イケず旅暮らし vol.3<村上大輔>
「あの団地で誘拐事件があったらしい」
皆様の中に団地で育った方はいるだろうか。もしいたとしたら、気分を害さないで読んでほしいと思う。偏見と、愛着に満ちた団地の話。
昔から僕は団地というものが怖かった。あの場所には外とは違った異様な雰囲気を感じてしまう。ずらりと立ち並んだコンクリートの塊のような建物はどれも無表情で、端っこに小さく書かれた番号でその区別がされている。入り口は小さく、そこから上っていく階段も暗い。一つ所に集められた郵便受けは鈍い色の金属で、なんとなくホコリっぽい。最近の団地事情に詳しいわけではないが、いまだにそんなイメージをぬぐえないでいる。
どことなく排他的なのも苦手である要因の一つである。敷地内には申し訳程度の砂場や遊具が点在しており、小さい公園になっている場合が多いのだが、団地に住んでいる子供以外が遊んでいると怒られてしまいそうな空気があそこにはあった。「あの子、どこの子?」見慣れない顔の存在が違和感になる、いわば村社会的なシステムが存在しているように感じてしまう。子供ですらそうなのだから大人が迷い込んだとなればもう事で、冒頭に書いたような噂が広まるのも納得できる。さらには「○○君が廊下を歩いていたら上から人が落ちてきた」などと、尾ヒレがついていくのだ。
団地の怖さは昼間の静けさの中にこそある気がする。夜になり外観が見えなくなる頃、各家庭の窓に明かりが灯り、夕食の匂いがほんのり漂い始めると、昼間には感じられなかったノスタルジックな生活の気配がし始める。ちゃんと人が住んでたんだ、そんな当たり前のことを思ってしまったりする。
僕はと言うと、団地の前の暗い通りを一人歩きながら建物を見上げ、自分の置かれた状況と、あの空間との差に寂しさを覚えたりするのである。空腹の自分と食卓を囲む家庭、寒空の下と温かい部屋、一人の自分と幸せな家族といった具合だ。ここまで来るともはやただのヒガみであることは自分でも理解している。
近頃は団地といえど以前のような作りにはならないという、各棟で形を少しずつ変え、あの無機質な風貌にはならないらしい。
以前青山界隈を歩いていた時のことである。ふと裏道に入りしばらく歩くと、目の前に突如団地が現れた。最近作られたものではない、僕が恐れた" あの" 団地である。閉塞感は今なお健在、気付けば招かれざる客になっていた。人気のない広場、茂り放題の草、打ち捨てられたブラウン管、錆にまみれて読めない標識。「まだ生きてたのか」子供の頃に出会った怪物に再会したような気分だった。年老いた身体にはしっかりと当時の恐ろしさの面影があり、静かに呼吸が行われていた。
なんとなく足音をたてないように歩く。奥の方の棟は、カーテンもなく窓から向こうの襖が見えるような空き家も多く、駐輪場には何台かの自転車がホコリをかぶって放置されたままである。このままゆっくり死んでいくんだろうか、何枚か写真を撮ってその場を後にした。
団地は都会の集落みたいなものなのだろうか、自治体があってお祭りがあってコミュニティがある。噂も早ければ団地妻もいる。独自のルールもあるかもしれない…やっぱり偏見だろうか。
青山の団地に迷い込んで約二年が経った。あれ以来あの場所には行っていない。怖い、苦手と言いながらもその後が気になっていて、もう一度行ってみたいとも思っている。しかし足が伸びない。あくまで" 求めて行く場所" ではないからだろうか。まあ、あくまで他人の敷地なのだし。
僕にとって三十路を過ぎてなお恐るべき怪物が、できれば静かに在り続けることを願う。
※写真は、当時携帯電で撮った中の一枚
文:村上大輔