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雨引の里と彫刻展2022

2022.11.22 05:41

https://www.ntj.jac.go.jp/kikin/about/1865/h25/cb_05.html 【舞台芸術等の創造普及活動 美術の創造普及活動】より

                 雨引の里と彫刻実行委員会 助成金額 3,500千円

活動概要

雨引の里と彫刻実行委員会は、茨城県桜川市の旧大和村の里山や集落を舞台に、彫刻を通して田舎の風景を再認識することを目的として、参加作家各人が地域内を丹念に調査し、全体での調整を重ねたうえで、希望の場所に作品を展示する野外彫刻展を実施した。

前回展「雨引の里と彫刻2011」では、“冬のさなかに”と題し、凛とした冷たい空気と彩度を落とした真冬の風景の中の展覧会を試みた。雪景色のスタートは真冬の開催にふさわしく、充実した作品の並ぶ展覧会であったが、会期終了直前に東日本大震災が発生したため展覧会はやむなく閉鎖。農業、石材産業を主とするこの地域にも震災の被害は及んだ。幸い作品の倒壊はなく、この展覧会における作品の安全管理の高さを示したが、参加作家にとっては最後までやり遂げられなかった悔しさが残った。

9回目を迎える本活動は、9月から11月にかけての2か月間、参加作家38名の作品が、大国玉地区にて展示され、会場来場者数約8,500名と、過去最高となった。

秋のさわやかな風や里山の美しさを体感しながら点在する作品群をオリエンテーションのように巡る楽しさは、まさにこの展覧会の醍醐味である。期間中に行われた2回のバスツアーによる鑑賞会、3回のワークショップも好評であった。

地元の中学校がこの展覧会を美術の授業に取り入れるなど、地域の教育活動にも貢献できる活動となり、本活動を通じて作家と地域との接点ができ、地域の活性化の一端につながっている。日本の里山の美しさと彫刻の持つ力を体感しながら、芸術家の表現活動と社会との関わりを探るうえでも、示唆に富む展覧会になった。


https://www.art-annual.jp/news-exhibition/news/26421/ 【【イベント】 雨引の里と彫刻 2013】より

1996年の初回より作家が主体となって運営してきた彫刻展、「雨引の里と彫刻」が2年ぶり9回目の開催を迎える。当初7人の石彫家から始まった同イベントであるが、今回は38名の作家が参加し、秋の里山に様々な作品を設置する。

前回の「雨引の里と彫刻 2011」では会期の終盤で東日本大震災が発生し、会期途中での中止を余儀なくされた。今回は震災後初めての開催ということもあり、作品そのもの、そして作品と地域との関わりという点においてもこれまでとは違ったものになるだろう。

参加作家は國安孝昌、志賀政夫、小日向千秋、高梨裕理、齋藤さだむ、大島由紀子、岡本敦生、サクサベウシオ、佐藤比南子、村井進吾など38名。


https://ibanavi.net/event/12171/ 【雨引の里と彫刻展2022【 2022年10月10日(月) ~ 2022年12月11日(日) 開催 】】より

雨引の里と彫刻展2022は茨城県桜川市(旧大和村)の里山や集落を舞台に1996年から作家が主催となり、地元の協力を得ながら運営してきた彫刻展です。今年は参加作家33名の様々な表現方法で制作された33の作品が10月から12月にかけての2か月間展示されます。夏が終わり山々が錦繍に彩られる秋から初冬の姿を見せ始める期間里山をの美しさや爽やかな風を体感しながら、作品をオリエンテーリングのように巡る楽しさは展覧会の醍醐味です。総行程13キロ、皆様の足でまた、サイクリングなどでお楽しみいただければと思います。皆様のお出でをお待ちいたしております。


http://g.kyoto-art.ac.jp/reports/4210/ 【「雨引の里と彫刻」ー 景観の中の作品がもたらす作家と行政と住民の繋がり】より

高梨 裕理

1) はじめに

茨城県桜川市、旧大和村の地域は雨引の里[1]と呼ばれている。筑波山系の山々[2]から眺める景観は自然が豊かである(資料1)。月に一度、この地に訪れる理由は「雨引の里と彫刻」(資料2)という野外彫刻展に、作家として第5回展より参加しているためである。展覧会は1996年から2年又は3年に一度開催している。地域において「雨引の里における山際、安息空間に地域文化を育成する一助として現代彫刻を一定期間展示する展覧会を企画した[3]。」

これまでの展覧会や次回展の準備を進めるなか、雨引の里の景観に展示された作品を通して、どのように住民や行政との繋がりを維持してきたのか。また、同様の事例と比較することで今後の課題や展望を考察する。

2)-1 雨引の里の景観

2005年旧大和村は近隣の町[4]と合併し桜川市となる。首都圏から約80km圏内に位置する。この地域には歴史的、文化的な役割を担う筑波神社・加波山神社・雨引山楽法寺などがある。景観を作り出す台地は洪積台地[5]や沖積地[6](資料3・4・5)であり、平野部は水捌けの良い大地で農業が産業の一つとしてある[7]。地質は花崗岩[8]で形成されており、御影石[9]の産地として名が高く産業としてある。低い山であるため暖温帯植物[10]から冷温帯植物[11]まで自生している。山々は昔から山伏修験の霊山として信仰があるため、手付かずの自然が残る。登山道の入り口の地区に住む石井省三氏[12]は現在も山水を生活や農業に利用していると言う。水について子供の頃から教育され、その文化に誇りを持っていると語る[13](資料6・7・8)。1918年に筑波鉄道[14]が開通されたが、自動車の普及により1987年に廃線となった。廃線敷は「つくば霞ヶ浦りんりんロード[15]」として利用されている。

