お花畑に気付くのは、
ルイスはあまり表情を変えない。
幼い頃から感情の起伏が乏しかったから、きっと元々の性分なのだろう。
それに加えて兄がウィリアムとして生きることを決めてからは、彼とよく似た顔を隠す意味でも意識して人前で笑うことをやめてしまった。
柔らかに笑って人を惹きつける兄とは対照的であるように、ルイスはその整った顔で多くの人を拒むかのように表情を凍らせている。
決して誰にも靡かないルイスのことを、アイスドールと呼ぶ声すらもあった。
それを魅力だと感じる人間もいれば嫌厭する人間もいて、けれどルイスは周囲の評価を一切気にすることなく生きている。
ルイスお兄ちゃんは優しいけどよく分からない、と孤児院にいた頃の弟妹に散々言われてきたし、モリアーティは頭が良いけど何を考えてるか分からない、と学生時代の同級から遠巻きにされてきたし、ルイス様はあのミステリアスな雰囲気が素敵、と周りの令嬢から多分に噂されてきた。
ゆえにルイスはこれまでの経験上、周りから見た自分はさぞ分かりづらい人間なのだと解釈している。
「ルイスさんって分かりやすいですよね」
「……」
だから、お茶をともにするフレッドからそう言われたことにルイスは驚いてしまった。
「…分かりやすい、でしょうか」
「とても」
「今まで一度も言われたことはないのですが」
ルイスとともに過ごしたことのある人間のほとんどはルイスを前にすると僅かにでも緊張を見せるし、そうでない人間は異様なまでにルイスに接近しようとしては拒絶されている。
自分が面白みのある魅力的な人間だとは思っていないルイスは細い眉を寄せながら、持っていたカップをソーサーに置いて彼を見た。
情報収集と変装に長けたフレッドは、ルイスにはない才を持つ人間だ。
特技から考えても彼が人間観察を得意としていることはよくよく理解しているけれど、もしかすると観察した結果が先ほどの発言に繋がるのだろうか。
「ほら、ルイスさんって好き嫌い激しいじゃないですか」
「それは、まぁ」
「好き嫌いというか、好きと無関心の境界がはっきりしていると言った方が正しいかもしれないですけど」
焼き菓子を摘むフレッドを見やり、ルイスは肯定するように頷いた。
次いで訂正されたように、嫌いなものがあるというよりも興味のないものが明確であることはルイスもきちんと自覚している。
ルイスがすきなのはウィリアムとアルバートで、それ以外には大抵のことに興味がない。
勿論、同志としてともに生きる人間のことは好意の範囲内に収めているけれど、敢えて言わずともフレッドならばそれを理解してくれているはずだ。
彼ほどの観察眼があれば、今までルイスを不躾に評価してきた人間とは違う感想が出てくるのだろうか。
だが、そう思うには少しばかりの蟠りがルイスの心に残っていた。
「…兄さんは、僕のことを隠すのが上手いと言っては苦笑します。兄さんと違いフレッドにとって、僕は分かりやすい部類の人間になるのでしょうか」
周りの評価など気にしないルイスだけれど、それが兄であるウィリアムとなれば話は別だ。
彼は記憶のない頃からルイスとともにいてくれて、昔も今もずっとルイスを守ってきてくれた、いわば兄以上の存在である。
自分はウィリアムのために在るのだと自負しているほどなのに、自分の気持ちはウィリアムに伝わっているようで伝わっていないと、ルイスは薄々感付いていた。
けれどそれを確認するのは恐怖ゆえに億劫で、彼への親愛を伝えることでいつか理解し合えることを願っている。
隠すのが上手いとは自分ではなくウィリアムの方だと、ルイスはそう思いながらフレッドに問いかけた。
その表情はやっぱり淡々としており、他の人間が見ればルイスが今どんな感情を抱いているのか、全く分からないはずだろう。
「隠すのが上手いのと分かりやすいのは違うんじゃないでしょうか」
けれど「他の人間」に当てはまらないフレッドには、ルイスが抱く感情の機微が分かるようだった。
凪いでいるルイスの赤い瞳はフレッドの顔を捉えており、新しくもない至極当然のことを言っているかのように平然とした表情を浮かべている。
フレッドには当然なのだろうが、ルイスには困惑する事実だ。
言葉の意味が分からないと、ルイスは疑問そのままの言葉をフレッドに返す。
「だってルイスさんがウィリアムさんに隠そうとすることって、相当気合いを入れて隠してるんですよね。僕なら隠していることすら分かりません。さすがウィリアムさんですね」
「でも今、僕は分かりやすいって」
「ルイスさんが意識していないところは分かりやすい、という意味です」
「はぁ…」
答えを聞いても結局は意味が分からなくて、ルイスは一息つくために置いていたカップから少しだけ冷めた紅茶を口に含んだ。
ルイスが調合したダージリンベースの茶葉はウィリアムが特別に気に入っているもので、今はここにいないその彼にも先ほど届けた紅茶だった。
今頃、ウィリアムは本を片手に冷めかけた紅茶を味わっていることだろう。
「ルイスさん、ウィリアムさんとアルバートさんと話す声と僕と話す声、全然違いますから。分かりやすいです」
こくり、と喉を動かした後で聞こえてきた言葉はルイスの目を見開かせた。
「そう、でしょうか」
「そうですよ。さっきウィリアムさんに紅茶を頼まれたときの声と、モランに酒を頼まれたときの声、全然違いましたよ」
「それは…」
