子によって運ばれた壷の中から突然赫(あか)ら顔の龍神が紙吹雪をあげて現れ、荒々しく怒り舞うという構成です。見送りは試楽祭には望月玉泉(もちづきぎょくせん)筆の雲龍昇天図、本楽祭は久邇宮(くにのみや)朝彦親王の書で、明治天皇の鳳輦の裂れで表裂されたものを用いています。 ※文書:「高山の文化財」(高山市教育委員会発行)より


崑崗台(こんこうたい) 片原町

<沿革> 創建年代未詳。安永3年(1774年)の組内古記録があるが、文化4年(1807年)には「花手(はなて)まり」の名で曳行をしています。その後、「林和靖(りんなせい)」と改称の後、中国にある金銀の産地「崑崗(こんこう)」にちなみ、「崑崗台」と改称されました。嘉永2年(1849年)に大改造。昭和9年から11年、昭和41年修理。

嘉永改修 工匠 上野屋宗次 

塗師 島田屋小三郎

構造 切破風屋根 四輪内板車

<特色> 天保年間頃(1830年から1844年)までは中国の故事により、林和靖と唐子のからくり人形がありました。棟両端の金幣、屋根上の宝珠は「崑崗」が中国随一の金銀の産地であることに由来し、金塊をあらわしています。見送りは中国産の刺繍、寿老と鹿の図です。 ※文書:「高山の文化財」(高山市教育委員会発行)より


琴高台(きんこうたい) 本町1丁目

<沿革> 創建年代未詳。文化4年(1807年)に「布袋(ほてい)」の名で曳行された記録があります。文化12年(1815年)には飛騨の漢学者赤田臥牛(がぎゅう)が「支那列仙伝(しなれつせんでん)」から「琴高、赤鯉に座し来る」の故事を引いて現台名に改められました。天保9年(1838年)に、組内に居住していた谷口与鹿が中心となり大改造。明治26年(1893年)、昭和32年、昭和41年修理。

天保改造 工匠 彫刻 谷口与鹿

金具 伊勢屋治左衛門

塗師 輪島屋儀兵衛

構造 切破風屋根 四輪内板車

<特色> 鯉魚と波浪を刺繍した大幕を用い、伊達柱(だてばしら)は黒塗地に鯉の滝昇りの大金具を打つ。欄間にも与鹿の鯉魚遊泳の彫刻があるなど、鯉づくしの意匠となっています。本見送りは徳川家16代家達書の琴高仙人の詩、替見送りは垣内雲りん(かいとううんりん)の琴高仙人図です。 ※文書:「高山の文化財」(高山市教育委員会発行)より


大国台(だいこくたい) 上川原町

<沿革> 寛政8年(1796年)に創建され、日枝神社の宮寺松樹院にちなみ、「松樹(しょうじゅ)台」の名で曳行(えいこう)していた記録があります。寛政11年(1799年)、上ニ之町の現在の鳳凰台組から大黒天像を譲り受けて「大国台」と改称されました。弘化4年(1847年)に大改修。明治16年(1883年)、大正13年、昭和39年に修理。

弘化改修 工匠 石田春皐(しゅんこう)

構造 切破風屋根 四輪内板車

<特色> 構造上に工夫がこらされ、屋根棟と上段の縁(ふち)が違う動きをして、しなう美しさを出しています。祭神となっている大国天の人形はもとは腹中から七福神が舞い出るからくり人形であったといいいます。毎年、くじによって決められる屋台曳行順で、この屋台の順位が若ければその年は米価が高く、その反対であれば安いという伝承があります。中段欄間の石田春皐作飛龍、下絵の土村栄斎(どむらえいさい)作獅子の彫刻が引き立っています。 ※文書:「高山の文化財」(高山市教育委員会発行)より


青龍台(せいりゅうたい) 川原町

<沿革> 創建年代未詳。明和3年(1766年)に存在した記録があります。文化4年(1807年)には、「道成寺(どうじょうじ)」の名で曳行(えいこう)しており、娘道成寺のからくりを演じたといいます。文化12年(1815年)に改修。天保3年(1832年)、火災により焼失し、嘉永4年(1851年)に再建されました。この頃、台名も「青龍台」と改められました。明治23年(1890年)大改修。明治40年、明治30年修理。