2)-2 「雨引の里と彫刻」の歴史的な背景

上記のような景観を持つ地域に、1980年代より制作に通う石彫家達は10年程通うと、大和村や住民に対し何も行動を起こしてこなかった事に気がつく。そして地域に馴染んでいない事の反省から、村の人々に作品を見てもらう事を考え始めた[16]。又、これまでの日本美術の状況[17]に対し「日本美術でまかり通っている様々な矛盾点について話し合い、我々作家が企画する以上それらの点を改善する方向に考えた[18]。」と立ち上げメンバーである菅原二郎氏は語る。

この作家企画の展覧会は、作家が主催者で実行委員であるため資金は自らが出資し、準備全般や展示場所の交渉も行った。そしてこれらの活動は地元出身の石彫家を頼りに地域との繋がりを持つのである。又、展覧会の開催時には地域の住民と関わりを持つために「いなかの会議[19]」などのイベントを第5回展まで企画した。

行政と住民の目線

村の人々は作家達を都会からやってきた人達と遠まきにその姿を見ていたと、当時大和村役場の企画課に勤めていた弓削和弘氏と石井氏は調査の中で答える[20]。作家自らがやって来て野外彫刻展を開催したいと自主企画を持ち込まれた事に驚いたと、同時に面白いと思い協力体制になったという。農村に作品を展示することや、作家企画の展覧会は当時では全国的にも珍しいことであった[21]。そのため多くの新聞やテレビなどにも取り上げられ、県内外から多くの観覧者が訪れた。記事を読んだ住民は、自分たちの日常生活をする環境が新聞に載ることや、多くの人々が来場することに驚くと共に興味を持ったとも語る。これらのことから作品を展示することで住民や行政との繋がりを待ち始めたのである。

そして現在も展覧会は継続されているが、作家・行政・住民の変化はどのように変わってきたのであろうか。

3) 「雨引の里と彫刻」と桜川市の繋がり

桜川市の中で合併した他の地域には特徴的なイベントがあり[22]、旧大和村には何もなかった。そのためこれまでの経緯もあり「雨引の里と彫刻」に目が向けられた。毎回40名ほどの作家で実行委員会を構成し、会議には桜川市役所の生涯学習課の担当者も出席する。近年には子供の頃に展覧会を見て育ったという担当者もいる。2015年には桜川市市政10周年記念のイベントとして開催することを市からのアプローチがあった。しかし作家達は主催者であることを大切にしているため、受け入れる事をしなかった。その後、会議を重ね熟慮した結果、桜川市と桜川市教育委員会との共催に繋がるのである。

桜川市(資料9)はこれまでの関わりの中で、自主企画の展覧会が共催として開催される事になったことを鑑みて、作家達の思いを尊重する関係を続けている。これらのことから考察することは、作品を景観に展示することが地域社会に受け入れられてきたと評価する(資料10)。

4)-1 問題点を探るために

回数を重ねてくると展覧会は、住民にも行政にも地域のイベントの一つとして知られる存在となった。これまでと同様に大掛かりな展覧会を実行委員会だけでやり続けることができるのであろうか。人手や更なる地域の深い知識も必要になる。これらの問題を考察するために、2000年から開催されている「大地の芸術祭越後妻有アートトリエンナーレ[23]」と比較して考察する。

4)-2 「大地の芸術祭越後妻有アートトリエンナーレ」との比較から見えてくること

新潟県で行われている「大地の芸術祭アートトリエンナーレ」は、越後妻有の過疎化をはじめ、様々な地方に起こる問題を解決できるようにランドスケープ・デザイン[24]の要素を含みつつ、自然豊かな風景の魅力を引き出す「町おこし」から始まった。総合ディレクターがおり実行委員会が主宰となる。芸術の祭典という大規模な展覧会となっており多くの企業から経済的な協力を受けているため、作家には制作費が支払われ、制作と地域の人々との交流に集中できる。そして、活動の手助けをするサポーター[25]がいる。地域を活用した芸術祭は、人の流れが活気を生み出し経済・雇用・現代の文化を取り入れることができた。

一方「雨引の里と彫刻」は、村おこしとしての始まりではないため経済的にまちが潤うこともなく、住民と共に盛り上げることもしてこなかった。そして閉幕後には作品を撤去するため(資料11・12)、地域には何が残るのであろうか。この比較から、住民との交流や経済・雇用をもたらしていないことが見えてきた。

4)-3 比較から学ぶ地域との繋がり

展覧会は、作家の思いから始まった。そのため村の人々は期待することがなかった。しかし、今回の調査で「子供の頃から生活している景観に作品が展示される事により、新たな発見があり付加価値がついたことに喜びを感じている」という住民の思いを確認することができた。展覧会の準備をしているとまちの人が声をかけてくることもある。反面に、商い気質を持つ町でもあるため、経済を求める人たちもいる。このような体験から地域の人たちに知られてきたことを実感する。

時間をかけて関わることで作家・行政・住民の繋がりは、気長に見守る住民と市役所の協力のもと、それぞれの距離感を保ちつつ開催できていることが見えてきた。しかし、これまでの作家と住民の関わり方が課題であると考える。住民や子供達との関わりを持つために、学校との連携やワークショップの開催を積極的に行うことが考えられる。そして、いつの日かその経験を生かし、地域に貢献できる事を展望とする。

5) まとめ

雨引の里の景観において作品を展示することが続く理由は、地域の風土による住民の気質・行政の協力・作家の行動により「地域文化の育成の一助」として実り始めた事にあるのではないか。そして「雨引の里と彫刻」は、地域により育てられていることを確認した。その地域社会に受け入れられることは、作家が地域の歴史的背景や風土を理解し、行政や住民と積極的に繋がって行くことであるのではないかと考察する。