モランが昼間から酒を飲むなどという理解し難いことを要求したから、思わず呆れただけのことである。
呆れが声に乗っていたというのも今までの経験上はどこか納得できないけれど、それ以外の要素が思いつかないのだからきっとそうに違いない。
ルイスがそう反論してみれば、フレッドはしみじみ首を振って否定した。
「いえ、モランへの返事がどうというよりも、ウィリアムさんへの返事のトーンがそもそも違うんです」
「声を変えている覚えはないのですが」
「だから分かりやすいんですよ。ルイスさんが意識してないところで分かりやすく声が変化しているから、あなたはとても分かりやすい」
「ふむ」
ごくごく普通の、生き物は酸素を吸わなければ生きていけないのだ、という常識を語るかの如くフレッドは説明した。
だがルイスに自覚はないし、モランへの対応に呆れが混ざっていないのならば、ウィリアムにもモランにも同じように返事をしているつもりだ。
確かにウィリアムのことは敬愛しているし話しかける声にも喜びが混ざっているかもしれないけれど、そんなにも分かりやすいつもりはない。
今までずっと分かりにくいと言われて生きてきたのだから、観察に長けた仲間に分かりやすいと言われたところで実感が湧かないのだ。
「無自覚なところがルイスさんらしいですよね。ルイスさんが意図して隠そうとすればウィリアムさんにすら隠し通せるのに、そうでない部分は分かりやすくて良いです」
「そんなことを言うのはフレッドくらいですよ。誰からもそんなことを言われたことはありません」
「モランも師匠も気付いてますよ、絶対。ルイスさんくらいですよ、自覚してないのは」
「まさか。さすがフレッドですね、観察が上手なことです」
フレッドの観察眼が優れている、という結論を付けて話を終わらせようとしたところで、フレッドは苦笑したようにカップを手に取り中身を飲む。
声を録音出来たらきっと分かってもらえるのに、なんて非現実的なことを言う声を残しながら二人はそのまま雑談を続ける。
そうして庭の手入れについて意見を交わしている中、フレッドが恐る恐るというように必要な経費を申告してくる様子にルイスは呆れてしまった。
必要なものに対する費用を惜しむつもりはないし、美しい花で飾られた屋敷はきっと兄達の心を癒してくれる。
当主であるアルバートも拒否はしないだろうと、おおよその金額を計算している最中に二人を訪ねる人物がいた。
「アルバート兄様」
「こんにちは」
「やぁルイス、フレッド」
朝から書類の整理をしていたアルバートは、持ち前の優雅さを体現するように微笑みながら近付いてくる。
すぐさま立ち上がったルイスは落ち着いた声で彼の元へ行き、何か自分に用があるのかと期待を込めた様子で瞳を輝かせた。
そんなルイスを見てアルバートはより一層美しく微笑み、ルイスの背中しか見えていないだろうフレッドはじっとその後ろ姿を見つめている。
「少し休憩をしようと思ってね。私も二人のお茶会に混ぜてもらっても良いかい?」
「勿論です。すぐに新しいお茶の用意をするのでお待ちください」
「あぁ、頼んだよ」
「……」
ルイスとしては誰に対しても差のない、普通の対応をしているつもりなのだろう。
けれどフレッドからすれば、どう聞いてもその声のトーンはついさっきまで自分に向けていたルイスの声とはかけ離れているようにしか聞こえない。
静かで淡々とした、それこそ何もない草原のような声をしていたはずなのに、今のルイスの声ときたらまるで花畑のようだ。
青々としていた空間に暖かい色の花がぽつぽつと咲き始めているような、まるで春が始まっていくワンシーンを耳から見ているイメージと言って良いだろう。
「では行ってきます。すぐに戻りますね」
普段の声がひやりと感じるほどに冷静だからこそ、アルバートと向き合っている彼の声がはっきり熱を持っていることが伝わりやすい。
ここにウィリアムが加わると、ルイスの声は一気に満開の花畑になったと錯覚してしまうほどに暖かくなる。
先ほどまでの雑談から察するに、どうやら本人には一切の自覚がないようだけれど。
「やっぱりルイスさん、分かりやすい」
「ルイスがどうしたんだい、フレッド」
「実はさっき、ルイスさんとあることを話していて」
「ほう?」
フレッドが分かりやすいルイスの声についてアルバートに説明すると、彼は一瞬だけ目を見開いてから慈愛に満ちた瞳で頷いてくれた。
「お二人と話すときのルイスさんの声、まるで花畑みたいです」
「さすがフレッド。例えが美しくも秀逸じゃないか」
「いえ、そんな」
そうしてアルバートは、ウィリアムと話しているルイスの声は確かに満開の花のように美しい、と言ってフレッドの気付きに同意したけれど、そのまま二人の弟自慢を始めたことにフレッドが困惑していることには気付かないままだった。
(ルイスお兄ちゃんは優しいけど、よく分からないの。でも、お兄ちゃんがだいすきなのは分かるのよ。二人はとっても仲良しなんだから)
(モリアーティは頭が良いけど、何を考えてるか分からないんだよなぁ。よくアルバート先輩とウィリアム先輩と一緒にいるのは見かけたけど、二人が卒業してからはますます近寄りがたくなったし)
(ルイス様はあのミステリアスな雰囲気が素敵よね。けど、アルバート様とウィリアム様とおられるときのルイス様は普段のミステリアスさが和らいで、それはそれでとっても魅力的なのよ)