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「宇田川源流」【大河ドラマ 鎌倉殿ノ13人】 源仲章の最期のセリフ「寒いんだよ!」と結んだ三谷幸喜の勝利

2022.11.29 22:00

「宇田川源流」【大河ドラマ 鎌倉殿ノ13人】 源仲章の最期のセリフ「寒いんだよ!」と結んだ三谷幸喜の勝利


 毎週水曜日は、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」について書いている。気がつけば11月最後に日曜日であり、既に今回が第45回である。全48回であるから、残りは3回。その残りの中で、確実に書かれるであろう内容が、「承久の乱」と「北条義時の死」であることは間違いがない。三谷幸喜氏は、あまり戦争の場面を書かないということと、大がかりな合戦シーンは予算を膨大に必要とすることから、多分承久の乱はそれほど大きくは書かず、最後に追い詰められた後鳥羽上皇が書かれる程度と予想する。残り3回で、阿野時元の反乱、承久の乱、そして義時の死が出てくるということになるのであろうから、なかなか忙しいということになろう。

さて、今回は源実朝の暗殺である。この暗殺に関しては、今までのこのドラマにおける内容とは異なり、北条義時が仕掛けたものではないということになっている。どちらかと言えば、もう一人の黒幕、三浦義村が仕掛け、その仕掛けに公暁がのっかったというような漢字の書かれ方をしているのが特徴であろう。

北条義時と対立をする源実朝を描き、そして、一緒に源氏の世を作ろうと誘いながら、その誘った相手である公暁に殺されるという実朝をうまく描いた今回のドラマ。その実朝があまり抵抗せずに打たれた伏線に、「天命」という言葉を言う歩き巫女(大竹しのぶ)をうまく使ったということが、なかなか面白い。その歩き巫女は、紛れ込んで、様々なところで源実朝や公暁にはな田言葉と同じ言葉を吐いている。

ある意味で、運命とは「同じ言葉を聞きながら、それがその人の心理や今までの経験などから、全く異なる解釈をしてしまう」ということが一つの内容になっている。見太閤記氏の観察眼というのは素晴らしいと思うのは、現在の占い師の言葉などと言うのもまさにそのようなもので「どうにでも取れる言葉」を、受け取る側が勝手に解釈して、その解釈を自分の生活に活かすというような「日常」を、そのまま使っているのである。その言葉が何だかわからない一般の兵士は「わかった出ていけ」となるが、公暁には「自分が将軍になること」であり、また実朝は「雪の日に出歩くな」という天命に逆らえないように呪縛にかかってしまうのである。その「心理的な呪縛」がこの実朝暗殺の大きな伏線になっているところが、視聴者の心をつかんだ内容になったのではないか。

NHK「鎌倉殿の13人」生田斗真、源仲章の最期の台詞「寒いんだよ!」に込められた思いを明かす

 NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(日曜後8・0)は27日、第45話「八幡宮の階段」を放送。“鎌倉最大の悲劇”といわれる鎌倉幕府3代将軍・源実朝の暗殺が描かれた。

 後鳥羽上皇に仕えながら鎌倉幕府の在京の御家人も務めた源仲章を演じた生田斗真(38)は放送終了後にコメントを発表。義時と間違われて公暁に斬られてしまう最期を演じ、「台本を読んでびっくりしたんですけど、仲章の最期の断末魔というか、最期のセリフが『寒い、寒いぞ、寒いんだよ!』というセリフなんです。普通はやられたときのシーンって、『なぜだ!』とか『貴様!』とかそういうセリフのような気がするんですけれど、三谷(幸喜)さんのセンスというか独特の感性で、こんなにもすてきなセリフというか、すてきなシーンをいただいて、冥利に尽きるなという思いでやらせていただきました」と振り返った。

 また、最期の台詞「寒いんだよ!」に込められた思いについて「仲章は太刀持ちの役割を半ば強引に義時から奪い取るような形で務めるわけですけど、『思ったより寒かった』というのもあると思うんですよね。本当に寒くて、『なんでこんなに寒いんだよ、こんなんじゃ代わるべきじゃなかったな』という怒りもあるだろうし、その『寒いんだよ』の裏には『俺じゃないだろ!なんでお前、間違えたんだよ。なんで俺が斬られなきゃならないんだよ!』という思いもあった。そして、こんなところで自分の人生は終わってしまうのか、こんなはずじゃなかったんだという悲しみの叫びでもあると思います」と明かしていた。

2022/11/27 20:51 サンスポ

https://www.sanspo.com/article/20221127-P7YLWVMKANEEZMVBTM6SMO3MQQ/

 さて、今回は実朝の暗殺の後が書かれた。そののちに「乳母」出会った実衣(阿波局)は、すぐに公暁を殺すように主張するが、北条政子は何とか助けてほしいという。政子にすれば、自分と源頼朝の子供や孫が、これですべて死んでしまうということになるのであるから、その様に懇願して当然であろう。しかし、公暁は三浦義村に殺されてしまう。三浦義村にしてみれば、公暁の口から三浦家が北条を滅ぼして執権の座を狙って絵いたといわれるのはかなり大きな問題になる。そのような結論が出れば「死人に口なし」ということであろう。単純に、公暁を殺すという結論になる。

そして最後の場面で、後鳥羽上皇と北条義時の対立が大きくなり、そして、承久の乱の伏線になる。一方実衣は、自分の子供である阿野時元が、唯一の源氏の血を引くのは、時元だけになるために、史実では義時が仕掛けて謀反に見せて殺したというような話もある。

さて、そのように義時が好き勝手出来るのも、一つは実朝という源氏、そして、京都から来た源仲章がいなくなったことが大きい。源仲章については、実朝の暗殺の時に、義時と太刀持ちを変わったことによって、実朝の近くにいて公暁に殺される。これは吾妻鏡に記載のある通りに書いている。

三谷幸喜氏の素晴らしいのは、この時の最期のセリフだ。『寒い、寒いぞ、寒いんだよ!』というセリフで、源仲章が最期に殺される。人間は死期が迫った時に、なぜかその現実から離れて、全く異なることを叫んでしまうモノのようだ。人間はシリアスな時ほど、その内容から離れて、自分の本能に近いことは、普段自分が気にしていることに脳がシフトしてしまうのである。まさに『寒い、寒いぞ、寒いんだよ!』という言葉はその法則通りになっているではないか。

また、源仲章を演じ得ている生田斗真さんの解釈も素晴らしい。まさに、そのことによって様々な感情が交錯するということが、全て見えてくる。まさに「台本のすばらしさ」があり、そこに「演技者の解釈のすばらしさが混ざって、名演技になる」というようなことになるのではないか。

同じことは今回の暗殺者トウの言葉にもある。北条政子が自害しようとした時の「自分で死んではいけない」という言葉は、現在の悩めるすべての人々に刺さる言葉になっているのではないか。

源仲章のような、権謀術数に優れ、北条義時との間の権力争いに没頭していた人が、最期には自分の欲望のままに、寒いという言葉を残して死んでゆくということ、一方、トウのように人を殺すことを家業としている人が、自害する人を見て助けるということ、この事が、「人間の本質」をしっかりととらえた内容になっているというところが、コミカルな中にもこの作品のすばらしさがあるのではないか。