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石川県人 心の旅 by 石田寛人

1000人の集いと尾山神社奉賛

2022.11.25 15:00

 10月28日の夕刻、東京目白の椿山荘で第13回目の「いしかわ県人祭in東京」が開催された。初回の県人祭は14年前に開かれているので、本来は今年15回目となるところ、令和2年と3年は、コロナ禍のため開催を見送らざるを得なかった。かくして、足踏みの後の13回目ではあったが、実に楽しい集まりとなった。これまで実行委員長を仰せつかってきている私は、あまり為すところがなかったが、多くの方々の心がひとつになって会合を続けることができたのは、県人のひとりとして誠に嬉しい。

 北國新聞社の飛田秀一会長と前田家第十八代御当主前田利祐県人会名誉会長の話し合いで始まったこの県人祭は、4年前の10月に本欄で若干申し上げたとおり、約1000人が集まる大規模な集まりを続けてきた。今回は、それを目標としつつも、コロナ影響下のことゆえ、これまでの半分強に落ち着くのもやむなしと思われ、事実、会合2週間前の取りまとめでは600人余りの参加となっていた。しかし、この3年ほどは、直接対面する機会が少なかったためであろうか、実際に顔を合わせて話し合いたいと願う県人全体の気持ちが高まって、当日は770人が会場に顔を揃えた。県人、県民の皆様のひとかたならぬ御尽力と、御多用な中お運び頂いた多くの来賓の方々の御厚意、そして、第1回目以来ずっとこの会合を仕切って牽引し、今回も多端な事務方の仕事をこなして無事開会に漕ぎ着けた北國新聞社のみなさんの熱意に深く感謝申し上げる。思わず息を吞んだ御陣乗太鼓の熱演にはじまり、島津悦子さんの歌謡曲熱唱を交えた本会場ステージの熱気、サテライト会場の歌唱の盛り上がり、奈良宗久宗匠の社中による呈茶席の清澄さ、各市町を中心とした物産紹介と販売の賑わいなどで、すばらしい時間を過ごすことができた。

 2回目以降は、ずっと椿山荘が会場であるが、初回は新高輪プリンスホテルが会場だった。1000人の集まりということで、同ホテル大会場の飛天の間を用いたが、当日、苦しかったのは、極めて多種類の配布物とお土産の袋詰めであった。積み上げられたお土産とチラシ、パンフレット、小冊子類の山がなかなか小さくならず、開会時刻に間に合わないかもしれないと冷や汗が出たのが、今となれば懐かしい。2回目以降は、その経験から合理的なシステムが工夫され、袋詰めに悪戦苦闘する感覚は薄れつつあるが、毎回早い時刻に集合してこの仕事に汗をかかれている実行委員や関係の皆様に厚く御礼申し上げたい。

 袋の中身は毎回盛り沢山だが、今年は、その中に尾山神社奉賛のお願いの封書が加わった。加賀藩前田家の藩祖利家公をお祀りし、奥方の芳春院お松の方も合祀されている尾山神社は、金沢観光に大きな役割を果たしている。石川県人会では、毎年のふるさと訪問旅行で、利家公金沢入城を祝う尾山神社封国祭で神前に参拝しているので、我々にとって心の故郷といえるお社である。その神社が現在地に御鎮座になって150年。その式年記念の奉賛事業に協力して頂くための依頼書面をお配りしたのである。150年というと、このお社はもっと古くから現在地にあったと思われている方も多いと思う。利家公が慶長4年(1599年)に薨去されたのち、公を追慕し、その御霊をお祀りすることはなされてきたものの、町中に大きな社殿を造営するすることは幕府への配慮もあって難しかったのかもしれない。明治6年(1873年)、旧藩士達が中心になって、金谷御殿址に新社殿を建立して御霊を卯辰山麓の御社からお移ししたのである。今や、本殿やその関係施設は補修が必須となっており、この事業が着々と遂行されるよう、ささやかではあっても、奉賛者の端に加わりたいと思っている。(2022年11月15日記)