明治修理 工匠 船坂栄蔵ほか

構造 入母屋造(いりもやづくり)屋根 四輪内板車

<特色> 国主金森氏が、特に日枝神社を崇敬すること篤(あつ)く、この屋台組が神社膝元(ひざもと)の重要地区にあったことなどから、金森氏の代行として宮本(みやもと)と呼ばれて、家紋梅鉢を使用し祭事を主宰する特権を持っていました。これは明治24年に宮本が輪番制になるまで続いた。台形も3層で、天守閣型の屋根(入母屋造)となっており、他の屋台と趣を異にしています。 ※文書:「高山の文化財」(高山市教育委員会発行)より


伝統を受け継ぐ祭行事の見どころ

御巡幸(祭行列)

屋台曳き揃え

からくり奉納

夜祭




飛騨の高山は、江戸幕府の天領であったが、日枝神社や八幡神社の祭礼は盛行を許されたことから、祭屋台の構造や装飾も華美なものとなったと考えられます。
現存する屋台は、日枝神社の山王祭に出るものが12基、八幡神社の八幡祭に出るものが11基で、氏子である各町内の屋台組が保存に努めてきた。神楽台と呼ばれるもの2基を除いて他の21基は三層屋形を台車に載せたものです。


【参考】下記の日枝神社例大祭「屋台曳き揃え図・夜祭屋台曳行順路」は昨年の例です。本年のものは決定次第ご案内いたします。

ご案内とお願い

雨天の場合

からくり奉納・御巡幸・屋台曳き揃え・夜祭は中止となります。また、中止となった日程の順延はありません。 雨天の場合でも天候によっては、各屋台が屋台蔵に入った状態をご覧いただけることがあります。

お願い

屋台は貴重な文化財です。大切にしましょう。 屋台には絶対手をふれないようにしましょう。また屋台曳行の際は危険ですから、関係者以外は曳かないようお願いします。特に屋台が方向を変えるときは、近寄らないようお願いします。 御巡幸(祭行列)の列の中へみだりに入り、写真などを撮らないでください。 祭見物の人出で大変混雑が予想されます。お互いにゆずりあって、事故のないようご注意ください。 シートベルトは命の綱です。安全運転を心掛けるとともに、駐車場のアイドリングストップにもご協力ください。 条例により、市全域で「ごみのポイ捨て」、古い町並周辺での「路上喫煙」は禁止されています。 ゴミの持ち帰りにご協力ください。 天候などの都合で、祭行事が変更される事がありますのでご了承ください。 側溝には“ふた”がない所がありますので、特に夜祭の際には足元にご注意ください。

高山祭各案内所

高山祭案内本部 電話:0577-36-0270(4月14日・15日のみ開設 開設時間:14日午前8時30分から午後9時・15日午前8時30分から午後4時) 飛騨高山観光案内所 電話:0577-32-5328 高山市役所 観光課 電話:0577-32-3333 市営駐車場のお問い合わせ 電話: (4月14日・15日のみ開設 開設時間:14日午前8時30分から午後9時・15日午前8時30分から午後4時)

特急「ワイドビューひだ」号 臨時列車運行について

春の高山祭に合わせ、臨時列車「ひだ98号」(高山駅20時50分発)が運行されます。 これにより、名古屋からは日帰りでも夜祭をお楽しみいただけます。 運転日は4月14日土曜日のみです。

駐車場

高山の見どころ

高山祭屋台会館

赤い中橋のライトアップ

日下部民藝館

上三之町の古い町並み

飛騨の里茅葺屋根

飛騨一之宮水無神社

東山寺町・東山遊歩道(写真は秋)

高山陣屋

飛騨高山まちの博物館

高山市文化伝承館

風土記の丘

野麦峠お助け小屋

清峯寺円空仏

高山グリーンホテル庭園露天風呂

荘川桜 丁度見頃です

荘川日本一の五輪水車

荘川の里

白山ユネスコエコパーク荘川エリア・荘川の麦畑や蕎麦畑から観る白山の美しい眺め

天然温泉かけ流し「荘川温泉」。周囲は自然でいっぱい!

荘川樹齢2000年日本一のイチイの木


ユネスコ無形文化遺産補足資料


鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」の明和町観光大使


協力(順不同・敬称略)

高山市役所 〒506-8555 岐阜県高山市花岡町2丁目18番地 電話:0577-32-3333

荘川観光協会 〒501-5413 岐阜県高山市荘川町新渕446番地 電話:05769-2-2272

荘川町まちづくり協議会
〒501-5413 岐阜県高山市荘川町新渕430−1電話: 05769-8-6005

(一社)岐阜県観光連盟
〒500-8384 岐阜県岐阜市薮田南5丁目14−12 岐阜県シンクタンク庁舎 4F
電話: 058-275-1480

文化庁 〒100-8959 東京都千代田区霞が関3丁目2番2号 電話番号(代表)03(5253)4111