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Baby教室シオ

偉人『尊敬する父』

2022.12.30 00:00

人間誰しもこの世を去る日が来るもので私の父も旅立ってしまった。

いつも別れ際に握手をしていたあの分厚くて柔らかな父の手に触れることができないことが残念で仕方がないが、この手の働きによって私たち兄弟は何不自由なく育てられ、父は家族に多くの愛情を惜しみなく注いでくれた。今年最後の偉人の記事は個人的な思いから『尊敬する父』に捧げる。

昭和一桁生まれの父は激動の人生を送った。これは沖縄戦を体験した大先輩方は皆そうであっただろう。戦禍が激しくなり小学校低学年の父は学校に掲げていた天皇陛下の写真を安全な所へ移動するよう命じられ、風呂敷に包んでその場所へ向かったのである。途中出会った日本兵に写真を預かるから家に帰るように促された。あの時その場所へ向かっていたら艦砲射撃に遭い生きてはいなかっただろうと父は話していた。母や弟妹を戦争で亡くし父をシベリア抑留され、年老いた祖父母と小学生の父が生きて行くには壮絶過ぎる状況である。そんな中でも父を助けてくれた親戚のお陰で食い繋ぎ、「give me chocolate」と言う子供たちに紛れ食さない父に気づいたアメリカ兵は、いつもの場所でハムを準備し待っていたという。祖父母と食べたそのハムが人生で一番美味しいものでそれ以上の美味しさを感じたことがないと常々語っていた。

父の人生は更にドラマティックでシベリア抑留から帰ってきた父(私の祖父)と言葉を交わしていながら、あまりに長い年月だったため互いに親子とは分からなかったという事実である。シベリアでボロボロになった祖父の代わりに働いたのは父である。また東京の大学進学のために必要なパスポート申請を却下されたことは父の人生を大きく狂わせるものであった。しかし父は多くの困難を抱えながらも強く逞しく生き困難を乗り越え、身を粉にし人を助けその見返りは一切求めず、苦しい状況下でも事実を受け入れる度量の持ち主であった。まさに柔軟で優しさの中に柳のようなしなやかな強さを常に持ち、人生を通して凛とした生き方を私たちに示してくれた。

なぜここまで父が人のために人生を送る事ができたのかを考えてみた。父が家族や親戚の愛に恵まれ幼い時期を過ごしてきたことはいうまでもない。そして父が私に語ってくれたのはやはり戦時下での話であった。空襲警報が鳴り響き急げない祖父母に促されて父はいち早く一人で防空壕へ逃げ込もうとした。すると子供一人で逃げ込もうとした父は防空壕がいっぱいという理由で日本兵に締め出されそうになったのである。その窮地を救ったのが近所の女性で父を強引に壕の中へ入れてくれたそうである。父はお盆になるとその女性の嫁ぎ先に感謝の意を示すことを70年余り続けた。父が人の窮地を救わずにはいられなかった理由がそこにある。そしてその事実が生かされたという意味を考え悟る人生の旅へと誘ったのであろう。

人が困っていると聞けば助けるためにどうすべきかを考える父の姿は人生の終焉を迎える時まで続いた。晩年は病気との戦いが待っていたが、新米の看護師さんが点滴の針を刺せない度に「ごめんなさい」と謝ると、「いいよ、自分で練習して上手になりなさい。」と何度も、毎回痛みをこらえる懐の広さにはあっぱれという言葉以外に父を褒め称える言葉は見つからない。

私の人生はただただ父に会えただけで価値があった。もし来世があるとするならば必ず父を探し当て、再び父の子供として生まれてくることを強く願っている。それまでは父の意思でもあった優しさの中に強さを持ち、父の願いでもある家族仲良く、子供たちが兄弟手を取り、伴侶とともに良き家庭を築き、孫たちの健やかなる成長と母を支えながら愛に満ち溢れた日々を過ごすよう心に留めて生きていこうと考える。

私にとっての最も誇れる偉人は他者にとっては無名である我が父である。父が愛してくれたという思いを胸に父に恥じない人生を送ろうと思う。それが父への恩返しでありこれから糧にすべきことなのだ。父の命の証は私たち子供と孫たちに受け継がれている。それぞれが父からの命のバトンを受け継いでいる意味と誇りを胸に今日も自分を鼓舞して過ごそうと思う。

毎晩、「夢の中でどうか会いにきてほしい」と父に呟いて床に着くのだがまだ一度も出てきてはくれない。高額な出演料を支払わないと出てきてはくれないのだろうか・・・と一瞬考えるのだが、もしかするともうあちら側で人助けをし忙しくしているのかもしれない。

出棺の時に兄弟がそれぞれあの世のお金であるウチカビをたんまりと準備していた。三途の川の川渡し賃を持っていない人がいると自分の分を相手に渡しかねない父のことを思っての行動である。最後の最後まで父なら人助けをするに違いないと子供たちは確信していたのである。そういう人だった、娘の私からは想像できないであろうが本当に温かな人だった。


年末最後の偉人の話は私の個人的なものであったが、このブログをお読み頂いた方には是非とも自らの命の源であるご両親に感謝し新しき年を迎えてほしいものだ。

また父へのご厚情を賜ったことを厚く厚く感謝申し上げる。