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奄美・大島紬研修レポ ~前編

2017.04.13 02:29

今日のブログは、葵先生が本場奄美大島紬の産地、奄美大島を訪れた時のもようをご紹介します。

奄美大島は、鹿児島空港から飛行機で約1時間、沖縄の少し南海上に位置する亜熱帯気候の島です。

今回はこの島の特産品である大島紬の製作過程を実際自分の目で見てみたいと思い、やってきました。

芭蕉と呼ばれるバナナによく似た植物やソテツが自生する緑豊かな島です。

青い海に囲まれ、とても温暖な気候の中で、大島紬は作られていましたよ。

大島紬は、18世紀には「薩摩藩の献上品として、島民は着ることは許されていなかった」という記述が残っていることからも分かるように、当時から美しく手の込んだ織物だったのでしょう。

島を案内してくださった方のおじい様のお宅には昔、屋根裏で養蚕をしていたとか。大正から昭和18年ごろまでは、大島の生産反数は年間20万反台にのぼり、黒糖とならび島の主要産業でした。昭和20年に戦争のため生産が0になってしまったものの、昭和50年代には以前と同じくらい生産数を戻しました。

ただ、この20年は着物を着ない生活様式や生産者も減ってきて反数はどんどん減っています。

そんな中、私たちは本場奄美大島紬協同組合を訪れました。

ここに来たら、大島紬のことはなんでも分かっちゃいますよ!

大島紬は一つの反物を、一人ではなくそれぞれの工程を分業化して、多くの人の手を経て作られています。

全ての作業工程はざっと60以上。

「もし、一人で最初から最後まで作ったら時間も労力も何倍もかかるし、出来上がったものに愛着が入り込みすぎて売りたくなってしまうかもなあ」と笑う生産者さんもいらっしゃいました。

さすがにすべての工程を見るには1泊2日の研修では無理。(写真がない部分は見れなかった、と思ってください)

反物を作るためには「もんよう」=図案が必要です。私たちが乗ったこのバスは、古典的な大島紬柄として有名な龍郷柄でした。


「龍郷」は、土地の名前で、ソテツの葉とハブを図案化したものです。娘さんを嫁がせる時に持たせたと言われてます。

最近は毎年コンテストなども行われ、コンピューターなども使い、様々な新しい柄が考案されています。

大島1反にはなんと2000km(札幌~奄美間くらい)の繭の糸が使われていて、その絹糸を図案にあった柄の密度(マルキ)に合わせ、糸繰り・整経という作業をします。糸は海藻で作った海苔(ふのり)を使って、「のりばり」をします。下の写真でそうめんのようにうつっているのがその糸です。

ここから締機(しめばた)を使い、図案を確認しながら、

絹糸の絣部分を染まらないようにするため「むしろ」を作っていきます。

今でこそ圧縮器を利用するので少しは楽になっていますが、色が染まらぬよう強く締めるために男の人の力が必要だったそうで、ここでは全て男性がお仕事をしていました。

締める作業に個人差が出るので「XXさんの締めたムシロがいいわ」というご指名が機(はた)を織る織り工さんから出るときも度々。

さて、ここで締められたムシロは、染められる為に場所を移ります。

この後ろにあるのは「テーチ木」と現地では呼ばれているバラ科の木「車輪梅(しゃりんばい)」

お花はバラにも梅にも似てないような...でも可憐な感じ。

この木を砕いてチップにし、窯で煮詰めて、染めるための液を作ります。

出来た煮汁は酸っぱいにおい「夏は発酵してもっとすごいよ」

テーチ木の汁にはタンニンという成分が含まれており、これと後で行う泥染めに使う泥の中の鉄が科学反応し、綺麗な黒色になっていきます。

というわけで、一緒に研修に参加した呉服のほていやの若手社員から有志が泥染めに挑戦することに!

腿までくる、なが~いゴム長を履きます。

泥田には後ろ向きに入ります。おっとっと、気を付けて!

泥を足でかきまぜ、テーチ木で染まった地糸(絵で言うと背景になる部分の糸)を泥染めしてみました。

テーチ木→泥染め→乾燥...と何十回もこの工程を繰り返します。

テーチ木で染めた糸を田んぼに忘れた、とか、盗まれたくなくて泥田に隠した布がいい色になった、とか諸説はありますが初めにこの染色に気付いた人には脱帽です。

織りに入る前に、今度は糸の加工の作業に入っていきます。

色差し、目破り、絣全解板巻といった一連の糸の加工は先ほどの協同組合でビデオで見せていただきました。

ここで糸をきちんと準備して、やっと機織りが始まるのですね。どの工程にも1~2か月の時間がかかり、ひとつの反物が織りあがるのに最低6か月かかるそうです...ため息がでちゃいますね~!

次回に続く...