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Kazu Bike Journey

Okinawa 沖縄 #2 Day 225 (27/11/22) 久米村 (4) Fukushu-en 福州園 (ライトアップ)

2022.11.30 14:55

福州園


前回 (11月20日) に福州園を訪れた際に、昨年から休園していた期間にライトアップの設置をし、今年7月に再開園してからライトアップを披露している事を知った。ライトアップの様子を見たく、今日、東町、通堂町、西を巡り、夕方になり、ライトアップ開始の時間が近づいて来た。西から福州園に向かう。ライトアップ6時の5分前に着き、入園の際にライトアップ入園の料金を払おうとすると、6時前の入園なので、昼間の入園料で良いという。料金はたいした違いは無いのだが、沖縄らしくおおらかな対応だった。前回レポートで福州園については記載したので、そのレポートにライトアップの写真と差し替える。



福州園

ライトアップは時間事に照明の色が変わる様になっていた。その様子を見たく福州園内を3周した。青、紫、赤、緑とライトアップが変わっていき楽しむことが出来た。このライトアップは近年訪問者数が減少していたので、その活性化対策で、コロナ禍で入園者が落ち込んだ期間に行なったそうだ。まだ入園者数は以前の様には戻っていないのだが、外人観光客が戻って来ることを期待している。

福州園は歴史的建造物では無いのだが、中国福州市と那覇市の友好都市10周年記念事業として、福州と歴史的に最も関係の深い久米村のこの地に5年の建設期間を経て1992年に完成開園した庭園になる。福州市にある名所を凝縮して、福州が設計をし、福州から資材を運び込み、施工を行った。2021年4月から

改修工事のために休園していたが、2022年7月8日に再開園したのでどのように変わったのかとも思っていたが、特に建物は変わってはおらず、工事は植栽や庭園の整備が中心だったそうだ。

福州園は、福州地方独特の伝統的手法を用いた総面積8,500平米の中国式庭園で、園内は、明・穏・華の「三部空間」、「四季風光」、「八大景観」、「二池泉水」、「一本の周回路」で福州園八景の都市遊覧空間が構成されて季節を感じさせる樹木や草花があり、四季折々の景観とともに、三山 (于山、鳥山、屏山)・二塔 (白塔、鳥塔)・一流 (びん江) などの福州の中国伝統を兼ね備えた独特の風景や建築物が楽しめる。


大門 (だいもん)

福州園の正面入口が大門になっており、福州の民家の門をかたどっている。福州園には出入口が東西南北の四か所に設けられており、ここが正門になる。


照壁 (しょうへき)

大門を入った正面に照壁が置かれ、御影石と寿仙岩に精緻な飾り彫りがほどこされている。


左海三山廊 (さかいさんざんろう)

園内を反時計回りに巡っていく。まずは門を入り、池の上に造られた曲がり左海三山廊を進む。曲廊とよばれる客人を招く導線となる中国庭園の技法で日本庭園の飛び石の役割を果たしている。


三十六鴛鴦館 (えんおうかん)

左海三山廊は三十六鴛鴦館に通じる。館の内部には、福州から琉球に渡来した閩人三十六姓を鴛鴦 (オシドリ) に例え、遥か琉球の地で仲睦まじく暮らす様子を描いた屏風絵がある。


欧冶池 (おうじいけ)

三十六鴛鴦館からは館の前に広がる欧冶池があり、この池は夏景色を表しているそうだ。


烏山 (うざん)、荷花塢 (にかう)

三十六鴛鴦館の後ろ側には福州にある烏山という低山をイメージした小山が造られ、上から滝が流れ落ちる荷花塢と呼ばれる秋冬景色の様子を見ることができる。

荷花塢は蓮の花の池という意味で、蓮の花は泥の中から水面に出て汚れのない美しい花を咲かせる事から、澄んだ心と人柄を表現している。


烏塔 (うとう、保聖塔)

左海三山廊に戻り、反時計回りに進む。二つの石塔が見えて来る。手前は烏塔という石塔で福州の烏山の東の麓にある塔を模したもの。この先にある白塔と同様に福州を代表する塔。烏塔は唐代 (799年) 皇帝の誕生記念に建築されたが、後に取り壊されている。 唐が滅亡後、 五代十国時代の西暦941年に、関王によって、九層からなる石塔再建が進められましたが、建築中に臣下によって、王が暗殺されたため工事は中止。1950年代に追加工事を経て完成。


松竹如醉亭 (しょうちくじょすいてい)

烏塔と白塔との間に漏窓の囲い塀の休憩室がある。福州の夏景色の特徴を表現している松竹如醉亭。


東冶堂 (とうやどう)

烏塔の横は福州園中央部に位置する主要な建物の東冶堂広場になっている。東治堂は園主が客人をもてなす建物で榕蘭伴夏を表している。正面の左右4本の龍の石柱は御影石から彫り出されたもの。


白塔 (はくとう、宝光塔)

この白塔も福州を代表する塔。 白塔は于山の西の麓にある万歳寺の中にあり、唐代 904年に閩王によって、親の恩に報いるために建てられた。


桃花渓 (とうかけい)

白塔を過ぎた所には池が造られたている。桃花渓と名付けられ、小川の渓流と池からなっている。


凌波廊 (りょいはろう)

