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「宇田川源流」 岸田内閣は何故ここまで「支持が得られない」のか?

2022.11.16 22:00

「宇田川源流」 岸田内閣は何故ここまで「支持が得られない」のか?


 何か、昔にこのような状態を見たことがある。はっきり言ってしまうが、岸田内閣の支持率の低下が止まらない。今週で四カ月連続で支持率が下がっているということになり、既にNHKで33%になってしまっているので、年内には20%台に下落してしまうのではないかと見られている。

 さて、何故岸田内閣が良く無く思えるのであろうか。

まずは「私の冗談」から始めさせていただきたい。真面目な話は公判でいいのではないかという気がする。さて、今週火曜日のブログでは、教育論としてそれなりの話をしてみたのであるが、その中に「教育が、論理や思考が重要であるのにそのように変わらないのは、そもそも教育を変えることを検討する人々が、記憶教育の勝者だからである」という事を書いている。つまり、自己否定をしながらでも、場合によっては、自分が解雇され、優秀ではないというレッテルを張られてしまっても、国家と未来に関して重要であることを推進するような力がないということになる。

日本の官僚社会のトップは「東京大学法学部」である。しかし、この東京大学法学部こそが「記憶をすることによる教育の中心」である。記憶による教育は何が悪いのか。「知識」とか「記憶」というのは過去のものでしかない。その過去のものを併せて、また自分の経験や柔軟な思想による内容をもって発想しなければ、新しいものは全く見つからない。つまり「過去の事を行う」野であれば、東京大学法学部は強いのであろう。しかし、新しい場面や今まで経験したことのない内容を迎えた場合には、日本という国家は、彼らの手によって滅ぼされてしまう。つまり「解答を探している間に時期が遅れてしまう」ということになっているのである。

危機を迎え、そして新しい場面を迎え、それに対応できるのは「柔軟な思考」「生きのこるための本能」「勘と運」の三つであろう。そのことがみえていないで、今までの先例主義と事なかれ主義に酔って物事を行い、狭い視野の思考でしか物事が対処できない人々では、これからの日本を導くことができない。そのような人々がいることで、大きな問題になる。

その意味では「開成高校」出身の岸田文雄氏ではだめだ(この部分が冗談なのだが)ということになるのである。まあ、この辺はもう少し下に考えてみたい。

更迭2人目 岸田政権に打撃

 葉梨康弘法相は11日、首相官邸で岸田文雄首相に対して辞表を提出し、首相は受理した。事実上の更迭とみられる。「法相は死刑のはんこを押すときだけニュースになる地味な役職」との発言が批判を招き、国会審議にも影響したことから、続投させるのは困難と判断した。後任は自民党の斎藤健元農林水産相を起用。同氏は皇居での認証式を経て就任した。

 岸田政権で閣僚の更迭は、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)問題を巡り10月に辞任した山際大志郎前経済再生担当相に次いで2人目。相次ぐ閣僚の辞任は逆風下の首相にさらなる打撃となる。

 首相は葉梨氏の辞表を受理した後、記者団に「軽率な発言で国民の信頼を損ねたこと、重要施策の審議などに遅滞が生じることを考慮し、辞任の申し出を認めた」と述べた。同時に「私自身の任命責任も重く受け止めている。山積する課題への取り組みを進めていくことで職責を果たしていきたい」と語った。 【時事通信社】

2022年11月11日 20時19分時事通信

https://news.nifty.com/article/domestic/government/12145-1982034/

 さて、岸田首相が「開成高校」であるからと言って、山際大志朗大臣や葉梨康弘大臣(いずれも前職)のような失言が出てくるわけではない。また、この大臣たちが何か問題があっても、その人々の発言そのものに関しては、岸田首相そのものには何の問題もないということになる。

ただし、その問題発言の大臣の対処によってかなり問題がある。すぐに更迭をするのか、あるいは、辞任させるのか、守り抜くのか、そのことの選択が「ブレずにしっかりと対処する」ということが必要なのであるが、その内容がぶれまくっているということが問題なのである。

この問題から言えるのは「何が国際的に問題なのか見えているかどうか」ということであろう。葉梨大臣の事は「死刑廃止論」が増えている欧米各国の中で、文化的に死刑を存続させている日本。そのことは問題はないというか、しっかりと主張をするにしても、そのことをスピーチの冗句として使って良いということにはならない。そのように考えれば、そのような「外交的なセンスが全くない」という大臣をいつまで放置するのかということになる。しかし岸田首相は「問題がないと当初判断していた」つまり、「死刑問題や人の命の問題を、マスコミ相手の冗句に使うことを肯定する内閣である」ということを世界に示したことになるのではないか。

日本の「ダメな内閣」の最もよくあるのは、過去に福田康夫内閣や菅直人内閣などすべてがそうであったが、日本の報道、新聞に書いてあるかどうかで世界を判断してしまっているということになる。まさに、そのことは「日本の新聞が報道していないと、世界でそのことが起きていないと思ってしまう」ということだけではなく、「日本のマスコミの立場しか考えていないし、その思考の範囲の中でしか思考ができない」ということになり「国際的な判断ができない」ということになってしまうのである。

さて、「外務大臣」を歴任してきた首相がこのようなことでよいのであろうか。つまり、岸田氏は外務時代んの時にこのような状況で外交を行っていたのであろうか。

日本の保守主義者たちまたは日本の自民党支持者は「マスコミ」「財務相」「外務省」の三つに従うことを良しとしないということが共通点になっている。これ等に関してもまともであればよいが「国家の利益」を考えずに、「会社の利益」「省益」を関上げて動いているということになり、その会社の利益や省益に、内閣そのものが利用されてしまっているということになるのである。

このようなことが見透かされてしまっていれば、まさに、支持率が上がるはずがない。日本のマスコミは、嵩にかかって煽る報道をするし、省益を追求する人々は、「あまり良くわかっていない」と思って、好き勝手なことを言い始める。そのことが最大の問題になるのではないか。

そして、そのことが考えられていない。それは麻布出身の私が嫌いな「開成高校出身だから?」ということになるのではないか。まあ、半分冗談で半分本気の内容である。