変化への適応~価値観パッチワーク~
こんにちは。Spark Lab(スパークラボ)の清川 絹です。
2020年のコロナ蔓延以降、
当たり前だったものが当たり前でなくなりましたね。
また、非常識だったものが当たり前になったケースもあります。
2017年からひとりリモートワーカーだった私は、「在宅」仲間が増えてとても嬉しく、
クライアントとのミーティングがオンラインで普通に行えることも、非常にありがたく感じています。
ただどんな変化の背景にも、「適応に至るプロセス」があります。
今日は、私がまだ16歳だった頃(遠い目・・・笑)、初めて手にしたパスポートを持って、一人アメリカに交換留学で旅立った時のことを書いてみようと思います。
*あえてステレオタイプ的に書いている点、ご了承ください。
ひとりアメリカへ。英語がわからない。。
私は16歳になるまで、日本から出たことはありませんでした。
英語は、中学校に入る頃から、地元駅の英会話スクールに週一回通っていた程度で、突然ネイティブに囲まれ、英語漬けになったら太刀打ちできないレベルでした。
ホストファミリーの家にお世話になって一週間くらいたった頃、本格的にホームシックになり、留学機関の困ったときの相談役にお話をしに行きました。
なんでも話していいよと言ってはくれるのですが、全て英語。もう英語がわからなすぎて、頭は痛くなるし、涙は出るし、どうしたらいいの!?という状態だったのを今でもよく覚えています。
親の言ってたことは嘘だったの?
こんな状態から始まった一年間の留学ですが、タイトルをつけるとしたら、「価値観の崩壊」でした。
小さい頃から「きちんと、ちゃんとすること」を中心におく価値観で教育され、「相手の迷惑にならないように」と言われ続けたため、上手に人を頼ることもできませんでした。
郷に入っては郷に従え、と、見様見真似でいろいろやってみるのですが、とにかく何をやっても「ちゃんと」しない、はまらない。
井の中の蛙というか、私の常識は世界の非常識というか、いったい周りの人が何を「よし」としているのかがさっぱりわかりません。完全にお手上げでした。
「授業で、わからないのに手を上げて堂々と発言する」
「相手がどう感じるかをおもんばかることなく、直球で自分の考えを言う」
といったアメリカ人にとっての当たり前は、
「授業で手を上げたら、答えは合っているべき」
「自分の考えはズケズケ言うべきじゃない」
という私の当たり前に真向から反するものでした。
うっすら持っていた自分の価値基準は見事に崩壊し、親の言ってたことは、必ずしも本当じゃないことを知って帰国します。
(もちろん、楽しかったことや挑戦できたこともたくさんあり、今でもFacebookでホストファミリーの様子を見ては微笑んでいるくらい、いい思い出にはなっています。)
価値観はパッチワーク
異文化体験を通じて、何が「当たり前」なのかがわからなくなった後、帰国して、元の生活に戻れたかというと、今度は逆カルチャーショックが待っていました。
たった一年前まで「当たり前」だった世界に戻っただけなのに、日常生活が違和感だらけ。
ここで、アメリカで知ったこと、もともと持っていた考え方を一旦ぜんぶ並べ、自分で自分の価値観を「再構築」するプロセスが必要になりました。
わかりやすい例で言えば、両親ともに理系で、私も理系の学部に進学することを期待されていたため、留学前は自分も理系に進むものだと思っていました。でも、実際に私が選んだのは「スペイン語学科」。
「理系の方がよい」「手に職が有利」「将来が安心」といった両親の価値基準は理解した上で、それでも私は自分の「興味が湧く」ことを選択したいと伝えました。
すると、反対も賛成もなく、むしろ呆れられたに近いですが、自分がやりたい!と思った方向に進んだおかげで、学生時代はバカみたいに勉強に打ち込むことができました。あの「意味のわからなかった異文化体験」を自分なりに理解したかったのかもしれません。
結果として、私は親の期待を背負い過ぎずに生きられるようになりました。一方、仕事で外国人と接したり、英語を使っている今、「手に職」は実現したので、正に価値観のパッチワークだと感じています。
誰でも、生きて行く中でいろいろな人に出会います。
自分の考えと相手(相手の文化)の当たり前の違いを知る経験を通じ、今までの自分になかったけれど「しっくりくる」価値観を採用して、自分に最適な「価値観パッチワーク」を少しずつ構築するプロセスをたどるのかなと思います。
ルミナ・スパークを通じて、私が学んだことも、正にこれと同じです。
自分とは全く違うクオリティを持つ相手が、何を考えているのかを知ることは、価値観をアップデートできるとてもよい機会だと思っています。
あなたの価値観は、どんなパッチワークでできていますか?