桃花渓の辺りには凌波廊が置かれ、雪解けの水流が渓谷に流れ、やがて背後の閩江からの水流と合わさり波となる春の情景を桃花渓回廊。


方亭門 (ほうていもん)

福州園は中国庭園方式の中での江南を中心に発達した文人庭園を再現している。知識人層文人は好んで邸宅に園林の庭園を造り、季節にうつろう景観を切り取り、漢詩を詠み、友と語らっていた。福州郊外にある文人邸宅のたたずまいを表現したのが、この方亭門だそうだ。


万寿橋 (まんじゅきょう)

桃花渓と聞江の間に万寿橋が架かっている。南側から見た景色を万寿流翠といい、 花びらが流れる春の渓流を表現している。橋の欄干には十二支の像が施されている。十二支も中国風で亥が猪ではなく豚、未が羊ではなく山羊になっている。


知春亭 (ちしゅんてい)

万寿橋を渡ると、桃花渓の辺りに円形の小亭がある。「すべて円満に」という思いがこめられたデザインの知春亭で、清らかな水と春の花々に囲まれて深まり行く春を表現しているそうだ。天井は色鮮やかな牡丹がほどこされている。


丁山 (ういざん)

知春亭の向こう側には福州にある于山を模している。福州園には福州の烏山、屏山も合わせて三山が置かれている。戦国時代に于越族がこの地に移り住んだことから丁山という。

福州市は山の多い都市で、丁山はその一つ。漢代の臨川の何家九兄弟がこの地で修行と学術探究を行っていた古い伝説から九仙山とも呼ばれている。


叢桂亭 (そうけいてい)

中国庭園の特徴の亭がある。花弁を表現した優雅な曲線を描く屋根瓦と優美な六角形の建物となっている。ここからの眺めは楓桂映秋をテーマとして福州の秋景色を表現している。


飛虹橋 (ひこうきょう) 

虹の架け橋により冶泉飛泉の景観イメージした飛虹橋が東側に欧治池と西側には冶山から勢いよく落ちる瀧に挟まれて架かっている。欧治池の対岸には照壁の湖光嵐影の文字が臨める「清」から岩山の冶山の滝の「動」に変わる所になる。橋の側には李白像が置かれている。李白が詠んだ雑言古詩には「黄河からの水が天井から流れ落ち、海に至り水が元に戻ることはない」、「高所にある屋敷に住む福な人でも老いに悩む」ことを例に、時の流れは戻らない、ならば酒を飲み、歌を詠み、人を謳歌しようと謡い、最後は世に名を遺した聖人賢者は皆酒飲みだのだからという李白の詩を冶山に重ね、風景も人生も楽しんでいってもらいたいというメッセージを観光客に送っている。


冶山 (やざん)、冶亭 (やてい)

ここには福州の名勝冶山を模した人口の岩山の冶山があり、その頂上には冶亭が建てられている。岩山の頂上にある冶亭は、眼下に滝、 そして連なる欧冶池を湛え福州園北側の全景を見渡せる場所になる。 


三友斎 (さんゆうさい)

竹林に囲まれた道の奥にも竹林に覆われて三友斎がひっそりと立っている。読書や友と語 らう場所という。三友は画題となる松竹梅、あるいは白居易の北憲三友の詩の「琴、詩、酒」を意味し、文人墨客がここに集い芸術を優雅に楽しむ静寂の中のサロンだった。


福聚門 (ふくしゅうもん)

三友斎から竹林の中の白壁沿いの道の先には福聚門があり、その先には回廊が続いている。


屏山 (びんざん)、清晏亭 (せいあんてい)

中国庭園は古代 (紀元前二千年) から神仙思想がベースとして造られていた。福州にある屏山を模した山が造られている。屏山頂上の清晏亭からはその神仙思想を表現している福州園を眼下に臨め、ここからの風景はかつての中国庭園が壺中天の故事にある都会の中の別天地の仙郷を理想としていたことを表現している。


仙橋 (せんきょう)、湧泉亭

魚楽橋を渡るともう一つの仙橋がある。中国文人は神仙の住む山水への強い憧憬から庭を作り、四季の植物を愛で、師や朋友との交わりを楽しむ場所として位置付けていた。 仙橋を仙境とみなし、仙境の地に架かる橋とされる。この橋が架かる道は友と語らう三友斎に通じ、松の木や竹林、 梅の木の縁起の良い植物が沿道に植えられている。仙橋を渡ると回廊がある。ここが福州園の最後のスポットになる。入り口には小さな池が造られて鯉が泳いでいた。


湧泉亭の回廊を進み、三山と書かれた扁額が掲げられている門を出ると山門に出る。これで福州園のライトアップ散策を終了。


これで今日の長い1日の予定を終えて家に向かう。途中、旭橋のバスターミナルビルはクリスマスデコレーションが施されていた。これから街中はクリスマスに向けて華やかになっていく様だ。来週からは12月だが、沖縄は本土の晩夏、初秋といった気候で、日中はまだまだ暑く、半袖で過ごせる。(地元の人は秋の終わりと言っているのだが..)


参考文献

  • 那覇市史 資料篇 第2巻中の7 那覇の民俗 (1979 那覇市企画部市史編集室)
  • 沖縄風土記全集 那覇の今昔 (1969 沖縄風土記刊行会)
  • 沖縄アルマナック 5 (1980 喜久川宏)