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じゅんじゅんホームページ

セルフネグレクトからの脱却。

2022.11.15 06:26

【2020年1月17日0:36自宅にて。このまま仕事をし続けたらうつ病になると診断された末期の頃。口角が上がりきらない笑顔が全てを物語っている。】



うつ病寸前と診断され、療養のために仕事をやめて無職となったのが、2020年1月11日。

傷病手当という、"病で就労ができませんので補償をおねがいします"という日本国の救済システムが使えるらしいとバンドメンバーから教えてもらった。

その適応条件として、2週間に一度心療内科に通院、主治医から申請書類に必要事項を記入してもらい、ポストに投函し手当金を戴くという1年半を過ごした。

私がどういった経緯で精神をやられたのかはおいておいて、この出来事をきっかけに、いわゆる認知療法など自己の意識の改変の勉強をし始めた。

【2020年1月9日22:40にデコった写真。後に無意識的に自分を蔑んでいたのだと気付いて戦慄を覚えた。】



小学校なかばから中学校にかけて、ほとんど丸々不登校で過ごしていた自分の経緯を鑑みるに、

「心身が滅入る原因は、私の心のどこかにあるのだろう。」

と、薄々気付いてはいた。

根本的な問題を解決しない限り、環境や境遇がきっかけとなるにせよ、この先も、頓挫する可能性は否めない。

心療内科を悪しとしているわけでは勿論無いし、必要に応じて精神薬を服用するべきとも思う。

ただ、身内や周囲で精神薬の服用によりつらい思いをしている人たちを見てきたので、私は、ドラッグを含め、薬の類いには、一切手を出さないと決めていた。

「あなただけは、精神科に通わせない。」

と言っていた母が、

「じゅんがつらいのなら、心療内科に通ってもいいんだよ。」

とそっと述べてくれた時、母の信念を覆すほどの自分の現状に愕然としたし、申し訳なかったし、かなしかった。

傷病手当金を戴くために心療内科には通ったが、主治医に要望し、処方は漢方薬だけにしてもらった。

精神薬を用いずに、心と身体を立て直す方法が、きっとどこかにあるはず。

もしもそういった処世術を見つけられたとしたならば、それは、私ひとりのためだけではなく、私のように苦しんでいる多くの人たちの道調べになるはず。

そのような考えも相俟って、療養という免罪符の下、自己改変の道をゆらゆら模索し始めた。

【2020年6月11日20:53自宅にて。医師から適度な運動をと言われた為、夜な夜なLMFAOとアニソンを聴きベリーダンスを踊っていた頃。笑顔がすこし自然になってきた。】



収入がないので、出費を極力抑えるべく図書館へ行き、その類いの本を借りてきては読み、医師からテンプレートのように言われる規則正しい生活を守りながら過ごしていた。

そんな中、BOOKOFFの100円コーナーで出会った名取芳彦氏の『気にしない練習』という文庫本を機に、仏教の考え方に興味を強く惹かれ、今に至る。

小岩は鹿骨にあるお寺の御住職と知り、月に2度開かれる法話や、毎月やっている写仏の会に今もふらりとお邪魔している。

昨今の私の思考傾向および言動は、ここに準じているものが多い。

世に言うドが付くほどのポジティブ的回路にも通じる部分があるので、人によっては胡散臭く感じられるのも、

「未だ病気の最中なのだな。」

と思われるのも納得出来るし、実際、それらを否定するだけの確信は無い。

ただひとつ、幼少期から抱えていた恐怖に近い不安や惑いは、圧倒的に減少した。

というより、抹消した。

本当に、びっくりするくらい、体感として、世界の観え方が違うのだ。

【2020年6月15日23:02高円寺カラオケBANBANのトイレにて。私の精神を心配したダムダム団メンバーらが、リハーサル後に度々カラオケへ連れ出してくれていた。ありがてえ。】



