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明日世界が終わるとしても、私は今日リンゴの木を植える

2018.03.30 10:17

16世紀に生きた宗教改革者、ルターの言葉である。ルターは自分が死んでも未来の糧となる生き方を選択し、実際にそのように生きた。

ルターはこうも言っている。

「今でなくても」が、「やらなかった」になるのは実に早い。


数年前、企業経営者であったジョブスも公演で似たような発言をしている。

「もしも今日が人生最後の日だとしたら、今日やろうとしていることをやりたいと思うだろうか?」。NOと答える日が何日も続くようであれば、何かを変えなければならないということだ。」 


もともと西洋には古代ローマの時代から「メメント・モリ」(死を忘れるな)という言葉があり、「今を生きる」ことが尊ばれている。


 東洋にも似たような言葉がある。

「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり。」

孔子は政治に正道を求めて諸国を放浪したが、各国の統治者からはなかなか理解を得られなかった。

それでも孔子は、死ぬまで理想の具現化を諦めなかった。


それらの生を積極的に肯定した生き方に対し、一見、生を否定するような死生観が、日本にある。

「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり 一度生を享け、滅せぬもののあるべきか」

人の生は幻のように儚いものだ、と言う敦盛の舞である。


人生の終焉に臨む態度は、およそ二種類ある。

一度きりの人生、死ぬまでとことん精一杯生きよう、とする態度と、どうせ死ぬのなら何をしても同じだ、という態度と。

おそらく、誰もがその間の揺らぎの中で、日々を生きている。

はたして人は、どちらの所作を実践すべきなのだろうか。


結論を言えば、人はどんな生き方をしても正しい。

積極的に多動をしたい人はしたら良いし、したくない人はしないのも良い。

どちらがよりより人生かと言うのは、あなた自身だけが決められることである。

社会的に何をするでもなく、一呼吸一呼吸することに感謝し、人生をまっとうする人もいれば、文明の発展に尽力する人もいたり、時代を代表するような犯罪を実践する人もいる。

これらの生き方の優劣は、本来無い。

人が何かをするのもしないのも、宇宙はそのまま認めている。

その前提の上で、明日世界が終わるとしたら・・・

リンゴの木を植えるのが好きなら、植えたら善い。

桜の花を見て感動するのも善い。

眠るのもまた善い。

誰かに別れを伝えに行く。

誰かに感謝を伝えに行く。

誰かに思いを伝えに行く。

どれも善い。

美味いものを食べる。

映画、音楽、読書、お笑い、絵画、スポーツ、好きなものを最後に見る。

全部善い。

そして、何もしないのも善い。

あなたの善いは、あなただけが選択できる。

明日世界が終わるとしたら、あなたは今日何をするだろうか。