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「宇田川源流」【大河ドラマ 鎌倉殿の13人】 親子の心が通じ合うことが承久の乱の勝利につながる

2022.11.15 22:00

「宇田川源流」【大河ドラマ 鎌倉殿の13人】 親子の心が通じ合うことが承久の乱の勝利につながる


 毎週水曜日は大河ドラマ「鎌倉殿の13人」について、好きに書いている。まあ、私が好きに書いているというのは、基本的にこの番組とは全く関係がない。まあ、基本的には歴史に関しても全くこの時代は書いていないし、造詣も深くないのである。そのkとから、完全に視聴者の一人としてこの番組を楽しんでいるというのが、感想を書いているということに過ぎない。

今回は、源実朝が公暁がいるのにもかかわらず自分の後継将軍を京都から養子を得ることによって行おうとしたということである。北条政子は、この時に病がちな源実朝の病気平癒のために熊野詣を行い、それに合わせて京都に行って藤原兼子と会談をしている。今回もその内容がうまく描き出されているのである。この場面に関しては、今回の中心であると思うが、しかし、私としては響かなかった。

実際に、三谷幸喜氏はこのような「談判」の場面を書くのはうまい。そもそも、「清須会議」などを映画化しているのであるから、それに比べれば、今回の内容は女性二人であり、その女性二人の個性がうまく出え来ているのではないか。その描写が面白いだけに、なかなか面白く書かれている。しかし、やはり清須会議などの方が、私が男性であるから、女性二人の交渉というのは、同も何かが異なるような気がした。

それの裏で、後鳥羽上皇が北条時房をあったというような描写になっている。実際に、また後鳥羽上皇の前でも蹴鞠を披露し、それを上皇より気に入られて出仕するよう命じられ、京都で活動していたことがある。この京都での活動、経験は、後に時房が六波羅探題として手腕を発揮する際に生かされたとされている。その辺の「史実」をかなり忠実に描いているので、なかなか面白い。

今回の大河ドラマを見ていると「事実は小説より奇なり」という言葉を思い出す。何か変に脚色するのではなく、史実にそのまま、その内容を少し感情を入れる形で脚本化すればよいという感じがなかなか良いのではないか。しかし、それはある程度枠が決まってしまうので、なかなか難しいというものなのである。しっかりとした物語を、より面白く脚本化することの難しさは、かなりなものである。

「鎌倉殿」北条父子ついに心通じた「気が合いましたね」義時喜び隠す ネット感動「泣きそう」「親子だなあ」

 NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は13日、第43回「資格と死角」が放送された。

 中盤では三代鎌倉殿源実朝(柿澤勇人)が北条泰時(坂口健太郎)を国司に推挙したいと言い、朝廷の思惑を受け暗躍する源仲章(生田斗真)が「讃岐守」を勧め、後鳥羽上皇(尾上松也)に話を通すと買って出てきた。

 父北条義時(小栗旬)は夜に息子を訪ねて断るよう求め、「お前は私を良く思ってはおらぬ。しかし私はお前を認めている」「いずれお前は執権になる。お前なら私が目指していてなれなかったものになれる。その時、必ずあの男が立ちはだかる。源仲章の好きにさせてはならぬ。だから今から気をつけよ。借りを作るな」と説いた。

 これを神妙な顔で聞いていた泰時は「ご安心ください」と応じ、「私も讃岐守はご辞退しようと思っていたところです」と返答した。

 これまで、事あるごとに義時に反発していた息子が「気が…合いましたね…」とつぶやくと、義時は微笑みかけそうになって、それをやめ、真顔になって「帰る」と立ち上がった。

 泰時が呼び止め「父上が目指してなれなかったものとは何ですか」と聞いたが、義時は何も答えなかった。

 ネット上は、父子の姿に「『気が合いましたね』で泣きそうになった」「小四郎ちょっと一瞬顔ゆるんだな…」「私はお前を認めている やばい泣ける」「親子だなあ…」「気が…合いましたね(うれしそう)」「根はよく合うんですよこの親子」「一瞬ホッとしたな義時」と反応する投稿が相次いだ。

11/13(日)デイリースポーツ

https://news.yahoo.co.jp/articles/db22166d9afd26b26d1ed2ed1021a6d7a4c01eef

 さて、二つの「肉親」の人間関係が今回の注目点だ。

一つは、「源実朝」と「公暁」である。公暁は源実朝の兄である源頼家の子供である。そのように考えれば「叔父」「甥」の関係である。このような肉親という野派他人よりも難しい。「わかってくれて当然」と思いながらも「他の人々(御家人)の目も気にしなければならない」という立場にある。同じようにやっていても「身内だから特別扱いした」というような目で見られるから、特に厳格に処理しなければならない状態にあるのだ。そのことが、最大の問題なのではないか。片方に甘えがあり、そこに「当然にやってもらえる」ということがあるのに対して、もう片方に「厳格に処理しなければならない」ということが待っている。個のすれ違いが、決定的に大きな問題になってしまうのである。

源実朝と公暁の間の関係は、まさにそのようなものであろう。血筋から考えれば、当然に公暁が将軍になる。しかし、実朝は「鎌倉には全く信用できる人がいない」と和田合戦の後に発言し、その政治思想は、朝廷に寄ってしまっているので「源氏に取り戻す」などと言いながらも、源氏であるはずの公暁を無視したということになるのである。そのことが次の悲劇の伏線になる。今回も、鶴岡八幡の地図に「大銀杏」と書かれているところが、なかなか意味が深い

もう一つが「北条義時」「北条泰時」の親子関係である。親子であるから「甘え」「守り」の構造は存在するし、それは今回もある。しかし、考え方の違いから、本音の部分が見えてしまうので、その分なおさら人間関係が崩れてゆく。特に泰時の場合は「母親がいない」というか、母親が次々に代わってしまっている。そのことから、ある意味で本当の愛情を受けないで生きてきてしまっているのではないか。そのことがこの関係をより一層こじれさせてしまっている。

しかし、この親子は、父の義時が非常に優秀であり「反発しても泰時を信じ続ける」ということと「期待を示す」という二つのことが、大変大きな力になり、その力が、この二人の関係を良くしてゆく。上記の記事も、まさにそのことが書かれたものである。

まだ朝廷などに敬意を払う泰時と、鎌倉に坂東武士の世の中を作り、その上に北条が君臨するという義時の考え、この二つの考えをどのようにすり合わせるのか。しかし、源仲章への対抗心ということから、この二人が近寄ってゆく。まさにこのことが良く見えているのではないか。

まさにこの二つの肉親関係が次回以降大きな内容になる。それにしてももうあと数回になってしまった。