創世記40章 神が解き明かしてくださる
2018.3.28 「神様が説き明かしてくださる」
中国の友達がこのような文章を書いていました。
「春は夢を抱いている。太陽の光は地の上に降り注ぐ。春は美しい姿を帯びる。色とりどりの色彩で描かれている。」
創世記40章1-4節
創世記40章は、エジプト王の献酌官と調理官、そして彼らと一緒に牢屋に閉じ込められていたヨセフとの間における夢の説き明かしの話です。
最近、私は夢をよく見るようになりました。しかし、その夢は私にストレスを感じさせる夢です。と言いますのは、学校でのテストの夢、つまり勉強したことのない所をいきなりテストされる夢とか、夢の中で、学校の授業中に突然起こる出来事がそれです。それらの夢は僕をひやひやさせます。 皆さんは、最近どんな夢を見ているでしょうか。
さて、今日も引き続き、ヨセフの話ですが、今日は、エジプト王に仕えていた献酌官と調理官がなんらかの罪で捕まり、ヨセフが閉じ込められている侍従長の牢屋にしばらく拘留されていた時のことです。
ポティフャルの妻から追い込まれて理不尽な目に遭い、牢屋に入れられたヨセフ。彼がどのくらい牢屋に入れられたのかは定かではありませんが、ヨセフがポティファルの家で奴隷生活をし、監獄に入れられた期間が13年くらいであったと考えられます。その根拠は創世記37章2節と41章46節を見ましたらわかりますように、それは、ヨセフが17歳の時に兄弟たちによって奴隷としてエジプトに売られ、30歳でパラオ王に気に入られ、仕えるようになったと書いてあるからです。
ここで、ヨセフの13年の奴隷生活を見てみたいと思います。
彼は奴隷生活と監獄での生活を自分の運命であると開き直っていたのでしょうか?兄弟たちに嫌われ、エジプトで仕えていた主人の妻にスーカーされ、挙句の果てには、牢屋での長い生活。その13年間、果たして彼は、何を考えていたのでしょうか。
さて、この創世記40章で見られることは、先ず、王様を裏切って罪を犯した献酌官(王様に出されるお酒を毒見する人で王様に最も信頼される人)と調理官(王様に出される食事や王の健康状態に合わせて食事を作る責任者で王様に最も信頼されている人)。これに対して、ポティファルの妻からのどんな誘惑があっても神様を裏切らなかったヨセフ。逆に神様に信頼されるよりも神様をもっと信頼していたヨセフ。彼らは対照的に監獄に入れられていました。
4節です。「侍従長はヨセフを彼らの付き人にしたので、彼はその世話をした。こうして彼らは、しばらく拘留されていた。」とあります。 ヨセフは、侍従長の命令によって、献酌官と調理官がしばらく監獄に拘留されている間に、彼らを世話しました。
つまり、彼らは、お互いに親しく話を交わしたとも考えられます。
ところで、ある日、献酌官と調理官はそれぞれ別の夢を、それも意味のある夢を見るのです。ここで、創世記37章9-11節を見てみましょう。
9 ヨセフはまた、ほかの夢を見て、それを兄たちに話した。彼は、「また、私は夢を見ましたよ。見ると、太陽と月と十一の星が私を伏し拝んでいるのです」と言った。
10 ヨセフが父や兄たちに話したとき、父は彼をしかって言った。「おまえの見た夢は、いったい何なのだ。私や、おまえの母上、兄さんたちが、おまえのところに進み出て、地に伏しておまえを拝むとでも言うのか。」
11 兄たちは彼をねたんだが、父はこのことを心に留めていた。
これを読んでわかりますように、ヨセフは子供のころから不思議な夢を見ていました。その不思議な夢を兄弟たちやお父さんに素直に言ったのですが、無視され、バカにされました。勿論、彼自身も自分が見た夢の意味を知らなかったでしょう。しかし、ヨセフはその夢をも神様のなさるしるしであることを信じていました。
そこで、まさかの牢屋で、献酌官と調理官の夢の話を聞くことになり、神様のなさることを素直に伝えます。
それが5節から23節の夢の話です。一緒に見てみたいと思います。
本日のポイントは、8節です。「ふたりは彼に答えた。「私たちは夢を見たが、それを解き明かす人がいない。」ヨセフは彼らに言った。「それを解き明かすことは、神のなさることではありませんか。さあ、それを私に話してください。」
【それを解き明かすことは、神のなさることではありませんか。】
古代エジプトでは、眠りの中で見る夢は、神々からもたらされるプレゼントであると思われていました。私たちは将来のことを知りたがる習性を持っています。だから、未だに占いや予言が流行っているかもしれません。しかし、自分の運命を知ったからと言ってどうすることもできないし、余計に落ち込むだけです。やはり、全ての運命を神様に委ねることが一番、平安だと思います。
ヨセフの話に戻りまして、ヨセフは、「私がその夢を解き明かしてみましょう」と言ってはいません。「神様がそれを解き明かしてくださるのである。」とヨセフの信仰を明らかにしています。
私たちは、少し何かができた時、知らぬ間に自分に栄光を返す場合がありますが、福音を伝えるとは、全てにおいて神様に栄光を返すことであるのを私たちは忘れてはいけません。勿論、ここで、全てとは、良いことも悪いことも、神様のなさることであるということです。
新約聖書の使徒パウロの話から開きたいと思います。
ピリピ人への手紙4章4-7節 4 いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。
5 あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。
6 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
7 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。
そして、ピリピ4章11-13節です。
11 乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。
12 私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。
13 私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。
特にヨセフは、ピリピ4:4-7のパウロの体験と似ていると私は考えます。
即ち、ヨセフはすごい人だ。パウロはすごい人だではなく、すごいのは、唯一神様であると告白しなければなりません。
ですから、へフル人への手紙12章2節、信仰の創始者であり、完成者である主イエスから目を離してはいけません。この方を今日も、又明日も崇めたいと思います。
今日は、神様が私たちの夢を解き明かしてくださるというタイトルで一緒に学ぶことができました。 以上。