以前まではバンドでの演奏の際、自分の視界に入っていない背面の床が、奈落の底に続く真っ暗闇のような感覚があった。

「間違ってはいけない。」

「きちんとうたえなければならない。」

「ここで私が言うべき話題を言わなければならない。」

リハーサルやライブ、終わって酒を呑みながらの談笑中、そういった事を、頭の4割くらいを使って、ぐるぐるぐるぐる考えていた。

そうして、歌詞を噛んだり、みんなが面白がらない話題を口にしてしまったりすると、自分で自分にバツをつけてまわった。

「ここはよかったねぇ。」

ではなく、

「ここがダメだから、全部台無しだ!」

と、自分に鞭を打った。

例に挙げたバンド活動に限らず、日常生活のすべての場面で、上記のような自己への心的虐待をしていた。

今思えば、過去の不登校もうつ病も、そういうセルフネグレクトを地味に続けてきた代償だったのだと思う。

私は、私自身に、本当におそろしいことをしてきた。

【2020年3月10日りなちゃんと撮ったプリクラ。私の心身を案じて、川崎大師へ厄払いに連れ出してくれた時のもの。やさしさで視界が大海原。ありがたい。】



先日の朝、前夜の食器類を洗おうと眠い目をこすりながらキッチンに立った。

油がべっとりとついたお皿があったので、給湯器でお湯を出して洗い物をこすってゆく。

おかあさんの家に泊まりに行くといつも朝、

「じゅん、お水が冷たいから、お湯で顔を洗いなさい。」

と言って、あたたかいお湯を出してくれるのを思い出した。

食器をお湯でこすりながら、ふと、私は私のためにお湯を出したことがあっただろうか、と思った。

本当に寒い日にはお湯をつかうけれど、ガス代がもったいないからという理由で、冷たいなあと思いながら水をつかうことの方が、圧倒的に多かった。

おかあさんは私のことを想って、つめたい思いをしないようにとお湯を出してくれていたのに、肝心の私自身ときたら、日々日々、私につめたい思いをさせてきたのだと気付いた。

ハッとしたと同時に、ぼろぼろ涙がこぼれてきた。

油でじっとりとしたお皿をにぎりしめて、嗚咽を漏らして泣き崩れた。

給湯器のお湯が湯気を立てながら流れおちる。

私は、とんでもない思い違いをしてきたのだと、己の愚かさを恥じ、関わってきたすべての人に申し訳がなかった。

かえさなければならない、と思った。

この身に賜ったすべての恩恵を、返しきれないとわかっていても、一生かけてかえしていかなければならない、と思った。

もっともっと、勉強をしよう。

もっと感じること、考えることをしよう。

喜怒哀楽を逸脱した不安や恐怖を、うまいこと調理できる方法を、脳味噌フル回転でさぐるんだ。

お坊さんは親を置いて出家するけれど、それは親を見捨てる行為ではなく、この世の人々を救うことが最大の親孝行になるからだと本に書いてあった。

まだまだ、足りない。

もっともっともっと、私に出来得るなにかを、全力で。

鮮度のよいうちに、と、この朝のエピソードを手紙に認めて母へ送った。

先日行った、ベルサイユのばら展で購入したステッカーも同封した。

あらゆる感動は、自分で抱え込んでおくには、もったいない。

たくさんふるえて、たくさん伝えていけたらいい。

坪田信貴さんのこのお話がものすごく面白いです。

なにで行き着いたのかは思い出せないのですが、とてもとても、よい。

演者さんや作り手の方には是非一度見て実践して欲しいし、そうでなくとも、是非。

人生に必須と言わずとも、あったら格段に生きやすくなるエッセンスとおもう。

思考の訓練は、いつでもどこでも出来るし、みんな知らず知らずのうちに、それぞれの訓練で固定概念を育ててしまっていたりします。

時にそれらは、生きづらさ、息苦しさにも繋がり得る。

自分を縛り付けているのは、他でもない、自分自身。


こちらは名取御住職のYouTube。

ぐるぐる悩むのは、メリーゴーラウンドに乗っているようなものだと、トイザらスで買ってきたというおもちゃを用いながらお話されている回。

トイザらスでメリーゴーラウンドを買ってくる御住職、想像しただけで、すごくかわいい。

どれも2〜5分くらいの短いお話なので、気軽に見れるのがとてもよいです。

うしろのお地蔵さまの絵も、名取御住職が描かれたもの。

著者にサインをお願いするといつも、

「いいんですか?BOOKOFFで売れなくなっちゃいますよ?」

とお茶目な返答をしつつ、お地蔵さまを描いてくださいます。

自分が地図上のどの経度に位置して、何の乗り物に乗っているのか。

それは好ましい乗り物なのだろうかと、現状を把握し、自覚し、精査すると、生きることが格段にラクになる。

自分で自分に責任を持つことにつながるので、多くの人は無意識的に避けてしまうけれど、責任逃れしているうちは、おだやかな暮らしは訪れないのだと最近強くおもう。

重い腰を上げ、騙されたとおもって、存分に騙されてほしい。

脳味噌を、ほんのすこしでいいから稼働させてみて下さい。

1秒後のあなたをつくるのは、いまのあなた以外にいないのです。

【2022年11月3日23:14高円寺無力無善寺にて、マスター無善菩薩と恒例のツーショット。私の病気をずっと心配してくれていた菩薩。おかげさまで、こんなに元気になりました。みんな本当にありがとう。】



画面越しではありますが、読んでいただいて、ありがとうございました。

私と出会ってくださって、ありがとう。

これから出会えるあなたにも、ありがとう。

すべてのあなたが、1秒でも多く、己の生きるを全うできますように。

今日もいちにち、のびやかにいこう。